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デート(4)
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「純くん、なに……」
ひそひそ尋ねた瞬間、目の前の体が勢いよく飛び出す。「うわっ」という聞き覚えのない声が響いて、無謀にも純也が強盗に飛びついたのだと察した。
「純也!」
とにかく何者かわからないし、何を携帯しているかも知れたものじゃない。そういう思いから明良も飛び出し、純也に掴みかかられている人の膝裏を蹴る。
男らしきその人は低くうめいて前のめりに転がった。純也は腰をまたぐ体勢で、黒いコートを着ている男の両手を拘束する。
「つ、つ、捕まえたけどどうしよう!? 警察? 警察を呼べばいいのかな!?」
「純也! 考えなしに危ないこと……!」
説教しながらも明良はスマホを取り出す。三つの数字をタップする前に、純也の下の人が暴れた。
「待て、待て待て、芥さん!」
「あくっ……何?」
名を呼ばれ、明良こそが面食らう。
純也は後手に押さえ込んでいる男の腕を妙な形にひねった。男は喉の奥で悲鳴を上げる。
「っ明良さんに、なんか、用ですか」
「……ッじゅ、純也も、純也も待て、何もしない! 何もしないからちょっと待て!」
互いの名を呼ばれ、ふたりはとりあえず視線を交わした。無差別強盗ではないようだ。
「…………」
腕の拘束が緩められたのだろう。男は大きく息を吐く。けれど暗闇で付け回してきた男をさっさと解放するのは恐ろしい。純也が乗りあがっている体を、明良は刑事ドラマの見よう見まねで探る。
幸いすぐにコートのポケットから財布が出てきた。開けば地下鉄のICカードが入っている。通勤定期という文字の下に名前が記載されている。
「シミズイツキ……清水? 二十八歳だって。純くんの知り合い?」
同姓の純也に問えば、彼は「イツキ、イツキ……」と記憶を探るようにしてから、不意に不審者の腕を解放した。
「まさか樹兄さん!?」
「い……たたたた。純也、お前、柔道かなんか習ってたのか?」
固められていた腕をゆっくり動かし、不審者はごろりと仰向けになる。道路に寝ているという奇妙な状況だが、街灯が当たるといかにも営業マンといった容姿が顕になる。体つきも逞しく、押しが強そうだ。
人は見た目によらないとはいえ、夜道で人を付け回すタイプの犯罪をするようには思えない。
純也は動揺しながら男に問う。
「なんで、ど、どういうこと? 俺のことつけてたの?」
「違うよ。ただの会社帰りだ。年下のイトコがデレデレ手をつないで歩いてるから、別れたところでひやかしてやろうと……」
答えながら立ちあがった背丈は明良や純也より高い。
見上げる視線に気づいたのか彼は明良を見た。ふたりの視線に何を思ったのか、純也が思い出したように間に入り込む。
「あ……この人、樹兄さん。俺のイトコだ。弁護士さんだから悪いことはしてないと思う。……多分」
「そうですか。驚いてしまって。すみません。はじめまして、芥です」
「はじめまして、清水樹です。芥さんっていうのは……作家の芥さん、ですよね」
言い当てられ、明良は純也を見ながら「ええ」と首肯する。彼が交流を伝えているのかと思ったのだ。
けれど純也は視線の意味を察して首を振る。明良は眉根を寄せた。今まで明良の仕事に気づいたのは純也だけだ。
「……なぜ名前を?」
「著作を拝読させてもらってますから。顔も存じてました。いや、こんなところで小説家に出会えるなんてな」
半年の間にふたりも、と驚くわけがない。明良は違和感に顔を歪める。
数年顔を出して仕事をしてきたが、気づいたのは純也だけだった。だというのにそれから数ヶ月してもうひとり、ましてや純也の親戚だなんて、偶然ではありえない。
ではどういうことだろう。
真意を探る視線を誤魔化すように、樹は純也に目を向けた。
「芥さん細身だから、遠目だと背の高い女に見えたんだけどな、男性か。手をつないでるように感じたんだけど気のせいだったな」
「…………」
明良と純也は目を見交わす。責める視線と困る視線に、同じだけ「バレなかった」という安堵が混じってしまう。
樹は大仰に胸をなでる。
「しかし驚きました。イトコとはいえ年齢的におじ気分なんですが、そいつを追いかけたら小説家に出会ってしまうなんて。普段知り合うことのない職業ですから」
「そんな。私くらいの作家なんて石を投げたらあたりますから。純也くんとは仲良くさせてもらってます」
