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両親は元々漫画描きという趣味にいい顔をしていなかった。新人賞を取った日に家から追い出されたのはひと足早く現実を突きつけたかったのか、あるいは一人息子を見限ったのか。
けれど幸い――今振り返ってみると幸いなのかはわからないが、偶然その週末に伊勢田と飲みに行く約束があった。面倒見のいい、身内には特に甘い男だ。俺の懐に合わせた安居酒屋で顔を合わせたその日にはもうルームシェアの話が決まった。
伊勢田がゲイであることは高校時代の噂で知っていたし、それを思ってかルームシェアを持ちかける伊勢田の様子は彼なりに気後れした雰囲気だったが、漫画喫茶で寝苦しい数泊を過ごした俺に迷いなんてなかった。
激務の伊勢田に代わって自分が家事を担当し、その分生活費の負担分を軽くする。
そういう環境に助けられなから漫画家としてコツコツと実績を積み、割と早いうちに連載の話が持ち上がったのだが、あいにくそれは出版社の事情で頓挫した。週刊連載のため当時のアルバイトを辞めて準備を進め、その期間の生活費で貯金がすっかりなくなったタイミングでの頓挫だった。
運がない。あの出来事はまさしくそうだ。人生にさんざん悪態をついて伊勢田を巻き込んで深酒して、金がないせいで迷惑をかける、その屈辱に泣いているときに、伊勢田に言われたのだ。自分のオナニーを手伝ってくれるなら迷惑どころかお釣りがくる、と。
「……なんでこんな事になったんだ」
再びの言葉に伊勢田はもう答えなかった。吐息で笑った風情の音にはただ友人の繰り言を面白がる雰囲気だけがあった。
「…………」
友情でも愛情でも、金が絡んでいる以上セフレでもない関係。
自分たちの関係が変容してしまったのはわかるが、伊勢田に迷う様子がないから、対等だという態度を崩さないから、不確かな関係で安定してしまっている。お前の漫画は面白いんだからと応援されると生活以上に気持ちが支えられて、頑張るぞと思う反面、漫画を頑張っている場合か? と思いもする。
長い沈黙にさすがに気になったのか、ベルトを締め終えた伊勢田が唇を尖らせ振り向いた。
「なんだよ、不満か?」
「不満っていうのじゃない。ただ……」
「家にこもりっきりじゃ女の相手は見つからないだろ。お互いいい思いしようぜ」
「……伊勢田」
「目を閉じてたら男も女も同じだろ」
伊勢田の寝室の高級マットレスは男ふたりのセックスでも軋みすらしない。伊勢田がやってきてベッドに片膝乗り上がっても、もちろん音なんて鳴らなかった。
覆いかぶさるような伊勢田に口付けられ、俺はただ目口を結んでそれを受ける。
男同士だ。性処理には一種スポーツ的な感覚があるのは共感するが、伊勢田がここまでサッパリしているのは多分彼本人の性質だ。
高校時代に性嗜好が知られたときも伊勢田はこんな風に平然としていた。ヒソヒソと冷たい視線の中、堂々と前を向いてそれまで同様に不遜だった。
理屈屋で、声が大きくて、言葉も態度も気持ちも全部ハッキリしていて。
「……伊勢田」
「ん」
「お前、でかいんだから女とは全然違うって。圧がある……」
彼が覆い被さると白んだ朝日がまるっきり遮られてしまう。異性とは違う。そこらへんの同性とも違う。伊勢田だ、と目の裏の陰だけで、肩を掴む手だけでわかる。
さっぱりして、堂々として、気難しい業界で生き抜く伊勢田。キスの最中はいつも目を閉じている変な生真面目さ。
「……伊勢田……」
俺とは全然違う。
俺はずっとストレートとして生きてきた。けれど伊勢田に初めてしゃぶられて勃った時、男の中に挿入しても伊勢田を組み伏せている興奮で痛いほどだった時、当たり前にキスして彼の寝具に慣れて嫌がられても何度も伊勢田の体をまさぐるようになってしまった時、毎回毎秒自分を疑う。俺はストレートじゃなかったのか? 伊勢田は友人じゃなかったのか? 支払いを待ってもらう代償としてのセックスは嫌だ。その理由は本当に倫理観だけなのか?
伊勢田のことが好きなんじゃないか?
好きだと思えば世話になっている罪悪感が薄れるからそう思いたいだけじゃないか?
