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第三部 四季姫革命の巻

第二十一章 平安彷徨 4

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 四
 椿は目を覚ますと、広い庭園の茂みに転がっていた。
 低木の陰に隠れて周囲を見渡す。白塗りの塀に囲まれた庭は、荘厳な日本庭園だ。今は冬の季節だから、青葉の茂りもなく錆びれたイメージだが、花の季節や雪景色になれば、かなり荘厳な風景が楽しめそうだ。
 綺麗に整備された散策路が伸び、その先には池がしつらえてある。池の上には朱塗りのアーチ状の橋が架けられ、側には立派な平屋の豪邸が建っていた。
 建物の外周を囲うように板張りの廊下が設えられ、どこからでも外の景色が楽しめる様式になっている。柱が目立ち、雨風を凌げる壁らしき壁はない。代わりに、障子や衝立、御簾などが部屋と廊下の境目に設えられている。
 寝殿造、という奴だろう。京都や奈良の古いお寺の構造としてもよく用いられている建物だ。教科書にも載っていたから、何となくイメージは掴める。
 ただ、観光でよく見かけるお寺みたいに古臭くなく、柱に使われている木材も綺麗だ。
 つい最近、建てられたばかりではないかと思える新築同様の家屋。部屋の中は目隠しされて見えないが、明らかに人が生活している気配がする。
 廊下の奥から、誰かが歩いてくる。女の人だった。腰の下まで伸びる長い黒髪を結い、白い単衣に赤い袴、さらに上から綺麗な単衣を羽織っている。巫女さん、ともまた違う風貌だ。
 現代の日本に、こんな純和風の豪邸で暮らす人がいるとは思えないし、あんな格好で生活している人もいるはずがない。観光地、といった賑わいもない。
 となると、目の前の光景は現代の様子ではなく、実際にこんな生活が行われている時代の、日常の一風景なのだと、椿は直感的に感じ取った。
 すなわち、椿のいる場所は――。
「本当に、来れたんだ。平安時代」
 時を渡ると言っても、最初は半信半疑だった。本当に、過去に飛ぶなんてSFじみた奇跡が、人の手で起こせるのかと。
 だが、実際にやってきたと実感できた瞬間、そんな疑問は吹き飛ばさざるを得なくなった。最早、考えるだけ無駄な問題だ。
 呆然としている場合ではない。椿がちゃんと平安時代にやってこれたのなら、他のみんなだって来ているはず。
 なのに、椿は一人ぼっちだ。頼れる人が周囲にいない孤独感が、急に焦りと恐怖を生み出す。
「みんなも、近くにいるのかしら。椿一人だけ、はぐれていたらどうしよう。早く合流しなくちゃ」
 椿は辺りを見渡してみるが、知っている人の姿や気配は感じられない。時折、屋敷の中を行き来している、平安装束の人々の姿が見られるくらいだ。
 こんな立派なお屋敷に住んでいるのだから、きっと身分の高い人が暮らしているに違いない。貴族様とか、偉いお役人とか。
 そんな屋敷の中をうろついていれば、絶対に怪しまれるし、下手をしたら泥棒と間違えられて捕まってしまうかもしれない。
 かといって、どこから外に出ればいいのかも分からず、椿は途方に暮れて隠れているしかできなかった。
 でも、じっとしていても冬の屋外は寒い。何度も小さなくしゃみを繰り返しつつ、体を震わせていた。
 時間が経つと、有難いことに太陽の温かな光が、頭上から差し込んでくる。
 ふと、空を見上げると、大きな鳥が向こうから跳んできた。近付いてくるに連れて、それが鳥ではなく、大きな黒い翼を持った人間――宵であると気付いた。
「宵ちゃん! こっち! 止まって、お願い!」
 椿は小声ながら、必死で腕を振って宵に訴えかけた。
 気配に気付いてくれたのか、宵は椿のいる場所に降り立ち、姿勢を屈めた。
「良かったぁー、来てくれて。椿、一人じゃ心細くって……」
 宵がいるなら、間違いなくみんなも近くにいるだろう。みんなと合流できる喜びに、椿は涙を滲ませた。
 だが、宵は焦った表情で、椿の周囲を見渡している。
「一人なのか? 他の誰とも、会っていないのか」
「うん。ずっと茂みに隠れていたから」
 椿しかいないと分かった途端、宵は苛立った表情で舌を打った。
「だったら、尚更まずいな。全員がバラバラの場所に飛ばされたんだとしたら、榎や柊はともかく、楸が危ねえ」
 宵の話を聞くに、どうやら椿だけでなく、全員が散り散りになっているらしい。宵のことだから、きっと楸を探して飛び回っていたのだろう。
 楸がいないと分かるや否や、宵は椿を放って、再び飛び立とうとした。椿は慌てて、宵の着物を掴む。
「ちょっと待って、椿を置いていかないでよ! 椿だって一人じゃ危ないんだから!」
「お前を連れて、空なんて飛べるかよ! そのうち、朝が探しに来る。それまで隠れて待ってろ」
「嫌よ。一人なんて、怖いもん! お願い、朝ちゃんが来るまで側にいて!」
「お前の我儘に付き合ってる暇は、ねえんだよ!」
 必死で食いつく椿を、忌々しそうに睨み付ける。
 宵は椿に対して、あまりいい印象を持っていない気がする。普段からあまり二人で会話もしないし、時折話しても、喧嘩寸前の言い合いになることも、しばしばある。椿は朝と同じく、宵とだって仲良くしたいと思っているが、宵が頑なに心を閉ざしている以上、正直言ってその距離は縮まりそうにない。
 以前、朝と大喧嘩した時にも、宵は椿を一方的に責めて、敵意を示してきた。
 椿が嫌いなら、辛いけれど嫌いで構わない。だけど今は、見捨てて行かないで欲しい。
「しゅーちゃんなら大丈夫よ。しっかりしているし、いざって時には戦えるんだし」
 楸は賢い。色々な知恵を持っているから、きっと見知らぬ平安の世界に放り出されても、うまく立ち回れるはずだ。秋姫に変身すれば、妖怪相手でも充分に撃退できる。椿なんかより、よっぽど強くて要領がいい。
 そう説得を試みるも、椿が口を開けば開く程、宵の表情は曇っていく。
「朝が言ってた。この時代は、まだ前世の四季姫様たちが生きて、陰陽師としての力を保有している。だから、その魂の生まれ変わりであるお前たちは、力が使えない可能性が高い、と」
 宵の言葉に、椿はとんでもない衝撃を受けた。
「嘘ぉ!? ちょっと待って、変身してみるから」
 桜の花の形をした髪飾りを取り出し、力を込める。
 だが、何の反応も起らなかった。
「できなーい! これって、すっごいピンチじゃないの!?」
 変身すらできないなんて、椿にとっては、さらにまずい。みんなと合流できても、完璧に役立たず確定だ。
 何のために平安時代まで来たのか。意味が分からなくなってくる。
「だから言ってんだよ。早く、俺が楸を見つけて、こいつを返してやらないと」
 宵が懐から取り出したものを見て、椿はさらに衝撃を受けた。
「それ、まさか、しゅーちゃんの眼鏡……!?」
 地脈の中で皆が離れ離れになった時、衝撃で外れたのだろうか。
 楸の視力の悪さを、椿は良く知っている。小学校の修学旅行の時も、曇ることを承知で眼鏡をかけたままお風呂に入っていたくらいだ。眼鏡がないと、一メートル先も、まともに見えない。
「分かっただろう!? 楸は秋姫の力も使えない、しかも目も見えない状態で、京のどっかに放り出されてるんだ!」
 冷え切った体から、さらに血の気が引いていく感覚がした。椿は宵から手を放し、逆に押し出した。
「早く探してあげて! しゅーちゃんが死んじゃう! 急いで!」
「言われなくたって、お前が邪魔しなきゃ、すぐにでも行くつもりだ」
 苛立ちながらも、宵は勢いよく上空に舞い上がり、飛び去って見えなくなった。
「しゅーちゃんのほうが大変なんだから、椿も一人で我慢しなくちゃ……」
 必死で自分に言い聞かせるが、何も知らずに一人でいた時よりも、遥かに不安が募る。
 椿が変身できないなら、他のみんなだって同じだ。楸だけでなく、榎や柊だって、いくら強いとはいえ、生身で妖怪や悪鬼に太刀打ちできるわけがない。
 みんな、椿の知らない場所で、知らない内に、酷い目に遭っているのではないだろうか。
 もしかしたら、もう既に――。
 椿は頭を振り乱して、嫌な妄想を掻き消そうとした。だが、頭の中は混乱して、どうすればいいのか分からない。
「こんな調子で、本当に語くんを止めて、無事に元の時代に戻れるの!? 椿はこれからどうすればいいの!? 朝ちゃん、助けに来てよ……」
 こんな時にも人頼みしかできないなんて情けない限りだが、椿にはこれが精一杯だ。
 指を組み、椿は必死で祈りを捧げた。この心の声が、朝に届くようにと。
 すると、背後の茂みが激しく揺れ動き、人の気配がした。
「朝ちゃん!?」
 本当に助けに来てくれた!