身内の前だ。できる限り礼儀正しく対応している明良の横で、純也はふと不思議そうに樹を見た。どこか腑に落ちないといった顔をしている。
「純也くん? どうしたの?」
「いや、えっと……」
「それより芥さん」
何か言いかけた純也との間に、樹が無遠慮に割り込んでくる。
「身内が迷惑をかけたらいけないので、連絡先を頂戴してもよろしいでしょうか? アクシデントがあったときにも頼りたいし」
「え、でも……」
たかがイトコが? という思いが返答に出る。しかし何を続ける前に、純也が「や、やめてよ!」と子供っぽい声をあげた。
「いつまでも年下扱いしないでよ、樹兄さん! そんな保護者みたいなことしないで!」
「けど俺、おばさんたちから頼まれてるんだよ。面倒見てあげてねって」
「そんなの昔の、正月の集まりのときの話でしょ!? 嫌がらせで明良さん巻き込まないでよ!」
慌てて明良の肩を抱いた手はお気に入りのおもちゃを取られまいとするように無邪気だ。必死にいい子ぶっている普段の緊張も感じられない。
気を、許しているのだろう。
その実感はなぜか奇妙な冷たさを持って明良の胸に落ちた。自分の顔から表情が消えるのに気づいて、明良はあわてて笑顔を繕う。
「大事なイトコさんをお預かりしてるんだから、連絡先くらい当然ですよ」
「明良さんも……」
振り返った純也はふと眉を寄せ口をつぐむ。何かに気づいたが、それが何かわからない、という沈黙だった。明良は彼を無視して樹に笑いかける。
「番号をいただければかけますよ。何番ですか?」
「待ってください、プライベート電話を……いいですか? 〇九〇の……」
樹の告げた番号にワンコールし、ふたりで互いの番号を登録しあう。その間純也はただ困惑しているようだった。
「樹さんは、樹木のジュでよろしかったですか?」
「ええ。芥さんは……そうだ、これは筆名ですよね」
よく知っているなと思いつつ明良は頷いた。
「ええ。ペンネームです。本名は山木明良。平凡な名前でしょう?」
「芥は……やっぱり、芥川龍之介から?」
おそらく本名で登録しているのだろう手つきを見るともなく見ながら、明良は「そうですね」と笑った。適当な相槌だ。インタビューでは別の理由を答えているから、その不一致にか純也がちらりと目を向けてくる。
「純也、もう用事は終わったんだろ?」
樹は誘うようにそう言った。一緒に帰ろうという意味だろう。家族の付き合いもあるようだしおそらく家も近いのだ。
けれど純也は首を振る。
ひそひそ尋ねた瞬間、目の前の体が勢いよく飛び出す。「うわっ」という聞き覚えのない声が響いて、無謀にも純也が強盗に飛びついたのだと察した。
「純也!」
とにかく何者かわからないし、何を携帯しているかも知れたものじゃない。そういう思いから明良も飛び出し、純也に掴みかかられている人の膝裏を蹴る。
男らしきその人は低くうめいて前のめりに転がった。純也は腰をまたぐ体勢で、黒いコートを着ている男の両手を拘束する。
「つ、つ、捕まえたけどどうしよう!? 警察? 警察を呼べばいいのかな!?」
「純也! 考えなしに危ないこと……!」
説教しながらも明良はスマホを取り出す。三つの数字をタップする前に、純也の下の人が暴れた。
「待て、待て待て、芥さん!」
「あくっ……何?」
名を呼ばれ、明良こそが面食らう。
純也は後手に押さえ込んでいる男の腕を妙な形にひねった。男は喉の奥で悲鳴を上げる。
「っ明良さんに、なんか、用ですか」
「……ッじゅ、純也も、純也も待て、何もしない! 何もしないからちょっと待て!」
互いの名を呼ばれ、ふたりはとりあえず視線を交わした。無差別強盗ではないようだ。
「…………」
腕の拘束が緩められたのだろう。男は大きく息を吐く。けれど暗闇で付け回してきた男をさっさと解放するのは恐ろしい。純也が乗りあがっている体を、明良は刑事ドラマの見よう見まねで探る。
幸いすぐにコートのポケットから財布が出てきた。開けば地下鉄のICカードが入っている。通勤定期という文字の下に名前が記載されている。
「シミズイツキ……清水? 二十八歳だって。純くんの知り合い?」
同姓の純也に問えば、彼は「イツキ、イツキ……」と記憶を探るようにしてから、不意に不審者の腕を解放した。
「まさか樹兄さん!?」
「い……たたたた。純也、お前、柔道かなんか習ってたのか?」
固められていた腕をゆっくり動かし、不審者はごろりと仰向けになる。道路に寝ているという奇妙な状況だが、街灯が当たるといかにも営業マンといった容姿が顕になる。体つきも逞しく、押しが強そうだ。
