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天敵(1)
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悪いことは続くものだ。
ベースは暗くていい、せめて最後に救いが欲しい。そんな依頼に参りきっていたうえ、なぜか純也とも話がこじれる。それでも自分はプロだと言い聞かせて話を捏ね回しているとき、スマホが着信を告げた。
ポップアップしている名前は樹だ。はじめての着信に違和感と、あけすけに言えば「面倒くさいな」という思いが湧いて一瞬無視しようとしたが、今は何でも履歴が残るのがネックだ。普通の人は折り返すだろう。しかしそんなことをしてやるのも面倒くさい。
どうせ話すならさっさと済ませた方が楽だ。そう思ってスマホを取る。
「もしもし?」
『あ、もしもし? 芥さんですか? 清水樹ですが……』
挨拶で何を言うか概ね想像できるから聞き取れたが、その声はずいぶん遠く、その上喧騒が重なっていた。
「どうされましたか?」
『純也の――両親――、高校生、話……』
「はい?」
『純也のことについて……』
喧騒で上手く聞き取れない。
それだけだろうか。わざと声をこもらせたり途絶えさせているような、作為的なものを感じるのは気のせいだろうか。
色々上手くいっていないから気が立っているのかもしれない。そもそも樹に悪印象があるからかもしれない。判断がつかず、明良はしばらく通りの悪い会話を続けた。樹はどうやら、純也について明良と話がしたいらしい。
そこまで聞き取るのに五分はかかった。きっとそれが不便だったのだろう。
『すみません。急ですが、今日どこかで会えませんか』
相変わらず不明瞭な声に誘われる。
「そうですね……」
明良は別に会いたくなかったが、純也の手前愛想悪くはできない。この通話状態の悪い電話で話す気にもなれなかった。
『お願いします。大事な相談があって。どうにか都合をつけてもらえませんか』
思案に重ねるようにそう頼み込まれ、明良は渋々了承した。途端樹は声音を明るくして慣れたように時間と場所を指定する。急に声の通りが良くなった気がするのは偶然だろうか。
「はー……」
何も解決しないまま面倒事が増えた。とはいえ、今日話せば片付くことだ。
明良はパソコンに向き直りぐだぐだと頭を悩ませたが、進んだとは言えない。待ち合わせ時間のアラームで諦めを付けて立ち上がる。
とりあえず印象が良いようにラフながら襟付きのジャケットを着て、明良は小さなアパートを出た。約束したのは遠いがアクセスのいい街だ。
見慣れない飲み屋街、名前を頼りに店を探すのには想像通りの時間がかかる。予想していたより高級そうな外観に数度前を通り過ぎてしまったが、けれど時間にはその店のドアベルを鳴らせた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた老店員の声が出迎えるのは、小さな、しかし雰囲気のいいバーだった。
照明は随分絞られているが、ライトの具合か家具自体の色か、全体が藍色がかって見える。バーテンダーの背後にある大きな水槽のせいかもしれない。
水槽の照明が反射して、入り口は明るく照らされているらしい。あるいは単に長くいて目が慣れているのか。カウンター席で黒いシルエットが立ち上がった。
「すみません、急に。他に時間が作れませんで」
瞬けば、それは確かに樹だった。
「いえ。大丈夫です。自由業ですから」
答えながら彼の横へ足を向ける。樹はコートを脱いでいたので光沢のある高級スーツに目が行く。あのときは取っ組み合いで乱れていた髪もきっちり整えられ、いかにも合理的な、共感力のなさそうな容姿だ。明良は彼の印象を更に悪い方へ修正した。
「ボックス席じゃなくて大丈夫ですか?」
「ええ」
ソファに腰掛けリラックスして話すつもりはない。樹は苦笑気味に頷き、店員に軽くグラスを示してみせた。中身も少ないし、おかわりを頼んだのだろう。
カウンターの中の老店員が少し遠ざかったのを確認し、樹は隣に腰掛けた明良を振り返る。
「芥さんは、こういう店にはよく?」
「いいえ。こんな大人びたお店は初体験ですよ。次の小説の参考にしようと観察してます」
「それにしては泰然とされてる」
笑う樹の前に店員がグラスを置いたので、明良は「薄いカクテルを」と頼んだ。飲めるふりをするほど子どもじゃないし、そもそも彼の前で酔う義理もない。本当なら烏龍茶でも頼みたかったくらいだ。
高めのスツールとはいえ、腰ポケットに物を入れていると気になるだろう。樹は自然な動作で片手大のそれをカウンターへ置く。互いの間、仕切るように置かれたそれへ、明良は反射的に言っていた。
「俺はタバコが苦手なんです。すみませんが遠慮してもらえますか」
「ああ、わかりました」
座るのに気になっただけなのだろう、軽く答えて、樹はあたりを見回す。
「ここは全席喫煙なんですが、大丈夫ですか?」
「珍しいですね」
今時少ないが、だからこそ愛煙家は贔屓にするのかもしれない。見回せば確かに足りない照明の光の中白煙が漂っている。
「大丈夫ですよ。匂いも煙も平気なので」
「じゃあ何が……」
隣の樹に向き直り、にっこり笑って返答を避ける。樹は苦笑してグラスをかたむけ、その話題はそこで終わった。
黒子のような店員が明良のカクテルを運んできても、樹は黙ってウイスキーを見ている。根比べをする気はなく、明良から水を向けた。
