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夜天の主 編
黒剣:夜天
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三皇の襲撃から一夜明けた昼。
工房のど真ん中に敷かれた布の上に包帯でぐるぐる巻きにされた狼が荒い息で横たわっている。
「峠は越えたけど……どこまで回復するかは何とも言えないね」
タマモに連れてこられたアヴァロン随一の若い名医が首を横に降る。
「先生、ありがとうございます」
「白龍皇と遭遇して生き延びただけでも奇跡なんだけどね。でも、被害者からすればそういう問題じゃあないんだよね」
ごめんね、と言い残して名医は工房を出て行く。入れ替わりにタマモが顔を覗かせる。
「今回の件はウチらの不手際や。あちらさんにコウイチの事が知られとるとは思わなんだ。本当にこの通りや」
タマモは深々と頭を下げた。
「タマモさん、頭を上げてください。相手が相手なんです。こうなる可能性は前提だったはずです」
荒い呼吸を繰り返すハクの頭を優しく撫でるコウイチは、自分の覚悟の足りなさにやり場のない怒りに苛まれていた。
「つまり、今回の件でアヴァロン側に内通者がいる、って事が分かった訳ですね」
今は他のことを考えていないと心が何かよく分からないものに支配されてしまいそうな気がして、コウイチは無理やり話を進めて行く。
「それに関してはーー」
「僕が進捗を説明させてもらうよ」
澄んだ男の声がタマモの言葉を遮った。声が聞こえた玄関の方を全員が工房から顔を覗かせた。
そこには右目にモノクルを掛けた赤いロングコートの怪しげな男が立っていた。
「なんや、ウー君やないか。ミドの阿保はどうしたん?」
「タマモさん、何度も言っていますがウー君と呼ぶのはやめて下さい」
「お前、どの立場でウチの五文字以上の名前を呼べと強要しとるんや。四つくらいにまた引き裂いたろか?」
タマモが目を細めて睨むとウー君と呼ばれた男は苦笑しつつ深い溜息と一緒に肩を落とした。
「……もうそれでいいです。こほん、改めましてーー」
「短く話すんやで? 分かっとるな? 長いとブツ切りコースやからね?」
「……僕の名前はウロボロスです。どういう存在かは……ブツ切りは嫌ですので追い追い機会があれば。タマモさんの傘下で色々と情報収集をメインで活動しています。今日はミドさん……ミドガルズオルムさんが手が離せないので」
「ほう、あの阿呆、どこで油売っとるん? ちょっと長い名前鬱陶しいんちゃう?」
「ミドガ……ミドさんは、今は冒険者ギルド本部で聞き取り調査を行なっています」
ウロボロスはタマモに一つ頷いてから、
「コウイチさんの情報を漏らしたのは恐らく冒険者ギルドの上層部で間違いありません」
きっぱりと言い切った。
コウイチの脳裏にふと浮かんだのはメアリの顔だった。が、
「コウイチさん、安心して下さい。メアリさんではありません。彼女は貴方の能力に関して一切ギルドに報告していませんでしたから」
ウロボロスの言葉にコウイチはほっと胸を撫で下ろした。
「今のところ特定にまで至っていませんが新型魔力融合炉の計画を知っている者の誰か。容疑者は50人にまで絞り込めていますので時間の問題かと」
「50人……単独なんか、組織的なんか、どちらのせよ邪魔モンは例外なく全員排除や。それで、ウチんとこの子らは問題あらへんねんな?」
「ええ。僕やミドさんの配下は全員呪詛で縛っていますから僕たちに対して悪意を抱いた時点で死ぬようにしていますからね。ああ、一応勘違いされないように言っておきますが、その呪詛は彼らが望んで受け入れているのであって、僕たちは一切強要していないという事だけはご理解ください」
「自分のフォローなんてせんでええよ。したところで見た目からして怪しいんやし。なあ?」
タマモが、その場にいたコウイチ、アイリス、医者に同意を求めると一同は一斉に頷いた。
「え、ええぇ!? どこが怪しいんですか!?」
「「「赤いロングコート」」」
「カッコいいじゃないですか! 昔に赤いロングコートに銀色の銃を持った主人公が活躍する漫画とかあったくらいですし!」
「「「モノクル」」」
「知的な感じしません? 老人紳士の方がモノクルしてる姿って超カッコいいじゃないですか!?」
「混ぜるな危険」
「…………」
コウイチのトドメの言葉にウロボロスは膝を抱えて落ち込んでしまった。
赤いロングコートに銃というは、着る人によってはカッコいいと思う。
老人紳士がモノクルを掛けている姿はイメージするだけでも映える。
しかし、安っぽい詐欺師風な軽い印象を受けるウロボロスの見た目に異なる方向性の二種類を足したら……胡散臭さが倍増しているだけである。
ウロボロス。輪廻転生だかの凄い蛇だっけ? 恐らく、目の前にいるのは超常的な存在であるのだろうはずなのに、コウイチの心中はただただ残念な気持ちだった。
「……ならサングラスでも掛けておこうかな」
「それは絶対にダメ!」
絶対、怒られるから!?
