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 金がある? 俺がないないと伊勢田を騙していたならそう責められるのも納得だ。けれど事実無かったことも、入金されてすぐ遅れていた生活費を振り込んだことも、日付でひと目でわかるはずだ。
 どくどく脈打つ心臓が今にも胸から飛び出しそうだ。俺は焦りながら言葉を探した。

「何でって……いや……、……い、伊勢田も職場で見るだろう。自営業はドンと大きい金が入る。それでしばらく食いつなぐし、そうだ、そこから税金を払う。こんなにって言っても、毎月入る給料と比較するのは全然違って……」
「それは、っ、……それは、でも、お、多すぎるだろう。そんなにあって、それで、ま、まだ売ってもないんだろう? まだまだ入ってくるんだろう? 漫画って、漫画家って、そんなに金が入るのか?」
「え」

 一瞬の後に気付いた。彼はフィクションに触れないよう育てられたのだ。漫画が、娯楽が、どれほど世に浸透しているか知らなくても不思議じゃない。
 娯楽産業に疎い伊勢田にとって、漫画といえばホームレスの瀬戸際まで困窮した俺ひとり。漫画というのは儲からないんだなあ。きっと成功してもたかが知れているだろう。『だって俺はそれを知らない』。『俺が知らないものは大したことがない』。伊勢田の個性である傲慢さは、もしかしたらそういう誤解を持っていたかもしれない。

「……っで、でも、だけど、不安定だ! だろう?」

 俺の絶句に答えを見たのだろう。伊勢田はいよいよ混乱した様子で言い募る。身を乗り出すような勢いに俺は一歩引いていた。

「給料と違うんだ、また金に困るかも知れない。貯めておかないと、そうだ、使ったら駄目だ。なあ?」
「……伊勢田」
「この家にいないと困るだろ!? 俺の金! 俺の金が無いと困るだろ!」
「伊勢田、ちょっと待て、落ち着いて……」
「俺は優れてる! 俺は落ち着いてる! 俺は冷静で、判断力があって、俺は一番役に立つ! 出世して、生活を保証して、困ったときは何だって助けられて……ッ、俺はお前の役に立つ! 俺がいないとお前は困る! だって俺が助けたんだ、俺が、俺の……」
「……役に立つ?」
「俺がお前を助けたんだ!」

 形相の変わった伊勢田の顔。その懸命な主張に、俺はいろんなことが腑に落ちた。
 跡継ぎとして育てられた伊勢田。優れていると証明することを求められ、しかしそのせいで好奇の視線に晒された伊勢田。
 彼は自分の懐に入れた人間には甘かった。人を入れるほど余裕がある、助けられるほど能力がある、そういう自分を好んでいたのだ。誰かを庇護していなければ、誰かに頼られていなければ自尊心を持てなかった。
 俺はずっと金に困って、ずっと彼に甘えていなければいけない。でなければ彼は安心できない。
 ずっと彼の一段下にいなければいけない。

「伊勢田」

 理解して、腑に落ちて、伝えたいことができた。
 先程から名前を呼んでばかりだが、動揺してそれしか言えない呼びかけとは全然違う、すっと芯の通った声が出た。強い響きではなかったのに伊勢田はまるで叱られたようにびくりと跳ねる。目が合った瞬間、その顔からさあっと色が消えた。
 蒼白の肌に俺の声はややつんのめる。

「大丈夫だ。伊勢田。大丈夫。わかってる」
「…………」
「伊勢田が本当に思ってること、俺は全部わかってる」

 嘲ってるのではない。見下してるのでもない。彼はただ自分を好きでいようとしただけだ。俺が金銭面で支えられたように彼は俺で自尊心を支えていて、そしていつも感謝してくれた。俺を侮るのが一番簡単な安心方法なのに一度だってそうしなかった。
 不遜な態度。威風堂々とした振る舞い。どうしてもついて回る出生という光に負けないよう、自分自身で輝くことを身に着けた伊勢田。身についてしまったそれとうまく付き合おうとして、実際うまく付き合っていた。それだけだ。

「伊勢田」

 もう戸惑いも驚きもなく、俺は触れるために引いた一歩分近づいた。けれどまるで炎に寄られたように伊勢田はすごい勢いで体を引く。着たままのジャケットの腰がカウンターにぶつかり、ゴツンと骨が重く響いた。
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