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人形師狩り捕獲作戦

3.路地裏の人形師

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 広場を出ると、レンガでできた背の高い家々に挟まれた、細い路地に繋がっていた。
 
 そこから少し奥へ進めば、その右手に俺の自宅が見えてくる。
 
 いつもは通行人もほとんどなく、静かな路地なのだが……。
 
 今日は少し人気ひとけも多く、賑わっている。
 
 広場があの有様だからだろう。その騒がしさがとても新鮮で、懐かしく感じた。
 
 後で分かったことだが、路地がやけに騒がしいその理由は、俺が知っているものと知らないもの、二通り存在していた。
 
 まず最初に、野次馬たちがこんな狭い路地裏に集まっている、俺の知るに及ばない理由から確認する。
 
 俺の家より手前、道を挟んで斜め向かいに建っている、大きな家。
 
 その玄関先で仁王立ちしている、一人の警官の姿が目に留まり、俺は立ち止まった。
 
 小柄な警官だ。金色の髪は短く、瞳は碧い。鋭い顔つきをしていたが、組んだ腕の上で、はちきれんばかりに盛り上がっている巨大な胸が、女であることを露骨に示している。
 
「こんちわ、ナオミさん」
 
 俺はその女警官に、軽く挨拶した。
 
「やあ、アルペイトの弟君。こんにちわっす」
 
 ナオミ警官も、俺に挨拶を返してくるが、その表情はぶっきらぼうの一語だ。
 
 元より、警察の人間に愛想なんて求めちゃいないので、別に不平も文句も浮かんではこなかったが。
 
 ただの形式的な会話、という感じだ。
 
 ナオミ警官は、この町の治安維持を任され、大陸中央部の大都市アライルゴにある警察組織の本部からやってきた駐在さんだ。
 彼女はこの町へ派遣された当初から、島流しに遭っただの左遷させんを食らっただのと、悲観的なグチをよく陰でこぼしていた。
 
 それも無理はない。この小さな町は平和で穏やかそのもの。警官の力が必要となりそうな事件なんて、起こる気配すら見せない僻地へきちなのだから。
 
 事件が起こればいい、なんて不謹慎な発言を警官がするわけにはいかないが、出世を目的に警官となった彼女としては、自分がバリバリと活躍できるような騒動が起こってもらいたいというのが、日々の本音だ。
 
 そのため、ここ連日、ナオミ警官は少々、機嫌がよろしい。
 
 表情はいつもと変わらず無愛想を貫いているが、内側から滲み出ている高揚的な感情は、完全には隠しきれていない。
 
「最近、すごく楽しそうだよな。ナオミさん」
 
 ちょっと茶化して言ってやると、ナオミ警官は眉をひそめた。
 
「楽しいとは何すか。今この町は、大変な事態に見舞われているというのに、不謹慎な。自分がいったい、何を楽しんでいるって言うんすか?」
 
「その大変な事態を、大いに楽しんでいるように見えるけど? 平和な町を気怠そうにパトロールしていたときよりも、そこでじっと立ってる今のほうが、生き生きしているぜ?」
 
「し、失礼な。自分はいつでも手抜かりなく、精神誠意込めて、町の治安をお守りしているっす!」
 
 とか言いつつも、軽く咳払いして、
 
「……まあ、この町では最近、過去に類を見ないような凶悪な事件が多発しているのは事実っす。今まで以上に捜査と治安維持に力が入っているかもしれない、と判断されても、否定できないっすけどね」
 
 遠回しではあるが、いつもより自分のテンションが上がっているのだと認めた。
 
 お堅くて気難しそうに見えるが、以外と単純で素直な人だ。
 
 だからこそ、頼りないけれど信頼は持てると、俺は判断している。
 
 俺は彼女の立っている場所にそびえる、レンガの家屋を見上げた。
 
「さっき、担架で運ばれていく人を見たけど。この家の人?」
 
 訊ねると、ナオミ警官は頷いた。
 
「そうっす。人形師のラドクリフさんっす。今朝方、作業部屋で大量の人形に埋もれて殺されている姿が発見されたっす。心臓を一突きっすよ。部屋の窓が割られているため、進入者があったことは間違いなさそうっすね」
 
