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けれど彼はじっと俺を見ている。顎先が震える程度微かに小さく首を振る。
「……駄目だ」
「そんなことない」
「今の、俺の言葉は駄目だ。違う。……違う。本心なんだ。本心だから……こんな……お前を見下してる俺は駄目だ」
「伊勢田。……見下すのとは違う。わかるだろう。違う」
友達だった。困っている友達を助けただけ、そして助けられる自分に自信を感じていただけ、それだけだ。感謝を強要したこともないし助けていると強調したこともない。心の奥の奥で何を考えていたって、それがたった一瞬通り雨のように溢れたって、長い期間の援助は消えてなくならない。
俺の言葉に伊勢田は頷く。首肯も視線も曖昧で、彼の心がここにないのがわかる。
「そう、……そうだ。ただお前はずっと……俺がいないと暮らしていけないと思って……本真とはずっと一緒にいるんだって、絶対に離れていかないんだって……」
「…………」
「……駄目だ。ちょっと……今日は外に泊まる。ルームシェアのことも、頭が冷えたら――」
「っ伊勢田!」
分岐点だ。その直感は鋭かった。
頭が冷えて話し合って、そうしたらもうルームシェアは解消するという話が進む。伊勢田は俺の成功を望んでいない自分を許せない。成功を見ていられないし、失敗を喜ぶこともしたくない。解消する以外の結論は出ない。
こんなに俊敏に動けるなんて自分でも思っていなかった。一足飛びに距離を詰めた俺は伊勢田が振り返る前にその手首を取る。半分振り返った姿勢の伊勢田とともに、勢いあまってふたりで倒れ込んでしまった。
「っ、いった……」
「行ったら駄目だ」
「んなの、お前……下にも迷惑……」
「行かないで伊勢田」
フローリングに押し倒された衝撃で一時的に混乱を忘れたらしい。マンションの騒音まで気にした伊勢田はしかし、俺の言葉にぎくりと体をこわばらせた。
友達だ。上下関係なんて作りたくない。だから金銭面で頼るのも本当は嫌だった。頼んだり、命令したり、貸し借りが出来るのは嫌だ。そう思うのに懇願の声は弱く、なのに激情に震えていて、縋り付いてしがみつくような響きになる。
「行かないで……」
「……で、……でも、俺は無理だ。仕事で上手くいくお前も、上手くいかないお前も……」
「伊勢田がマゾでも全然好きだ」
「……っは?」
「伊勢田が! 強くて偉そうで上から目線の伊勢田がマゾなの好きだ!」
「おい! 近所に聞こえる! っていうか何だよ急に、なっ、何言ってるんだよ!?」
「だって全部そういうことだろう!」
「何がだよ!?」
俺には全部明白で筋の通った理論があるのに、それを上手く言葉にできない。呻き声のような歯ぎしりのような、もどかしい気持ちが声ではなく音として喉から漏れる。
感情が言葉になる前に体が動き、俺は伊勢田のスーツのボタンを外していた。動揺している最中に押し倒されて説明がないまま服に手をかけられ、当然混乱するだろう。伊勢田の抵抗する手は、まるで夏の虫を追い払うようにめちゃくちゃに振り回すだけだった。
「おい、おい、おい待てって! ネクタイ解くな、何してるんだ!? 服を脱がせるな!」
「ッ伊勢田が、本当は全然強くなくて自信がなくて、すごいと褒められないとすごいと思えなくて……それでずっと俺に甘えてたのを、俺は知ってる」
「は?」
「他人は全員、能力や金で吸引し続けてないとどこかに行くって、自分のそばにいてくれないって、そう考えてる伊勢田を知ってる。強くもないし自信もないし、自分のことを尊敬してない。そういう伊勢田のことを知ってる」
「…………」
「マゾをしてるときの伊勢田は可愛い」
褒められたがって、叱られたがって、従うことに安心して。
伊勢田は矛盾の塊だ。優れていないと見捨てられてしまう。でも尊敬の目はいつか嘲笑になる。人の世話をする自分でいたいのに重要人物になればなるほどマイノリティーを笑われる不安が膨らむ。
思えばその性癖は日常の反動なのかもしれない。
情けない、みっともない、弱くて惨めで小さなものとして振る舞って、その姿を肯定される。優れてもいないし重要でもないのにだからこそ愛されるという安心感。ねじれた自己肯定。
強い伊勢田を知っている。弱い伊勢田を知っている。マゾの伊勢田を愛している。
「……好きだ」
「…………」
「強くなくても金を持ってなくても俺は伊勢田のことが好きだ。明日には仕事が全部駄目になって無一文かもしれない。そのとき伊勢田が俺を助けなくても俺は伊勢田のことが好きだ。だから、今金があったってもちろん伊勢田のことが好きだ」
