【完結】傲慢と虚栄とサドマゾヒズムの不均等なシェア

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 普段伊勢田がゲイだと意識する場面はない。彼はセックスしている関係ですら「男友達」という雰囲気を崩さない。
 けれどだからこそ、時々の「あ」という感覚が鮮明だった。

「っ、……ほんま」

 週末昼の優雅な長湯から上がった俺に驚いた風の、いかにもギクッとした調子の声。
 都心マンションの、特に水回り前の廊下は薄暗い。自室で横にでもなっていたのか伊勢田の髪には癖がついていた。
 彼は身構えたような姿勢で続ける。

「……びっくりした。風呂にいたのか。シャワーの音もしなかったし、今日も部屋で漫画描いてると思ってた」
「長風呂してた。後半はずっと湯船にいたから音がしなかったんだと思う」
「どれだけ入ってたんだよ。一時間くらい経ってるんじゃないか?」

 ふやけるほどの入浴をからかう風に言いながらも、伊勢田の視線は伏し目がちに逃げている。昼風呂だ。普段のようにパジャマを着るわけにもいかず、準備しておくべき着替えを忘れた俺は下着一枚にフェイスタオルを首に引っ掛けているだけだった。
 ストレートの男で例えるなら不意打ちで女性の半裸を見てしまった状況だ。セクシーな肉体とは口が曲がっても言えないが、伊勢田が性的なものと感じても当然だ。
 申し訳ないような、余裕と包容力のある彼を戸惑わせた優越感のような。
 何にせよ「裸を見せてごめん」なんて謝るのは不自然だ。俺はそのまま話を続けた。

「色々スッキリしたから」
「ひと仕事終わったんだろう。片付いたり目処が立ったり、本真は一段落したら長風呂する」
「……言われてみると、そういえばそうかもしれない」
「全部描き終わったのか?」
「ああ。プロットから仕上げまで半月かかった、でもまあいいペースだ」
「良かったじゃないか!」

 うっすら暗い中でも伊勢田のその声と顔はぱあっと輝くようだった。読まないだけあって伊勢田は漫画関係のことに無知だが、俺が苦労すれば案じ、良いことがあれば一緒に喜んでくれる。それがどんなに助けになっているか、おそらく本人は自覚していないだろう。
 気持ちの良い入浴。友人の朗らかな喜び。そもそもの覚悟。言葉は思ったよりは重くなかった。

「それで、ごめん、今月の家賃の負担分が払えない」
「……それは、まあ、別にいいんだが、……本真らしくなくキッパリ言ったな」
「収入がないのはわかってたんだ」

 漫画に影響がない程度のアルバイトと単発の仕事。それらでどうにか毎月の負担分を用意している。読み切り作業のため短期の仕事を入れなかった時点で足りないことは決まっていた。

「読み切りはこれから担当さんがチェックして、それが通っても編集部の中で掲載会議して……今のところ金になる目処は立ってない。これから目一杯バイトを入れるけど元々毎月の生活費を稼ぐのが限界だったし……その、家賃の分は端数端数での支払いになると思う」

 家賃や生活費は全部一旦伊勢田名義で支払っている。俺は自分の負担分を伊勢田に現金で渡している形だ。
 本当なら月に一度まとめて渡したいのだが、意図せず宵越しの金は持たない江戸っ子の暮らしをしているため、どうしても月一精算は難しかった。クレジットの引き落とし日と家賃の支払日がちょうど半月ごとなので、その日を期日として半月分ずつ渡している。
 そして仕事に集中していたこの半月分の金がない。これから必死に働いても、半月後払うべき生活費を払ったらいくらも残らない。

「……何とも情けない……」

 覚悟していたし決心していたが、口に出せば肩が落ちる。自分の食い扶持を稼げないのはもちろん、大事な友達に頼り切りという事実が重かった。
 伊勢田はいつも気にするなと言ってくれるが、やはりどうしても惨めな気分だ。身の置きどころのない、消えてしまいたい気持ちのせいなのか、体が勝手に縮こまって恐縮した。
 薄暗闇の窮屈な廊下に、その声はとろけるほどに甘い。

「……バカだなあ」
「っ、伊勢田……」
「本真はホント、この件については、何回言っても理解しないバカだな」

 伊勢田は両腕を俺の首裏へ回した。腕で作った輪で俺の顔を引き寄せた格好だ。大柄な伊勢田の長い腕とはいえ収まる俺だって平均身長くらいはある。胸が触れ合い、顔だってキスするような距離だ。
 首を引き寄せられた俺は少し仰け反るような姿勢になっていた。伊勢田のどこかうっとりとした声が顎先に触れる。

「何度言ってもわかんねえし……ほんと、お前は仕方ねえなあ……」
「…………」

 伊勢田は懐に入れた人間には甘い。けれどそれにしたって、伊勢田の得意げな顔には隠しきれないほどの喜びが浮かんでいた。俺の仕事が順調だと聞いて見せたあっぴろげな喜びとは違う。くどくて甘くて濃厚な、けれどほんの一匙だけ陰気さを混ぜた喜びだ。
 伊勢田は強引で強気でリーダー気質だが、こういうときは異様なくらい人を伺う。今日だってそうだった。キスするために近づいてきた唇が、けれど紙一枚程の距離で俺の反応を見る。

「伊勢田……」

 俺の正義感的に、こういう行為で借金を待ってもらうのは嫌だ。彼への好意的にも金のためにやってしまうのはやはり嫌だ。
 けれど伊勢田の蕩けた空気を感じると、俺はどうにも我慢ができない。いつも通り躊躇していつも通り葛藤して、そしていつも通り、その腰に腕を回してしまうのだ。
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