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第三部 四季姫革命の巻
第二十四章 春姫革命 3
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三
くれぐれも春姫を怒らせないようにと女中たちから念を押され、椿は春姫のところに戻った。
「やっと戻ってきたわね! 本当に板取の話は長いんだから」
御簾を捲って中に入って来た椿を見るや否や、春姫の瞳が楽しそうに輝く。勢いよく椿の着物の裾を引き寄せた。
「早う、火鉢の側へ。寒いであろう」
部屋の真ん中に、白い灰が詰まった火鉢が、どんと置かれていた。灰の上では赤く輝くように燃える木炭が熱を放ち、ほんのりと暖かい。
お寺などもそうだが、昔に作られた日本風の家屋は通気性を重視してあるのか、隙間風がすごい。障子や襖などを厳重に閉めるという風習がないらしく、夏は涼しいだろうが冬は正直、最悪の環境だ。
椿と春姫は少しでも暖を取ろうと火鉢にぴったりとくっついて、畳の上に座り込んだ。
「何をして遊ぶ? 春はね、雛(ひいな)遊びが好き」
春姫はウキウキしながら、部屋の脇から色々と遊び道具らしきものをかき集めてくる。
手に取ったものは、掌に載るくらいの可愛いお人形さんだ。木や紙を貼ったり繋ぎ合わせて作られている。綺麗に染められた布で着物を作って着せられている姿は、お雛様の原型を連想させる。
「なるほど、お人形ごっこね。椿もちっちゃい頃は、一人でよくやったなぁ。懐かしい」
椿も小さい頃は、着せ替え人形や熊のぬいぐるみなどを肌身放さず持ち歩いて、遊んでいた。
「其方も、一人で遊んでおったのか。共に遊ぶものは、いなかったの?」
「そうねぇ。椿のお家は山奥だし、近所に同じ年頃の子もいなかったから、一人で遊んでいる時間が長かったな」
思い起こすと、寂しいながらも楽しい思い出だ。
しみじみと昔の記憶を蘇らせていると、急に春姫が笑い出した。
「何じゃ其方、田舎者か!」
春姫の笑いのツボは、よく分からない。
馬鹿にされたと察し、椿は少し不愉快に感じだ。
「田舎者って……。そりゃ、こんな平安京みたいに、都会じゃないけど」
椿の暮らす時代とは規模が違うとはいっても、平安京は、この時代の流行の最先端が集まった場所であり、そんなところでずっと暮らしてきた春姫は、生粋の都会っ子、というやつなのだろう。
以前の椿なら、一番苦手で嫌いなタイプではある。
だが、春姫はしつこく弄ってくるわけでもなく、ひとしきり笑うと人形を片付けた。
「ならば、一人でできる遊びには飽きておるな。じゃあ、蛤袷(はまぐりあわせ)をしましょう! これは二人で遊ぶものだし、田舎者は見たこともないでしょう」
椿の前に、ゴロゴロと蛤の大きな貝殻が並べられた。手に取ってみると、貝の内側に、とても細かい綺麗な絵が描かれている。
絵の題材は様々だが、全く同じ構図で描かれた絵が、必ず二枚存在していると気付いた。
「この貝殻を、絵が見えないように並べて、順番に開いて揃えていくのじゃ」
「要はトランプの神経衰弱ね。それなら椿も得意よ。えのちゃんには、一度も負けたことないんだから!」
記憶力がすこぶる悪い榎は、目当ての絵柄のある場所をなかなか覚えられないため、こういった頭脳戦の遊びは大の苦手だ。椿がいつも勝ってしまうので、最近は面白くなくてやっていなかったが。
「余裕じゃな。ならばどっちが勝つか、勝負よ!」
「望むところよ!」
椿は着物の袖を捲し上げて気合を入れた。
順番を決めて、春姫が先に蛤を二枚開く。最初は当たる確率が低いから、揃わなくても当然だ。神経衰弱は焦ってはいけない。
椿は後攻だ。先に春姫が開いた絵柄を覚えているため、後のほうが少し有利だ。
最初に開いた貝殻の絵柄が、春姫がさっき開いたものと同じだった。チャンス、と狙いを定めて、同じ絵柄の物をひっくり返す。
春姫が悔しそうな声を上げる。椿も歓喜の声を上げて、揃えた貝を手元に抜き取った。
その後も順調に勝負は続き、裏返った蛤の数も、僅かに四枚になった。
上手く絵を合わせて手に入れた蛤の数も、五分五分。とっても良い勝負だ。
互いに騒いで叫んでと激しく戦いを繰り広げたせいか、椿も春姫も息が絶え絶えだ。