人は見た目によらないとはいえ、夜道で人を付け回すタイプの犯罪をするようには思えない。
純也は動揺しながら男に問う。
「なんで、ど、どういうこと? 俺のことつけてたの?」
「違うよ。ただの会社帰りだ。年下のイトコがデレデレ手をつないで歩いてるから、別れたところでひやかしてやろうと……」
答えながら立ちあがった背丈は明良や純也より高い。
見上げる視線に気づいたのか彼は明良を見た。ふたりの視線に何を思ったのか、純也が思い出したように間に入り込む。
「あ……この人、樹兄さん。俺のイトコだ。弁護士さんだから悪いことはしてないと思う。……多分」
「そうですか。驚いてしまって。すみません。はじめまして、芥です」
「はじめまして、清水樹です。芥さんっていうのは……作家の芥さん、ですよね」
言い当てられ、明良は純也を見ながら「ええ」と首肯する。彼が交流を伝えているのかと思ったのだ。
けれど純也は視線の意味を察して首を振る。明良は眉根を寄せた。今まで明良の仕事に気づいたのは純也だけだ。
「……なぜ名前を?」
「著作を拝読させてもらってますから。顔も存じてました。いや、こんなところで小説家に出会えるなんてな」
半年の間にふたりも、と驚くわけがない。明良は違和感に顔を歪める。
数年顔を出して仕事をしてきたが、気づいたのは純也だけだった。だというのにそれから数ヶ月してもうひとり、ましてや純也の親戚だなんて、偶然ではありえない。
ではどういうことだろう。
真意を探る視線を誤魔化すように、樹は純也に目を向けた。
「芥さん細身だから、遠目だと背の高い女に見えたんだけどな、男性か。手をつないでるように感じたんだけど気のせいだったな」
「…………」
明良と純也は目を見交わす。責める視線と困る視線に、同じだけ「バレなかった」という安堵が混じってしまう。
樹は大仰に胸をなでる。
「しかし驚きました。イトコとはいえ年齢的におじ気分なんですが、そいつを追いかけたら小説家に出会ってしまうなんて。普段知り合うことのない職業ですから」
「そんな。私くらいの作家なんて石を投げたらあたりますから。純也くんとは仲良くさせてもらってます」
身内の前だ。できる限り礼儀正しく対応している明良の横で、純也はふと不思議そうに樹を見た。どこか腑に落ちないといった顔をしている。
「純也くん? どうしたの?」
「いや、えっと……」
「それより芥さん」
何か言いかけた純也との間に、樹が無遠慮に割り込んでくる。
「身内が迷惑をかけたらいけないので、連絡先を頂戴してもよろしいでしょうか? アクシデントがあったときにも頼りたいし」
「え、でも……」
たかがイトコが? という思いが返答に出る。しかし何を続ける前に、純也が「や、やめてよ!」と子供っぽい声をあげた。
「いつまでも年下扱いしないでよ、樹兄さん! そんな保護者みたいなことしないで!」
「けど俺、おばさんたちから頼まれてるんだよ。面倒見てあげてねって」
「そんなの昔の、正月の集まりのときの話でしょ!? 嫌がらせで明良さん巻き込まないでよ!」
慌てて明良の肩を抱いた手はお気に入りのおもちゃを取られまいとするように無邪気だ。必死にいい子ぶっている普段の緊張も感じられない。
気を、許しているのだろう。
その実感はなぜか奇妙な冷たさを持って明良の胸に落ちた。自分の顔から表情が消えるのに気づいて、明良はあわてて笑顔を繕う。
「大事なイトコさんをお預かりしてるんだから、連絡先くらい当然ですよ」
「明良さんも……」
振り返った純也はふと眉を寄せ口をつぐむ。何かに気づいたが、それが何かわからない、という沈黙だった。明良は彼を無視して樹に笑いかける。
「番号をいただければかけますよ。何番ですか?」
「待ってください、プライベート電話を……いいですか? 〇九〇の……」
樹の告げた番号にワンコールし、ふたりで互いの番号を登録しあう。その間純也はただ困惑しているようだった。
「樹さんは、樹木のジュでよろしかったですか?」
「ええ。芥さんは……そうだ、これは筆名ですよね」
よく知っているなと思いつつ明良は頷いた。
「ええ。ペンネームです。本名は山木明良。平凡な名前でしょう?」
「芥は……やっぱり、芥川龍之介から?」
おそらく本名で登録しているのだろう手つきを見るともなく見ながら、明良は「そうですね」と笑った。適当な相槌だ。インタビューでは別の理由を答えているから、その不一致にか純也がちらりと目を向けてくる。
「純也、もう用事は終わったんだろ?」
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