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第三部 四季姫革命の巻

第二十五章 冬姫革命 6

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 六
 体を休めて、ようやく起き上がれるようになった頃には、もう夜になっていた。
 ほぼ丸一日、出産のために葛藤していたのだと気付く。あっという間だったと思っていたが、実は途方もない時間が流れていて、驚いた。
「これで、了生はんたちの未来は救われたな。ひと安心や」
 心身共に疲れてヘトヘトだったが、柊の気持ちは晴れやかで、満足感に溢れていた。
 語や紬姫の件はともかく、了生を助けられたのだから。それだけで、柊にとっては最大の試練を乗り越えたも同じだった。
 部屋の隅では、冬姫が寝床の上に体を起こし、生まれたばかりの赤ん坊を優しく抱き上げていた。着物の襟元を開き、乳を与えている。赤ん坊は一心不乱にお乳を飲み続けていた。
 子供を見つめる、愛しさと慈しみを帯びた表情。その穏やかな笑顔は、厳格な冬姫とは全く異なる、幸福な母親の雰囲気を存分に醸し出していた。見ているだけで、こちらも幸せな気分になれる。
「名前は、もう決めたんですか?」
 尋ねると、冬姫は顔を上げて、少し考える素振りを見せた。
「まだ、決めておらぬ。了念と、しかと話し合わねばのう」
 そんな話をしていると、外に出ていた了念が入って来た。囲炉裏の火を絶やさないように、薪を割ってきてくれた。
「遅くなったが、明かりを灯して飯にしようか。子のために、お冬もしっかりと食わねばな」
「せやな。すっかり寝てしもうた。うちが準備しますわ」
 立ち上がろうとした柊を、了念は慌てて制止させる。
「いやいや、其方には世話になりっぱなしだ。まだ、休んでいてくれ。今宵はわしが、馳走しよう」
 料理には自信があるらしく、了念は豪快ながらも手早く干し肉を切り分け、鍋の中で調理し始めた。
 だが、その料理が完成するより前に、小屋の外から嫌な気配が広がった。
 二度目の、不穏な気配。前回の妖怪の気配とは、明らかに異なる。
 初めてではない気がしたが、あまり感じた記憶のない、奇妙かつ強い気配だった。
 冬姫も了念も、その気配に気付いたらしく、出入り口の向こう側に殺気を放ち始めた。冬姫は、満腹になって眠ってしまった子供をしっかりを抱きしめて守る。
 柊は薙刀を手に、ゆっくりと出入り口の脇に歩み寄る。小屋の外には、確実に何者かがいる。そいつは奇襲を仕掛けてくるわけでもなく、ただじっと、動かずに立っている様子だった。
 気味が悪い。柊は、出入り口を挟んで向かい側で外の気配を伺う了念と示し合わせ、同時に外に飛び出した。
 薄暗くなった周囲の景色の中で、黄金色に輝いて異質な存在を放つ者が一人、立っていた。
 人、と呼べるものなのかも分からない。金色に光を放つ、東洋風の大仰な鎧を身に纏った、筋骨隆々の逞しい男ではあった。だが、頭からは角が生えている。
「何や、こいつは……?」
「その気配、鬼か。かなり強い力を感じる。何処かに封じられていたものかもしれぬな」
 了念は目を細めて、その男を観察する。
 ――鬼。
 古来より、陰陽師と深い関わりを持ってきた、今は忘れられし幻の種族。
 言われてみれば、その角(つの)は以前、鬼化を起こして暴走した、榎の頭から生えていたものと似ている。
「そないな奴が、何でこないな場所に……?」
「あの、ふざけた小娘の仕業か、それとも、まったく与り知らぬ経緯で迷い込んだか」
 背後から、声がした。
 簾を潜(くぐ)って、赤ん坊を抱いた冬姫が顔を出した。
 目を細めて、目の前に立つ鬼を睨み付ける。
「お冬、出てきてはいかん!」
「いつまでも隠れてはおれぬ。どうやら、こやつの狙いは、妾であるらしいからな」
 了念の制止もきかず、冬姫はさらに、前へ歩みを進める。
 冬姫の姿を視界に捉えた途端、鬼の放つ無に近かった気配が、急激に高揚しはじめた。
「強き、気高き魂を持つものよ、ようやく見つけた! 我が名は、四鬼が一人、金鬼なり。我と戦え、強き者!」
 鬼の言葉を受け止め、冬姫は表情を歪める。挑発に乗っているのではないかと冷や冷やしたが、柊が感じた以上に、冬姫の態度は冷静だった。
「了念。やや子を頼むぞ」
 冬姫は了念に子供を預け、入り口の傍に立てかけてあった薙刀を手に取った。
「何をする気だ、お冬!」
「身が軽うなって、動きやすくなった。どこから湧いて出た鬼畜生か知らぬが、この冬姫に盾突いて、生きて帰れると思うなよ」
