【完結】ずっと遠くの暗闇に見つけた、

にのまえ

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結末(2)

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「純也に何を吹き込んだ」

 サイン会が終わるなり――明良がバックヤードに戻るなり、事務所でふんぞり返っていた樹にそう問われた。

 彼の前には喫茶店に配達させたらしいアイスコーヒーがあった。おそらく書店員に無理を言ったのだろう。それも随分威圧的な無理を。

 書店に客間などあるはずないから、彼が座っているのは狭い休憩室だ。店員の私物などもあるのだろう。見張りを兼ねてかパソコンを弄っている店員の背中が恐怖に緊張している。

「……プライベートのお話を仕事中にさせるのが、弁護士さんの流儀ですかね?」

 その背中を申し訳なく見ながら嫌味を言えば、樹は不遜に鼻で笑った。

「さすがに言えないか? 未成年の男と付き合ったうえ、うまいことたぶらかしてその兄の結婚を破談にさせた、なんて」

 暴力沙汰にでもならないか、と控えていた野原と店の責任者が顔をしかめる。それが私事を暴露する彼への嫌悪でも、明良への悪感情でもどうでもよかった。

「……破談?」

 その一言が気にかかる。

「今日は結婚式……だったんでしょうね。その格好ですし。けれどまさか――当日になって?」

「しらばっくれるな、疫病神」

 樹は身を乗り出して明良を睨む。その形相は弁護士というより身なりの良いヤクザだ。

「半年前に切れたと見せかけて、あんたたちはどうにか連絡を取ってたんだろう。じゃなきゃあの純也がこんなことをするわけがない」

「…………」

 あの純也、という言葉には彼への侮りがあった。けれどいちいち指摘する場面ではない。

「こんなこと? 破談のことなら、弟ひとりがダメにできる程度の関係だった、と我が身を振り返って欲しいですね」

 わざと、自分が関係していたようにあざけって見せる。樹はわかりやすく激高した。

「やっぱりアンタの入れ知恵だな! 純也が思いつくはずないんだ。彼女にあることないこと吹きこむなんて」

「…………」

「作家さんの考えそうなことだよ。わざと彼女を不安にさせて放置する。結婚相手にも問えないようなことを教えて疑心暗鬼にする」

 明良は冷淡に笑いながらも、頭を必死に働かせた。純也は何をした? この半年、彼はどう過ごしていた?

 結婚相手にも問えないこと、とは、相手本人に関係することだろう。おそらく兄の悪いところ。ならばきっと、家庭内での純也の扱いだ。

「あることないこと、でもないでしょう。真実だ」

 黒幕じみた笑顔で言ってやれば、樹は簡単に憤った。

「だからって言う必要があるか!?」

「あるのでは? お身内だから目が曇ってるようですが、皆様がなさっているのはネグレクトだ」

 そう、過去に樹が言っている。同情を誘うためでもなんでも彼自身がそう表現した。

 明良は人相悪く笑う。

「……でしょう?」

 樹は今にもテーブルを殴りそうだ。店長がオロオロして見えるのは、喧嘩沙汰の気配のせいか、古びた備品を思ってか。

「だからって……! あいつは自主的に動けるやつじゃない!! わざわざ会いに行くなんて、そんな……ッ」

 なるほど、と明良は内心了解した。

 扱いが扱いだからか、家族は婚約者と純也を対面させずにいたらしい。マナー的にはよろしくないが、年齢的に「反抗期だ」「恥ずかしがっている」という言い訳がギリギリ通用する。

 明良はつい笑んでしまう。何を言うかわからない、と家族を危惧させるくらいには、純也は反抗的になっていたらしい。従順さで愛を乞うところのあった彼も着実に成長しているようだ。