「間抜けそうな顔して、なかなかやるではないか……」
「あなたも、意外と記憶力がいいわね……」
次は椿の番だ。椿が絵を合わせられれば、一気に四枚取れて、椿の勝ち。
負ければ絵柄を覚えられて取られるだろうから、春姫の勝ち。
勝敗を決する大事な回だ。椿にも春姫にも、緊張が走る。
じっと見つめていると、ふと、椿はあることに気付いた。
よくよく蛤の外側の模様を見ていると、そっくりなものが対になって存在している。
貝は育った環境や遺伝によって様々な色や模様を持っていて、全く同じ貝は存在しないらしい。
もしかして、同じ絵柄の貝は、同じ模様をもつ貝に描かれているのではないだろうか。
その直感を信じて、椿は勢いよく二枚の蛤を捲った。
予想通り。同じ絵柄が揃った。
「やったわ、椿の勝ちー!」
椿の歓喜の悲鳴と共に、春姫の落胆の声が響き渡る。
二人とも集中力を使いすぎて疲れ果て、そのまま畳の上に倒れ込んだ。
天井を見つめていると、炭の煙で黒くなった天井の梁が目に留まる。
何が面白いというわけでもないが、急に笑いが込み上げてきて、椿と春姫は一緒になって大声で笑った。
「こんなに気持ちが弾んだのは、久しぶりじゃ!」
春姫のご機嫌も最高潮だ。日頃の鬱憤をすべて吐き出したみたいに、爽快な表情をして起き上がった。そして一対の蛤の貝殻を取り上げて、しみじみと見つめ始めた。
「椿は知っておるか? 蛤は、対となる貝とのみ、形も模様も綺麗に重なり合う。それ以外は何一つとして、同じものは存在しないのよ」
春姫も、同じ模様を持つ貝同士の絡繰りには気付いていたらしい。
もしかして、わざと勝たせてくれたのだろうか。
椿は春姫の持つ貝殻を見つめた。綺麗に重なり合う貝を見ていると、とてもロマンチックに感じる。
「素敵ね。まるで、運命で結ばれた、恋人同士みたい」
「椿は、心に決めた愛する者がおるか? 将来を誓い合い、愛してくれるものはおるか?」
突然訊かれ、椿は戸惑いつつ、頭の中にイメージを浮かべた。
優しく微笑む、白髪の少年の姿を。
「――好きな人は、いるわ。その人も、椿を好きだと言ってくれている」
「そうか、羨ましいの」
遠くを見つめる春姫の瞳は、寂しさを湛えていた。まるで、目に見えない誰かを見つめているみたいに。
「あなたには、そんな人はいないの?」
「四季姫として陰陽師の地位に就いた時点で、結婚は禁じられておる。――それに、こんな醜い体では、愛してくれる殿方もおらぬであろうな」
春姫は深く息を吐き、己の手を見つめた。酷い切り傷や青痣が包帯の隙間から覗き、見ているほうが痛々しい。
「この傷は、妖怪たちとの戦いの中で負ったものなのでしょう? 春姫の力で、治せばいいじゃないの」
椿も今まで、戦いの中で傷ついてきた四季姫たちを癒し続けてきた。時には椿自身も怪我を負う場合もあったが、それも春姫が持つ癒しの力によって治癒はできた。
こんな大怪我では、回復させるにもかなりの神通力を必要とするから、すぐに完治は無理だろう。
でも、諦めずに続けていれば、いつかは正常な姿を取り戻せるのではないだろうか。
「これらは、妖怪や悪鬼どもにつけられた傷ではない。この傷は、春が癒してきた、戦いで追った皆の傷よ。全て、春の元に戻ってきた。……癒しの力を使い、人の傷を消してきた代償じゃ」
春姫は目を伏せて、深く項垂れた。
その言葉に、椿は息を詰まらせた。
深淵の悪鬼たちの陰謀によって、再び復活しかかった鬼閻を倒すために激しい戦いに身を投じた時。
次々と傷ついていく榎たちの傷をひたすらに癒し続けた椿の体に、そのダメージが全て返って来た。
春姫が使う神通力は、単純に相手の怪我や病気を治療するものではなく、その痛みや苦しみを全て、春姫が吸収して引き受けるというものだと、その時初めて知った。
健常であれば、吸い取ったダメージは春姫の神通力によって体内で中和され、完全に消滅する。だが神通力が底を尽き、春姫自身の力が弱まっている時には、その処理が上手くいかず、春姫の体に中和できなかった傷が現れる。
春姫の癒しの力には、限界があるのだった。
目の前の春姫は、とっくに限界を超えているのだ。癒しの力が、全く機能しないほどに。