 冬姫は、止めようと声を掛け続ける了念を引き離し、金鬼の前に立った。
 薙刀を構え、軽々と振り回す。薙刀の刃先が風を切り、周囲に激しい突風を引き起こした。
 風は鋭利な真空波となり、金鬼めがけて突っ込んでいく。その風は冷気を帯びているらしく、通り過ぎた地面は凍り付き、土が白く霜を帯びた。
 真空波が直撃すると同時に、金鬼の足が地面から離れて、吹き飛んだ。すさまじい風圧だ。
「お産の後やいうのに、めっちゃ強いやんか……」
 体力が落ちていて、この威力なのか。万全の状態で戦えば、どれほどの攻撃力を誇っていただろう。
「今は、冬であるからな。夏よりは、戦いやすい」
 以前、月麿も言っていた。四季姫は、各々が司る季節に、より強い力を発揮できると。つまり、冬である今は、冬姫の力が最大限に高まっている時でもあるわけだ。
 体に大きな負担をかけずに、この鬼を倒せるかもしれない。
 当の金鬼は、後ろに飛ばされて倒れていたが、すぐにゆっくりと起き上がった。
 身に着けていた鎧には、斜めにまっすぐ、鋭利な切り傷が刻まれていた。冬姫の攻撃の強力さがよく分かる。
「確かに、見事な冷気の操り。だがしかし、我が最強の盾の前に於いて、女の刃の一振りなど、無意味!」
 冬姫の攻撃を次々と見に受けていたにもかかわらず、金鬼が大きなダメージを受けているとは思えなかった。鎧には多少の摩耗が見られたが、肉体のほうはピンピンしている。
「あかん、やっぱり筋力が足りてへん」
 金鬼の防御力に、冬姫の攻撃力が劣っているせいだ。金鬼の強さもさながら、長らく身重で体を動かしてこなかった冬姫の実力の低下も、容易に想像できる。
「どうした、強き者。もう限界か。それほど気高き魂を持ちながらも、我に示してはくれぬのか。それとも、後ろの者共を庇うのに夢中で、戦いに集中できぬか。ならばお主の守りたいものを消し去り、煩悩を取り払ってしんぜようか」
 金鬼の視線が、冬姫の背後にいる了念と、腕に抱く赤ん坊に突き刺さった。
 ただの挑発とは思えない。冬姫を怒らせて、さらに力を引き出そうとしているらしい。
 金鬼は了念たちに向かって腕を振り上げた。冬姫は驚く程の速さで、その腕を薙刀で弾き落とした。
「妾の愛する者に手を出すことは、許さぬ!」
 怒りを噴出しながら、冬姫は体中にさらなる神通力を纏わせる。金鬼は楽しそうに笑っていた。
 だが、無理をして絞り出している力だということは、一目瞭然だ。冬姫の腕が酷使されて、震えている。
「無理したらあかん。確か、鬼閻を封印する時に、朝月夜に力を仰山、分け与えたんやろう?」
 柊は冬姫の隣に立ち、腕を掴んで制止させた。冬姫の腕は、凍り付きそうなくらいに冷たい。
 現代で白神石の封印を解いた時、朝は前世の四季姫たちに与えられたものだと、凄まじい力を返してくれた。あの力が四季姫たちの根底に眠る陰陽師の力であるとするならば、それを失った今の冬姫の中には、戦う力なんてほとんど残っていないはずだ。
「もう充分や。後ろに下がっとき、あとは、うちが何とかする」
「戯言(ざれごと)を抜かすな。力も満足に使えぬ小娘が、力押しで鬼に勝てると思うておるのか」
 庇おうとする柊を、冬姫は嘲る。変身ができない柊の力も、今の冬姫とどっこいどっこい、それよりも低いかもしれない。
「そんなもん、やってみんと、分からんやろう」
 だからといって、この場を冬姫に任せて見物しているなんて、できるわけがない。
 冬姫にもしものことがあれば、生まれたばかりの子供はどうなる。
「もう、うち目の前で、母親と共に過ごせんくなる子供を、作りとうないんや」
 冬姫は驚いた表情で、柊を横顔を凝視していた。
 大きく開かれた瞳はやがて伏せ、静かに閉じられた。
 しばしの沈黙ののち、冬姫は呟いた。
「妾の命、使え」
 今度は、柊が驚く番だ。
「何を言うとるねん!?」
「お主が冬姫の力を操りきれぬのは、妾が生きておるからであろう。妾の魂をお主が宿せば、化け物共とも、対等以上に戦えるはず」
 冬姫の言葉にカチンときた柊は、なりふり構わず大声を張り上げた。
「アホか! 母親がおらんようになったら、子供はどないして生きていくんや! こんな、何もない世界で、何を支えに生きていくんや!」
 自分自身の声が、頭の中に響く、同時に、脳内に過去の記憶がフラッシュバックされて蘇る。
 柊を置いて、家を出て行った母親の背中。別れを告げられた。二度と会えない。あの苦しい記憶。
 了生が、母親の墓前に佇み、死に別れた人々との寂しさに打ちひしがれる背中。
