上 下
313 / 336
第三部 四季姫革命の巻

第二十六章 夏姫革命 7

しおりを挟む
 7

 やがて榎たちは、大きな木製の開き戸の前にやって来た。戸には五芒星や、複雑な紋様や梵字が彫りこまれている。
 いかにも荘厳な扉。長の住処へと繋がる出入口として、相応しい貫禄を見せていた。
「この中に、紬姫が……」
 気配は消しているのか、何も感じない。
 だが、ひしひしと伝わってくるプレッシャーが半端ない。
 間違いなく、この先に紬姫がいる。
 榎の緊張は最高潮に達し、乾いた喉に飲み込んだ唾が染みた。
「紬姫よ、入るぞ」
 夏から解放された守親が、先陣を切って扉を開いた。
 中は板間の、道場みたいな部屋だった。とても広そうだったが、窓もないその部屋は暗くて全貌を把握することはできない。部分的に燭台の明かりで灯された場所だけが、おぼろげに見えるくらいだ。
 明かりは主に、部屋の中心部を照らすように配置されていた。照らされた床には、扉に彫られていたものと同じ複雑な紋様が描かれていて、その中央部に、小さな人影を浮かび上がらせていた。
 こちらに背を向けて正座をしている、黄色を基調とした十二単を見に纏った、小柄な女性の背中だった。髪は白く長く、頭上で緩く纏めてある。髪際(はっさい)から、白糸みたいな髪が、小さな横顔に垂れ流れていた。
 間違いない、紬姫だ。
 時を渡ってから十八年も経った姿しか知らないのだから当然だが、榎が出会った時よりも、かなり幼く感じる。榎と同じくらいか、少し歳上くらいか。
 紬姫は振り返りもせず、ゆっくりと口を開いた。
「なぜ、貴様がここにいる」
 その、凛とした鈴にも似た声は、聞き覚えがあった。落ち着き払っているものの、その声色にはなんとなく、澱みが感じられる。
 守親は一瞬怯んでいたが、すぐに自信に溢れた笑顔を浮かべて、紬姫に語り掛けた。
「かような場所にいつまでも座っておっては、体が冷える。腹の子にも障るぞ」
「なぜかと、聞いておる」
「喜べ、紬姫。其方の憎き仇、夏姫を捕えて参ったのだ。煮るなり焼くなり、好きにするがいい」
「守親、貴様には聞いておらぬ。耳障りだ、口を噤(つぐ)め」
 かみ合わない会話に痺れを切らしたか、紬姫は守親を声色だけで牽制し、黙らせた。守親の表情は引き攣り、肩が痙攣している。
 紬姫は最初から、たった一人の相手にのみ、声を掛け続けていた。
 榎は横目に、隣に立つ夏に視線を向ける。
「紬姫様、夏姫の身柄、ここに連れ申しました」
 夏は臆することなく、床に膝を突いて無感情に報告をしてみせた。完全に、紬姫が使役する式神になりきっている。
「何の戯れだ? この小娘を夏姫に見立てて、逃げ遂せるなどと思うておるわけではあるまい? 妾が、貴様を見間違うわけがなかろう。寝ても覚めても忘れられぬ、憎らしい、貴様の顔を……!」
 だが、そんな演技が通用するわけもなかった。紬姫は最初から、夏の正体に気付いていた。
 声を荒げると同時に、初めて首を動かし、横顔を榎たちに見せた。
 小さな炎に照らされたその顔は白く、頬はこけてやせ細っていた。その分、目だけがやけに大きく見え、怒りのせいか更に見開かれて、恐怖を覚える形相を作り出していた。
 月麿が、あれほどまでに紬姫に恐れを抱いていた理由が、何となく分かった気がする。あの目に射竦められると、蛇に睨まれた蛙みたいに、身の危険を感じて体が動かなくなる。
 榎と守親は、金縛りにでも遭ったように身動き一つとれなかったが、夏だけは、その姿を憐みの目で見つめていた。
「よくまあ、のこのこと戻ってきたものだな。その度胸だけは褒めてやりたいところだが、再び妾の前に姿を見せた以上、命はないと思え!」
 紬姫はゆっくりと立ち上がり、夏めがけて指を突き出した。早口に何やら呪文を唱え始めると、足元の紋様が黄金色に輝き始めた。
 夏も、早々に剣の柄に手をかけて、臨戦態勢をとる。
 このままでは、話し合いどころではなくなってしまう。
「待って下さい! 今は争っている場合じゃないんだ!」
 榎はなんとか恐怖に打ち勝ち、声を張り上げた。
