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天敵(2)
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イラつきこそ出なかったが、それ以外の話はないと言わんばかりの突き放した口ぶりになってしまった。樹は「純也のことで」と苦笑する。
「明良さんはご存知ですよね。純也は――あまり恵まれた子じゃない」
ジュースのようなカクテルに口をつけることで、明良は無言のうちにそれを認めた。
どこまで聞いているかは話さない。これだけ打ち明けられるほど仲が良いのだ、と情報を与える義理はない。
詳しくは知らないだろうと思ったのか、樹は続ける。
「あの子は不幸な子で……両親の関心なく育ちました。兄がいておさがりには困らないし、しっかりしたやつだから見苦しいことはなかったけど、あの無関心はネグレクトの域だ。不運なやつなんです」
「…………」
「明るく振る舞ってるけどたまにそんな過去が匂う感じで、根が陰気なせいか友達も少なくて。けど芥さんに会ってすごく明るくなった。何かあるたびあなたに声をかけて。連絡魔でしょう、やつ」
「そうですかね」
おざなりに、けれどそうは思わせない柔らかな態度で答える。
樹は意を決したように体ごと振り返った。
「あなたは特殊なお仕事をされている。邪魔にはなりませんか」
「なりません」
「うまくやっていると?」
「ええ」
「……彼が心配なんですよ、俺は」
「でしょうね」
とても親しいようだった。そう続けようと思った言葉をカクテルとともに飲み込んでしまったから、気のない相槌が続いてしまう。
樹のつるりとした眉間にしわが寄る。手応えのなさに苛立ったような声が、低く言った。
「……あなたがやつとそういう関係にある、と知っています」
「へえ」
彼にとっては爆弾だったのだろうし、明良も多少は驚いたが、無関心に頷いてみせた。驚かせようという言葉に驚くのは主導権を渡すのと同じだ。明良は人を征服したくはないが、同じくらい、されることも好きじゃない。
薄いリアクションに樹がますます眉根を寄せるのが見える。明良は手をはらうようにした。
「それで、二度目になりますが、ご用件は?」
「…………」
「いくら親しくてもいとこの交際関係に口を出すのはいささか過干渉でしょう。十八とはいえ未成年だとは知ってますし、できる限り配慮してる。気づかいが足りない、という話は彼の親御さんからうかがいます」
迂遠に「あなたに口出しされることじゃない」と告げれば、樹は不快そうに顔をゆがめた。スツールに深く座り直す仕草はどこか高圧的だ。想像通り支配欲の強いタイプなのだろう。自分のペースで話し、自分の想像通りのリアクションを求めるタイプだ。
彼の手が無意識のようにタバコに伸びる。明良はとっさに言っていた。
「タバコ、やめていただけませんか」
「ああ」
ハッとしたように手は止まったが、ちらりと明良を伺って「すみません、一本だけ」と引き抜かれた。
相手をわざと不快にするのも駆け引きの手法だ。
「…………」
高級そうなジッポライターが小さく鳴って、タバコの先に小さな火がともる。
煙を横に向かって吐きながら、樹は続けた。
「たしかにいとこは結婚できるほど遠い。けれど親しさは親等では測れないでしょう。いとこだろうとまたいとこだろうと、心配なのは心配だ」
「…………」
「あれは難しいやつなんです。いつかあなたにも迷惑がかかる。……あなたたちの関係だって、誰の口からもれるかわからない」
お上品な脅しだが、たかが小説家の性癖をどこの誰が気にするのか。あの作風についてくる肝の太いファンがゲイセクシャルごときに戸惑うとは思えない。
そもそも芥明良を続けていけるかあやしいのだ。それは無意味な脅しだった。
明良はそっけない口調で返す。
「今日のご用件は、その一言のために、と思っていいですか?」
飲みかけのカクテルを遠ざけることで帰る意志を示すと、樹はやや早口で続けた。
「ギャグ漫画家がみんな三枚目で、純文作家がみんな哲学者とは思わない。けれどあなたは、あなたの小説は」
「思っていいようですね。では失礼します」
「お願いします。純也と別れて下さい。あなたは彼のためにならない」
