【完結】それは忌み嫌うべきものである

にのまえ

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熱*

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 もともと色白な肌が病んだように白い。
「……大丈夫ですか?」
「え? あ。ああ」
「学園祭、九条さん忙しそうでしたもんね」
 九条は曖昧に頷きながらコートを脱いだ。桜ヶ丘の生徒会室にはふたりしかいない。
 つい先週、ニコラオスの学園祭が終わった。前回と比べ気温が低くなったのは助かったが、季節柄風も強く他校というプレッシャーも重い。柳は桜ヶ丘の出展で頭がいっぱいで、九条と話す機会も少なかった。
 気づけば学園祭が終わっていて、街路樹は葉を落としている。時間を飛び越えたような心地だ。
「俺のときは臨時の会長だったからみんなが分担してくれたからな……。お疲れ様です。やっぱり本当の会長は疲れたみたいですね」
「ああ……」
「九条さん?」
 反応の薄い相手に柳は困惑の目を向けた。
 肩書の順番で責任者になった、まだ二年の副会長。周りにフォローされてどうにか学園祭を終えた柳とは違い、九条は経験豊富な生徒会長だ。もちろん頼られるし責任も重い。学祭準備期間中、彼が疲れた様子なのに心配はあっても疑問はなかった。
 けれどもう、すべて終わって一週間だ。なのに九条はより一層疲れて見える。
「……生徒会は引退しましたよね。なら……受験勉強が厳しいですか?」
 原因はそれしかないと話を向けると、九条はいかにも不愉快そうに顔を歪めた。
「お前までその話をするなよ。……違う。八つ当たりだ。悪い。もう毎日毎日言われてて」
「言われてるって何を?」
「受験しろって」
 なんてことないようにボヤきながら九条がソファーの隣へやってくる。柳はただ瞬いた。
「……え? 受験しろって……九条さんは進学予定でしょう?」
「お前にそう言ったか?」
「でもニコラオスはほとんど進学するじゃないですか」
 都心の私立の進学校。調べたわけではないが、就職する生徒は一割もいないはずだ。九条は世を拗ねていた一時を除き勉強にも熱心だったので、彼の進路を疑ったことはなかった。
 九条はだるそうに背もたれへ寄りかかる。
「そうだったけどやめたんだ。俺はどこも受験しない」
「この時期に進路を変えたんですか!? え、ええ!? どういうことですか!」
「だから……俺はお前とそういうことになっただろう。しゅ、宗教的に良くないあれやこれやに。その状態で、今現在ニコラオスに通っているのはともかく、親に世話されるの前提で進学するのは正しくない」
「それは……」
 甘えのない選択は割り切り過ぎていると感じたが、家に根を張る信仰心や、彼自身が戒律を破っている罪悪感を思うと口を挟めない。彼がそう感じるのなら、その選択も仕方ないのだろうか。
「…………」
 今はまだ距離を取るほうが落ち着けるのかもしれない。そう一応理解した顔で頷いて、それから問う。
「じゃあ就職する……ということですか?」
「いや、浪人する」
「浪人」
「勉強したいからな。一年死ぬ気で学費を貯めて、学校で習ったことを忘れないうちに受験する。奨学金を取れたら助かるんだけど、そこはまだ調べてる最中だ」
「それは……先生に色々言われるんじゃ」
「だから言われてんだっての!」
 失敗しての選択ならまだしも、浪人前提の進路なんて理解されないだろう。試験をボイコットする手もあるが、私立校に通うほど余裕のある家で奨学金をもらう方法は教師に聞かなくては調べにくい。
 そりゃあ疲れているのも当然だ、と柳は小さく息を吐いた。性指向に関わる部分が言えないとしたら、もうすべてを有耶無耶に誤魔化すしかない。
「だから頻繁に先生に呼ばれてたんですね」
 学園祭準備中よく席を外していた様子を思いながら言えば、九条は苦々しく頷いた。三年の秋となれば受験は今日明日のことだ。急に進路を変えた九条に教師も焦っていたのだろう。
「面談に次ぐ面談だ。しかも歴代の担任から学年主任から、校長まで出てきて膝詰め説得だよ。警察の取り調べだってもっと穏やかだろうよ」
 疲れ切ってぼやく九条に、学園祭が終わってもまだ疲労の濃い理由はわかった。
 学校には申し訳ないが、彼の選択は理解できる。けれど他の人間はどうだろう。
「……ご両親はなんて?」
 九条は少しの間逡巡してから、投げ出すように答えた。
「『主はあなたの行くのも帰るのも守ってくださる』」
「それは……宗教、というか、神の言葉ですか?」
「ああ。好きにしろってことを聖書から引用して言う、そういう家だ」
「…………」
「……価値観の土台が、なんていうか、みんなと根本から違うんだよ。学歴とか将来とかそういう捉え方はしてないんだ。浮世離れしてるんだろうな。先生方の反応を見てそう思った」
 十八歳、受験生としての一年は、今の社会ではとても重要だ。けれどその感覚が通用しない。彼の家庭は、柳というごく一般的な日本人から見て、良かれ悪しかれ特別だ。
 九条は小さな呟きを落とす。うつろな言葉に聞こえたのは疲労で肌色が白いせいだけだろうか。
「……でもきっと、お前とのことを言ったら顔色を変えるだろうな」
「無理しないでください」
「無理ってことは」
「俺は理解されたいとは考えてません。俺の気持ちを九条さんが知っていてくれたら、それで十分だ」