 喜んで振り返ると、見知らぬ女性が二人と、年老いた男が一人、立っていた。
 椿は緊張と恐怖で、体を硬直させる。
「あれま、庭が騒がしいと思うたら、こんな寒い場所にお隠れになって。まあ、盗人じゃなくて何よりじゃ」
 老人が笑いながら、去っていく。おそらく、屋敷の庭師か何かなのだろう。
 残った女性たちは安堵の息を吐きつつ、椿を物凄い形相で睨みつけた。
 勝手に忍び込んだから、怒られる。椿は怯えて、身を小さく縮めた。
「姫様、何をなさっておいでですか! あれほど外には出てはならぬと、申したでしょう!?」
 女の怒声が飛び交う。だが、怒りの論点がずれている気がして、椿は呆気にとられる。
「は? えっ、あの、姫様って……!?」
 何を言われているのか理解できず、混乱している椿を、女たちは両側からがっしり掴んで、捕獲した。
 そのまま、ずるずると屋敷の中に引っ張り込まれた。
 中には更に三人の女性が待機していて、広い畳の間に、たくさんの色とりどりの着物が並べられていた。
 恐らく、全ての着物を重ねると十二単になる、この時代の女房装束。
 きっと、このお屋敷で暮らしているのは、宮廷にお仕えに出られるくらいの身分があるお嬢様で、この女性たちはこのお屋敷や、お嬢様に仕える下働きの女官なのだろう。
 椿は、十二単の元となるあわせの着物を、呆然と見つめた。
 十二単は、四季姫たちの象徴でもある。本物の、戦闘装束だ。いつも、春姫に変身する度に見慣れていた格好だが、こうやって一枚一枚分解され、部屋中に広げられている様子を見ると、圧倒された。
 もちろん、十二単は平安時代には当然に着られていた衣装だ。ある程度身分のある家になら、普通にあってもおかしくない代物ではある。
 だが、妙な胸騒ぎがした。本来、この十二単を纏うべき人は。
 この女官たちがいう、姫様とは――。
 考えを巡らせている椿などお構いなく、女官たちは椿の着物を脱がし始めた。我に返った椿は、悲鳴を上げる。
「そんな田舎娘みたいな貧相な格好までなさって。さあ、早く着替えてくださいな!」
「本当に姫様は、いつまでたってもお転婆でいらっしゃるから……」
 白い単衣と赤い袴を着せられ、どの色の袷にしようかと、女官たちのされるままに着物を掛けられる。
 完全に着せ替え人形扱いだ。
「キャー、待って待って、人違い、椿はお姫様なんかじゃ……」
 必死で誤解を解こうとするものの、周りの女性たちの声のほうが五月蠅くて、全然伝わらない。
 為すがままにされていると、側の障子が開いて、奥から人が出てきた。
「何を騒いでいるの?」
 淡い、桃色の袷を羽織った少女だった。酷い怪我をしているのか、顔の半分や首元、手にも包帯が巻かれている。
 その少女が姿を見せると同時に、その場にいた全員が、動きを止めた。
「姫様、またお庭に出ていらっしゃったと聞きましたが?」
 みんなが呆然とする中、少女の脇に、白髪の老婆が出てきて尋ねる。少女は眉を顰めた。
「春はずっと、お部屋にいたわ。婆やが出ちゃ駄目って言うから、ちゃんと大人しくしていたのに、なぜ叱られねばならぬのよ」
 少女は頬を膨らませる。その様子を見た老婆は、慌てた様子で、女官に囲まれている椿に視線を向けた。
「では、そちらの娘は……?」
 全員の視線が、一斉に椿に向けられる。直後、驚きの悲鳴が屋敷中に響き渡った。
「何と、姫様がお二人!? いったい、どうなっておるのじゃ!」
 女官たちは騒ぎに騒ぎ、椿の側から離れて、遠巻きに、おろおろしている。
 だが椿は、そんな喧騒の中心にいながらも、周囲の音も声も、まるで耳に入ってこなかった。
 唖然として、分からない出来事だらけで、頭が正常に回転しない。
 ただ瞬きもせず、目の前の少女に釘付けになっていた。
 少女もまた、椿の姿を見て、放心状態に陥っていた。
「そんな、椿がいる……?」
「お前、誰じゃ……?」
 目の前の少女は、椿に瓜二つだった。
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