人であらざる人の道~はじまりの代行人形~

幹谷セイ

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真実の代行人形

16.血塗れの逃走劇

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「ったく、あのイカレた医者。思いっきり切り裂きやがって……」
 
 全身に、メスでつけられた切り傷。
 
 服はあちこち細かく裂かれ、滲みだした血で染まっている。
 
 その痛みと戦いながら、俺は町の路地を小走りしていた。
 
 警察署を飛び出してきたことに、後悔はない。
 
 自分で決めたことだし、それが最善の方法だったんだから。
 
 だがこの先、味方は望めない。
 
 たった一人で恐ろしい陰謀の渦の中へ飛び込まなくてはならないと思うと、言いようのない不安がこみ上げてきた。
 
 それでも、レインを無事に救い出し、解放するまでは、どんな者からも逃げるわけにはいかないのだ。
 
 俺の足はまっすぐ、エニルダ邸に続く地下通路の出入り口へと向かっていた。
 
 やがて辿り着くと、黒いマントに全身を包んだ、人形師狩りが待ち構えていた。
 
「おかえりなさ~い、ダーリン。必ず戻ってくると信じてたわぁ」
 
 奴のなまめかしい物言いに、俺の口の端が、思わずり上がる。
 
 こいつを信用しているわけじゃないが、俺には、もう後がないのだ。
 
 それに、こいつとなら、互いの利益を尊重した上で、利用しあうことができるんじゃないだろうか。
 
 そう考えたから、俺はこの場所へ戻ってきた。
 
 人形師狩りの言っていた、取引きとやらをするために。
 
 俺は奴に向かって、爽やかな笑顔で手を振った。
 
「やあ、待たせたねハニー。寄り道していたら遅くなってしまったよ」
 
「あらあら、血まみれじゃない。すっかりいい男になっちゃって。あたしと言うものがありながら、浮気した罰ね」
 
「まったくだよ。ちょっと善い相手だと思って無防備に手を出すと、こういうことになる。反省しているところさ。やっぱり僕には君しかいない」
 
「まあ、お上手ね。と、言うことはぁ。あたしのお願い、聞いてくれる気になったってこと?」
 
「その通りさ。ぜひ協力して、エニルダ達の罪を暴こうじゃないか」
 
「嬉しいわダーリン。じゃあ決まりね、さっそくあたしと一緒に敵地へランデブーしましょ」
 
「ああ。そうしたいのはやまやまなんだけど。実は今、とっても気になっていることがあってね。そのせいで、他のことがさっぱり手につかないんだよ」
 
「気になることって何かしら?」
 
「この辺りにとても美しいお嬢さんが二人ほどいたはずなんだけど、姿が見えないんだ。どこに行ったのか知らないかな? 彼女たちが安全だと分かれば、僕はすぐにでも君とランデブーできるんだけどねぇ」
 
「もうっ、かわいい娘を見かけると、すぐにこれなんだから! あの二人ならぁ。クラウンマーチがエニルダのところへ連行していく手筈になっているわ。あたしがそうするように仕向けたの。分かった?」
 
「へえぇ、よく分かったよ。君は僕とランデブーよりも、あの世での永住をご所望のようだね。ハニー」
 
「待ってダーリン、あたしに物騒なものを向けるのはやめて! あたしたちの作戦を成功させるためには、必要なことだったのよ。エニルダには、この作戦を気付かれないように、ギリギリまで別のものに集中してもらっていなくちゃいけないんだから」
 
