16 / 21
16
しおりを挟む
金がある? 俺がないないと伊勢田を騙していたならそう責められるのも納得だ。けれど事実無かったことも、入金されてすぐ遅れていた生活費を振り込んだことも、日付でひと目でわかるはずだ。
どくどく脈打つ心臓が今にも胸から飛び出しそうだ。俺は焦りながら言葉を探した。
「何でって……いや……、……い、伊勢田も職場で見るだろう。自営業はドンと大きい金が入る。それでしばらく食いつなぐし、そうだ、そこから税金を払う。こんなにって言っても、毎月入る給料と比較するのは全然違って……」
「それは、っ、……それは、でも、お、多すぎるだろう。そんなにあって、それで、ま、まだ売ってもないんだろう? まだまだ入ってくるんだろう? 漫画って、漫画家って、そんなに金が入るのか?」
「え」
一瞬の後に気付いた。彼はフィクションに触れないよう育てられたのだ。漫画が、娯楽が、どれほど世に浸透しているか知らなくても不思議じゃない。
娯楽産業に疎い伊勢田にとって、漫画といえばホームレスの瀬戸際まで困窮した俺ひとり。漫画というのは儲からないんだなあ。きっと成功してもたかが知れているだろう。『だって俺はそれを知らない』。『俺が知らないものは大したことがない』。伊勢田の個性である傲慢さは、もしかしたらそういう誤解を持っていたかもしれない。
「……っで、でも、だけど、不安定だ! だろう?」
俺の絶句に答えを見たのだろう。伊勢田はいよいよ混乱した様子で言い募る。身を乗り出すような勢いに俺は一歩引いていた。
「給料と違うんだ、また金に困るかも知れない。貯めておかないと、そうだ、使ったら駄目だ。なあ?」
「……伊勢田」
「この家にいないと困るだろ!? 俺の金! 俺の金が無いと困るだろ!」
「伊勢田、ちょっと待て、落ち着いて……」
「俺は優れてる! 俺は落ち着いてる! 俺は冷静で、判断力があって、俺は一番役に立つ! 出世して、生活を保証して、困ったときは何だって助けられて……ッ、俺はお前の役に立つ! 俺がいないとお前は困る! だって俺が助けたんだ、俺が、俺の……」
「……役に立つ?」
「俺がお前を助けたんだ!」
形相の変わった伊勢田の顔。その懸命な主張に、俺はいろんなことが腑に落ちた。
跡継ぎとして育てられた伊勢田。優れていると証明することを求められ、しかしそのせいで好奇の視線に晒された伊勢田。
彼は自分の懐に入れた人間には甘かった。人を入れるほど余裕がある、助けられるほど能力がある、そういう自分を好んでいたのだ。誰かを庇護していなければ、誰かに頼られていなければ自尊心を持てなかった。
俺はずっと金に困って、ずっと彼に甘えていなければいけない。でなければ彼は安心できない。
ずっと彼の一段下にいなければいけない。
「伊勢田」
理解して、腑に落ちて、伝えたいことができた。
先程から名前を呼んでばかりだが、動揺してそれしか言えない呼びかけとは全然違う、すっと芯の通った声が出た。強い響きではなかったのに伊勢田はまるで叱られたようにびくりと跳ねる。目が合った瞬間、その顔からさあっと色が消えた。
蒼白の肌に俺の声はややつんのめる。
「大丈夫だ。伊勢田。大丈夫。わかってる」
「…………」
「伊勢田が本当に思ってること、俺は全部わかってる」
嘲ってるのではない。見下してるのでもない。彼はただ自分を好きでいようとしただけだ。俺が金銭面で支えられたように彼は俺で自尊心を支えていて、そしていつも感謝してくれた。俺を侮るのが一番簡単な安心方法なのに一度だってそうしなかった。
不遜な態度。威風堂々とした振る舞い。どうしてもついて回る出生という光に負けないよう、自分自身で輝くことを身に着けた伊勢田。身についてしまったそれとうまく付き合おうとして、実際うまく付き合っていた。それだけだ。
「伊勢田」
もう戸惑いも驚きもなく、俺は触れるために引いた一歩分近づいた。けれどまるで炎に寄られたように伊勢田はすごい勢いで体を引く。着たままのジャケットの腰がカウンターにぶつかり、ゴツンと骨が重く響いた。
どくどく脈打つ心臓が今にも胸から飛び出しそうだ。俺は焦りながら言葉を探した。
「何でって……いや……、……い、伊勢田も職場で見るだろう。自営業はドンと大きい金が入る。それでしばらく食いつなぐし、そうだ、そこから税金を払う。こんなにって言っても、毎月入る給料と比較するのは全然違って……」
