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「……お、おお……」
「……なんだか、どうにも……ピンとこないな」
漫画業界に疎い伊勢田でなくともピンとこない現象だった。バズる、という状態がまさか我が身に起こるだなんて。
俺の読み切り漫画はウェブページに掲載された。特別なことではない。ウェブ雑誌という、描いている人間ですら存在を忘れている公式ページに掲載されるのは以前から契約に入っていた。
けれど俺がアルバイトに精を出すうちに出版社が専用アプリを開発していて、それが上手いこと浸透していて、公式ホームページと並行で運営されていて、けれど検索面などが不便で俺と大御所の作品が並ぶ状況。そういうことは知らなかった。
何万部という漫画の横に俺の漫画が置かれているのだ。そりゃ当然、ミスタップをする人もいるだろうし、うっかり読んでしまう人もいるだろうし、ちょっと笑う人もいるだろう。しかしそれで、何がどうして、こんな事態になったのか。
青天井に伸び続ける閲覧数や宣伝用SNSのフォロワー数。一部だが過去作にも人が流れている。数々の数字が無限めがけて増えていくのを、俺はただ呆然と眺めていた。
「……あ! これ本真の漫画の名前だろ! 名前で調べたら色々出てくる」
「うわあ!」
「みんな褒めてるぞ、すごいな、これって取引先も見てるんじゃないか?」
「銀行員っぽい褒め方をするな!」
予想外の注目に絶賛で、誰よりも俺が混乱している。
わからないなりに状況を追おうとネット検索を始めた伊勢田が恨めしい。ソファの座面に突っ伏す俺の背を、スマホ片手の伊勢田はせっせと撫でて喜ぶ。
「なんだよ! お前の漫画が面白いって世の中ちゃんとわかってるんだぞ、みんな見る目があって良かった!」
「も、もういい、わざわざ口にしなくていい!」
「なんでだよ。俺も嬉しいよ。これでお前の夢がちょっと叶ったんだな」
「……っ」
もちろん俺だって嬉しい。漫画が読まれること、漫画で生計を立てることをずっと夢見ていたのだ。
一歩進めて嬉しい。認めてもらえて嬉しい。自分のことのように喜ぶ伊勢田がいてくれて嬉しい。
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
数センチ浮いているような夢心地の中で、あらゆるすべてが順調に進んだ。連載の話が頓挫し貯金が尽きた前回が嘘のようだ。
編集部の引き出しに眠っていた過去の短編が雑誌掲載されるのが決まり、短期連載の計画が持ち上がる。前回没になった話をそのまま使おうと打ち合わせをしているうちに紙の雑誌が発売され、スピード感もあってまた多少話題になれば、この波で連載開始まで行ってしまおうと話がまたどんどん進む。
連載の打ち合わせが始まって色々忙しい。部屋にこもる自分を、激務の合間で伊勢田は懸命に応援してくれた。応援されるうちに考えることがあった。
金がない俺の緊急避難としてルームシェアがはじまった。なので仕事で成功してしまえばルームシェアを続ける理由はない。もちろん二人暮らしのほうが色々勝手がいいだろう。在宅仕事の人間が家にいる、それだけで伊勢田にとって好都合だ。
ただやむにやまれずのルームシェアから、お互い好きでやっているルームシェアに変化する。その変化を友達として越えられるだろうか。あんなことをして、夢中で楽しんで、「友達同士楽しくやろう」と言えるだろうか。
好きだと、恋愛感情でこの行為をしていると、恋人として同居しようと、俺は言わずにいられるだろうか。
そう言ってしまったときに伊勢田はどう答えるだろうか。
そんな悩みを抱えていても仕事の話はどんどん進む。
「……っ、い、……伊勢田……?」
深夜に近い夜。久しぶりに部屋を出た俺はリビングの明かりを付けぎくりと止まった。無人に思えた静かなリビングダイニング、そのキッチンカウンターの前に伊勢田が無音で佇んでいたのだ。
スーツ姿だし仕事帰りだろう。最近は彼の姿を見るのも稀で、いつもの仕事着ですら新鮮だ。
俺はリビング横の洋室を個人部屋にしている。引き戸を開けて一歩出た位置からは、伊勢田のうつむいた後ろ姿しか見えない。
「かえ、……帰ってたのか。真っ暗なままで何してたんだよ」
「……なに、この金」
「え?」
俺は長いこと金策に苦労していた。電卓片手に通帳を眺めることは多かったし、その分よく出し入れしたのだ。俺が通帳をどこに置いているか、同居している伊勢田は当然目にしていた。
けれどまさか、何の確認もなく見られるなんて。
ものすごく戸惑う。伊勢田が好奇心で覗くやつではないと知っている分俺の衝撃は大きかった。
伊勢田は呟くように繰り返す。
「この残高なに?」
「あ……ウェブに、の、載ったろう。閲覧数に応じて原稿料が出るんだよ。立て替えてもらってた分は、この間、伊勢田の生活口座に振り込んでおいたけど……」
「…………」
「お、お前ならすぐ気づいただろ。そ、……それで気になった?」
伊勢田は遅滞におおらかだが、銀行員だけあって金の動きに興味を持つ。払えない払えないと謝られていたものを急に振り込まれ、どこから出た金だ、無理して作ったんじゃないかと心配になったのかもしれない。いや、だとしてもまず口で聞くべきだし、伊勢田にはそういう良識があるはずだが。
「……なんで……」
「え?」
「何でこんなに金があるんだよ!!」
「っ!」
叩きつけるように怒鳴られ、それどころか通帳を投げつけられ、心臓が痛むほど驚いた。