「もう、この傷は治らない。春は痛みと醜さに苦しみながら、死んでいくしかないのよ」
春姫の声が、震えだす。椿が顔を上げると、春姫は大きな瞳から大粒の涙を流していた。
「嫌よ、一人で寂しく死んでいくなんて、春は嫌……」
一瞬、春姫の姿が、椿の未来と重なった気がした。
力を失った春姫は、戦力にならない。足手纏いの、役立たずにしかなれない。
みんなの傷を引き受けて、衰弱して死んでいくだけ――。
そんな理不尽、許せるわけがない。
椿は、春姫の肩をがっしりと掴んだ。
「諦めちゃ駄目よ! まだ、治らないなんて決まったわけじゃないでしょう!? 一緒に、怪我を直す方法を考えましょうよ」
椿の勢いに驚いて、春姫は茫然としていた。
「なぜ、そこまでして、春のことを考えてくれるのじゃ。ただ、顔が似ておるというだけの他人である其方が……」
「だって、もう関わっちゃったんだもの。放っておけないわ。あながち、他人ってわけでもないしね」
目の前のこの少女は、前世の椿なのだから。肉親よりも遠いが、それ以上に密接に通じ合った相手だと、椿は信じている。
「他人ではない……?」
首を傾ける春姫には、椿が何を言っているのか、よく分からないだろう。
椿も、どう説明していいのか分からず、頭の中で色々と伝わりやすそうな言葉を考えた。
「うーんと、うまく言えないけど、もう椿とあなたは、他人じゃなくて……。そう、特別な友達ってことよ」
なかなか良い言葉が浮かんだ。椿は内心満足しながら、春姫に笑いかけた。
「友達……?」
春姫の黒い瞳が、輝きを帯びる。
「そうよ、椿と春ちゃんは、もうお友達だもの」
「春ちゃん!?」
「春姫だから、春ちゃん。嫌?」
「嫌……ではない。そんな呼ばれ方をしたことがないから、不思議な気持ちじゃ」
春姫は驚いたり動揺したり、忙しそうに表情を変化させていった。
榎を初めて「えのちゃん」と呼んだ時も、似たような反応をしていたなと思い出す。
「では、春は今日から、春ちゃんじゃ」
春姫は恥ずかしそうに頬を染めていたが、やがて椿に向き直って、嬉しそうに微笑んだ。
くれぐれも春姫を怒らせないようにと女中たちから念を押され、椿は春姫のところに戻った。
「やっと戻ってきたわね! 本当に板取の話は長いんだから」
御簾を捲って中に入って来た椿を見るや否や、春姫の瞳が楽しそうに輝く。勢いよく椿の着物の裾を引き寄せた。
「早う、火鉢の側へ。寒いであろう」
部屋の真ん中に、白い灰が詰まった火鉢が、どんと置かれていた。灰の上では赤く輝くように燃える木炭が熱を放ち、ほんのりと暖かい。
お寺などもそうだが、昔に作られた日本風の家屋は通気性を重視してあるのか、隙間風がすごい。障子や襖などを厳重に閉めるという風習がないらしく、夏は涼しいだろうが冬は正直、最悪の環境だ。
椿と春姫は少しでも暖を取ろうと火鉢にぴったりとくっついて、畳の上に座り込んだ。
「何をして遊ぶ? 春はね、雛(ひいな)遊びが好き」
春姫はウキウキしながら、部屋の脇から色々と遊び道具らしきものをかき集めてくる。
手に取ったものは、掌に載るくらいの可愛いお人形さんだ。木や紙を貼ったり繋ぎ合わせて作られている。綺麗に染められた布で着物を作って着せられている姿は、お雛様の原型を連想させる。
「なるほど、お人形ごっこね。椿もちっちゃい頃は、一人でよくやったなぁ。懐かしい」
椿も小さい頃は、着せ替え人形や熊のぬいぐるみなどを肌身放さず持ち歩いて、遊んでいた。
「其方も、一人で遊んでおったのか。共に遊ぶものは、いなかったの?」
「そうねぇ。椿のお家は山奥だし、近所に同じ年頃の子もいなかったから、一人で遊んでいる時間が長かったな」
思い起こすと、寂しいながらも楽しい思い出だ。
しみじみと昔の記憶を蘇らせていると、急に春姫が笑い出した。
「何じゃ其方、田舎者か!」
春姫の笑いのツボは、よく分からない。
馬鹿にされたと察し、椿は少し不愉快に感じだ。
「田舎者って……。そりゃ、こんな平安京みたいに、都会じゃないけど」
椿の暮らす時代とは規模が違うとはいっても、平安京は、この時代の流行の最先端が集まった場所であり、そんなところでずっと暮らしてきた春姫は、生粋の都会っ子、というやつなのだろう。