「それで、ご用件はなんでしょう?」
ベースは暗くていい、せめて最後に救いが欲しい。そんな依頼に参りきっていたうえ、なぜか純也とも話がこじれる。それでも自分はプロだと言い聞かせて話を捏ね回しているとき、スマホが着信を告げた。
ポップアップしている名前は樹だ。はじめての着信に違和感と、あけすけに言えば「面倒くさいな」という思いが湧いて一瞬無視しようとしたが、今は何でも履歴が残るのがネックだ。普通の人は折り返すだろう。しかしそんなことをしてやるのも面倒くさい。
どうせ話すならさっさと済ませた方が楽だ。そう思ってスマホを取る。
「もしもし?」
『あ、もしもし? 芥さんですか? 清水樹ですが……』
挨拶で何を言うか概ね想像できるから聞き取れたが、その声はずいぶん遠く、その上喧騒が重なっていた。
「どうされましたか?」
『純也の――両親――、高校生、話……』
「はい?」
『純也のことについて……』
喧騒で上手く聞き取れない。
それだけだろうか。わざと声をこもらせたり途絶えさせているような、作為的なものを感じるのは気のせいだろうか。
色々上手くいっていないから気が立っているのかもしれない。そもそも樹に悪印象があるからかもしれない。判断がつかず、明良はしばらく通りの悪い会話を続けた。樹はどうやら、純也について明良と話がしたいらしい。
そこまで聞き取るのに五分はかかった。きっとそれが不便だったのだろう。
『すみません。急ですが、今日どこかで会えませんか』
相変わらず不明瞭な声に誘われる。
「そうですね……」
明良は別に会いたくなかったが、純也の手前愛想悪くはできない。この通話状態の悪い電話で話す気にもなれなかった。
『お願いします。大事な相談があって。どうにか都合をつけてもらえませんか』
思案に重ねるようにそう頼み込まれ、明良は渋々了承した。途端樹は声音を明るくして慣れたように時間と場所を指定する。急に声の通りが良くなった気がするのは偶然だろうか。
「はー……」
何も解決しないまま面倒事が増えた。とはいえ、今日話せば片付くことだ。
明良はパソコンに向き直りぐだぐだと頭を悩ませたが、進んだとは言えない。待ち合わせ時間のアラームで諦めを付けて立ち上がる。
とりあえず印象が良いようにラフながら襟付きのジャケットを着て、明良は小さなアパートを出た。約束したのは遠いがアクセスのいい街だ。
見慣れない飲み屋街、名前を頼りに店を探すのには想像通りの時間がかかる。予想していたより高級そうな外観に数度前を通り過ぎてしまったが、けれど時間にはその店のドアベルを鳴らせた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた老店員の声が出迎えるのは、小さな、しかし雰囲気のいいバーだった。
照明は随分絞られているが、ライトの具合か家具自体の色か、全体が藍色がかって見える。バーテンダーの背後にある大きな水槽のせいかもしれない。
水槽の照明が反射して、入り口は明るく照らされているらしい。あるいは単に長くいて目が慣れているのか。カウンター席で黒いシルエットが立ち上がった。
「すみません、急に。他に時間が作れませんで」
瞬けば、それは確かに樹だった。
「いえ。大丈夫です。自由業ですから」
答えながら彼の横へ足を向ける。樹はコートを脱いでいたので光沢のある高級スーツに目が行く。あのときは取っ組み合いで乱れていた髪もきっちり整えられ、いかにも合理的な、共感力のなさそうな容姿だ。明良は彼の印象を更に悪い方へ修正した。
「ボックス席じゃなくて大丈夫ですか?」
「ええ」
ソファに腰掛けリラックスして話すつもりはない。樹は苦笑気味に頷き、店員に軽くグラスを示してみせた。中身も少ないし、おかわりを頼んだのだろう。
カウンターの中の老店員が少し遠ざかったのを確認し、樹は隣に腰掛けた明良を振り返る。
「芥さんは、こういう店にはよく?」
「いいえ。こんな大人びたお店は初体験ですよ。次の小説の参考にしようと観察してます」
「それにしては泰然とされてる」
笑う樹の前に店員がグラスを置いたので、明良は「薄いカクテルを」と頼んだ。飲めるふりをするほど子どもじゃないし、そもそも彼の前で酔う義理もない。本当なら烏龍茶でも頼みたかったくらいだ。
高めのスツールとはいえ、腰ポケットに物を入れていると気になるだろう。樹は自然な動作で片手大のそれをカウンターへ置く。互いの間、仕切るように置かれたそれへ、明良は反射的に言っていた。
「俺はタバコが苦手なんです。すみませんが遠慮してもらえますか」
「ああ、わかりました」
座るのに気になっただけなのだろう、軽く答えて、樹はあたりを見回す。
「ここは全席喫煙なんですが、大丈夫ですか?」
「珍しいですね」
今時少ないが、だからこそ愛煙家は贔屓にするのかもしれない。見回せば確かに足りない照明の光の中白煙が漂っている。
「大丈夫ですよ。匂いも煙も平気なので」
「じゃあ何が……」
隣の樹に向き直り、にっこり笑って返答を避ける。樹は苦笑してグラスをかたむけ、その話題はそこで終わった。
黒子のような店員が明良のカクテルを運んできても、樹は黙ってウイスキーを見ている。根比べをする気はなく、明良から水を向けた。
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