「なるほど。彼女たちを囮に使うってわけだね。君の華麗な作戦は反吐へどが出るほど素敵だ」
 
「分かってもらえてうれしいわ。さあ、あたしたちもエニルダのところに急ぎましょう」
 
「その前に。一つ言い忘れていたよ、ハニー」
 
「何かしら? ダーリン」
 
 俺は目を据わらせ、ハニーの首筋に、刃を突きつけた。
 
「レインたちに、もしものことがあったら、お前をぶった斬って燃やすからな。覚悟しとけ」
 
「いやーん! ダーリンったら怖ーい!!」
 
 鳥肌が立ちそうな。茶番じみたやりとりはもう終わりだ。
 
 俺は人形師狩りと手を組み。と言うより、脅しつけて。
 
 エニルダ邸の地下へと、再び足を踏み入れた。
 
 ● 〇 ●
 
 そこは、地下の一角に作られた広い部屋。
 
 数個のランプの頼りない明かりに照らされた不気味な空間には、天才と称された人形師が長い人生をかけて作り上げてきた、精魂込もった人形たちが並べられている。
 
 側には、人形師が違法の髄を凝らして集めてきた、人間の魂を詰めた瓶が、標本のように飾ってあった。
 
 ここは人形師エニルダの工房だ。
 
 その中央。大きな作業台の側。椅子に腰掛けるエニルダと、その隣に立つスノー医師の姿が。
 
 そこへ、誰かが足音もなく入ってきた。
 
 そいつの姿を見て、エニルダは嬉しそうな声を上げる。
 
「おお、クラウンマーチ。ようやく戻ったか」
 
「ご主人様、遅くなって申し訳ありません」
 
 やってきたのは、クラウンマーチだ。
 
 相変わらず無表情で、その顔には何の感情もない。
 
 薄明かりに照らされた無機質な面影が、余計に不気味に見える。
 
「レインお嬢様を、お連れしました」
 
 奴の両腕にはそれぞれ、レインとリノオールが担がれている。
 
 両手両足、そして口に縄で猿轡さるぐつわを噛まされ、二人は動きを封じられていた。
 
 レインは捕らえられながらも、反抗的な強い眼差しで自分の祖父を睨みつけている。
 
 リノオールは泣きそうな顔をして首だけ動かし、不安そうに辺りを見回していた。
 
「これで実験が始められるな、スノー君」
 
「ええ。喜ばしいことです。そうだ、紹介しておきましょう。我々に協力をしてくれる同士たちです」
 
 スノー医師がエニルダに紹介したのは、警官服姿の二人の人間だった。
 
 一人は言うまでもない、ナオミ警官だ。もう一人は男の警官。帽子を深々とかぶり、根暗そうに俯いている。
 
 その二人の来訪者を見た、エニルダの瞳が怪しく光る。
 
「彼らが、君の言う同士なのかね」
 
「驚かれましたか? 警察の者が犯罪に荷担するだなんて」
 
 スノーの問いかけに、エニルダはゆっくり、首を横に振った。
 
「いいや。正義というものは、簡単に悪に染まる。そんな裏切りは遙か昔から、当たり前に行われてきたのだ。今更、意外だと感じる必要もあるまい」
 
 そして椅子から立ち上がり、レインの元へ歩み寄る。
 
「さあ、始めよう。今のわしが終わり、そして新たなわしが生まれる。今日はその記念すべき日だ!」
 
 エニルダの枯れ枝みたいな手が、レインに触れようとした。
 
 その時、俺は物陰から飛び出した。
 
「お前の悪巧みは、そこまでだ。人形師エニルダ!」
 
 そして中央に歩み寄りながら、ゆっくり剣先をエニルダに向ける。
 
「君は……誰かね?」
 
 俺を見て、エニルダは首を傾げる。
 
「ノイエ・アルペイト。さっき話した、人形師ショーン・アルペイトの弟です。我々の崇高な計画を邪魔しようとする愚か者ですよ」
 
 スノー医師は奴に説明する。
 
 俺は二人を、殺気を込めて睨む。
 
「僕も結構、派手に切りつけたつもりだったんだけどね。傷口が浅かったみたいだ。もっと深く、急所でもえぐっておけば良かったかな?」
 
 俺を傷つけ、血塗れにした張本人の嘲笑。
 
 切り口からの血はすでに止まり、滲み出ていた血は俺の肌の上で乾いている。
 
 その様子を、とても残念そうな顔で見ている。
 
「お前の実験とやらは、もうお終いだ。絶対に、レインの体を奪わせたりはしない!」
 
 俺が本気であり、かつ、実験を妨害できる間合いにまで入ってきた事実に気付き、スノー医師は警戒を顔に浮かべ始めた。
 
「君たち、エニルダさんの護衛を」
 
 仲間の警官たちに指示を出す。
 
 二人の警官はエニルダを守るように、奴の両脇に立った。
 
「ふむ、なるほど。君は命も惜しまず、レインを助けにきたと。……つまり、レインに惚れているのだね。無理もない、美しい娘だから」
 
 エニルダは、余裕の態度を見せる。
 
 じっくり俺を見て、冷静に観察している風だった。
 
「君は私のせいで、レインを自分のものにできなくなることが許せないのかな? だったら心配はいらないよ。わしはその自由に動く若い体で、人形の研究さえ、できればいいのだ。それ以外のもの――たとえば、女の生殖機能や、男の欲情をそそる、閨房の語らいといったものには、まるで興味がない。必要なときに、レインの体は君にあげよう。好きに弄ぶといい」
 
 エニルダは、淡々と自分の考察を述べる。その顔からは、何の感情も見て取れない。
 
 俺の中に、嫌悪感と怒りが沸き上がった。
 
「黙れ、この下種ゲスが! レインを物みたいに扱うな!」
 
「ふむ、気に入らんかね。最近の若者は気難しくて困るな」
 
 白い顎髭を撫でながらそう言うエニルダは、ちっとも困っているようには見えない。
 
 ただ、気怠そうな、面倒そうな雰囲気を醸しだし、俺を見ている。
 
 やがて、匙を投げた様子で肩を竦めた。
 
「若造の望みなんて考えても、わしには埒があかない。はっきり言いたまえ、君はいったい、どうしたいのかね。どうすればわしの邪魔をせず、ここから身を引いてくれるのだ?」
 
「何もするな。お前はお前として、これからも生き続けるんだよ! 死ぬことも、別の人間になりすますことも許さない」
 
「何だ、生きろと言うのかね。てっきり、わしを殺しに来たのかと思っていたが?」
 意外そうに目を見開く。俺は首を横に振った。
 
「違うね。だって、あんたには――」
 
「ちゃんと生きて、罪を償っていただかなくてはいけませんからね」
 
 俺に代わって、真実を告げる声。
 
 その男は、エニルダの首筋にメスを突き立てて、笑っていた。
 
「そうでしょう? エニルダさん」
 
 スノー医師の発言を合図に、奴の背後に構えていた二人の警官が、一斉にエニルダに警棒をつきつける。
 
「お縄につくっすよ! エニルダ・セーヴィラ!」
 
 一人は言うまでもなく、やる気満々のナオミ警官。
 
「まあ、そう言うこったな」
 
 もう一人は、警官に変装したショーンであった。
 
「どういうことかな、これは」
 
 周囲を見渡し、自分の置かれた現状を悟ったエニルダは、初めて、声色を乱した。
 
「スノー。貴様、裏切りおったな。……なんと卑怯な」
 
「おや、心外ですね。僕が卑怯者だなんて、あなたが一番よくご存じかと思っていましたが」
 
 誰に向かってメスを向けようと、スノー医師の笑顔に変化はない。にこにこ顔だ。
 
「あなたのような汚らわしい罪人を捕らえるためならば、手段なんて選ばない。僕はそういう人間なんですよ」
 
 エニルダが驚愕し、憤怒するのも無理はないだろう。
 
 俺だって、この男の口から全てが語られるまで、一連の出来事の真意に、全く気付けなかったのだから。
 
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