以前の椿なら、一番苦手で嫌いなタイプではある。
だが、春姫はしつこく弄ってくるわけでもなく、ひとしきり笑うと人形を片付けた。
「ならば、一人でできる遊びには飽きておるな。じゃあ、蛤袷(はまぐりあわせ)をしましょう! これは二人で遊ぶものだし、田舎者は見たこともないでしょう」
椿の前に、ゴロゴロと蛤の大きな貝殻が並べられた。手に取ってみると、貝の内側に、とても細かい綺麗な絵が描かれている。
絵の題材は様々だが、全く同じ構図で描かれた絵が、必ず二枚存在していると気付いた。
「この貝殻を、絵が見えないように並べて、順番に開いて揃えていくのじゃ」
「要はトランプの神経衰弱ね。それなら椿も得意よ。えのちゃんには、一度も負けたことないんだから!」
記憶力がすこぶる悪い榎は、目当ての絵柄のある場所をなかなか覚えられないため、こういった頭脳戦の遊びは大の苦手だ。椿がいつも勝ってしまうので、最近は面白くなくてやっていなかったが。
「余裕じゃな。ならばどっちが勝つか、勝負よ!」
「望むところよ!」
椿は着物の袖を捲し上げて気合を入れた。
順番を決めて、春姫が先に蛤を二枚開く。最初は当たる確率が低いから、揃わなくても当然だ。神経衰弱は焦ってはいけない。
椿は後攻だ。先に春姫が開いた絵柄を覚えているため、後のほうが少し有利だ。
最初に開いた貝殻の絵柄が、春姫がさっき開いたものと同じだった。チャンス、と狙いを定めて、同じ絵柄の物をひっくり返す。
春姫が悔しそうな声を上げる。椿も歓喜の声を上げて、揃えた貝を手元に抜き取った。
その後も順調に勝負は続き、裏返った蛤の数も、僅かに四枚になった。
上手く絵を合わせて手に入れた蛤の数も、五分五分。とっても良い勝負だ。
互いに騒いで叫んでと激しく戦いを繰り広げたせいか、椿も春姫も息が絶え絶えだ。
「間抜けそうな顔して、なかなかやるではないか……」
「あなたも、意外と記憶力がいいわね……」
次は椿の番だ。椿が絵を合わせられれば、一気に四枚取れて、椿の勝ち。
負ければ絵柄を覚えられて取られるだろうから、春姫の勝ち。
勝敗を決する大事な回だ。椿にも春姫にも、緊張が走る。
じっと見つめていると、ふと、椿はあることに気付いた。
よくよく蛤の外側の模様を見ていると、そっくりなものが対になって存在している。
貝は育った環境や遺伝によって様々な色や模様を持っていて、全く同じ貝は存在しないらしい。
もしかして、同じ絵柄の貝は、同じ模様をもつ貝に描かれているのではないだろうか。
その直感を信じて、椿は勢いよく二枚の蛤を捲った。
予想通り。同じ絵柄が揃った。
「やったわ、椿の勝ちー!」
椿の歓喜の悲鳴と共に、春姫の落胆の声が響き渡る。
二人とも集中力を使いすぎて疲れ果て、そのまま畳の上に倒れ込んだ。
天井を見つめていると、炭の煙で黒くなった天井の梁が目に留まる。
何が面白いというわけでもないが、急に笑いが込み上げてきて、椿と春姫は一緒になって大声で笑った。
「こんなに気持ちが弾んだのは、久しぶりじゃ!」
春姫のご機嫌も最高潮だ。日頃の鬱憤をすべて吐き出したみたいに、爽快な表情をして起き上がった。そして一対の蛤の貝殻を取り上げて、しみじみと見つめ始めた。
「椿は知っておるか? 蛤は、対となる貝とのみ、形も模様も綺麗に重なり合う。それ以外は何一つとして、同じものは存在しないのよ」
春姫も、同じ模様を持つ貝同士の絡繰りには気付いていたらしい。
もしかして、わざと勝たせてくれたのだろうか。
椿は春姫の持つ貝殻を見つめた。綺麗に重なり合う貝を見ていると、とてもロマンチックに感じる。
「素敵ね。まるで、運命で結ばれた、恋人同士みたい」
「椿は、心に決めた愛する者がおるか? 将来を誓い合い、愛してくれるものはおるか?」
突然訊かれ、椿は戸惑いつつ、頭の中にイメージを浮かべた。
優しく微笑む、白髪の少年の姿を。
「――好きな人は、いるわ。その人も、椿を好きだと言ってくれている」
「そうか、羨ましいの」
遠くを見つめる春姫の瞳は、寂しさを湛えていた。まるで、目に見えない誰かを見つめているみたいに。
「あなたには、そんな人はいないの?」
「四季姫として陰陽師の地位に就いた時点で、結婚は禁じられておる。――それに、こんな醜い体では、愛してくれる殿方もおらぬであろうな」
