ファーメリーズ・ギフト

幹谷セイ

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4.ジョーカーの導く楽園

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 走って、走って、走り抜いて。
 
 周囲に目もくれずに走り続けた結果。
 
 僕は見慣れぬ場所に立ち尽くしていた。
 
 辺り一面、短い草と岩が広がる平野。
 
 ふいと後ろを振り返ると、村の門と思わしき木の柱が遠くに見えた。
 
 どうやら僕は、村の外にまで飛び出してしまったらしい。
 
 子供がファーメリーを連れずに村の外へ出ることは、タブーとされていた。
 
 門を抜けて、外へ出るなんて、生まれて初めてだ。
 
 だが、そんなことはもう、僕にはどうでもよかった。
 
 叱られたって、お仕置きを受けたって構わない。そんな気分だった。
 
 どのみち、僕はもう大人として認められるまで、村から出ることはない。
 
 だって、僕のファーメリーは、もうやっては来ないのだから。
 
 姉さんから聞かされた事実が、僕の心に重くのしかかる。
 
 今、そんなことを知らせて、僕にどうしろっていうんだ。
 
 僕は側にあった、地面から飛び出た平たい岩に腰を下ろし、深く息を吐いた。
 
 こんな場所に逃げてきたって、何も変わらない。ちゃんと、分かっている。
 
 ファーメリーがもう、この世にいない。
 
 その事実を知ったのならば、その後のことを考えなければならない。
 
 でも、何をどうすればいいのか、全く浮かんでこない。悲観に暮れるしかできない。
 
 今まで、ファーメリーがやってくることを前提で、そいつを出迎える未来ばかり考えていたから。
 
 こんな事態は、全く想定していなかったんだ。
 
 僕はまた、息を吐いた。
 
「……どうして、どうして僕にはファーメリーがいないんだ」
 
 呟いたところで、世界の何かが変わるわけではない。
 
 僕の言葉に、そんな影響力は微塵もなかった。
 
 だが、その言葉は、予期せぬものを呼び寄せた。
 
[へえ。チミには、ファーメリーがいないのかい?]
 
 背筋がぞくりとし、凍り付いた。
 
 背後から、何者かに肩を掴まれる。
 
 いつの間に、こんなに側まで来たんだ?
 
 気配なんて、全く感じなかったのに。
 
〝そいつ〟は気付かないうちに、僕の背後にいた。
 
 緊張で固まった首を何とか回し、横を見る。
 
 僕の顔のすぐ横に、もう一つ顔があった。
 
 白粉おしろいを塗りたくった顔。鼻の先端は赤く、口の周りも、赤い口紅で分厚く塗ってある。
 
 目の周りは星の形や、滴の形の模様で囲まれている。
 
 以前、本で読んだ。
 
 こんな姿をした連中は〝道化〟と呼ばれ、サーカスや路上で人を笑わせることを生業とする〝人間〟だ。
 
 だが、僕にとりつくように張り付いているこいつは、決して人間ではなかった。
 
 その奇妙な化粧顔は、大きな分厚い板の平面から、お面みたいに飛び出していた。板はトランプの絵柄が描かれていて、複雑な模様に覆われていた。
 
 その板がこいつの身体らしく、両側面から、黒いゴムチューブのような腕や足が伸びている。大きな白い手袋を嵌めた手が、僕の肩を掴んでいた。
 
 おおよそ、人間とは思えない容姿。
 
 こいつはいったい、何なんだ?
 
[ハジメマシテ。ボクは、ジョーカーの手下。ジョーカーの命令で、チミのような子供を探していたのさ。ファーメリーのいない、かわいそうなチミを探していたんだよ]
 
 そいつは僕の思考を、疑問を読みとったかのように、名乗った。
 
 その名前を、僕は以前読んだ本の内容から、おぼろげに知っていた。
 
 ジョーカー。 
 
 人間、そしてファーメリーに次ぐ、高度な知能を有する生命体。
 
 だが、その正体はほとんど分かっておらず、謎に包まれている。
 
 ジョーカーは慎重で警戒心が深く、よっぽどのことがない限り、人前に姿を現さない。
 
 何か行動する目的を有する時には、自らが命を削って生み出した分身である手下を駒として動かし、用事を果たす。
 
 現在、分かっていることといえば、そいつらが人間の天敵であるということくらい。
 
 ジョーカーは、人間の子供が大好物だ。
 
 昔は、よく子供がそそのかされて、奴らの餌食になっていたと聞いた。
 
 奴らは言葉巧みに子供を誘い、近付いて、そして油断させ、襲うのだ。
 
 今、僕にこうして接触しているように。
 
「僕を、探して……?」
 
 警戒しつつも、僕は目の前に現れた化け物――ジョーカーの手下と、対話を試みた。
 
[そうとも。チミを迎えに来たんだよ。さあ、ボクと一緒に行こうじゃないか、苦しみも悲しみもストレスもない、楽園のような場所へ]
 
