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真実の代行人形
18.人であらざる人の道
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気がつけば、地底の人形工房は、おもちゃ箱をひっくり返した子供部屋のような有様になっていた。
床を埋め尽くすように横たわり、転がる人形たち。
足の踏み場もない、静寂の空間。
俺はその中心に。ひとり佇んでいた。
「ばっ、バカなあっ! わしの、ジェイネスたちが……」
静寂を打ち破ったのは、老いた愚者の悲痛な声。
愚かなる人形師エニルダは、椅子に腰掛けたまま、頭を抱えて絶叫している。
奴には信じられなかったのだ。自分が作り出した人形の軍団が、たった一人の人間に全滅させられるだなんて。
「い、いくらなんでも、人間にこんな真似ができるとは……」
「そうだなあ。ノイエは元々、俺に負けず劣らず、体力なんか人並み以下の弱ーい子供だったんだよ。本来ならこんな激しい戦い、できるはずもないような。――だが、魂の強さが、あいつの身体を変えたんだな」
エニルダの側に避難していた、ショーンが口を挟む。
「あんたは確か、世界で一番最初に、完璧な代行人形を作りたかったんだよな。そのために、先を越されないよう、才能ある人形師たちを殺していたそうだが。……もう、とっくに手遅れだぜ、そんなの」
ショーンは、嫌味に笑う。エニルダは体を震わせ、横目にその笑みを見つめる。
「俺の弟はな。七年以上も前に完全な人形の魂を作って、今まで成長させてきたんだ。――自分の体の中でな」
エニルダの目が、飛び出しそうだった。
「ま、まさか。そんなこと、あり得ん!」
「あり得ないことなんて、あるかい。あんた、さっき言ったぜ。大事なのは優れた人形の魂であり、器なんて何でもかまわないと。――人間の体に、人形の魂が入っていたって、人形学的には何の問題もないはずだが?」
わななき、震える口。
その中から、エニルダは不器用に息を吐き出した。
「何と言うことだ。既にそこまで、代行人形は進化していたというのか。わしがいくら急いでも、決して追いつけないところまで。そこに最初に辿りつくのは、わしだったはずなのに……」
不可能。手遅れ。
それを認めた瞬間、エニルダの体から、抵抗する気力が抜けきった。
ナオミ警官によって、枯れ枝のような手首に縄が掛けられるまで、そう時間はかからなかった。
● 〇 ●
その日の夕刻。
エニルダ邸の玄関先にて。
生気を失ってがっくりと項垂れた、人形師連続殺人事件の犯人は、出世の希望に満ちあふれた、最高にご機嫌な女警官によって、連行されていった。
犯人に作られ、利用されていた人形師狩りはと言うと。
今回の事件の重要証拠として、警察に身柄を確保されるそうだ。
スパイ警察スノー医師と、奴の修理を依頼されたショーンによって、どこぞかへ連れて行かれた。
軒先に残り、俺は石段に腰を下ろしていた。
隣では、幼い少女の姿をした代行人形が、ちょこんと座り、足をぶらぶらさせ、何事もなかったように鼻唄を唄っている。
その唄を心地よく耳に受けながら、しばらくの間、何もかもが終わった余韻に浸っていた。
すると背後から、人の気配が。
それで我に返り、まだ全てが終わっていないことを思い出す。
「昔、あなたが言っていたお兄さんって言うのは、ショーンさんのことではなかったの?」
背後の人の、静かな問いかけ。
「俺、あいつをそんな風に呼んだことないんだ。俺がお兄さんと呼ぶ相手は、世界でたった一人――」
俺は空を見上げ、答える。
「ノイエ・アルペイトだけなんだよ」
「その人は。……本物の、ノイエさんは?」
「君と別れた数日後、死んだ。熱が下がらなくて、肺炎をこじらせて。あっという間だった」
● 〇 ●
あれは、七年前のあの日。
レインと別れて、数日後の出来事。
「お兄さん、お兄さん、死なないで」
俺はノイエ・アルペイトの枕元で、必死に呼びかけていた。
黒い、灰色がかった髪の、小さな痩せ細った男の子が、顔を真っ赤にして、苦しそうにベッドに横たわっていた。
診察していった医者の言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
――覚悟だけは、しておいてください。と。
何となく分かっていた。お兄さんはもう、助からないと。
そう思っていたのは、俺だけではなく、側にいた病弱そうな少年――ショーンも、決意を固めていた。