「そんで工房連中は問題あらへんの?」
「あるはずないですよ。タマモさんの配下は全員、タマモさんの為に命を捨てる覚悟で貴方の無茶に付き合っているんですから」
===========================
ハクが目を覚ますと窓から月の光が注ぐ静かな夜だった。
頭を上げると上に乗せられていた手がずるりと滑り落ちた。それは傍で胡座をかいて座っていたコウイチの手だ。
コウイチは静かに寝息を立てている。
どれくらい眠っていたのだろう?
ハクは痛む身体にムチを打って立ち上がり、人化の法で少女の姿になってからコウイチの腕の中に崩れ落ちる。膝に頭を預けて愛おしい人の寝顔を見上げる。
少し目線が違う。
少し手足の長さが違う。
少しコウイチから感じる暖かさの広さが違う。
少しだけ成長した自分を感じる。
コウイチを守るためにハクは少しだけ成長した。
コウイチを他の誰にも渡さないためにまずは少しだけ身体を成長させた。
幼い姿のままではコウイチに子供扱いされるだけだから少しだけ成長させた。
アイリスやメアリと同じくらいにまで成長することも出来たけれど、それだとキャラが被るから負けてしまうかもしれない。だから、幼いハクよりは大きくなって、アイリスやメアリよりは幼い感じに成長した。
真神、神さまだからこれくらい余裕。
(コウイチはハクだけのもの)
コウイチの匂いは落ち着く。それは麻薬のようにハクの身体を襲う痛みを和らげてくれる。
「んっ……? あれ、ハ、ク?」
薄く目を開けたコウイチが覚束ない感じで虚空に手を伸ばした。
ハクがコウイチの手を握り、指と指をしっかり絡めて繋ぐ。
「ハクはここだよ」
コウイチの視線が下がり、彼の二つの目から涙が流れた。
「ハク、良かった」
繋ぎ合わせていないもう片方の腕が背中に回され優しく撫でてくれる。
痛みがまた消えた気がする。
「ありがとうな、ハク。俺みたいなのを守ってくれて」
「ううん、ハクはコウイチを守るためにいるんだから平気だよ! 次はあんなヤツ倒してやるんだから!?」
ハクも空いているもう片方の手をコウイチの腰に回した。
「そりゃ頼もしい。でも、今回みたいな無茶だけはしないでくれよ」
「うん、わかった」
ハクはすりすりとマーキングをするようにコウイチのお腹に顔を擦り付ける。
「ところで、ハクさんや?」
「なぁに、コウイチ?」
まじまじとこちらを上から下まで見回すようにして視線を動かしてから、
「なんか、ちょっと大きくなってません?」
「ハク、頑張った!」
「そ、そうか、頑張ったのか」
「ハク、もう我慢しないよ!」
「ん、んんっ!?」
「ハクはね! コウイチがだぁいすき!!」
他の女になんて絶対に渡さない!