 樹はついにテーブルを蹴った。幸い壊れた音はしなかった。

「何笑ってんだ!」

「樹さん、弁護士バッジが泣きますよ」

 しらっと言って、明良は同席しているふたりに目を向ける。プライベートの問題でこれ以上騒がしくしても申し訳ない。

 けれど野原と責任者は困り顔ながら頷いた。

「幸いここはバックヤードの一番奥ですから、店に声も届きません。好きにお使いください」

「ただし先生、次売れたらまたここでサイン会ですよ。ギャラは出ません」

 明良は一瞬面食らってから、「ありがとうございます」と苦笑した。彼らは明良を買ってくれているらしい。外で言い放題されてイメージを落とすよりも、この事務所をぐちゃぐちゃにされる方がマシだ、と思ってくれている。

 他人からの好意が、ちゃんとわかるようになった。それも純也のおかげだ。

「それで、樹さん」

 明良は相手に向き直る。

「純也は罪を犯しましたかね? 婚約者にウソを言いました? それとも今日、式場で大暴れしました?」

 するはずない、と思って問えば、樹も苦々しげに言葉を飲んだ。

 純也は何もしていないのだ。婚約者に会い、真実をありのまま伝え、そして結婚がダメになった。

 明良はふと合点がいった。

「……ああ、なるほど。婚約者さんは純也の言い分を信じてなかったんですね。身分も疑っていたのかもしれない。だから今日結婚式があったんだ。信じていないから結婚の話を進めた。けれどいざ当日、弟だと紹介されたのはそう名乗っていた本人だった」

 結婚式だ。さすがに呼ばないわけにはいかない。現れたら本人から詫びの一言が必要だろう。純也は結婚相手に紹介された。

 自分はあなたの結婚相手の弟である。兄は、その両親は、末子と会話を交わさない。奇妙で歪んだ内実があるのだと、純也はそう伝えていた。そう伝えてきた怪しい人物は、名乗った通り、義弟だった。

 反抗期で身内の結婚をダメにするなど常識では考えられない。そこまでするには理由がいる。例えば家族扱いされていないだとか。日々に会話がないだとか。

 弟だと紹介することは、彼がこっそり打ち明けた話を肯定するも同然だった。

「ぜんぶアンタの差し金だろう!」

 樹は拳でテーブルを殴る。今度は少し足がきしむ。

「家はもぬけの空で、あいつの服やら参考書がごっそりなくなってた。大学にも休学届が出されてる。スマホは解約されてる。奴の生活はキレイなもので、他に知り合いらしい知り合いはいない。なあ、興信所をどうやって騙した? いくら掴ませて、まだ付き合いがあるのを黙らせた?」

「……僕との一件があってもまだ、純也はそんな扱いですか」

 いきなり家族面をしなくても、ただ会話を交わすだけでよかっただろう。おはようという挨拶だけでもあれば、優しい純也は、結婚を壊すような真似はできなかったはずだ。

 明良は静かに立ち上がる。身なりを整えつつ、冷たい目で樹を見下ろした。

「馴染みの興信所に頼んで、僕の身辺も探ったらどうです? 純也とはすれ違ってもいないし、一秒だって電話していない」

「ウソをつくな! あの純也がひとりであんなこと……」

「そうやって侮っているから足元をすくわれたんですよ。この件でわかるでしょう。あなたたちより純也のほうが賢かった。冷静で、なりより大人だった」

 純也はちゃんと成長している。愛されたいと泣くばかりの子供でなく、仕方ないことを仕方ないと、飲み込めるだけの強さを得た。

 嬉しさとさみしさが、同量、胸にこみ上げた。彼が境遇に負けず立ち上がってくれて嬉しい。その姿を見られないのがさみしい。

 けれど顔には出さない。悔しそうな樹を全身で憐れんでやる。

「彼へ気まぐれにやさしくして、優越感は十分味わったでしょう? もう純也にこだわるのはやめたほうがいい。彼はもうあなたの心の穴を埋めてはくれない」

「……ッ」

 おそらく彼も、明良と同じ人間だ。

 そう気づけたのは純也のおかげだ。彼とともに、明良もまた少しは踏み出せた。

 責任者に黙礼して、明良は無言で事務所を出る。「ちくしょう……」という弱い声が、閉める直前のドアから漏れた。
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