「なるほど。家を出る時から近所が騒がしいと思っていたけれど、原因はこの家か」
 
 この路地に集まってきた人々の多くは、騒ぎを聞きつけて殺人事件の現場を覗きにきた、野次馬たちだったのか。
 
「ご近所さんなのに、気付いてなかったっすか」
 
「今日は朝から、色々と忙しかったからさー。それどころじゃなかったんだよな」
 
 呆れるナオミ警官に、俺は苦笑いを浮かべた。
 
「でも、この様子じゃ、まだ犯人は捕まってないみたいだな」
 
「ぐう、情けない話っすが、犯人がどこの誰なのか、目星すらついていないのが現状なんすよぉ。うへへ」
 
 苦々しい顔をしつつも、ナオミ警官の声は浮かれて弾んでいた。
 
 ぐうの音しか出ない苦境を、意外と楽しんでいる。
 
 言い換えれば、これからまだまだ調査のやり甲斐がある、という意味だから。
 
「でも、今まで立て続けに起こっている人形師連続殺人事件。手口からして、みーんな同じ奴の仕業に違いないとは、分かっているっす」
 
 犯人の目星はつかないが。事件に関係ありそうな怪しい人影は、度々目撃されているという。
 
 その情報だけを頼りに、警察は必死で心許ない捜査を続けているらしい。
 
「ろくな手掛かりも残さずに次々と犯罪を繰り返すなんて。憎らしい奴っすよ、まったく」
 
 そんな警官泣かせの謎の怪人。確か通り名がついていたはずだけど。
 
「何て呼ばれていたっけ。その人形師ばっかり狙う、凶悪な殺人鬼」
 
「そいつを、僕らはこう呼んでいるんだよ。――〝人形師狩り〟とね」
 
 女警官とは違う、男の声が返事をしてきた。
 
 被害者の住居だった建物の中から姿を現した、白っぽい人影。
 
 黒い鞄を手に持った、空色の髪と瞳を持つ、白衣を着た若い男だ。
 
 その男が視界に入るや否や、ナオミ警官は姿勢を正して、ビシッと敬礼する。
 
「お勤めご苦労様っす、スノー先生!」
 
 背の高い男は視線を落とし、彼女を見る。
 
 そして、童顔の表情に優しげな笑みを浮かべた。
 
「君も、警護ご苦労様。ナオミちゃん」
 
 労いの言葉をかけられて、女警官ナオミは硬い表情を保ちながらも、ほんのり頬を紅潮させていた。
 
 先生、と呼ばれたこの男――スノーは、医者だ。
 
 普段は町医者として人々の健康を気遣う身分であるが、こういう死者が出る事件が起こると、町で唯一の医師として、検屍に駆り出されるのだそうだ。
 
 今日もまた、さっき運ばれていったラドクリフ氏の死因調査を、警察に依頼されていたのだろう。
 
 後片付けを終えて、今ようやく、出てきたというところか。
 
「しかし、いつまで続くんだろうね。人形師狩りの凶行は」
 
 げんなりした様子で、スノー医師は息を吐く。
 
「医者としては、仕事が増えていいんじゃないの? 検屍って報酬も高いらしいし」
 
 俺が口を挟むと、彼は困ったような笑みを浮かべる。
 
「仕事をするなら、やっぱり生きた人間を診たいものだね。こう連続で死人ばっかり相手にしていたんじゃ、さすがに気分がえるよ」
 
「そりゃ、ごもっともだ」
 
「医者の使命は、限りなく多くの命を救うことにある。というのが、僕の信念だからね。死んでしまった人の姿を見ても、自分の無力さに打ちのめされるだけなんだよ。たとえ、僕の力ではどうにもならなかった命であってもね」
 