切実な声を背中で聞いて、明良はテーブルに紙幣を置いた。老店員の同情的な視線がどちらに注がれているか気にする気もなかった。
「明良さんはご存知ですよね。純也は――あまり恵まれた子じゃない」
ジュースのようなカクテルに口をつけることで、明良は無言のうちにそれを認めた。
どこまで聞いているかは話さない。これだけ打ち明けられるほど仲が良いのだ、と情報を与える義理はない。
詳しくは知らないだろうと思ったのか、樹は続ける。
「あの子は不幸な子で……両親の関心なく育ちました。兄がいておさがりには困らないし、しっかりしたやつだから見苦しいことはなかったけど、あの無関心はネグレクトの域だ。不運なやつなんです」
「…………」
「明るく振る舞ってるけどたまにそんな過去が匂う感じで、根が陰気なせいか友達も少なくて。けど芥さんに会ってすごく明るくなった。何かあるたびあなたに声をかけて。連絡魔でしょう、やつ」
「そうですかね」
おざなりに、けれどそうは思わせない柔らかな態度で答える。
樹は意を決したように体ごと振り返った。
「あなたは特殊なお仕事をされている。邪魔にはなりませんか」
「なりません」
「うまくやっていると?」
「ええ」
「……彼が心配なんですよ、俺は」
「でしょうね」
とても親しいようだった。そう続けようと思った言葉をカクテルとともに飲み込んでしまったから、気のない相槌が続いてしまう。
樹のつるりとした眉間にしわが寄る。手応えのなさに苛立ったような声が、低く言った。
「……あなたがやつとそういう関係にある、と知っています」
「へえ」
彼にとっては爆弾だったのだろうし、明良も多少は驚いたが、無関心に頷いてみせた。驚かせようという言葉に驚くのは主導権を渡すのと同じだ。明良は人を征服したくはないが、同じくらい、されることも好きじゃない。
薄いリアクションに樹がますます眉根を寄せるのが見える。明良は手をはらうようにした。
「それで、二度目になりますが、ご用件は?」
「…………」
「いくら親しくてもいとこの交際関係に口を出すのはいささか過干渉でしょう。十八とはいえ未成年だとは知ってますし、できる限り配慮してる。気づかいが足りない、という話は彼の親御さんからうかがいます」
迂遠に「あなたに口出しされることじゃない」と告げれば、樹は不快そうに顔をゆがめた。スツールに深く座り直す仕草はどこか高圧的だ。想像通り支配欲の強いタイプなのだろう。自分のペースで話し、自分の想像通りのリアクションを求めるタイプだ。
彼の手が無意識のようにタバコに伸びる。明良はとっさに言っていた。
「タバコ、やめていただけませんか」
「ああ」
ハッとしたように手は止まったが、ちらりと明良を伺って「すみません、一本だけ」と引き抜かれた。
相手をわざと不快にするのも駆け引きの手法だ。
「…………」
高級そうなジッポライターが小さく鳴って、タバコの先に小さな火がともる。
煙を横に向かって吐きながら、樹は続けた。
「たしかにいとこは結婚できるほど遠い。けれど親しさは親等では測れないでしょう。いとこだろうとまたいとこだろうと、心配なのは心配だ」
「…………」
「あれは難しいやつなんです。いつかあなたにも迷惑がかかる。……あなたたちの関係だって、誰の口からもれるかわからない」
お上品な脅しだが、たかが小説家の性癖をどこの誰が気にするのか。あの作風についてくる肝の太いファンがゲイセクシャルごときに戸惑うとは思えない。
そもそも芥明良を続けていけるかあやしいのだ。それは無意味な脅しだった。
明良はそっけない口調で返す。
「今日のご用件は、その一言のために、と思っていいですか?」
飲みかけのカクテルを遠ざけることで帰る意志を示すと、樹はやや早口で続けた。
「ギャグ漫画家がみんな三枚目で、純文作家がみんな哲学者とは思わない。けれどあなたは、あなたの小説は」
「思っていいようですね。では失礼します」
「お願いします。純也と別れて下さい。あなたは彼のためにならない」
切実な声を背中で聞いて、明良はテーブルに紙幣を置いた。老店員の同情的な視線がどちらに注がれているか気にする気もなかった。
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