******************
この時、私は思いもしなかった。
一年後の今日という日に、終わりの見えない長きに渡る壮絶な正妻戦争が勃発するなんて……それも相手はアイリスとメアリ以外に###が加わるなんて。
******************
しばらくの間、コウイチの腕の中で眠っていたハクは明け方なって思い出したかのように重い瞼を押し上げる。
「……忘れ、てた。起きて、コウイチ」
ゆさゆさとハクがコウイチの薄っぺらな胸板を押すと、
「ん? ハク、どした? 傷が痛むのか?」
「ううん、傷は平気」
強がりなんかじゃなく、本当に傷の具合は良いのだ。痛みは全く無く、少し身体が動かし難いくらい。コウイチと触れ合っていると不思議なくらいに調子が良くなっていく。
恐らく、
真神の力。
想いの力。
愛。
って、今はそうじゃなくって、
「あのね、あのね。ハク、アメノマに会ったの」
「アメノマって……誰だっけ?」
「コウイチ……」
「そんな目で見るのやめて! アメノマってあれだろ。俺たちを助けてくれた神さまだろ?」
「うん、そのアメノマからコウイチプレゼント」
ハクは右手を宙に伸ばす。右手首までを神格化させて空間の狭間に手を突っ込んだ。
空間という壁の一枚向こう側。生命は触れることはできず、そもそも知覚することさえ叶わない神の領域。そこにハクが真神の力を使って作った小さな世界からソレを引っこ抜いた。
「あっ」
空間の狭間から銀色の神剣を引き抜いた際、思っていたよりも重く、ハクは手を滑らせて床に落としてしまう。
すっ、と銀色の刀身は音もなく根元まで床に突き刺さってしまった。
「ハクさんや」
「…………」
「この非常にヤバい剣なんですか?」
「アメノマに貰った」
「これで魔王でも倒せって?」
「んー、なんかね。中身は空っぽだから好きに使えってさ。器って言ってた」
=========================
翌朝、ハクは何事もなかったかのように完全復活を果たした。タマモやアイリスに連絡を入れ、血相を変えて駆け付けた名医はただただ驚いていた。
そして今抱えている問題は銀色の神剣。
どういう原理かは不明だがハクがアメノマから託された銀色の神剣は、アヴァロンで手に入る金属とは異なる未知の物質で出来ていた。
魔鉱鉄さえも紙切れのように切り裂く、とんでもなくヤバイ代物。
中身は空っぽ。その意味はすぐに分かった。
これは純粋な金属の剣で、何一つ付与されていない。
空っぽの器。
アメノマが託し、コウイチが理解できる範疇にあるものーー晶石鍛治。晶石と鉱石の融合だ。
それも超高難度を要求されている。
試してみたが銀色の神剣はコウイチの能力では形状を変化させる事が出来なかった。今までのように金属板を作り、叩いて折り曲げて、また叩く。それを繰り返して晶石を金属に落とし込んでいたが、それが通用しない。
部屋の隅にある椅子から退屈そうに眺めていたタマモが口元を吊り上げた。
「形を変えずに晶石の性質だけを移し替える。ふふふ、そらあもう鍛治やのうて錬金術とちゃうか?」
「やっぱそう思います? でも、アメノマが寄越したってことは俺でどうにかできるってことなんだろうな」
「これってそのままじゃダメなの? 私、これ結構使いやすいんだけど」
白龍皇に剣を破壊されてしまったアイリスがブンブンと物騒な神剣で素振りする。若干、物欲しそうな視線をこちらに向けているのは……気のせいということにしておく。
「まあ、やってみるしかないか。それの素材になってくれそうなヤツが早くしろって急かして来てる感があるしな。なあ、クロ」
コウイチは壁に立て掛けてある黒剣に視線をやる。