「なあ、お前。ノイエの体を使って、代行人形になる気はないか?」
一足先に高熱の苦しみから解放され、体調を持ち直していたショーンは、まだ気怠そうにしながらも、俺にそう言った。
「代行人形に……?」
尋ねると、返ってくる頷き。
「ノイエの命は、もう保たない。だけどこのまま死んで、みんなから忘れられていくなんて。大人になれないなんて、悲しいじゃないか」
顔の割に大きな、分厚い眼鏡の奥で、ショーンは泣いていた。声が震えている。
「今、お前の魂をノイエの中に入れれば、理論上、肉体は死なないはずなんだ。そのまま成長を続けて、いつかは――」
大人になる。
ノイエ・アルペイトという人間が天寿を全うし、歳老いて天に召されるその時まで。
生きた証を、生き様をこの世に刻むことができる。
「本当に、そんなことができるの?」
「ダメもとで、やってみてもいいだろう。無理なら、それまでだったということだ」
「お兄さん……、僕……」
不安に襲われる俺に、お兄さんは最後の力を振り絞り、笑ってくれた。
「……俺の代わりに、生きてくれるか? 幸せに、なってくれるか?」
俺が頷いた姿を、お兄さんは見てくれていただろうか。
いや。その時にはもう、命は尽きていたかもしれない。
それでも、語りかけずにはいられなかった。
「僕、生きるよ。お兄さんの代わりに」
代行人形とは、作り主に代わって事を成す為に作られた人形。
主人にできなかったことを、代わって遂行するための存在。
彼が生きられないというのなら。
俺が代わって生きる。
大切な、大好きなお兄さんの未来を紡ぐ。
それが、俺がお兄さんにしてあげられる、唯一の役目なのだ。
俺は決心し、ショーンはすぐに腕を振るった。
そうして、初めての試みは成功し、俺は人知れず、ノイエ・アルペイトとなった。
● 〇 ●
「――君が。俺の成すべき役目を教えてくれたから、俺は今の道を選べた。だから、ずっと感謝していた。もう一度、会ってお礼がしたかった」
俺は背後の人に言った。ありがとう、と。
「違うよ。選ぼうと思って選べる道じゃ、決してないよ」
背後の人の美しい声が、耳のすぐ側で聞こえた。
「あなたの強さが、主人を想う気持ちが、奇跡を生んだの」
レインは、俺の背中にそっと、体を寄せてきた。
俺は自然と、頬が綻ぶのを感じた。
たとえ、人形じゃなくたって。
大好きな人に抱きしめられるのは、やっぱり嬉しい。
<了>
床を埋め尽くすように横たわり、転がる人形たち。
足の踏み場もない、静寂の空間。
俺はその中心に。ひとり佇んでいた。
「ばっ、バカなあっ! わしの、ジェイネスたちが……」
静寂を打ち破ったのは、老いた愚者の悲痛な声。
愚かなる人形師エニルダは、椅子に腰掛けたまま、頭を抱えて絶叫している。
奴には信じられなかったのだ。自分が作り出した人形の軍団が、たった一人の人間に全滅させられるだなんて。
「い、いくらなんでも、人間にこんな真似ができるとは……」
「そうだなあ。ノイエは元々、俺に負けず劣らず、体力なんか人並み以下の弱ーい子供だったんだよ。本来ならこんな激しい戦い、できるはずもないような。――だが、魂の強さが、あいつの身体を変えたんだな」
エニルダの側に避難していた、ショーンが口を挟む。
「あんたは確か、世界で一番最初に、完璧な代行人形を作りたかったんだよな。そのために、先を越されないよう、才能ある人形師たちを殺していたそうだが。……もう、とっくに手遅れだぜ、そんなの」
ショーンは、嫌味に笑う。エニルダは体を震わせ、横目にその笑みを見つめる。
「俺の弟はな。七年以上も前に完全な人形の魂を作って、今まで成長させてきたんだ。――自分の体の中でな」
エニルダの目が、飛び出しそうだった。
「ま、まさか。そんなこと、あり得ん!」
「あり得ないことなんて、あるかい。あんた、さっき言ったぜ。大事なのは優れた人形の魂であり、器なんて何でもかまわないと。――人間の体に、人形の魂が入っていたって、人形学的には何の問題もないはずだが?」
わななき、震える口。
その中から、エニルダは不器用に息を吐き出した。
「何と言うことだ。既にそこまで、代行人形は進化していたというのか。わしがいくら急いでも、決して追いつけないところまで。そこに最初に辿りつくのは、わしだったはずなのに……」
不可能。手遅れ。
それを認めた瞬間、エニルダの体から、抵抗する気力が抜けきった。
ナオミ警官によって、枯れ枝のような手首に縄が掛けられるまで、そう時間はかからなかった。
● 〇 ●
その日の夕刻。