春姫は深く息を吐き、己の手を見つめた。酷い切り傷や青痣が包帯の隙間から覗き、見ているほうが痛々しい。
「この傷は、妖怪たちとの戦いの中で負ったものなのでしょう? 春姫の力で、治せばいいじゃないの」
椿も今まで、戦いの中で傷ついてきた四季姫たちを癒し続けてきた。時には椿自身も怪我を負う場合もあったが、それも春姫が持つ癒しの力によって治癒はできた。
こんな大怪我では、回復させるにもかなりの神通力を必要とするから、すぐに完治は無理だろう。
でも、諦めずに続けていれば、いつかは正常な姿を取り戻せるのではないだろうか。
「これらは、妖怪や悪鬼どもにつけられた傷ではない。この傷は、春が癒してきた、戦いで追った皆の傷よ。全て、春の元に戻ってきた。……癒しの力を使い、人の傷を消してきた代償じゃ」
春姫は目を伏せて、深く項垂れた。
その言葉に、椿は息を詰まらせた。
深淵の悪鬼たちの陰謀によって、再び復活しかかった鬼閻を倒すために激しい戦いに身を投じた時。
次々と傷ついていく榎たちの傷をひたすらに癒し続けた椿の体に、そのダメージが全て返って来た。
春姫が使う神通力は、単純に相手の怪我や病気を治療するものではなく、その痛みや苦しみを全て、春姫が吸収して引き受けるというものだと、その時初めて知った。
健常であれば、吸い取ったダメージは春姫の神通力によって体内で中和され、完全に消滅する。だが神通力が底を尽き、春姫自身の力が弱まっている時には、その処理が上手くいかず、春姫の体に中和できなかった傷が現れる。
春姫の癒しの力には、限界があるのだった。
目の前の春姫は、とっくに限界を超えているのだ。癒しの力が、全く機能しないほどに。
「もう、この傷は治らない。春は痛みと醜さに苦しみながら、死んでいくしかないのよ」
春姫の声が、震えだす。椿が顔を上げると、春姫は大きな瞳から大粒の涙を流していた。
「嫌よ、一人で寂しく死んでいくなんて、春は嫌……」
一瞬、春姫の姿が、椿の未来と重なった気がした。
力を失った春姫は、戦力にならない。足手纏いの、役立たずにしかなれない。
みんなの傷を引き受けて、衰弱して死んでいくだけ――。
そんな理不尽、許せるわけがない。
椿は、春姫の肩をがっしりと掴んだ。
「諦めちゃ駄目よ! まだ、治らないなんて決まったわけじゃないでしょう!? 一緒に、怪我を直す方法を考えましょうよ」
椿の勢いに驚いて、春姫は茫然としていた。
「なぜ、そこまでして、春のことを考えてくれるのじゃ。ただ、顔が似ておるというだけの他人である其方が……」
「だって、もう関わっちゃったんだもの。放っておけないわ。あながち、他人ってわけでもないしね」
目の前のこの少女は、前世の椿なのだから。肉親よりも遠いが、それ以上に密接に通じ合った相手だと、椿は信じている。
「他人ではない……?」
首を傾ける春姫には、椿が何を言っているのか、よく分からないだろう。
椿も、どう説明していいのか分からず、頭の中で色々と伝わりやすそうな言葉を考えた。
「うーんと、うまく言えないけど、もう椿とあなたは、他人じゃなくて……。そう、特別な友達ってことよ」
なかなか良い言葉が浮かんだ。椿は内心満足しながら、春姫に笑いかけた。
「友達……?」
春姫の黒い瞳が、輝きを帯びる。
「そうよ、椿と春ちゃんは、もうお友達だもの」
「春ちゃん!?」
「春姫だから、春ちゃん。嫌?」
「嫌……ではない。そんな呼ばれ方をしたことがないから、不思議な気持ちじゃ」
春姫は驚いたり動揺したり、忙しそうに表情を変化させていった。
榎を初めて「えのちゃん」と呼んだ時も、似たような反応をしていたなと思い出す。
「では、春は今日から、春ちゃんじゃ」
春姫は恥ずかしそうに頬を染めていたが、やがて椿に向き直って、嬉しそうに微笑んだ。
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※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
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