黒剣から禍々しいくらいのドス黒い魔力が絶賛放出中だ。白龍皇が襲撃してからある程度は常に放出されていたが、ハクが銀色の神剣をこっち側に引き抜いてからは放出する魔力量が一気に跳ね上がっていた。
方法が分からないーー訳ではなかった。漠然としているが晶石の性質だけを他の物質に移し替える方法はある。
晶鋼を作る時、必ず“同じ形状の板”を用意しないと性質を写せなかった。金槌で物理的に叩いて伸ばし折りたたんでまた叩く。この行為は能力を使いこなせていない為の代替手段なのだと思う。
晶石鍛治EXの能力をフル活用出来れば、金槌で叩かなくても性質を写せるはず。
その夜からコウイチは工房に篭り始めた。
銀色の神剣の形状を変化させることは出来ない。
黒剣クロの形状を変化させることは出来る。
まずコウイチは銀色の神剣を手にとり、全長、厚み、重さ、細部に至る装飾までを紙に書き起こしていく。下手くそな絵だが、何度も何度も書いて記憶に焼き付けていく。
剣も紙も見ずに神剣をイメージ出来るようになるまで3日かかった。細部の装飾までイメージに起こせるようになるまでは更に一週間かかった。
そして1日の休養を取ってから黒剣の形状の変化に取り掛かった。慎重に形をイメージしていく。
ーー、
ーーー、
ーーーー、
ーーーーー、
生きていく必要最低限以外の時間を全て注ぎ込む。寝るときは倒れる時と決め、起きて倒れてを繰り返し続けた。
ハクは工房のある一軒家の前に座り込んで待ち続けた。
そして一ヶ月が経った頃、開かずの扉が開いた。
「コウイチっ!?」
目元に深いクマ。ボサボサの髪。口元を覆う長い髭。鼻が曲がりそうな臭い。お世辞にも清潔感のカケラもない格好をしているが、間違いなくコウイチだった。
「出来たぜ、ハク」
コウイチが夜空を思わせるようなキラキラと黒銀色に輝く剣を見せつけた。
ーーその後、黒剣:夜天と名付けられ、色々な理由があってアイリスの相棒となる世界最強の剣の誕生だ。
工房のど真ん中に敷かれた布の上に包帯でぐるぐる巻きにされた狼が荒い息で横たわっている。
「峠は越えたけど……どこまで回復するかは何とも言えないね」
タマモに連れてこられたアヴァロン随一の若い名医が首を横に降る。
「先生、ありがとうございます」
「白龍皇と遭遇して生き延びただけでも奇跡なんだけどね。でも、被害者からすればそういう問題じゃあないんだよね」
ごめんね、と言い残して名医は工房を出て行く。入れ替わりにタマモが顔を覗かせる。
「今回の件はウチらの不手際や。あちらさんにコウイチの事が知られとるとは思わなんだ。本当にこの通りや」
タマモは深々と頭を下げた。
「タマモさん、頭を上げてください。相手が相手なんです。こうなる可能性は前提だったはずです」
荒い呼吸を繰り返すハクの頭を優しく撫でるコウイチは、自分の覚悟の足りなさにやり場のない怒りに苛まれていた。
「つまり、今回の件でアヴァロン側に内通者がいる、って事が分かった訳ですね」
今は他のことを考えていないと心が何かよく分からないものに支配されてしまいそうな気がして、コウイチは無理やり話を進めて行く。
「それに関してはーー」
「僕が進捗を説明させてもらうよ」
澄んだ男の声がタマモの言葉を遮った。声が聞こえた玄関の方を全員が工房から顔を覗かせた。
そこには右目にモノクルを掛けた赤いロングコートの怪しげな男が立っていた。
「なんや、ウー君やないか。ミドの阿保はどうしたん?」
「タマモさん、何度も言っていますがウー君と呼ぶのはやめて下さい」
「お前、どの立場でウチの五文字以上の名前を呼べと強要しとるんや。四つくらいにまた引き裂いたろか?」