エニルダ邸の玄関先にて。
生気を失ってがっくりと項垂れた、人形師連続殺人事件の犯人は、出世の希望に満ちあふれた、最高にご機嫌な女警官によって、連行されていった。
犯人に作られ、利用されていた人形師狩りはと言うと。
今回の事件の重要証拠として、警察に身柄を確保されるそうだ。
スパイ警察スノー医師と、奴の修理を依頼されたショーンによって、どこぞかへ連れて行かれた。
軒先に残り、俺は石段に腰を下ろしていた。
隣では、幼い少女の姿をした代行人形が、ちょこんと座り、足をぶらぶらさせ、何事もなかったように鼻唄を唄っている。
その唄を心地よく耳に受けながら、しばらくの間、何もかもが終わった余韻に浸っていた。
すると背後から、人の気配が。
それで我に返り、まだ全てが終わっていないことを思い出す。
「昔、あなたが言っていたお兄さんって言うのは、ショーンさんのことではなかったの?」
背後の人の、静かな問いかけ。
「俺、あいつをそんな風に呼んだことないんだ。俺がお兄さんと呼ぶ相手は、世界でたった一人――」
俺は空を見上げ、答える。
「ノイエ・アルペイトだけなんだよ」
「その人は。……本物の、ノイエさんは?」
「君と別れた数日後、死んだ。熱が下がらなくて、肺炎をこじらせて。あっという間だった」
● 〇 ●
あれは、七年前のあの日。
レインと別れて、数日後の出来事。
「お兄さん、お兄さん、死なないで」
俺はノイエ・アルペイトの枕元で、必死に呼びかけていた。
黒い、灰色がかった髪の、小さな痩せ細った男の子が、顔を真っ赤にして、苦しそうにベッドに横たわっていた。
診察していった医者の言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
――覚悟だけは、しておいてください。と。
何となく分かっていた。お兄さんはもう、助からないと。
そう思っていたのは、俺だけではなく、側にいた病弱そうな少年――ショーンも、決意を固めていた。
「なあ、お前。ノイエの体を使って、代行人形になる気はないか?」
一足先に高熱の苦しみから解放され、体調を持ち直していたショーンは、まだ気怠そうにしながらも、俺にそう言った。
「代行人形に……?」
尋ねると、返ってくる頷き。
「ノイエの命は、もう保たない。だけどこのまま死んで、みんなから忘れられていくなんて。大人になれないなんて、悲しいじゃないか」
顔の割に大きな、分厚い眼鏡の奥で、ショーンは泣いていた。声が震えている。
「今、お前の魂をノイエの中に入れれば、理論上、肉体は死なないはずなんだ。そのまま成長を続けて、いつかは――」
大人になる。
ノイエ・アルペイトという人間が天寿を全うし、歳老いて天に召されるその時まで。
生きた証を、生き様をこの世に刻むことができる。
「本当に、そんなことができるの?」
「ダメもとで、やってみてもいいだろう。無理なら、それまでだったということだ」
「お兄さん……、僕……」
不安に襲われる俺に、お兄さんは最後の力を振り絞り、笑ってくれた。
「……俺の代わりに、生きてくれるか? 幸せに、なってくれるか?」
俺が頷いた姿を、お兄さんは見てくれていただろうか。
いや。その時にはもう、命は尽きていたかもしれない。
それでも、語りかけずにはいられなかった。
「僕、生きるよ。お兄さんの代わりに」
代行人形とは、作り主に代わって事を成す為に作られた人形。
主人にできなかったことを、代わって遂行するための存在。
彼が生きられないというのなら。
俺が代わって生きる。
大切な、大好きなお兄さんの未来を紡ぐ。
それが、俺がお兄さんにしてあげられる、唯一の役目なのだ。
俺は決心し、ショーンはすぐに腕を振るった。
そうして、初めての試みは成功し、俺は人知れず、ノイエ・アルペイトとなった。
● 〇 ●
「――君が。俺の成すべき役目を教えてくれたから、俺は今の道を選べた。だから、ずっと感謝していた。もう一度、会ってお礼がしたかった」
俺は背後の人に言った。ありがとう、と。
「違うよ。選ぼうと思って選べる道じゃ、決してないよ」
背後の人の美しい声が、耳のすぐ側で聞こえた。
「あなたの強さが、主人を想う気持ちが、奇跡を生んだの」
レインは、俺の背中にそっと、体を寄せてきた。
俺は自然と、頬が綻ぶのを感じた。
たとえ、人形じゃなくたって。
大好きな人に抱きしめられるのは、やっぱり嬉しい。
<了>
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