 九条本人だけが理解してくれたらいい。その思いを込めて手を握ると、九条は緩く握り返してきた。
「…………」
 九条は意固地な性格だ。教師陣の苦労には申し訳ないが、彼の進路は彼の考える通りになるだろう。難しい道のりだと思う。自分が大きく関与した選択だ。けれどごめんなさいは絶対に違う。
「好きです」
「うん」
 伝わっている、と柳自身にも伝わった。にらむように見てきた九条の瞳が、何を求めているのかもわかる。
 手をつないだまま顔を寄せる。ギリギリまで閉じないヘーゼル色を覗き込みながら唇同士を触れ合わせた。二度、三度と重ねても、柔らかいその感触には慣れない。いつまでも心地良い。
「……綺麗だったな、気球」
 キスの合間に吐息が囁く。
 ニコラオスでの火はまだ記憶に新しい。柳は笑って頷いた。
「そうですね」
「…………」
「……九条さん?」
 顎を引いた顔つきが不満げで、柳も同じく体を引きながら尋ねる。
「どうしました?」
「……俺は三ヶ月礼拝に行ってない」
「はあ」
 三ヶ月前となると桜ヶ丘の学園祭時期だ。ふたりがそういう関係になってから、だろう。気持ちの整理もついてないだろうし不思議はない。
「そうなんですか」
「……お前……だから……、わかんねえか?」
 不愉快というより困惑の顔に言われ、柳はきょとんと見返してしまった。わからない、と表情がつたえてくれただろう。
「だから、お前……、だからさ……」
 柳は彼の手を握ったまま答えを待った。九条は長いこと迷っていたが、握りあった手のひらを居心地悪そうに動かしつつ、ぼそぼそと答えた。
「だから、その……要約すると、俺はもう、自分をクリスチャンだと思ってない」
「はい」
「……同性の、……そういう、ことを、しないでいようとは思ってない」
「そういうこと……」
 ようやくと九条の言いたいことがわかった。
 伝染するように真っ赤になった柳を、耳まで赤くした九条が責めるように叩いた。じゃれる手付きだが若干本気だ。少し痛い。
 にらむような瞳。子供のように表情豊かなその視線は誘う眼差しとはまったく違うのに、柳はドキドキする。不満げな顔が色っぽく見える。
 けれどならばと身を乗り出したりはできない。
「……俺は、卒業するまで我慢するつもりだったんですけど」
「はあ!? 再来年か!?」
「九条さんが卒業するまでです! だって、が、学校で目にするでしょう……!」
 三年に上がって受験が本格化し、宗教授業はなくなったはずだが、信仰深い学校だ。キリスト教、その神の存在はそこかしこにあるだろう。
 待つのが楽しいとは言わないが、相手の抱く葛藤を思えば耐えられる。
「……っそれは、お前、それは……」
 九条は一瞬驚いたように口を噤んだが、俯き、駄々をこねるように訴えた。
「……そ、それがお前の気遣いだとはわかるけど! 俺はもう疲れ切ってんだよ! あちこちで色々言われて、説明もできないし……!」
「それはわかってます」
 家に帰ったらそこにある信仰心が、学校に通えば教師からの圧力が九条を責める。柳とのことを言えるほど開き直れてもいない。
 求めているのはそういう触れ合い自体でなく、安心なのかもしれない。柳は両手で彼の頬を包んだ。手のひらで頬を揉み、そのまま髪を撫で付ける。
「九条さん。お疲れ様です」
「……本当だよ。疲れた」
 わかりやすい慰めにも九条は抵抗しなかった。
 柳は懸命に頭をさする。何が拭い取れるわけでもないのに九条の体からは徐々に緊張が抜けていった。そのうち甘えるように肩口に顔を押し付けられる。
「……柳、でも、俺は本気だ」
「…………」
「さ、さっきのは嘘だ。してもいいっていうの」
「えっ!?」
「もっと積極的に、そういうことをしたいと思ってる……」
「……九条さん」
 何も答えないまま顔を寄せると、九条は素直に目を閉じた。何度か味わった唇が少し違う。触れ合うだけでなく、何かを求めるようにかすかに動く。
 すっかり脱力した体は背もたれから滑るように座面へと倒れた。気づかぬうちに首裏へ回っていた腕に引き寄せられ、柳は九条の上に覆い被さる。
 そのときにはもう、言葉がなくてもわかっていた。
 口付けは深くなっていく。九条の唇の中はただ熱かった。夢中で舌を絡ませると、戸惑ったような熱がそれでもぎこちなく応えてくれる。
 口内の熱に酔いながら、柳は口付けたまま囁いた。
「……今日は、これだけ」
「っおい……」
「九条さんの気持ちはわかったから。今度しましょう。……準備、してないから」
「…………。……お、……」
 柳の体を抱いたまま、九条は強く眉根を寄せた。もう相手の表情しか見えないほど密着している。顔を背けられても真っ白な首筋しか映らない。
「俺が、してる」
「…………」
「準備なら俺がしてる」
 震えた声に、もう何を求められ何を許されているかわからなくなった。
 柳は両手で九条の両手を捕まえる。頭の横へ押さえつける格好なのに、固く握り返してくる手には信頼があった。嬉しいのに、裏切って貪りたくなってしまうのはなぜだろう。
 唇がひりつくほど長く口付けた。ようやく顔を上げると、痛々しく赤らんだ九条の唇が目に入る。痛そうだ、と舌でなぞって、濡れた感触に頭がおかしくなるかと思った。もう自分の唾液か相手の唾液かもわからない。
「準備、何、したんですか?」
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