タマモが目を細めて睨むとウー君と呼ばれた男は苦笑しつつ深い溜息と一緒に肩を落とした。
「……もうそれでいいです。こほん、改めましてーー」
「短く話すんやで? 分かっとるな? 長いとブツ切りコースやからね?」
「……僕の名前はウロボロスです。どういう存在かは……ブツ切りは嫌ですので追い追い機会があれば。タマモさんの傘下で色々と情報収集をメインで活動しています。今日はミドさん……ミドガルズオルムさんが手が離せないので」
「ほう、あの阿呆、どこで油売っとるん? ちょっと長い名前鬱陶しいんちゃう?」
「ミドガ……ミドさんは、今は冒険者ギルド本部で聞き取り調査を行なっています」
ウロボロスはタマモに一つ頷いてから、
「コウイチさんの情報を漏らしたのは恐らく冒険者ギルドの上層部で間違いありません」
きっぱりと言い切った。
コウイチの脳裏にふと浮かんだのはメアリの顔だった。が、
「コウイチさん、安心して下さい。メアリさんではありません。彼女は貴方の能力に関して一切ギルドに報告していませんでしたから」
ウロボロスの言葉にコウイチはほっと胸を撫で下ろした。
「今のところ特定にまで至っていませんが新型魔力融合炉の計画を知っている者の誰か。容疑者は50人にまで絞り込めていますので時間の問題かと」
「50人……単独なんか、組織的なんか、どちらのせよ邪魔モンは例外なく全員排除や。それで、ウチんとこの子らは問題あらへんねんな?」
「ええ。僕やミドさんの配下は全員呪詛で縛っていますから僕たちに対して悪意を抱いた時点で死ぬようにしていますからね。ああ、一応勘違いされないように言っておきますが、その呪詛は彼らが望んで受け入れているのであって、僕たちは一切強要していないという事だけはご理解ください」
「自分のフォローなんてせんでええよ。したところで見た目からして怪しいんやし。なあ?」
タマモが、その場にいたコウイチ、アイリス、医者に同意を求めると一同は一斉に頷いた。
「え、ええぇ!? どこが怪しいんですか!?」
「「「赤いロングコート」」」
「カッコいいじゃないですか! 昔に赤いロングコートに銀色の銃を持った主人公が活躍する漫画とかあったくらいですし!」
「「「モノクル」」」
「知的な感じしません? 老人紳士の方がモノクルしてる姿って超カッコいいじゃないですか!?」
「混ぜるな危険」
「…………」
コウイチのトドメの言葉にウロボロスは膝を抱えて落ち込んでしまった。
赤いロングコートに銃というは、着る人によってはカッコいいと思う。
老人紳士がモノクルを掛けている姿はイメージするだけでも映える。
しかし、安っぽい詐欺師風な軽い印象を受けるウロボロスの見た目に異なる方向性の二種類を足したら……胡散臭さが倍増しているだけである。
ウロボロス。輪廻転生だかの凄い蛇だっけ? 恐らく、目の前にいるのは超常的な存在であるのだろうはずなのに、コウイチの心中はただただ残念な気持ちだった。
「……ならサングラスでも掛けておこうかな」
「それは絶対にダメ!」
絶対、怒られるから!?
「そんで工房連中は問題あらへんの?」
「あるはずないですよ。タマモさんの配下は全員、タマモさんの為に命を捨てる覚悟で貴方の無茶に付き合っているんですから」
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ハクが目を覚ますと窓から月の光が注ぐ静かな夜だった。
頭を上げると上に乗せられていた手がずるりと滑り落ちた。それは傍で胡座をかいて座っていたコウイチの手だ。
コウイチは静かに寝息を立てている。
どれくらい眠っていたのだろう?