「楽園のような……」
 
 一瞬、頭が真っ白になってしまった。
 
 苦しみも、悲しみもない楽園。
 
 今の僕には、とても行きたい、思い焦がれる、そんな場所だった。
 
[うふふ、揺れている。心が揺れているね。チミは今、とても疲れているはずだ。傷ついたチミの心を癒してくれる、そんな場所があるのなら、行ってみたいだろう?]
 
 それは、すごく思う。
 
 だが、それ以前に、疑問にも思った。
 
「でも、どうして、そんな素敵な場所に連れて行ってくれるジョーカーを、みんな恐れるんだろう」
 
[そうだね、その通りだね。残念なことに、人間はファーメリーに騙だまされているのさ。ファーメリーは人間が楽をすることを由としない。だから、人間が子供の頃から張り付いて、監視して、洗脳するんだ。「ジョーカーは悪い奴だ」と。ボクたちやジョーカーはファーメリーに弱いからね。ファーメリーに見張られている人間を、楽園に連れて行ってあげられないんだ。目障めざわりなファーメリーめ!]
 
 ジョーカーの声色に、憎しみがこもった。
 
 僕に対してではなく、会話の中の話題である、ファーメリーに向けて。
 
[でも、チミは大丈夫。ファーメリーの呪縛から解き放たれ、騙されていたことに気付けた賢い人間は、ボクたちと一緒に楽園に行く権利がある。さあ、共に行こうじゃないか。全ての苦しみから解き放たれた、素晴らしい世界へ!]
 
 歓喜にあふれた不気味な表情で、ジョーカーの手下は演技過剰に言う。
 
 だが、その高揚する相手の物言いに、僕の心が動くことはなかった。
 
「いや、僕は無理だよ」
 
[なぜ?]
 
「だって、僕、ファーメリーに騙されていたわけじゃないし、自分のファーメリーにすら会ったことがないんだから。洗脳される以前の問題だ。そんな僕には、楽園へ行く資格なんてないんだよ」
 
 僕が気持ちを伝えると、ジョーカーの手下の表情が、みるみる歪んだ。
 
 影を落とし、深い彫りが顔中に現れる。
 
[グダグタとゴタク並べてないで、来いっつったら、来りゃいいんだよ、このクソガキが!]
 
 ジョーカーの手下の態度が変わった。
 
 本性を出した、というべきか。
 
[テメーの不幸話なんか知るか、こっちはファーメリーを連れてない、襲いやすいガキを見つけたらさらってくる。それだけのために、日々生きてんだよ!]
 
 ドスの利いた声。
 
 僕の胸倉を掴んで、怒鳴りつけてくる。
 
「何だよ。楽園なんて、嘘だったのか?」
 
 僕は呆れ混じりに言ってやった。
 
 内心は、怖くて怖くて、たまらなかったけれど。
 
 そんな気持ちを、なるべく悟られないように、頑張って平常心を保った。
 
[嘘なんて、吐ついちゃいないさ。ボクたちは、チミたちを楽園へと連れていく。苦しみも痛みもない、素敵な場所へ。ただし、その場所を幸せと感じられるかどうかは、保証できないけれど]
 
 ジョーカーの手下は、少し冷静を取り戻したらしく、元の口調に戻った。
 
 屁理屈じみた、僕を小馬鹿にした物言いだった。
 
[どのみち、チミに拒む権利はない。力ずくでも連れていくよ]
 
「僕は、二度と会えなくたって、ファーメリーを信じている。ファーメリーを信じる僕自身を、信じているんだ。僕はファーメリーが人間を騙すなんて思わない。ファーメリーを敵視して、悪く貶けなす奴は許さない!」
 
 僕は素早く相手の手をふりほどき、地面に重心をかけた。
 
 そして、ジョーカーの手下の身体を、一気に押し倒す。
 
 油断していたのだろう。体のバランスを保てなかったジョーカーの手下は、仰向けに地面に倒れ込んだ。
 
[のああっ! てめえ、何しやがる! 起こせ、起こせよ!]
 
 起こせ、と言わせて起こすほど、僕は馬鹿ではない。
 
 あの平べったい身体だ。一人で起きあがるなんて、至難の業だろう。
 
 奴がじたばたしている隙に、僕は逃げ出した。
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