「紬姫、逃げてください! もうすぐ、あなたを狙う敵がやって来ます! 早くしないと、殺されてしまう」
 榎の声は、思っていたよりもあっさりと紬姫に届いた。口を閉じ、呪文の詠唱を中止すると、足元の光も、周囲を覆っていた殺気も消えた。
 紬姫は無言で、目を細めて榎を見つめている。強い眼光が、鋭く榎を射る。
 榎は怯みながらも、勇気を振り絞って続けた。
「あたしは、あなたを助けるためにここに来たんです。夏さんや、守親さんの力を借りて。お願いします。お腹の子を守るためにも、どうか逃げてください」
「妾の命を、狙う者がおると。それは如何なる輩じゃ?」
 紬姫が、静かに口を開いた。榎の話に耳を傾け、興味を示してくれている。
 チャンスだ。今なら、説得できる。榎は意気込んだ。
「見た目は、小さな男の子です。けど、深淵の悪鬼の力を吸収して、四鬼まで使役している。戦えば、ただでは済みません」
「その童(わっぱ)とは、こやつのことか?」
 紬姫は顔を動かし、背後の暗闇に向かって顎で指した。
 その先を追って見ると、微かな薄明りの中に、ぼんやりと異様な光景が浮かび上がってきた。
 建物を支える大きな円柱に、大量の札や釘が打ち付けられている。まるで派手に丑の刻参りでもやった後のような、悍ましい光景でもあった。
 その札の隙間を縫ってよく見ると、大の字に体を広げた人間が、貼り付けになっていることに気付いた。
 まだ小さい、明らかに子供と思われるシルエット。
 目が暗さに慣れ、ようやく視界がはっきりしてくると同時に、榎は目を疑った。
「まさか、語くん!?」
 磔になっていた者は、間違いなく語だった。側頭部や腕からは血を流し、頬に青痣も作っている。
 深淵の悪鬼や、四鬼の力を得て、あんなにも堂々たる姿を見せていた語が、今は見る影もない。
 肩が、微かに上下している。息はあるみたいだが、気を失っているのか、何の反応も示さない。
 あの悍ましい力を放つ語を、紬姫は難なく抑えつけて、こんな姿にしたというのか。
 榎は無意識に、紬姫の内から滲み出てくる悪鬼の邪気に、恐怖を覚える。
 これでは、どちらが化け物か分からないくらいだ。
「突然襲ってきた故、少しは骨があるかと相手をしてやったが、他愛もない。妾の足元にも及ばなかった」
 つまらなさそうに、紬姫は鼻を鳴らす。
「解放してあげてください、このままじゃ、語くんが死んでしまう!」
 恐れを抑えて勇気を奮い立たせ、榎は紬姫に声を張り上げた。
「なぜ、この童の身を案じる? こやつから妾を守るために来たと申したではないか。お前はいったい、何がしたいのだ?」
 榎の言動の意味が分からないと、紬姫は眉を寄せて目を細める。
「紬姫を助けると同時に、その子を止めるために来たんです。殺すためじゃないんだ、無事に連れ戻したい」
「たとえ餓鬼とはいえ、妾に手を上げた者が、無事に生きておれると思うか?」
 紬姫は、榎の話を聞いてはくれるが、その意見に同意をする気はなさそうだった。横目に語を睨み付け、殺気を放つ。
 このままでは、本当に語が殺されてしまう。
「もう、抵抗する力もないはずだ。助けてください。その子は、あなたの息子なんだ」
「何を戯言を。妾の子は、腹の中に居る、この赤子のみ」
 紬姫はくだらないと一蹴し、少し膨らみかけた腹部を、優しく擦った。
「それに、かように弱く頭の悪い童など、妾の子であるはずがない。もし、事実であったとしたら、とんでもない汚点よ。すぐにでも捨ててくれるわ」
「そうかい。悪かったね、愚かでさ」
 吐き捨てられた紬姫の無情な言葉に反応したのは、語の声だった。
 目を覚ましたのか。いや、気を失ったふりをして、榎たちのやり取りを聞いていたのだろうか。
 そう思って視線を向けるが、柱に張り付けられた語は首を項垂れ、ピクリとも動かない。
 声を放った主は、別にいた。
 磔にされた語のすぐ側に、浮かんでいた。
 もう一人の、語が。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!

どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入! 舐めた奴らに、真実が牙を剥く! 何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ? しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない? 訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、 なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト! そして…わかってくる、この異世界の異常性。 出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。 主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。 相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。 ハーレム要素は、不明とします。 復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。 追記  2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。 8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。 2024/02/23 アルファポリスオンリーを解除しました。

クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル

諏訪錦
青春
アルファポリスから書籍版が発売中です。皆様よろしくお願いいたします! 6月中旬予定で、『クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル』のタイトルで文庫化いたします。よろしくお願いいたします! 間久辺比佐志(まくべひさし)。自他共に認めるオタク。ひょんなことから不良たちに目をつけられた主人公は、オタクが高じて身に付いた絵のスキルを用いて、グラフィティライターとして不良界に関わりを持つようになる。 グラフィティとは、街中にスプレーインクなどで描かれた落書きのことを指し、不良文化の一つとしての認識が強いグラフィティに最初は戸惑いながらも、主人公はその魅力にとりつかれていく。 グラフィティを通じてアンダーグラウンドな世界に身を投じることになる主人公は、やがて夜の街の代名詞とまで言われる存在になっていく。主人公の身に、果たしてこの先なにが待ち構えているのだろうか。 書籍化に伴い設定をいくつか変更しております。 一例 チーム『スペクター』       ↓    チーム『マサムネ』 ※イラスト頂きました。夕凪様より。 http://15452.mitemin.net/i192768/

ただの黒歴史

鹿又杏奈\( ᐛ )/
青春
青春ジャンルではありますが、書き手の青春的な意味で高校時代に書いたポエムとかお話とかそういったものを成仏させようかと思ってます。 授業中に書いてたヤツなので紙媒体から打ち込むのに時間がかかるとは思いますが、暇であったら覗いて見て下さい。 偶に現在のも混ぜときます笑

君と僕と先輩と後輩と部長とあの子と宇宙人とメイドとその他大勢の日常

ペケペケ
青春
先輩、後輩、先生、母、父、友人、親友、メイド、バイト、店長、部長、親方、宇宙人、神、僕、君、彼女、あの子、部下、上司、マスター、すっとこ、プロレスラー、十八番、俺、我輩、猫、牛乳、ホームレス、侍、農民、平民、ガキ、オッさん、牧師、婦警、カッパ、OL、殺人鬼。 こんな人たちの日常とあんな人の達の非日常。 ああしたら良かった、こうしたら良かった。 こうであって欲しかった、そうならないで欲しかった。 そうしたかった、そうしたく無かった。 こうしたい、ああしたい、どうしたい? そんな感じの短編を息抜きに書いていくあれですはい。 上のタグっぽいのは増えます。きっと。 むっちゃ不定期更新です。楽しんで書くから楽しんで貰えたら嬉しいです。

オニカノ・スプラッシュアウト!