「……っふ……」
「……駄目だ」
「そんなことない」
「今の、俺の言葉は駄目だ。違う。……違う。本心なんだ。本心だから……こんな……お前を見下してる俺は駄目だ」
「伊勢田。……見下すのとは違う。わかるだろう。違う」
友達だった。困っている友達を助けただけ、そして助けられる自分に自信を感じていただけ、それだけだ。感謝を強要したこともないし助けていると強調したこともない。心の奥の奥で何を考えていたって、それがたった一瞬通り雨のように溢れたって、長い期間の援助は消えてなくならない。
俺の言葉に伊勢田は頷く。首肯も視線も曖昧で、彼の心がここにないのがわかる。
「そう、……そうだ。ただお前はずっと……俺がいないと暮らしていけないと思って……本真とはずっと一緒にいるんだって、絶対に離れていかないんだって……」
「…………」
「……駄目だ。ちょっと……今日は外に泊まる。ルームシェアのことも、頭が冷えたら――」
「っ伊勢田!」
分岐点だ。その直感は鋭かった。
頭が冷えて話し合って、そうしたらもうルームシェアは解消するという話が進む。伊勢田は俺の成功を望んでいない自分を許せない。成功を見ていられないし、失敗を喜ぶこともしたくない。解消する以外の結論は出ない。
こんなに俊敏に動けるなんて自分でも思っていなかった。一足飛びに距離を詰めた俺は伊勢田が振り返る前にその手首を取る。半分振り返った姿勢の伊勢田とともに、勢いあまってふたりで倒れ込んでしまった。
「っ、いった……」
「行ったら駄目だ」
「んなの、お前……下にも迷惑……」
「行かないで伊勢田」
フローリングに押し倒された衝撃で一時的に混乱を忘れたらしい。マンションの騒音まで気にした伊勢田はしかし、俺の言葉にぎくりと体をこわばらせた。
友達だ。上下関係なんて作りたくない。だから金銭面で頼るのも本当は嫌だった。頼んだり、命令したり、貸し借りが出来るのは嫌だ。そう思うのに懇願の声は弱く、なのに激情に震えていて、縋り付いてしがみつくような響きになる。
「行かないで……」
「……で、……でも、俺は無理だ。仕事で上手くいくお前も、上手くいかないお前も……」
「伊勢田がマゾでも全然好きだ」
「……っは?」
「伊勢田が! 強くて偉そうで上から目線の伊勢田がマゾなの好きだ!」
「おい! 近所に聞こえる! っていうか何だよ急に、なっ、何言ってるんだよ!?」
「だって全部そういうことだろう!」
「何がだよ!?」
俺には全部明白で筋の通った理論があるのに、それを上手く言葉にできない。呻き声のような歯ぎしりのような、もどかしい気持ちが声ではなく音として喉から漏れる。
感情が言葉になる前に体が動き、俺は伊勢田のスーツのボタンを外していた。動揺している最中に押し倒されて説明がないまま服に手をかけられ、当然混乱するだろう。伊勢田の抵抗する手は、まるで夏の虫を追い払うようにめちゃくちゃに振り回すだけだった。
「おい、おい、おい待てって! ネクタイ解くな、何してるんだ!? 服を脱がせるな!」
「ッ伊勢田が、本当は全然強くなくて自信がなくて、すごいと褒められないとすごいと思えなくて……それでずっと俺に甘えてたのを、俺は知ってる」
「は?」
「他人は全員、能力や金で吸引し続けてないとどこかに行くって、自分のそばにいてくれないって、そう考えてる伊勢田を知ってる。強くもないし自信もないし、自分のことを尊敬してない。そういう伊勢田のことを知ってる」
「…………」
「マゾをしてるときの伊勢田は可愛い」
褒められたがって、叱られたがって、従うことに安心して。
伊勢田は矛盾の塊だ。優れていないと見捨てられてしまう。でも尊敬の目はいつか嘲笑になる。人の世話をする自分でいたいのに重要人物になればなるほどマイノリティーを笑われる不安が膨らむ。
思えばその性癖は日常の反動なのかもしれない。
情けない、みっともない、弱くて惨めで小さなものとして振る舞って、その姿を肯定される。優れてもいないし重要でもないのにだからこそ愛されるという安心感。ねじれた自己肯定。
強い伊勢田を知っている。弱い伊勢田を知っている。マゾの伊勢田を愛している。
「……好きだ」
「…………」
「強くなくても金を持ってなくても俺は伊勢田のことが好きだ。明日には仕事が全部駄目になって無一文かもしれない。そのとき伊勢田が俺を助けなくても俺は伊勢田のことが好きだ。だから、今金があったってもちろん伊勢田のことが好きだ」
「……っふ……」
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