自分を疑ってはその疑いをまた疑う。どんなに考えても答えは出ないし、何を考えていても時々金は足りなくなる。お使いを頼むような気安さで伊勢田は俺の体を要求し、俺はその誘惑にいつも勝てない。勝ったところで金はないのだから勝ってしまっては困るのだが。
「……おい、……っおい、本真、いつ、まで、……っ、お前だって、今日……今日バイト……んん……♡」
金が絡まないときだけ俺は何も疑わないでいられる。
伊勢田は何度か顔を引こうとしていたが、俺はその度に背中を抱いて離れる体を引き止めて、柔らかいばかりの唇を夢中で吸った。
けれど幸い――今振り返ってみると幸いなのかはわからないが、偶然その週末に伊勢田と飲みに行く約束があった。面倒見のいい、身内には特に甘い男だ。俺の懐に合わせた安居酒屋で顔を合わせたその日にはもうルームシェアの話が決まった。
伊勢田がゲイであることは高校時代の噂で知っていたし、それを思ってかルームシェアを持ちかける伊勢田の様子は彼なりに気後れした雰囲気だったが、漫画喫茶で寝苦しい数泊を過ごした俺に迷いなんてなかった。
激務の伊勢田に代わって自分が家事を担当し、その分生活費の負担分を軽くする。
そういう環境に助けられなから漫画家としてコツコツと実績を積み、割と早いうちに連載の話が持ち上がったのだが、あいにくそれは出版社の事情で頓挫した。週刊連載のため当時のアルバイトを辞めて準備を進め、その期間の生活費で貯金がすっかりなくなったタイミングでの頓挫だった。
運がない。あの出来事はまさしくそうだ。人生にさんざん悪態をついて伊勢田を巻き込んで深酒して、金がないせいで迷惑をかける、その屈辱に泣いているときに、伊勢田に言われたのだ。自分のオナニーを手伝ってくれるなら迷惑どころかお釣りがくる、と。
「……なんでこんな事になったんだ」
再びの言葉に伊勢田はもう答えなかった。吐息で笑った風情の音にはただ友人の繰り言を面白がる雰囲気だけがあった。
「…………」
友情でも愛情でも、金が絡んでいる以上セフレでもない関係。
自分たちの関係が変容してしまったのはわかるが、伊勢田に迷う様子がないから、対等だという態度を崩さないから、不確かな関係で安定してしまっている。お前の漫画は面白いんだからと応援されると生活以上に気持ちが支えられて、頑張るぞと思う反面、漫画を頑張っている場合か? と思いもする。
長い沈黙にさすがに気になったのか、ベルトを締め終えた伊勢田が唇を尖らせ振り向いた。
「なんだよ、不満か?」
「不満っていうのじゃない。ただ……」
「家にこもりっきりじゃ女の相手は見つからないだろ。お互いいい思いしようぜ」
「……伊勢田」
「目を閉じてたら男も女も同じだろ」
伊勢田の寝室の高級マットレスは男ふたりのセックスでも軋みすらしない。伊勢田がやってきてベッドに片膝乗り上がっても、もちろん音なんて鳴らなかった。
覆いかぶさるような伊勢田に口付けられ、俺はただ目口を結んでそれを受ける。
男同士だ。性処理には一種スポーツ的な感覚があるのは共感するが、伊勢田がここまでサッパリしているのは多分彼本人の性質だ。
高校時代に性嗜好が知られたときも伊勢田はこんな風に平然としていた。ヒソヒソと冷たい視線の中、堂々と前を向いてそれまで同様に不遜だった。
理屈屋で、声が大きくて、言葉も態度も気持ちも全部ハッキリしていて。
「……伊勢田」
「ん」
「お前、でかいんだから女とは全然違うって。圧がある……」
彼が覆い被さると白んだ朝日がまるっきり遮られてしまう。異性とは違う。そこらへんの同性とも違う。伊勢田だ、と目の裏の陰だけで、肩を掴む手だけでわかる。
さっぱりして、堂々として、気難しい業界で生き抜く伊勢田。キスの最中はいつも目を閉じている変な生真面目さ。
「……伊勢田……」
俺とは全然違う。
俺はずっとストレートとして生きてきた。けれど伊勢田に初めてしゃぶられて勃った時、男の中に挿入しても伊勢田を組み伏せている興奮で痛いほどだった時、当たり前にキスして彼の寝具に慣れて嫌がられても何度も伊勢田の体をまさぐるようになってしまった時、毎回毎秒自分を疑う。俺はストレートじゃなかったのか? 伊勢田は友人じゃなかったのか? 支払いを待ってもらう代償としてのセックスは嫌だ。その理由は本当に倫理観だけなのか?
伊勢田のことが好きなんじゃないか?
好きだと思えば世話になっている罪悪感が薄れるからそう思いたいだけじゃないか?
自分を疑ってはその疑いをまた疑う。どんなに考えても答えは出ないし、何を考えていても時々金は足りなくなる。お使いを頼むような気安さで伊勢田は俺の体を要求し、俺はその誘惑にいつも勝てない。勝ったところで金はないのだから勝ってしまっては困るのだが。
「……おい、……っおい、本真、いつ、まで、……っ、お前だって、今日……今日バイト……んん……♡」
金が絡まないときだけ俺は何も疑わないでいられる。
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