 スノー医師は、患者第一な精神の持ち主だ。
 
 非常に無欲で仕事熱心な人だと、俺は認識している。
 
 そんな人の口から出てくるからこそ、そんな偽善めいた言葉にも、正当性と真実味が生まれる。
 
 とはいえ、犯人は別に、無力な医者が絶望する様を見たくて、こんな犯行に及んでいるわけではないだろう。
 
 ――人形師狩り。
 
 仮称してそう呼ばれる謎の殺人鬼は、数週間前に突如として、この町で猛威を振るい始めた。
 
 その姿をはっきりと見たものは、誰もいない。若いのか中年なのか、男なのか女なのか。
 
 何も分からないのが今の現状であり、かつ、奴の不気味さを誇張させる要素となっている。
 
 黒いマントで全身を覆い、昼夜問わず人気のない路地を徘徊しているとも噂される。
 
 その仮の名前が示すままに、奴が襲って命を奪う相手は、決まってこの町で技を磨く、人形師ばかりなのだった。
 
 殺された人形師の数は、知られているだけで既に、二桁に達しようとしている。
 
 ひょっとしたら、人知れず命を奪われてしまっている者もいるかもしれない。
 
 この町の支えとも言える人形師たちを次々と殺していく、人形師狩りなる謎の存在。
 
 いったい、奴は何者で、何のためにこんな凶行を繰り返しているのだろうか。
 
「ただの人形嫌いな変質者の犯行。と考えるのが、一番楽っすけどね」
 
 犯人について、根拠のない考察を巡らせるナオミ警官。
 
 そんな軽率で安楽なことばかり考えているから、最近の警察は云々と、周囲にグチられるのだ。
 
 とは流石に、口には出さなかったが。
 
「もしくは、その逆かもしれないね。熱狂的で狂信的な、人形好きの変質者の仕業かも」
 
 スノー医師も考察に加わる。
 
 犯人が変質者である、という特徴は、二人の間では既に決定事項になっているみたいだ。
 
「それはどうっすかね。だって、人形師狩りは人形師を殺した後、被害者の作った人形を全てぶち壊していくじゃないっすか。人形好きの人間が、そんな残酷な行為をしますかね」
 
「それはまあ、確かにね。でも。殺された人形師たちには、抵抗した痕跡がいっさい、ないんだ。犯人と対峙したからには一瞬でも逃げようとしたり、反撃しようとしても、おかしくないはずなのに。だから人形好きだということを被害者がよく知っていて、目の前にいても安心できる人物だったんじゃないかな。そんな奴の仕業じゃないかと、僕は思うんだけれど」
 
 色々と犯人に対して意見を出してみるのはいいが、何も分かっていない以上、どれもこれも推論の域を出ないし、正解と照らしあわせることもできない。
 
 この二人には、名探偵みたいな職業はさっぱり向いていなさそうだ。もちろん、俺もだが。
 
「犯人が分からない以上、人形師は殺人鬼に狙われないように、大人しくしているのが一番ってわけだな」
 
 俺が思った結論を言うと、確かに、と二人は頷いた。
 
「そうだね。大事なのは奴に目を付けられないことだ」
 
「極力、自分の素性を隠し、人形作りとは無関係だという態度でいることが、一番賢明だと思うっす」
 
 続いてそう告げたナオミ警官の瞳が、突然、鋭く俺を射抜いた。
 
「……っていうお話を、ぜひお兄さんにも、ちゃんと言って聞かせてあげてくれないっすかね。弟君」
 
 ナオミ警官は、俺から視線を外した。
 
 憎々しげな目で次に見つめた場所は、俺の背後。
 
 普段から人気のないこの通りが、いつもよりも賑わっている理由。一つは先述した通り、人形師狩りの起こした殺人事件のせいなのだが、もう一つは俺の後ろの、騒がしい軒先に原因があった。
 