枕崎 純之助
ファンタジー
登場人物 ・鬼ヶ崎《おにがさき》雷奈《らいな》 最強にして最凶の鬼「悪路王」を背負い、類まれな戦闘能力で敵を討つ黒鬼の巫女。 ただし霊力は非常に低く自分の力だけでは悪路王を操れないため、パートナーである響詩郎の力に頼っている。 ・神凪《かんなぎ》響詩郎《きょうしろう》 魔界生まれの帰国子女。「勘定丸」と呼ばれる妖魔をその身に宿し、人の犯した罪を換金する「罪科換金士」。戦闘能力は皆無だが、膨大な霊気を持つ少年。 ・薬王院《やくおういん》ヒミカ 中国大陸から渡って来た銀髪の妖狐。伝説の大妖怪を甦らせそれを兵器として使用することを目論み暗躍する。冷徹で残忍な性格で数々の悪事を行ってきた希代の犯罪者。 ・趙香桃《チョウ・シャンタオ》 表向きは古物商の女店主だが、その裏で東京近郊の妖魔らを束ねる金髪の妖狐。響詩郎の師匠にして母親代わり。 ・風弓《かざゆみ》白雪《しらゆき》 魔界の名家・風弓一族の姫。弓の腕前は一族随一。かつて一族の危機を救ってくれた響詩郎にぞっこんで、彼を夫に迎えようとあれこれ画策する。 ・紫水《しすい》 白雪の側仕え。千里眼の持ち主で遥か彼方を見通すことが出来る。白雪が人間の響詩郎を夫にしようとしていることを内心では快く思っておらず、響詩郎が雷奈とくっつくよう画策している。 ・禅智《ぜんち》弥生《やよい》 鋭い嗅覚を持つ妖魔の少女。その能力で妖魔の行方を追うことが出来る。彼女の祖父である老妖魔・禅智内供が響詩郎と旧知の仲であり、その縁から響詩郎の依頼を受ける。 ・シエ・ルイラン 趙香桃に仕える妖魔の少女。全力で走れば新幹線を追い越せるほどの自慢の韋駄天を駆使し、その足で日本国内を駆け巡って配達業務を行う。性格はまるで幼い子供のよう。 *イラストACより作者「せいじん」様のイラストを使わせていただいております。

記憶の中で

ヨージー
青春
萩山淳吾の送る中学時代

雪と桜のその間

楠富 つかさ
青春
 地方都市、空の宮市に位置する中高一貫の女子校『星花女子学園』で繰り広げられる恋模様。 主人公、佐伯雪絵は美術部の部長を務める高校3年生。恋をするにはもう遅い、そんなことを考えつつ来る文化祭や受験に向けて日々を過ごしていた。そんな彼女に、思いを寄せる後輩の姿が……?  真面目な先輩と無邪気な後輩が織りなす美術部ガールズラブストーリー、開幕です! 第12回恋愛小説大賞にエントリーしました。

ラブ×リープ×ループ!

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)
青春
【完結・1話1500文字程度でサクサク読めちゃう!】 40歳独身、童貞。鬱に苦しみ間もなく自動退職寸前のゲーム会社勤務の主人公・古ノ森健太。 どんづまりの彼のスマホを鳴らしたのは、中学・高校時代の親友だった渋田だった。 「今度の同窓会、来るよね?」 「……は?」 不本意ながら参加した中学2年の同窓会。実に26年ぶりの再会だが、ひたすら憂鬱で苦痛だった。そこに遅れて姿を現したのは、当時絶大な人気を誇っていた学年1、2を争う美少女・上ノ原広子。だが、その姿は見る影もなく、おまけにひどく酔っぱらっていた。彼女の酔いを醒ましてくる、と逃げ出す口実を見つけた健太は広子を担いで裏手にある神社へと足を進める。 ご近所さんで幼馴染み。また兄貴分でもあり師匠でもあった広子。それがなぜ……? 二人は互いの恵まれない境遇について話すうち意気投合するものの、つい広子が漏らした一言でもみ合いに発展し、神社の石段から転げ落ちてしまう。 「………………これ、マジ?」 そして、気がつけばそこは、中学二年の始業式の朝だったのだ。 こうなったら、ターニングポイントになったこの一年間をやり直し、ついでに憧れのあの子と付き合って、人生の勝ち組になってやる! 見た目は多感な中学生、中身は40男(童貞)、タイムリープでチャンスを手にした主人公のノスタルジック・ラブコメディー開幕!

処理中です...