「……なんだか、どうにも……ピンとこないな」
漫画業界に疎い伊勢田でなくともピンとこない現象だった。バズる、という状態がまさか我が身に起こるだなんて。
俺の読み切り漫画はウェブページに掲載された。特別なことではない。ウェブ雑誌という、描いている人間ですら存在を忘れている公式ページに掲載されるのは以前から契約に入っていた。
けれど俺がアルバイトに精を出すうちに出版社が専用アプリを開発していて、それが上手いこと浸透していて、公式ホームページと並行で運営されていて、けれど検索面などが不便で俺と大御所の作品が並ぶ状況。そういうことは知らなかった。
何万部という漫画の横に俺の漫画が置かれているのだ。そりゃ当然、ミスタップをする人もいるだろうし、うっかり読んでしまう人もいるだろうし、ちょっと笑う人もいるだろう。しかしそれで、何がどうして、こんな事態になったのか。
青天井に伸び続ける閲覧数や宣伝用SNSのフォロワー数。一部だが過去作にも人が流れている。数々の数字が無限めがけて増えていくのを、俺はただ呆然と眺めていた。
「……あ! これ本真の漫画の名前だろ! 名前で調べたら色々出てくる」
「うわあ!」
「みんな褒めてるぞ、すごいな、これって取引先も見てるんじゃないか?」
「銀行員っぽい褒め方をするな!」
予想外の注目に絶賛で、誰よりも俺が混乱している。
わからないなりに状況を追おうとネット検索を始めた伊勢田が恨めしい。ソファの座面に突っ伏す俺の背を、スマホ片手の伊勢田はせっせと撫でて喜ぶ。
「なんだよ! お前の漫画が面白いって世の中ちゃんとわかってるんだぞ、みんな見る目があって良かった!」
「も、もういい、わざわざ口にしなくていい!」
「なんでだよ。俺も嬉しいよ。これでお前の夢がちょっと叶ったんだな」
「……っ」
もちろん俺だって嬉しい。漫画が読まれること、漫画で生計を立てることをずっと夢見ていたのだ。
一歩進めて嬉しい。認めてもらえて嬉しい。自分のことのように喜ぶ伊勢田がいてくれて嬉しい。
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
数センチ浮いているような夢心地の中で、あらゆるすべてが順調に進んだ。連載の話が頓挫し貯金が尽きた前回が嘘のようだ。
編集部の引き出しに眠っていた過去の短編が雑誌掲載されるのが決まり、短期連載の計画が持ち上がる。前回没になった話をそのまま使おうと打ち合わせをしているうちに紙の雑誌が発売され、スピード感もあってまた多少話題になれば、この波で連載開始まで行ってしまおうと話がまたどんどん進む。
連載の打ち合わせが始まって色々忙しい。部屋にこもる自分を、激務の合間で伊勢田は懸命に応援してくれた。応援されるうちに考えることがあった。
金がない俺の緊急避難としてルームシェアがはじまった。なので仕事で成功してしまえばルームシェアを続ける理由はない。もちろん二人暮らしのほうが色々勝手がいいだろう。在宅仕事の人間が家にいる、それだけで伊勢田にとって好都合だ。
ただやむにやまれずのルームシェアから、お互い好きでやっているルームシェアに変化する。その変化を友達として越えられるだろうか。あんなことをして、夢中で楽しんで、「友達同士楽しくやろう」と言えるだろうか。
好きだと、恋愛感情でこの行為をしていると、恋人として同居しようと、俺は言わずにいられるだろうか。
そう言ってしまったときに伊勢田はどう答えるだろうか。
そんな悩みを抱えていても仕事の話はどんどん進む。
「……っ、い、……伊勢田……?」
深夜に近い夜。久しぶりに部屋を出た俺はリビングの明かりを付けぎくりと止まった。無人に思えた静かなリビングダイニング、そのキッチンカウンターの前に伊勢田が無音で佇んでいたのだ。
スーツ姿だし仕事帰りだろう。最近は彼の姿を見るのも稀で、いつもの仕事着ですら新鮮だ。
俺はリビング横の洋室を個人部屋にしている。引き戸を開けて一歩出た位置からは、伊勢田のうつむいた後ろ姿しか見えない。
「かえ、……帰ってたのか。真っ暗なままで何してたんだよ」
「……なに、この金」
「え?」
俺は長いこと金策に苦労していた。電卓片手に通帳を眺めることは多かったし、その分よく出し入れしたのだ。俺が通帳をどこに置いているか、同居している伊勢田は当然目にしていた。
けれどまさか、何の確認もなく見られるなんて。
ものすごく戸惑う。伊勢田が好奇心で覗くやつではないと知っている分俺の衝撃は大きかった。
伊勢田は呟くように繰り返す。
「この残高なに?」
「あ……ウェブに、の、載ったろう。閲覧数に応じて原稿料が出るんだよ。立て替えてもらってた分は、この間、伊勢田の生活口座に振り込んでおいたけど……」
「…………」
「お、お前ならすぐ気づいただろ。そ、……それで気になった?」
伊勢田は遅滞におおらかだが、銀行員だけあって金の動きに興味を持つ。払えない払えないと謝られていたものを急に振り込まれ、どこから出た金だ、無理して作ったんじゃないかと心配になったのかもしれない。いや、だとしてもまず口で聞くべきだし、伊勢田にはそういう良識があるはずだが。
「……なんで……」
「え?」
「何でこんなに金があるんだよ!!」
「っ!」
叩きつけるように怒鳴られ、それどころか通帳を投げつけられ、心臓が痛むほど驚いた。
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