「……あー! お人形さんが、いっぱい!」
 
 俺の側で、指を咥えて退屈そうにしていたリノオールが、とっても嬉しそうに目を輝かせる。
 
 振り返ると、こぢんまりとした貧相な家屋――俺の自宅ですが何か? ――の玄関前に、ずらりと並べられた、たくさんの人形が視界に入り込んできた。
 
 まるで舞踏会に赴く、紳士淑女の団体みたいに、きらびやかに着飾った人形の集団たちが、道行く人々を見下ろしていた。
 
 人形の大きさは、手の平サイズのものから本物の人間くらいのものまで、さまざまだ。
 
 大きいものとなると、体の作りも表情も本物の人間そっくりに、精巧に作られている。
 
 身に纏った色とりどりの衣服は、まるで極彩色の花が咲き乱れているかのようだ。
 
 小規模な人形の祭典。
 
 そんな情景を彷彿とさせるその場所には、どこからか噂を聞きつけてやってきた人々が集まり、人形を買い求めたり観光気分で見ていったりと、楽しげな賑わいを見せている。
 
 この町の人たちは、殺人鬼が怖くて、人形を見たり買ったりする余裕もないのかと思っていたが。
 
 やっぱり根っからの人形好きが多いのだろう。店を開いている場所があると分かるや否や、こうやって危険を省みず、人形を求めてやってくる。
 
 そんな人たちの隙間を縫って、悲鳴に近い歓喜の声を上げながら、リノオールはたくさんの人形の元へと駆けていった。
 
 軒下に置かれた木箱の中に、盛りだくさんに詰め込まれた、小さな可愛い布人形。その一つを持ち上げて、愛おしそうに抱きしめる。
 
「その人形が気に入ったかい? お嬢ちゃん」
 
 突然声をかけられ、リノオールは驚いた様子で顔を上げる。
 
 陳列された人形の一体が、話しかけてきた。
 
 そんな風に感じたかもしれないが、そうではない。
 
 人形たちに埋もれるようにして石段に腰掛けている、一人の男がいた。
 
 声を発したのは、その男だ。
 
 男の髪は灰色。同色の濃い瞳が眼鏡の奥で微笑んでいる。
 
 血色の悪い肌のせいで、顔は病的に青白い。
 
 くたびれたシャツを見事に着こなした、くたびれた男。
 
「安くしとくよー? どう、一つ?」
 
「こんな小さな子供から金をせびるなよ。ショーン」
 
 俺が歩み寄って口を挟むと、男はこちらを見上げて、ニヤリと笑う。
 
「この子、お前が連れてきたのか? ノイエ」
 
「ああ。人形の露店を見物に来たみたいなんだけど、今はあのザマだからな。広場でがっかりしていたから、案内してきた」
 
「なーるほど。我が弟は実に親切な奴だ。どうせなら、もっと金ヅルになりそうな奴を連れてきてくれたら嬉しかったんだが。まあ、今日くらいは人形を心から愛でてくれるお客様に、無償で楽しんでもらうのも悪くない」
 
 男は勢いよく立ち上がり、リノオールの前に膝を突いた。
 
 彼女と目線を合わせて、にんまりと笑う。
 
「お嬢ちゃんは運がいい。今朝、久しぶりに店開きしたばかりなんだ。ようこそ、人形師ショーン・アルペイトの工房へ。今のこの町じゃ、まともに人形を見られる場所は、俺の店くらいだ。ゆっくりしていってくれよ」
 
 しばらく、その顔を見つめて唖然としていたリノオールだったが、目の前の男が悪い奴でも怪しい奴でもないと本能的に察したのか、すぐに馴染んでにっこりと笑い返した。
 
 人形師ショーン・アルペイト。
 
 年齢は二十歳。俺より三つ歳上の、血の繋がった兄だ。
 
 ショーンは子供の頃から人形の構造、進化に興味を持っていた。
 
 その好奇心を形に変え続けた結果、今ではそれなりに優秀な技量を誇る人形師として、世間に認められている。
 
 天才肌で、非常に聡明な頭脳の持ち主ではあるのだが……。
 
「ぐはあ、いかん。急に激しく動いたから、立ちくらみが……」
 
 非常に体が弱い。
 
 ちょっと肉体に負荷がかかると、こんな風によろめいてしまったり、体調を崩して寝込んだりする。
 
 極端に虚弱な体質は、アルペイト家に代々受け継がれる遺伝的なものなのだそうだ。だが、改善は不可能ではない。俺のこの体も、昔はショーンに負けないくらい弱かったが、今ではそれなりに体力を付けて、かなり克服してきたのだから。
 
 しかし、こいつはイマイチ、体を鍛える努力をしてこなかったせいで、今尚、こんな調子なのだった。
 
「ダメだよ、ショーン君。あんまり長い時間、外にいちゃ。また体を壊しちゃうよ」
 
 スノー医師がやってきて、注意する。
 
 お得意さま、とも言えるほど付き合いのある、この患者を気遣っての注進だ。
 
 ヘロヘロになって地面に手と膝を突いているショーンだったが、スノー医師の姿を見るなり、ケッと舌を打つ。
 
「余計なお世話だね。俺は今日という日を心待ちにして、ここ数日大人しく引き籠ってたいんだ。少しくらい、ハメ外したって、いいだろうがよー!」
 
 自分を心配してくれている人間に対して、ずいぶんな物言いだ。
 
 と、初見の人なら思うかもしれない。
 
 しかし、こんなやりとりは日常茶飯事だ。
 
「それだけ憎まれ口を叩けるなら。体のほうは今のところ、大丈夫そうかな?」
 
 スノー医師も馴れたもので、お得意の愛想笑いを浮かべている。
 
 本当に人がいいよな、この医者。俺なら一発、軽く殴っているところだ。
 
「体は大丈夫でも、命のほうは大問題っすよ!」
 
 そんなスノー医師の横から槍を挟む、怖い顔をした女警官。
 
「何のために、町中の人形に関わる店を全て閉めさせていると思ってるんすか! こんなに大々的に自宅の前に人形を飾って、自分が人形師だと周囲に触れ回る真似をするだなんて!
 