ハクは痛む身体にムチを打って立ち上がり、人化の法で少女の姿になってからコウイチの腕の中に崩れ落ちる。膝に頭を預けて愛おしい人の寝顔を見上げる。
少し目線が違う。
少し手足の長さが違う。
少しコウイチから感じる暖かさの広さが違う。
少しだけ成長した自分を感じる。
コウイチを守るためにハクは少しだけ成長した。
コウイチを他の誰にも渡さないためにまずは少しだけ身体を成長させた。
幼い姿のままではコウイチに子供扱いされるだけだから少しだけ成長させた。
アイリスやメアリと同じくらいにまで成長することも出来たけれど、それだとキャラが被るから負けてしまうかもしれない。だから、幼いハクよりは大きくなって、アイリスやメアリよりは幼い感じに成長した。
真神、神さまだからこれくらい余裕。
(コウイチはハクだけのもの)
コウイチの匂いは落ち着く。それは麻薬のようにハクの身体を襲う痛みを和らげてくれる。
「んっ……? あれ、ハ、ク?」
薄く目を開けたコウイチが覚束ない感じで虚空に手を伸ばした。
ハクがコウイチの手を握り、指と指をしっかり絡めて繋ぐ。
「ハクはここだよ」
コウイチの視線が下がり、彼の二つの目から涙が流れた。
「ハク、良かった」
繋ぎ合わせていないもう片方の腕が背中に回され優しく撫でてくれる。
痛みがまた消えた気がする。
「ありがとうな、ハク。俺みたいなのを守ってくれて」
「ううん、ハクはコウイチを守るためにいるんだから平気だよ! 次はあんなヤツ倒してやるんだから!?」
ハクも空いているもう片方の手をコウイチの腰に回した。
「そりゃ頼もしい。でも、今回みたいな無茶だけはしないでくれよ」
「うん、わかった」
ハクはすりすりとマーキングをするようにコウイチのお腹に顔を擦り付ける。
「ところで、ハクさんや?」
「なぁに、コウイチ?」
まじまじとこちらを上から下まで見回すようにして視線を動かしてから、
「なんか、ちょっと大きくなってません?」
「ハク、頑張った!」
「そ、そうか、頑張ったのか」
「ハク、もう我慢しないよ!」
「ん、んんっ!?」
「ハクはね! コウイチがだぁいすき!!」
他の女になんて絶対に渡さない!
******************
この時、私は思いもしなかった。
一年後の今日という日に、終わりの見えない長きに渡る壮絶な正妻戦争が勃発するなんて……それも相手はアイリスとメアリ以外に###が加わるなんて。
******************
しばらくの間、コウイチの腕の中で眠っていたハクは明け方なって思い出したかのように重い瞼を押し上げる。
「……忘れ、てた。起きて、コウイチ」
ゆさゆさとハクがコウイチの薄っぺらな胸板を押すと、
「ん? ハク、どした? 傷が痛むのか?」
「ううん、傷は平気」
強がりなんかじゃなく、本当に傷の具合は良いのだ。痛みは全く無く、少し身体が動かし難いくらい。コウイチと触れ合っていると不思議なくらいに調子が良くなっていく。
恐らく、
真神の力。
想いの力。
愛。
って、今はそうじゃなくって、
「あのね、あのね。ハク、アメノマに会ったの」
「アメノマって……誰だっけ?」
「コウイチ……」
「そんな目で見るのやめて! アメノマってあれだろ。俺たちを助けてくれた神さまだろ?」
「うん、そのアメノマからコウイチプレゼント」
ハクは右手を宙に伸ばす。右手首までを神格化させて空間の狭間に手を突っ込んだ。
空間という壁の一枚向こう側。生命は触れることはできず、そもそも知覚することさえ叶わない神の領域。そこにハクが真神の力を使って作った小さな世界からソレを引っこ抜いた。
「あっ」
空間の狭間から銀色の神剣を引き抜いた際、思っていたよりも重く、ハクは手を滑らせて床に落としてしまう。
すっ、と銀色の刀身は音もなく根元まで床に突き刺さってしまった。
「ハクさんや」
「…………」
「この非常にヤバい剣なんですか?」
「アメノマに貰った」
「これで魔王でも倒せって?」
「んー、なんかね。中身は空っぽだから好きに使えってさ。器って言ってた」
=========================
翌朝、ハクは何事もなかったかのように完全復活を果たした。タマモやアイリスに連絡を入れ、血相を変えて駆け付けた名医はただただ驚いていた。
そして今抱えている問題は銀色の神剣。
どういう原理かは不明だがハクがアメノマから託された銀色の神剣は、アヴァロンで手に入る金属とは異なる未知の物質で出来ていた。
魔鉱鉄さえも紙切れのように切り裂く、とんでもなくヤバイ代物。
中身は空っぽ。その意味はすぐに分かった。
これは純粋な金属の剣で、何一つ付与されていない。