 もう、あんな思いをするのは、あんな姿を見るのは、誰であっても耐えられない。
「うちが力を得るために、あの子の母親を奪う羽目になるんやったら、うちは冬姫の力なんぞ要らん! 歴史が変わろうが、知ったこっちゃないわ! 咎も皺寄せも、全部、うちが引き受けたる!」
「ならば、妾の力も引き受けよ。この子のために、何も遺せず果てるなど、妾の母としての心が許さぬ。母として、共に過ごせなかったこの子との時間、お主が埋めておくれ。この子を守るための力、妾と、この子のために受け取るのじゃ」
「嫌や! うちは、今のままで充分や。あんたは、赤ん坊の側におってやらなあかんのや、母親やろう!? 親の役割から逃げるな! 最後まで戦え!」
「驕(おご)るな! お前こそ、お前自身の使命から逃げているだけであろう!」
 柊の言い分に腹を立てた様子で、冬姫が怒鳴り声を上げた。その凄まじい剣幕に、柊は思わず、怯む。
「お主は本来なら、この場にいるはずのない存在だ。なぜ、妾の前に現れた? 力を得るためではないのか。大切なものを守るためではないのか!?」
 冬姫は柊の腕を振り払い、薙刀を構え直し、柊に突き出した。
「お主はまだ、戦わねばならぬはずだ。妾の力を、受け継いで――」
「そうやとしても、そんなやり方は……」
「言うても分からぬなら、無理矢理にでも受け取ってもらう」
 まだ、覚悟の定まらない柊の目の前で、冬姫は薙刀を半回転させ、刃先を己の体に向け、突き付けた。
 止める暇もなかった。冬姫の腹部には刃が深々と刺さり、違滲み出る。
 口からも、泡となった血が、滴り落ちてきた。
「お冬!!」
 地面に膝を突く冬姫を見て、了念が悲痛の声を上げる。
「何でや、何で、そこまでして……」
 柊は立ちすくんだまま、動けなかった。体が震えて、うまく動かせない。膝も折れない。
「お主も、いつか愛しい男と結ばれ、子を生せば分かる。我が子との、生まれながらの絆、たとえ離れようと、未来永劫、再会が叶わずとも、決して切れはしない。――同じ血が、流れておるのだから」
 弱々しい呼吸をしながら、冬姫は柊を見上げてくる。その表情は、穏やかに微笑んでいた。
 全てを成し遂げた、満足した表情。その中には、悔いも苦しみも、垣間見えなかった。
「妾とやや子との絆、冬姫の力と共に、お主が受け継いでおくれ。母との縁は、死に別れても決して切れぬのだと、我が子に教えてやっておくれ」
 笑いかける冬姫の姿が、滲む。柊の瞳を、涙の膜が覆う。
 語るべき話を語り終えると、冬姫は最後の力を振り絞って、了念と子供に視線を向けた。
「了念。妾の魂は消えぬ。常にお主たちと共にあり続けよう。わが子を、冬姫の魂を守るに相応しい立派な男に、育ててくれ……」
 最期の言葉を残して、冬姫の体は横向けに倒れた。
「お冬、目を開けろ、冬姫!!」
 薙刀の柄が地面を打ち付ける音で我に返り、了念は取り乱しながら冬姫に駆け寄った。
 片手に子供を抱き、もう片腕で冬姫の体を抱き起す。その体はもう、微動だにしない。
 嗚咽を噛み殺し、どうすればいいのか分からない様子で、肩を震わせている。
 その姿を見た瞬間、柊の心の中で、何かが吹っ切れた。
 冬姫が守ろうとした者たち。この人たちだけでも、守らなくては。
 柊の体の中に、力が湧き上がってくる。
 冷たくも温かい。誰よりも愛するものを愛し続けた、強い母親の魂。
 その魂が、柊に力を与えてくれた。
 降り頻る雪が、吹雪き始めた。柊の体を、青白い光が包み込む。
「何だ、この光は? 冷たくも暖かい……」
 風が治まり、目を開くと、側で了念が呆然と、こちらを見ていた。
「風乱れ 降り頻る雪 地に積もる 君と包めや 白き壁かな」
 懐かしく感じる和歌を口ずさむと共に、柊は青を基調とした十二単を身に纏っていた。
「――冬姫、見参や!」
「冬……姫?」
 まだ、訳が分からず柊を見ている了念を脇目に、側に転がった薙刀を拾い上げ、鬼めがけて振るった。刃からは冷気が吹き出し、目の前の地面をあっという間に氷漬けにした。
 力が溢れてくる。もう、止まらないのではと思えるほどに。
「冬姫はんが亡うなって、魂が転生の輪に入った。巡り巡って、うちのところに届きましたわ。了念はんは、二人を連れて下がって下さい」
 柊は目の前の鬼に視線を突き刺し続けながら、背後の了念にそう告げた。
「――冬姫はんの力、うちが貰い受けます。必ず最後まで、あんたたちを守ってみせる!」
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