 人形師狩りに殺してくれと言っているようなもんじゃないっすか!」
 
 ナオミ警官が憤るのも、無理はない。
 
 さっき話していた、人形師が人形師狩りから身を守るためにするべき防衛策と、全く逆の危険な行為を、とことんやっているわけだから。
 
 町中の人形の露店や、人形師の工房での仕事が休業状態に陥っている理由は、警察がこれ以上、人形師狩りの犯行に付け入る隙を与えないためにとの配慮から、休むように指示を出しているからだ。
 
 にもかかわらず。ショーンの今日の行いは、警察が行っている被害縮小のための努力を全て、粉々にぶち壊しているも同然だった。
 
「はあー? その人形師狩りを、未だに捕まえられない、能なしの警官殿が何を言い出すかと思えば」
 
 しかしショーンは、ナオミ警官の剣幕に物怖じする気配も、罪悪感を覚えている様子もない。
 
 逆に対抗心満々で、突っかかる。
 
「ほーら、お嬢ちゃん。君が楽しみにしていた、お人形さんのたくさんいる町並みを台無しにしちゃった奴は、あの愛想のないお姉さんなんだよー。悪い人だねー。酷いことするよねー、まったく」
 
 ナオミ警官を指さして、リノオールに陰口を叩き出す。
 
「警察を悪人呼ばわりとは、何事っすか!? いたいけな子供に間違った知識を植え付けないでもらいたいっす!」
 
 実に幼稚な反抗だが、単純な女警官を怒らせるには、充分だったらしい。
 
 続いて、ナオミ警官をじーっと見ていたリノオールが、「お姉さん、わるいひとー!」とか言っちゃったもんだから。
 
 ナオミ警官はショックを受けて、滝のように涙を流す始末。
 
「ぬおおお、あんまりっす! 自分は、一警官として町の平和を守るために日夜努力しているというのに。非協力的な態度の住民にことごとく妨害されて、挙句の果てに子供にまで暴言を吐かれるなんて……!」
 
「そりゃ、非協力的にもなるだろう。人形師はろくに仕事もできず商売あがったりだわ、町の経済状況は悪化の一途を辿るばかりだわ。それだけやってもなお、人形師狩りは捕まる気配すらないし。警察の信用なんて、ガタ落ちに決まってるじゃねーか。真にこの町のためを思うなら、とっとと殺人鬼を捕まえてみせるべきじゃないのかねぇ」
 
 肩をすくめ、ショーンは半笑いで嫌味全開の言葉を放つ。
 
 語尾に「ま、無理だろうけど」と付け足して。
 
 ナオミ警官はキッとショーンを睨みつけた。
 
「素人は、気楽にものを言ってくれるっすね! 人形師狩りがどこの誰なのかも、どこに潜んでいるのかも、さっぱり分からないから、こんなにも悪戦苦闘してるんじゃないっすか!」
 
「フッ、馬鹿め。見つけられないなら、向こうから出てくるように仕向ければいいだけだろうが。俺がただ工房を閉めさせられた腹癒せに、自分の家の前でこんな危険な営業を、おっぱじめたとでも思っているのか?」
 
 意味深なショーンの言葉に、俺は驚いて視線を向ける。
 
「え、違うの? 俺ずっと、反抗期バカのつまらん抵抗だと思ってた」
 
「ノイエ君。頼むから、俺のかっこいい解説に水を差すのは止めような。いまいいところだから!」
 
 諭すように俺を一喝し、せながら咳払いをし、気を取り直してショーンは続ける。
 
「全ては、俺が今まで、練りに練ってきた作戦の一環なのさ。家の前に大量の人形を並べたのは。人形師狩りをおびき出すためだ。これだけ目立ってりゃ、人形師狩りは俺の命を狙って、のこのことやってくるだろうからなぁ」
 
「んなっ! そ、それじゃあ、あなたは囮になるために、派手な振舞いをして犯人を待ち構えていたんですか!? そんな危険な!」
 
 信じられないと言った様子のナオミ警官だが、ショーンは大本気だ。
 
 俺が今朝から、ご近所の殺人事件という大事件にすら気付けなかったほどに忙しかったという理由も、朝早くから、この軒先に並んでいる人形達を家の中から運び出すために、こき使われていたからに他ならない。
 
「危険は承知。だがこうでもしなきゃ、事態は何も進まない。いつまでも命の危険に晒されるからと言って身を潜めているなんて、いい加減、飽きたんでな」
 
 こんな傍若無人な人間でも、最近は警察の指示通り、人形作りを自粛して、家で大人しくしていたのだが。
 
 そろそろ鬱憤が溜まってきたそうで、とにかくこの退屈な日々を何とかしたかったのだろう。
 
「分かるか、俺のこの苛立った気持ちが。ここ数日の俺の日記はすごいぞー? 人形師狩りと警察に対するグチでびっしりだ。ほれ、見てみろよ」
 
 見せびらかすようなもんではないだろうが。
 
 ショーンは堂々たる表情で、懐から取り出した日記帳を広げ、ナオミ警官とスノー医師に中身を見せた。
 
 しばらく固まったまま、ショーンの日記を読んでいた二人だったが、くわっと目を開いたのち、次第に表情を強張らせ、歪めていった。
 
 何が書いてあったのか、俺には見えなかったが、彼女を怒らせるように仕向ける要素が、ふんだんに詰め込まれた内容だったのだろう。
 
 ナオミ警官は怒りに満ちた大声を張り上げた。
 
「馬鹿馬鹿しい!  何でもかんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いっすよ!   誰が何と言おうが、人形師狩りの捕獲は、我々警察組織の仕事っす!  一介の人形師に出る幕なんてありません、いいかげん大人しくなさい!!」
 
「そうだよ、危険すぎる。今の現状をどうにかしたいという気持ちはとても良くわかるけれど、警察に任せておくべきだよ」
 
 スノー医師までが、少し怒り気味にそう言い放った。
 
 その反応に、ショーンは不満そうに反論する。
 
「知ったことか。お前らの指図は受けねーよ。俺は俺の好きなようにするんだ。役立たずの警察に任せてたら、この町は滅んじまう」
 
「キー! 言ったっすね! こっちだって、たとえ義務であろうと、あんたみたいな非協力的な町民を守るなんて願い下げっす! そんなに死にたいなら、お好きにどうぞ! あんたの身に何が起こったって、自分はぜーったい助けないっすからね!」
 
 ついに堪忍袋の緒を切らしたナオミ警官は、目の前の人形師を見放す発言をはっきりと告げ、縁切りを宣言してきびすを返す。
 
 ナオミ警官達の背後では、さっきまで人形を見ていた客達や、騒ぎに気付いて集まってきた野次馬たちが様子を見守っていた。
 
 その人達にも、ナオミ警官の怒声は飛ぶ。
 
「ほら、あなたたちも、散るっす! いつまでもこんな場所にいたら、人形師狩りに襲われるかもしれないっすよ!」
 
 彼女の大声に、人々は蜘蛛の子を散らして去って行った。
 
 ナオミ警官は、肩をいからせ、早足で人々を追い立て、路地から姿を消した。
 
 複雑な表情を浮かべつつ、スノー医師も後に続いた。
 
 その背姿を見ながら、ショーンは腹立たしそうに舌を打つ。
 
「ったく、頭の固い警官だな。俺がうまい具合に人形師狩りを捕まえても、あいつの手柄にはしてやんないからな」
 
 そう悪態をついて、側で立ち尽くしていた俺とリノオールに視線を向ける。
 
「今日はもう店じまいだ。ノイエ、お前も、その子を家だか宿だかまで、送ってやれ」
「ああ。でも、お前は一人で平気か?」
 
 俺は、この傍若無人な兄を案じる。口は達者だが、実態は体力も腕力もないヘロヘロ人間だ。
 
 完全に一人になってしまったときに、万が一、人形師狩りにでも襲われたら。
 
 あっという間に、その命は奪われるだろう。
 
 俺のそんな危惧もお構いなしに、ショーンは軽いノリで、軽く手を振った。
 
「気にすんな。調子が戻ったら部屋に入るし。心配ない」
 
 なので俺は頷き、リノオールに手を差し伸べる。
 
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。リノオール」
 
「もうちょっと、お人形さん見たいよう」
 
 ごねるリノオールを見下ろし、俺はそっと、口の前で人差し指を立てた。
 
 首を傾げながらも、静かになった少女の手を引き、俺はコツコツと、レンガを靴の裏で踏み鳴らしてその場から去った。
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