空っぽの器。
アメノマが託し、コウイチが理解できる範疇にあるものーー晶石鍛治。晶石と鉱石の融合だ。
それも超高難度を要求されている。
試してみたが銀色の神剣はコウイチの能力では形状を変化させる事が出来なかった。今までのように金属板を作り、叩いて折り曲げて、また叩く。それを繰り返して晶石を金属に落とし込んでいたが、それが通用しない。
部屋の隅にある椅子から退屈そうに眺めていたタマモが口元を吊り上げた。
「形を変えずに晶石の性質だけを移し替える。ふふふ、そらあもう鍛治やのうて錬金術とちゃうか?」
「やっぱそう思います? でも、アメノマが寄越したってことは俺でどうにかできるってことなんだろうな」
「これってそのままじゃダメなの? 私、これ結構使いやすいんだけど」
白龍皇に剣を破壊されてしまったアイリスがブンブンと物騒な神剣で素振りする。若干、物欲しそうな視線をこちらに向けているのは……気のせいということにしておく。
「まあ、やってみるしかないか。それの素材になってくれそうなヤツが早くしろって急かして来てる感があるしな。なあ、クロ」
コウイチは壁に立て掛けてある黒剣に視線をやる。
黒剣から禍々しいくらいのドス黒い魔力が絶賛放出中だ。白龍皇が襲撃してからある程度は常に放出されていたが、ハクが銀色の神剣をこっち側に引き抜いてからは放出する魔力量が一気に跳ね上がっていた。
方法が分からないーー訳ではなかった。漠然としているが晶石の性質だけを他の物質に移し替える方法はある。
晶鋼を作る時、必ず“同じ形状の板”を用意しないと性質を写せなかった。金槌で物理的に叩いて伸ばし折りたたんでまた叩く。この行為は能力を使いこなせていない為の代替手段なのだと思う。
晶石鍛治EXの能力をフル活用出来れば、金槌で叩かなくても性質を写せるはず。
その夜からコウイチは工房に篭り始めた。
銀色の神剣の形状を変化させることは出来ない。
黒剣クロの形状を変化させることは出来る。
まずコウイチは銀色の神剣を手にとり、全長、厚み、重さ、細部に至る装飾までを紙に書き起こしていく。下手くそな絵だが、何度も何度も書いて記憶に焼き付けていく。
剣も紙も見ずに神剣をイメージ出来るようになるまで3日かかった。細部の装飾までイメージに起こせるようになるまでは更に一週間かかった。
そして1日の休養を取ってから黒剣の形状の変化に取り掛かった。慎重に形をイメージしていく。
ーー、
ーーー、
ーーーー、
ーーーーー、
生きていく必要最低限以外の時間を全て注ぎ込む。寝るときは倒れる時と決め、起きて倒れてを繰り返し続けた。
ハクは工房のある一軒家の前に座り込んで待ち続けた。
そして一ヶ月が経った頃、開かずの扉が開いた。
「コウイチっ!?」
目元に深いクマ。ボサボサの髪。口元を覆う長い髭。鼻が曲がりそうな臭い。お世辞にも清潔感のカケラもない格好をしているが、間違いなくコウイチだった。
「出来たぜ、ハク」
コウイチが夜空を思わせるようなキラキラと黒銀色に輝く剣を見せつけた。
ーーその後、黒剣:夜天と名付けられ、色々な理由があってアイリスの相棒となる世界最強の剣の誕生だ。
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【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に二週目の人生を頑張ります
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俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。
なのに俺は、気付いたら五歳の子供になっていた。いや、正確に言うと、五歳の時に危うく死に掛けて、その弾みで思い出したんだ。<前世の記憶>ってやつを。
今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。
しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。
今世では結婚はまだだったものの、一応、前世では結婚もして子供もいたから何とかなるかと思ったら、俺は育児を女房に任せっきりでほとんど何も知らなかったことに愕然とする。
とは言え、前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に、何とかしようと思ったのだった。
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