「それは、っ、……それは、でも、お、多すぎるだろう。そんなにあって、それで、ま、まだ売ってもないんだろう? まだまだ入ってくるんだろう? 漫画って、漫画家って、そんなに金が入るのか?」
「え」
一瞬の後に気付いた。彼はフィクションに触れないよう育てられたのだ。漫画が、娯楽が、どれほど世に浸透しているか知らなくても不思議じゃない。
娯楽産業に疎い伊勢田にとって、漫画といえばホームレスの瀬戸際まで困窮した俺ひとり。漫画というのは儲からないんだなあ。きっと成功してもたかが知れているだろう。『だって俺はそれを知らない』。『俺が知らないものは大したことがない』。伊勢田の個性である傲慢さは、もしかしたらそういう誤解を持っていたかもしれない。
「……っで、でも、だけど、不安定だ! だろう?」
俺の絶句に答えを見たのだろう。伊勢田はいよいよ混乱した様子で言い募る。身を乗り出すような勢いに俺は一歩引いていた。
「給料と違うんだ、また金に困るかも知れない。貯めておかないと、そうだ、使ったら駄目だ。なあ?」
「……伊勢田」
「この家にいないと困るだろ!? 俺の金! 俺の金が無いと困るだろ!」
「伊勢田、ちょっと待て、落ち着いて……」
「俺は優れてる! 俺は落ち着いてる! 俺は冷静で、判断力があって、俺は一番役に立つ! 出世して、生活を保証して、困ったときは何だって助けられて……ッ、俺はお前の役に立つ! 俺がいないとお前は困る! だって俺が助けたんだ、俺が、俺の……」
「……役に立つ?」
「俺がお前を助けたんだ!」
形相の変わった伊勢田の顔。その懸命な主張に、俺はいろんなことが腑に落ちた。
跡継ぎとして育てられた伊勢田。優れていると証明することを求められ、しかしそのせいで好奇の視線に晒された伊勢田。
彼は自分の懐に入れた人間には甘かった。人を入れるほど余裕がある、助けられるほど能力がある、そういう自分を好んでいたのだ。誰かを庇護していなければ、誰かに頼られていなければ自尊心を持てなかった。
俺はずっと金に困って、ずっと彼に甘えていなければいけない。でなければ彼は安心できない。
ずっと彼の一段下にいなければいけない。
「伊勢田」
理解して、腑に落ちて、伝えたいことができた。
先程から名前を呼んでばかりだが、動揺してそれしか言えない呼びかけとは全然違う、すっと芯の通った声が出た。強い響きではなかったのに伊勢田はまるで叱られたようにびくりと跳ねる。目が合った瞬間、その顔からさあっと色が消えた。
蒼白の肌に俺の声はややつんのめる。
「大丈夫だ。伊勢田。大丈夫。わかってる」
「…………」
「伊勢田が本当に思ってること、俺は全部わかってる」
嘲ってるのではない。見下してるのでもない。彼はただ自分を好きでいようとしただけだ。俺が金銭面で支えられたように彼は俺で自尊心を支えていて、そしていつも感謝してくれた。俺を侮るのが一番簡単な安心方法なのに一度だってそうしなかった。
不遜な態度。威風堂々とした振る舞い。どうしてもついて回る出生という光に負けないよう、自分自身で輝くことを身に着けた伊勢田。身についてしまったそれとうまく付き合おうとして、実際うまく付き合っていた。それだけだ。
「伊勢田」
もう戸惑いも驚きもなく、俺は触れるために引いた一歩分近づいた。けれどまるで炎に寄られたように伊勢田はすごい勢いで体を引く。着たままのジャケットの腰がカウンターにぶつかり、ゴツンと骨が重く響いた。
9
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?


被虐趣味のオメガはドSなアルファ様にいじめられたい。
かとらり。
BL
セシリオ・ド・ジューンはこの国で一番尊いとされる公爵家の末っ子だ。
オメガなのもあり、蝶よ花よと育てられ、何不自由なく育ったセシリオには悩みがあった。
それは……重度の被虐趣味だ。
虐げられたい、手ひどく抱かれたい…そう思うのに、自分の身分が高いのといつのまにかついてしまった高潔なイメージのせいで、被虐心を満たすことができない。
だれか、だれか僕を虐げてくれるドSはいないの…?
そう悩んでいたある日、セシリオは学舎の隅で見つけてしまった。
ご主人様と呼ぶべき、最高のドSを…
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。



王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる