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第六話「好きな人にバレないように...」
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――『私...漫画描くの...やめる』そう言って桜との電話を切った綺紗は電車に乗り家に帰った。急に電話を切られた桜はすぐに綺紗の家に向かった。「全く...綺紗どうしたのよ...ッ」桜は綺紗の家へ行くとインターホンを押した。中から出てきたのは弟の宗和だった。「姉さん、まだ帰ってないですよ」「...あ、じゃあ大丈夫。ありがとう」そう言うと桜は家の前で待つことにした。
待っていると綺紗が帰ってきた。「綺紗ッ!!!」「...あ、桜...」「もう!心配したんだよ!?何があったの...」桜が尋ねると綺紗は半泣きになりながら桜に抱きついた。「ッ...ど、どうしよう...ッ」「飛馬と何かあったの...?」綺紗は桜を家に入れると部屋に向かった。宗和は空気を読んでリビングにいた。美咲は仕事のため、家を空けていた。
「落ち着いた?」泣いていた綺紗はお茶を飲み少し落ち着いたようだ。「...ッうん」「で?飛馬に何か言われたの?池袋で失敗した?」「...あのね...オタクはバレなかったの...池袋でもアニメイトに行ったんだけど普通に過ごせた...」「うん」桜は静かに綺紗の背中を擦りながら話を聞いていた。「...でも最後に...ッ」「最後に?」「あ、飛馬くんのハマっている漫画を聞いたの...そしたら...」綺紗は思い出したのか、また泣きそうになった。「大丈夫、ゆっくりでいいから...」「...ッ飛馬くんのハマっている漫画...私の描いた恋愛漫画だったの...」そう言うと綺紗はまた泣き出した。「やっぱりね...律さんなんて名前...あいつも律だしね...何となくはそんな気はしてたけど...綺紗が律さんは女の人だって言うから...」「私...もう漫画描けない...ッ」綺紗は桜に泣きつくと桜は綺紗の肩を掴んだ。「綺紗、そんなことで漫画を辞めるのはおかしいよ!私は綺紗の漫画に惚れたんだよ?内容も...絵も...私たちを繋いでくれたのも綺紗の漫画なんだよ?」「...桜」「私はそんなの許さないからね!綺紗の...ううん、ましゅまろ先生の漫画を待ってる人はたくさんいる!飛馬だって...綺紗だって知らずに純粋に漫画のファンになったんだから...」桜はまっすぐ綺紗の目を見て言った。「...うん」「とにかく今日はゆっくり休みな?明日また考えたらいいよ」「桜...ありがとう...」「いいよ、大切な友達なんだから」桜はそう言うと綺紗の部屋を出た。リビングにいる宗和に一言だけ言うと家を出ていった。
「姉さん...漫画描くの辞めるみたいなこと言ってたけど...」リビングに残った宗和は綺紗の部屋の方を見ると心配そうに呟いた。「辞められたら...困るんだよなぁ...姉さん」宗和はお茶を入れたコップを持つと自分の部屋に戻った。
部屋に残った綺咲は飛馬から来ていたチャットを見ていた。【双葉さん今日はありがとう。とても楽しかったよ!好きな漫画の話もできたし、なんか双葉さんともっと仲良くなれた気がする】「はぁ...これに何て返事したらいいんだろう...」綺咲はスマホとにらめっこを数分ほどしていた。しばらくすると...考えながら文字を打ち始めた。【こちらこそありがとう。楽しかった。それならよかった...これからもよろしくね】それだけ打つと送信ボタンを押した。
送信完了の文字を見るとスマホを置いてベッドに寝転んだ。「ん~...どうしよう...あの感じだと絶対に夏コミ来るよね...飛馬くん...」今日はなんだか漫画を描く気にはなれず、夏コミで出す漫画の宣伝だけして寝ることにした。
――次の日、昼頃に桜が家に来た。「もぉ...大丈夫なの?漫画の件もコミケの件も...」「わかんない...でも...バレたら大変だよ...」綺咲は頭を抱えると悩んだ。「まぁ確かに...あの漫画を読んでるってことは主人公の女の子...つまり綺咲が片思いしてる男の子は飛馬だってバレる可能性もあるわけだしね...」桜はそう言いながらスマホを見ていた。「...何してるの?桜」綺咲が気になって聞くと桜はスマホの画面を見せた。「SNSで律さん...つまり飛馬と繋がってみるの」「え...何のために?」「上手く行けば夏コミに一緒に行ってましゅまろ先生のいるコーナーから遠ざけるの!」桜は自信満々に言うが...「それじゃあ桜の正体バレちゃうよ?」「ん?もちろん当日は別のヲタク仲間に影武者として頼むよ?」そう言うと桜はスマホで誰かと連絡を取った。
そんな桜を横目に綺咲は漫画の投稿をするためにパソコンを開いた。昨日の出来事を漫画に更新しようかとも思ったがさすがにバレると思い、別の漫画を更新した。
漫画を投稿すると桜は綺咲の隣に行った。「綺咲、いい方法思いついたよ!」「ほんと!?」綺咲はパソコンを閉じると椅子から降り、小さなテーブルをはさんだ桜の向かいに座った。「夏コミ当日ね、たぶん飛馬は来ると思う...」「...うん」「律さんに声かけてみたらすぐに来た。当日はましゅまろ先生の漫画を買いに行くって」桜は飛馬とのやり取りの画面を綺咲に見せた。そこにはちゃんと【夏コミは初めてなんですが、どうしてもましゅまろ先生にお会いしたいのと、ましゅまろ先生の漫画を買いたいので...行きます】と書いてあった。それを見た綺咲はやっぱり飛馬は来るんだと...律さんは飛馬だったんだと実感したのだ。「安心して綺咲。私たちが何とかするからさ!」「...たち?」「うん。ましゅまろ先生の危機は私たちファンの危機だからね!」桜は任せとけと拳を握りしめた。綺咲も不安に思いつつも漫画はみんなに出したい、ファンのみんなにいつも読んでくれてありがとうと言いたいと...決心したのだった。――
夏コミまであと三日。
新作の漫画はすべて描き終え、印刷した本も届いた。今回は読者の要望で5000冊用意した。去年はあまり来ないと思った綺咲は多めに刷った方がいいという桜の意見を無視し、50冊しか用意しなかった。ところが...わずか2時間で完売し、買えなかった人たちからも欲しいという声がたくさんあったのだ。結局後日に追加印刷をして、買えなかった人たちにオンラインで購入してもらう形になった。なので今年は多めに5000冊用意してと桜にも強めに言われたのだった。「よし...会場にも本届いたし、あとは...」そう、綺咲はまだ少しだけ不安があった。桜は大丈夫だと言うが飛馬にバレないという保証はどこにもない。もしバレてしまったら...『双葉さんって...俺のことそういう風に思ってたんだね。』とか『俺がファンだって言った時も...心の中では笑ってたんでしょ?』なんて言われてしまいそうで怖かった。「...ううん、あの飛馬くんがそんなこと言うはずがないよね!...でももし...」綺咲はずっと一人で葛藤していた。一度は何があっても待ってくれている人たちのために夏コミに参加しようと決め、漫画本が出来た今もまだ夏コミに参加するか少し迷っていた。「桜...何とかするって言ってたけど...どうするんだろう...」綺咲は部屋を出るとリビングへと降りた。リビングには朝まで仕事をして、帰ってきた母の美咲と昼ごはんの用意をしている宗和の姿があった。「姉さん大丈夫?この間からずっと何か考え事をしているようだったけど...」「え、そうなの?綺咲...家のこととか気にしなくていいから、休んでね?」宗和と美咲は心配そうに綺咲を見た。「え?あぁ...大丈夫だよ。もう大丈夫だから」そう言いながら冷蔵庫から飲み物を出すと椅子に座った。
昼ご飯の用意をした宗和は料理の入ったお皿をテーブルに綺麗に並べた。それぞれが仕事や部活などで忙しく、久しぶりに3人でご飯を食べた。
「ねぇ綺咲?」「ん?」ご飯を食べ終わり、片付けをしていると美咲が綺咲に話しかけた。「無理してない?」「え、なにが?」綺咲はお皿を洗う手を止めずに聞いた。「私が仕事ばかりだから綺咲は学生らしいこと出来てないんじゃないかと思って...」美咲がそう言うと綺咲の手が止まった。「...そんなことないよ?ちゃんと自分のやりたいことも出来てるし、楽しく学校生活も出来てるからさ!」綺咲は笑うとまた皿洗いを再開した。美咲は少し心配そうに綺咲を見ていたが、すぐにまた笑顔に戻るとお皿を拭いた。
部屋に戻ると綺咲は今日の分の漫画を投稿するべく描き始めた。「んー...飛馬くん、どうして私の漫画のファンになってくれたんだろう...」絵を描きながら綺咲は考えていた。「初めて飛馬くんからメッセージが来た日のことは覚えてる...。この恋愛漫画を初めて描いて投稿した日...まさかこの漫画でファンになってくれたなんて...」綺咲は『律さん』がファンになったとメッセージを送ってくれた時を振り返っていた。――【初めまして、ましゅまろさん。律といいます。あなたの恋愛漫画読みました。とても素敵なお話で感動しました!これからもお話の展開を楽しみにしてますね!】とても丁寧な感想を送ってくれて、共感してくれて、嬉しかった。【こんにちは、ましゅまろ先生。少しだけ相談なのですが...わたしには今、恋とは違うのですが気になる方がいます。好きという感情はよく分かってなくて...ただ、ましゅまろ先生の描いている漫画に登場する方と雰囲気が似ていて...もし、ましゅまろ先生が描いているこの漫画、ノンフィクションなのであれば色々と相談に乗って欲しくて...すみません、こんなお願いを。今日も漫画楽しみに待っています。】そう、私と同じように気になる人がいて...。「ん?」綺咲はふと我に返った。「待って待って?そういえば律さん...前に気になってる人がいるって相談してきたよね?」そうです。その時は綺咲は律さんが女の人だと思っていたため、自分と同じように飛馬のような男の人に恋をしているのかと思っていたのだった。「でも...律さんが飛馬くんなら...相手は誰?私の漫画に登場する人と雰囲気が似てるって言ってたよね?」綺咲は気になり、すぐに桜に連絡をして会うことになった。――
「えええ!?飛馬の恋愛相談に乗った!?」「ちょっと桜...!声大きいよっ!」綺咲は桜と近くの喫茶店で待ち合わせると気になっていた話を桜にした。「で?どういうこと?」「あぁ...うん。まだ私が律さんのことを飛馬くんだって気づかなかった時あるでしょ?その時に...」「好きな人がいるって相談されたの?」「んー...何か私の描いてる恋愛漫画の登場人物に飛馬くんの気になる人が似てるらしくて...だからもし私の描いてる漫画がノンフィクションなら相談できるかなと...って」綺咲が全て話すと桜はメロンソーダを一口飲んだ。「...それ、綺咲のことじゃん?」「え?」「だからそれ、綺咲のこと言ってるんじゃない?」桜は続けた。「綺咲の描いた漫画に出てくる登場人物は綺咲、飛馬、たまに私...後はクラスメイトとか先生を少しとかでしょ?もう決まったも同然じゃない?」「ま、待って?それだと桜の可能性もあるじゃない?他のクラスメイトの子の可能性だって...」綺咲は動揺が隠せなかった。「んー...私は彼氏いるって飛馬知ってるし、他のクラスメイトを性格まで鮮明に描いてる模写ないし?」桜はそう言いながら今までの私の漫画を見せた。「そ、そうだけど...私ってことはないと思うよ?」「綺咲?飛馬は気になるって言ってたんでしょ?そりゃ好きな人ってなると分かんないけど...気になる人ならありえるでしょ。最近よく話してるし、仲良くなり始めたんだからさ?」桜はそれだけ言うと彼氏に呼び出されたからとお金を置いて喫茶店を後にした。
綺咲はその後もしばらく考えていた。「んー...飛馬くんが私を?」どれだけ考えても有り得ないという考えしか出てこない綺咲だった。
――夏コミまであと一日。
いよいよ夏コミは明日だ。桜は対策を考えていると言っていた。綺咲はまだ不安になっていた。SNSではみんながましゅまろ先生の新作漫画を楽しみにしていた。夏コミにも行くと言ってくれている人が何人もいた。「はぁぁ...大丈夫かなぁ...明日」朝ごはんを食べたあと綺咲は部屋に戻りパソコンとにらめっこをしながら呟いていた。「みんなは楽しみにしてくれている...だから行きたいし、行かなきゃだけど...もし飛馬くんにバレたら...」そんなことを考えてもう二時間も何もせずパソコンの前に座っていた。
すると一通のメッセージが届いた。「ん?なんだろう...」綺咲はスマホでSNSのメッセージを開いた。するとメッセージは律からだった。【こんにちは。ましゅまろ先生。いよいよ明日、夏コミですね!凄く楽しみにしています。ましゅまろ先生の新作漫画、そしてお会い出来るのも楽しみです。】「あ!!律さん!!」綺咲はもう、律が飛馬だということに気が付いているため返事をするのに急に緊張し出した。「ど、どうしよう...なんて返そう...」とりあえずいつも通りに【こんにちは。明日楽しみに待っていますね!】それだけ返すとスマホを置いて机に突っ伏した。
そのまま夕方まで寝てしまっていた綺咲は電話の着信音で慌てて起きた。「わわっ...桜?」電話に出ると桜は慌てた様子だった。《もしもし綺咲!?》「うん、どうしたの?」《ほんっとにごめん!!明日...私行けなくなった!》桜のその言葉に綺咲は時が止まったようだった。「え...どういうこと?」《実はさ...》――
桜の話によると、ついさっき桜の彼氏が疲労と夏バテで倒れたというのだ。大事をとって一日入院ということになり、身寄りが近くにいない彼氏のそばにいれるのは桜しかいないのだった。《だからね?明日の夕方くらいには行けると思うんだ!彼が昼過ぎに退院して家まで送ったらすぐ行くから!》「そ、そっか...でもそれは仕方ないよ!彼氏さんについていてあげて!」綺咲がそう言うと桜は安心したような声になった。《あっ!だからね明日の夏コミに飛馬が来たら...一応助っ人は呼んであるけど役に立つかどうか...》「助っ人?」《そう!飛馬が来た時だけ身代わりっていうの?ましゅまろ先生の影武者みたいなものをしてくれる人を呼んだんだけどね?ちょっと微妙なのよ、来てくれるか...》桜は悩みながら伝えた。しかし電話越しの後ろは騒がしく、多分彼氏の入院する病院なのだろう。そう思った綺咲は「うん、とにかく何とかするよ!大丈夫!」《...そう?もし困ったらいつでも電話して?病院にいるけど電話は出るから!》「うん!ありがとう!それじゃあね」電話を切ると綺咲はベッドに倒れ込んだ。「あぁ...もうダメだ。私が何とかしないと...助っ人ってどんな人なんだろ...」そう考えていると桜からチャットが届いた。【助っ人の人には綺咲の顔教えてるから向こうから声かけられると思う!女の人だから安心だと思う!】「女の人...か...」【わかった。ありがとう】それだけ返事をするとスマホを置き作戦を考えることにした。
「んー...大丈夫とは言ったけど...ほんとに大丈夫なのかな...」もし助っ人の人が来ないまま飛馬が現れたら綺咲の正体がバレてしまう。そうなれば今後の関係もどうなるか...。「飛馬くんは...いや、律さんは私の漫画を楽しみに来てくれるんだよね...隠れたりしたら失礼だよね」そう考えつつも、やはりバレた時を考えると怖くなってしまう綺咲だった。
――夏コミ当日。
結局何も策が思いつかないまま、朝が来てしまった。綺咲は用意を終えるとリビングに降りた。「そう、おはよう」美咲は相変わらず朝に帰ると寝たようだ。先に起きていた宗和が朝ご飯の用意をしていた。「姉さん、おはよう」「はぁ...」椅子に座るなりため息をついた。「どうかした?今日は夏コミに行くんでしょ?」宗和には夏コミに行くとは伝えてあるが、それはあくまで買う側だと言っていた。もちろん宗和は出店の方だということを知っているが...。「うん...そうなんだけどね」「ほら、早く食べて行かないと電車混むよ」「そうだった!いただきます!」綺咲は宗和が用意した朝ご飯を食べるとすぐに出かけた。「騒がしいな...姉さんは」宗和はそれを微笑ましく見ていた。
今日は桜がいないため一人で電車に乗り夏コミ会場まで向かった。「憂鬱...どうかバレませんように!」小さくそう願いながら電車に揺られるのだった。
会場に着く前にはもう電車は満員だった。幸い、出店側は会場の裏口から入れるため駅からずっと並んでいる列には並ばないのだ。綺咲は駅に着くと会場の裏口へ急いだ。会場の裏口から中に入ると沢山の出版社や個人の出店者がいた。もちろん綺咲は毎年来ているため慣れていた。「ましゅまろ先生ですね。本日32番のブースですね」係の人が札を持って来てくれた。綺咲はその札を持つと沢山あるブースの中を通り32番のブースへ向かった。
そこには既に5000冊の漫画本が綺麗に並べられていた。綺咲はブースの中へ入ると札を立てて準備をした。他のブースでもみんなが忙しそうに準備をしていた。綺咲が一番心配しているのは、忘れ物がないかとか売れるだろうかとか、そんなことではない...飛馬が現れ、バレないだろうかという心配だけだった。「そういえば...桜が呼んでくれた助っ人の人って...どこだろう...」綺咲は準備をしつつ周りをキョロキョロしていた。するとゆるふわ系の可愛らしい女の子がこちらへ向かってきた。「あのぉ、綺咲さんですかぁ?」そのゆるふわ女子は綺咲に話しかけた。「あ、え、はい」「桜からぁ頼まれたぁ助っ人ですぅ」何とも言えない話し方をするゆるふわ女子は綺咲が何も言わないままブースの中へ入ってくると漫画本を手に取った。「この本のぉ作者をぉ演じろって言われたんですよねぇ」「...あ!そうです!お願いします!」綺咲は立ち上がるとゆるふわ女子に頭を下げた。「私ぃ、奈々って言いますぅ」奈々も自己紹介を済ませるとそろそろ開場の時間だった。椅子を用意してきて座ると綺咲は説明した。「あ、あの...私はましゅまろという名でこの本を描いていますので...その、ある男性が来た時だけ...奈々さんにましゅまろを演じて欲しいんです」「おっけぇ!桜から大体は聞いてるよぉ」にこにこしながらピースサインを出す奈々に少しだけ安心した綺咲だった。――
そして開場時間になり、夏コミが始まった。ゾロゾロと人が入ってきて色んなブースに人が集まった。もちろん綺咲たちのブースにもたくさん人が来て漫画本を買っていった。「ましゅまろ先生!今年も会えて嬉しいです!」「ありがとうございます、また会えましたね」最初は綺咲が接客をしていた。「ずっと応援してて...でもずっと会えなくて...やっと会えました!」こんな嬉しい言葉をかけてくれる人もいた。綺咲はやっぱり今年も来てよかったと思った。笑顔を振りまくも、やはり飛馬のことが気になっていた。「いつ頃来るんだろう...」その後も綺咲たちのブースにはたくさん人が来て漫画本を買っていってくれた。
少し人が落ち着いてきたかなという頃、綺咲の携帯にメッセージが入った。【ましゅまろ先生、会場に着いたのでもうそろそろ行きますね!】律からだった。「わっ...!そろそろ来るって...奈々さん!」先程まで後ろでのんびりしていた奈々の方を見ると奈々の姿がなかった。「えっ...えっ!?」慌てて周りを見渡すも奈々はいなかった。するとすぐ隣のブースにいた人が「あ、後ろにいた彼女なら電話しながら出ていったよ」と教えてくれた。「え...出ていった...?」ということは帰ってくる。電話を終えたら戻ってくると願っていた。しかし不安になった綺咲は桜に電話をした。《もしもし?》「さ、桜...」《なに?なんかトラブル?》「あ、奈々さんが...いなくなった...」《えっ!?もう...なんで?》桜も慌てた様子になった。「何か...電話がかかってきて出ていったって...」綺咲がそう言うと桜は何かを察したように言った。《...それ、多分戻ってこない》「え...」《あの子、彼氏からの呼び出し電話がよく来るの。根はいい子だから綺咲のことは手伝ってくれると思ってたけど...やっぱダメか...彼氏のことになると周りが見えなくなるんだよね》桜の言葉に綺咲は自分の顔から血の気が引いたのがわかった。「ど、どうしよう...もうすぐ飛馬くんが来るって...メッセージが来たの...」《んー...どうしよう...》桜は少し考えると深呼吸して言葉を放った。《綺咲、よく聞いて。私がましゅまろ先生の漫画のファンになって、その作者が綺咲だって知った時...嫌な気持ちにはならなかった。ガッカリだってしなかった。むしろ同級生だったことに感謝すら覚えた。》「...桜」《だから、飛馬もきっと大丈夫。大丈夫だよ、綺咲》「でも...」《綺咲の好きになった飛馬は綺咲のことを軽蔑するような酷いやつじゃないでしょ?》「うん...」綺咲が頷くと桜は大丈夫だと言って電話を切った。
綺咲はスマホを置くと深呼吸をした。「よし...大丈夫。大丈夫...!」意を決して飛馬が来るのを待った。
――そして、しばらくして...綺咲のいるブースに人が入ってきた。少し下を向いていた綺咲が顔を上げると...そこには...「ごめんねぇ!彼氏が来てって呼び出しがあってぇ、でも綺咲さん困ってると思ってぇ戻ってきたぁ」なんと、奈々が戻ってきた。「あ...えっ!?」「急にいなくなってごめんねぇ?」そう言って頭を下げると奈々は綺咲に代わり本の前に座った。最初は唖然としていた綺咲だったが、もうすぐ飛馬が来ることを思い出すとブースの裏へ隠れた。
綺咲が隠れたと同時に飛馬がブースに入ってきた。「あ、初めまして!律です。」「初めましてぇ!ましゅまろですぅ」大丈夫かなと心配で影から見ている綺咲には2人の声は聞こえない。だが、上手くいってるようには見えた。「俺、初めて漫画のファンになったんです!ありがとうございます!」すると飛馬は奈々の手を握ると固い握手をした。「あれ...なんだろ...この感じ...」それを見ていた綺咲は少しだけ胸がモヤモヤしていたのだった。――
飛馬も帰り、夏コミも無事に終了した。本来、夏コミは2日間に渡って行われるのだが綺咲が漫画を売るのは初日だけなのだ。
夕方になり、片付けの準備をしていると遅れた桜が走ってきた。「ごめんね!!綺咲!大丈夫だった!?」「あ、桜だぁ」「お疲れ様、桜」桜は綺咲と一緒に後片付けを手伝っている奈々を見て驚いていた。「あれ...奈々いたの?」「そうなの!あの後、戻ってきてくれて...」「だってぇ、桜の友達の綺咲さんがぁ困ってるって言うしぃ」奈々は少しだけ照れつつ話をした。「よかったぁ!綺咲、よかったね!」「え、あ、うん」綺咲は少しぎこちない返事をした。なぜなら、あの時...飛馬が奈々の手を握ったのが頭から離れないからだ。もちろんましゅまろ先生だと思っているから握手をしたのだと分かっている...しかし綺咲の心は変な気持ちになっていたのだった。
夏コミが終わると、いよいよ夏休みも終盤だ。今年の夏休みは綺咲にとって色んな出来事があった。二学期はどんな波乱が待っているのだろうか...。
そして綺咲たちのクラスには一つだけ、一学期から空いている席がある。そこは留年生の席らしいのだが...いったいどんな人なんだろうか?
待っていると綺紗が帰ってきた。「綺紗ッ!!!」「...あ、桜...」「もう!心配したんだよ!?何があったの...」桜が尋ねると綺紗は半泣きになりながら桜に抱きついた。「ッ...ど、どうしよう...ッ」「飛馬と何かあったの...?」綺紗は桜を家に入れると部屋に向かった。宗和は空気を読んでリビングにいた。美咲は仕事のため、家を空けていた。
「落ち着いた?」泣いていた綺紗はお茶を飲み少し落ち着いたようだ。「...ッうん」「で?飛馬に何か言われたの?池袋で失敗した?」「...あのね...オタクはバレなかったの...池袋でもアニメイトに行ったんだけど普通に過ごせた...」「うん」桜は静かに綺紗の背中を擦りながら話を聞いていた。「...でも最後に...ッ」「最後に?」「あ、飛馬くんのハマっている漫画を聞いたの...そしたら...」綺紗は思い出したのか、また泣きそうになった。「大丈夫、ゆっくりでいいから...」「...ッ飛馬くんのハマっている漫画...私の描いた恋愛漫画だったの...」そう言うと綺紗はまた泣き出した。「やっぱりね...律さんなんて名前...あいつも律だしね...何となくはそんな気はしてたけど...綺紗が律さんは女の人だって言うから...」「私...もう漫画描けない...ッ」綺紗は桜に泣きつくと桜は綺紗の肩を掴んだ。「綺紗、そんなことで漫画を辞めるのはおかしいよ!私は綺紗の漫画に惚れたんだよ?内容も...絵も...私たちを繋いでくれたのも綺紗の漫画なんだよ?」「...桜」「私はそんなの許さないからね!綺紗の...ううん、ましゅまろ先生の漫画を待ってる人はたくさんいる!飛馬だって...綺紗だって知らずに純粋に漫画のファンになったんだから...」桜はまっすぐ綺紗の目を見て言った。「...うん」「とにかく今日はゆっくり休みな?明日また考えたらいいよ」「桜...ありがとう...」「いいよ、大切な友達なんだから」桜はそう言うと綺紗の部屋を出た。リビングにいる宗和に一言だけ言うと家を出ていった。
「姉さん...漫画描くの辞めるみたいなこと言ってたけど...」リビングに残った宗和は綺紗の部屋の方を見ると心配そうに呟いた。「辞められたら...困るんだよなぁ...姉さん」宗和はお茶を入れたコップを持つと自分の部屋に戻った。
部屋に残った綺咲は飛馬から来ていたチャットを見ていた。【双葉さん今日はありがとう。とても楽しかったよ!好きな漫画の話もできたし、なんか双葉さんともっと仲良くなれた気がする】「はぁ...これに何て返事したらいいんだろう...」綺咲はスマホとにらめっこを数分ほどしていた。しばらくすると...考えながら文字を打ち始めた。【こちらこそありがとう。楽しかった。それならよかった...これからもよろしくね】それだけ打つと送信ボタンを押した。
送信完了の文字を見るとスマホを置いてベッドに寝転んだ。「ん~...どうしよう...あの感じだと絶対に夏コミ来るよね...飛馬くん...」今日はなんだか漫画を描く気にはなれず、夏コミで出す漫画の宣伝だけして寝ることにした。
――次の日、昼頃に桜が家に来た。「もぉ...大丈夫なの?漫画の件もコミケの件も...」「わかんない...でも...バレたら大変だよ...」綺咲は頭を抱えると悩んだ。「まぁ確かに...あの漫画を読んでるってことは主人公の女の子...つまり綺咲が片思いしてる男の子は飛馬だってバレる可能性もあるわけだしね...」桜はそう言いながらスマホを見ていた。「...何してるの?桜」綺咲が気になって聞くと桜はスマホの画面を見せた。「SNSで律さん...つまり飛馬と繋がってみるの」「え...何のために?」「上手く行けば夏コミに一緒に行ってましゅまろ先生のいるコーナーから遠ざけるの!」桜は自信満々に言うが...「それじゃあ桜の正体バレちゃうよ?」「ん?もちろん当日は別のヲタク仲間に影武者として頼むよ?」そう言うと桜はスマホで誰かと連絡を取った。
そんな桜を横目に綺咲は漫画の投稿をするためにパソコンを開いた。昨日の出来事を漫画に更新しようかとも思ったがさすがにバレると思い、別の漫画を更新した。
漫画を投稿すると桜は綺咲の隣に行った。「綺咲、いい方法思いついたよ!」「ほんと!?」綺咲はパソコンを閉じると椅子から降り、小さなテーブルをはさんだ桜の向かいに座った。「夏コミ当日ね、たぶん飛馬は来ると思う...」「...うん」「律さんに声かけてみたらすぐに来た。当日はましゅまろ先生の漫画を買いに行くって」桜は飛馬とのやり取りの画面を綺咲に見せた。そこにはちゃんと【夏コミは初めてなんですが、どうしてもましゅまろ先生にお会いしたいのと、ましゅまろ先生の漫画を買いたいので...行きます】と書いてあった。それを見た綺咲はやっぱり飛馬は来るんだと...律さんは飛馬だったんだと実感したのだ。「安心して綺咲。私たちが何とかするからさ!」「...たち?」「うん。ましゅまろ先生の危機は私たちファンの危機だからね!」桜は任せとけと拳を握りしめた。綺咲も不安に思いつつも漫画はみんなに出したい、ファンのみんなにいつも読んでくれてありがとうと言いたいと...決心したのだった。――
夏コミまであと三日。
新作の漫画はすべて描き終え、印刷した本も届いた。今回は読者の要望で5000冊用意した。去年はあまり来ないと思った綺咲は多めに刷った方がいいという桜の意見を無視し、50冊しか用意しなかった。ところが...わずか2時間で完売し、買えなかった人たちからも欲しいという声がたくさんあったのだ。結局後日に追加印刷をして、買えなかった人たちにオンラインで購入してもらう形になった。なので今年は多めに5000冊用意してと桜にも強めに言われたのだった。「よし...会場にも本届いたし、あとは...」そう、綺咲はまだ少しだけ不安があった。桜は大丈夫だと言うが飛馬にバレないという保証はどこにもない。もしバレてしまったら...『双葉さんって...俺のことそういう風に思ってたんだね。』とか『俺がファンだって言った時も...心の中では笑ってたんでしょ?』なんて言われてしまいそうで怖かった。「...ううん、あの飛馬くんがそんなこと言うはずがないよね!...でももし...」綺咲はずっと一人で葛藤していた。一度は何があっても待ってくれている人たちのために夏コミに参加しようと決め、漫画本が出来た今もまだ夏コミに参加するか少し迷っていた。「桜...何とかするって言ってたけど...どうするんだろう...」綺咲は部屋を出るとリビングへと降りた。リビングには朝まで仕事をして、帰ってきた母の美咲と昼ごはんの用意をしている宗和の姿があった。「姉さん大丈夫?この間からずっと何か考え事をしているようだったけど...」「え、そうなの?綺咲...家のこととか気にしなくていいから、休んでね?」宗和と美咲は心配そうに綺咲を見た。「え?あぁ...大丈夫だよ。もう大丈夫だから」そう言いながら冷蔵庫から飲み物を出すと椅子に座った。
昼ご飯の用意をした宗和は料理の入ったお皿をテーブルに綺麗に並べた。それぞれが仕事や部活などで忙しく、久しぶりに3人でご飯を食べた。
「ねぇ綺咲?」「ん?」ご飯を食べ終わり、片付けをしていると美咲が綺咲に話しかけた。「無理してない?」「え、なにが?」綺咲はお皿を洗う手を止めずに聞いた。「私が仕事ばかりだから綺咲は学生らしいこと出来てないんじゃないかと思って...」美咲がそう言うと綺咲の手が止まった。「...そんなことないよ?ちゃんと自分のやりたいことも出来てるし、楽しく学校生活も出来てるからさ!」綺咲は笑うとまた皿洗いを再開した。美咲は少し心配そうに綺咲を見ていたが、すぐにまた笑顔に戻るとお皿を拭いた。
部屋に戻ると綺咲は今日の分の漫画を投稿するべく描き始めた。「んー...飛馬くん、どうして私の漫画のファンになってくれたんだろう...」絵を描きながら綺咲は考えていた。「初めて飛馬くんからメッセージが来た日のことは覚えてる...。この恋愛漫画を初めて描いて投稿した日...まさかこの漫画でファンになってくれたなんて...」綺咲は『律さん』がファンになったとメッセージを送ってくれた時を振り返っていた。――【初めまして、ましゅまろさん。律といいます。あなたの恋愛漫画読みました。とても素敵なお話で感動しました!これからもお話の展開を楽しみにしてますね!】とても丁寧な感想を送ってくれて、共感してくれて、嬉しかった。【こんにちは、ましゅまろ先生。少しだけ相談なのですが...わたしには今、恋とは違うのですが気になる方がいます。好きという感情はよく分かってなくて...ただ、ましゅまろ先生の描いている漫画に登場する方と雰囲気が似ていて...もし、ましゅまろ先生が描いているこの漫画、ノンフィクションなのであれば色々と相談に乗って欲しくて...すみません、こんなお願いを。今日も漫画楽しみに待っています。】そう、私と同じように気になる人がいて...。「ん?」綺咲はふと我に返った。「待って待って?そういえば律さん...前に気になってる人がいるって相談してきたよね?」そうです。その時は綺咲は律さんが女の人だと思っていたため、自分と同じように飛馬のような男の人に恋をしているのかと思っていたのだった。「でも...律さんが飛馬くんなら...相手は誰?私の漫画に登場する人と雰囲気が似てるって言ってたよね?」綺咲は気になり、すぐに桜に連絡をして会うことになった。――
「えええ!?飛馬の恋愛相談に乗った!?」「ちょっと桜...!声大きいよっ!」綺咲は桜と近くの喫茶店で待ち合わせると気になっていた話を桜にした。「で?どういうこと?」「あぁ...うん。まだ私が律さんのことを飛馬くんだって気づかなかった時あるでしょ?その時に...」「好きな人がいるって相談されたの?」「んー...何か私の描いてる恋愛漫画の登場人物に飛馬くんの気になる人が似てるらしくて...だからもし私の描いてる漫画がノンフィクションなら相談できるかなと...って」綺咲が全て話すと桜はメロンソーダを一口飲んだ。「...それ、綺咲のことじゃん?」「え?」「だからそれ、綺咲のこと言ってるんじゃない?」桜は続けた。「綺咲の描いた漫画に出てくる登場人物は綺咲、飛馬、たまに私...後はクラスメイトとか先生を少しとかでしょ?もう決まったも同然じゃない?」「ま、待って?それだと桜の可能性もあるじゃない?他のクラスメイトの子の可能性だって...」綺咲は動揺が隠せなかった。「んー...私は彼氏いるって飛馬知ってるし、他のクラスメイトを性格まで鮮明に描いてる模写ないし?」桜はそう言いながら今までの私の漫画を見せた。「そ、そうだけど...私ってことはないと思うよ?」「綺咲?飛馬は気になるって言ってたんでしょ?そりゃ好きな人ってなると分かんないけど...気になる人ならありえるでしょ。最近よく話してるし、仲良くなり始めたんだからさ?」桜はそれだけ言うと彼氏に呼び出されたからとお金を置いて喫茶店を後にした。
綺咲はその後もしばらく考えていた。「んー...飛馬くんが私を?」どれだけ考えても有り得ないという考えしか出てこない綺咲だった。
――夏コミまであと一日。
いよいよ夏コミは明日だ。桜は対策を考えていると言っていた。綺咲はまだ不安になっていた。SNSではみんながましゅまろ先生の新作漫画を楽しみにしていた。夏コミにも行くと言ってくれている人が何人もいた。「はぁぁ...大丈夫かなぁ...明日」朝ごはんを食べたあと綺咲は部屋に戻りパソコンとにらめっこをしながら呟いていた。「みんなは楽しみにしてくれている...だから行きたいし、行かなきゃだけど...もし飛馬くんにバレたら...」そんなことを考えてもう二時間も何もせずパソコンの前に座っていた。
すると一通のメッセージが届いた。「ん?なんだろう...」綺咲はスマホでSNSのメッセージを開いた。するとメッセージは律からだった。【こんにちは。ましゅまろ先生。いよいよ明日、夏コミですね!凄く楽しみにしています。ましゅまろ先生の新作漫画、そしてお会い出来るのも楽しみです。】「あ!!律さん!!」綺咲はもう、律が飛馬だということに気が付いているため返事をするのに急に緊張し出した。「ど、どうしよう...なんて返そう...」とりあえずいつも通りに【こんにちは。明日楽しみに待っていますね!】それだけ返すとスマホを置いて机に突っ伏した。
そのまま夕方まで寝てしまっていた綺咲は電話の着信音で慌てて起きた。「わわっ...桜?」電話に出ると桜は慌てた様子だった。《もしもし綺咲!?》「うん、どうしたの?」《ほんっとにごめん!!明日...私行けなくなった!》桜のその言葉に綺咲は時が止まったようだった。「え...どういうこと?」《実はさ...》――
桜の話によると、ついさっき桜の彼氏が疲労と夏バテで倒れたというのだ。大事をとって一日入院ということになり、身寄りが近くにいない彼氏のそばにいれるのは桜しかいないのだった。《だからね?明日の夕方くらいには行けると思うんだ!彼が昼過ぎに退院して家まで送ったらすぐ行くから!》「そ、そっか...でもそれは仕方ないよ!彼氏さんについていてあげて!」綺咲がそう言うと桜は安心したような声になった。《あっ!だからね明日の夏コミに飛馬が来たら...一応助っ人は呼んであるけど役に立つかどうか...》「助っ人?」《そう!飛馬が来た時だけ身代わりっていうの?ましゅまろ先生の影武者みたいなものをしてくれる人を呼んだんだけどね?ちょっと微妙なのよ、来てくれるか...》桜は悩みながら伝えた。しかし電話越しの後ろは騒がしく、多分彼氏の入院する病院なのだろう。そう思った綺咲は「うん、とにかく何とかするよ!大丈夫!」《...そう?もし困ったらいつでも電話して?病院にいるけど電話は出るから!》「うん!ありがとう!それじゃあね」電話を切ると綺咲はベッドに倒れ込んだ。「あぁ...もうダメだ。私が何とかしないと...助っ人ってどんな人なんだろ...」そう考えていると桜からチャットが届いた。【助っ人の人には綺咲の顔教えてるから向こうから声かけられると思う!女の人だから安心だと思う!】「女の人...か...」【わかった。ありがとう】それだけ返事をするとスマホを置き作戦を考えることにした。
「んー...大丈夫とは言ったけど...ほんとに大丈夫なのかな...」もし助っ人の人が来ないまま飛馬が現れたら綺咲の正体がバレてしまう。そうなれば今後の関係もどうなるか...。「飛馬くんは...いや、律さんは私の漫画を楽しみに来てくれるんだよね...隠れたりしたら失礼だよね」そう考えつつも、やはりバレた時を考えると怖くなってしまう綺咲だった。
――夏コミ当日。
結局何も策が思いつかないまま、朝が来てしまった。綺咲は用意を終えるとリビングに降りた。「そう、おはよう」美咲は相変わらず朝に帰ると寝たようだ。先に起きていた宗和が朝ご飯の用意をしていた。「姉さん、おはよう」「はぁ...」椅子に座るなりため息をついた。「どうかした?今日は夏コミに行くんでしょ?」宗和には夏コミに行くとは伝えてあるが、それはあくまで買う側だと言っていた。もちろん宗和は出店の方だということを知っているが...。「うん...そうなんだけどね」「ほら、早く食べて行かないと電車混むよ」「そうだった!いただきます!」綺咲は宗和が用意した朝ご飯を食べるとすぐに出かけた。「騒がしいな...姉さんは」宗和はそれを微笑ましく見ていた。
今日は桜がいないため一人で電車に乗り夏コミ会場まで向かった。「憂鬱...どうかバレませんように!」小さくそう願いながら電車に揺られるのだった。
会場に着く前にはもう電車は満員だった。幸い、出店側は会場の裏口から入れるため駅からずっと並んでいる列には並ばないのだ。綺咲は駅に着くと会場の裏口へ急いだ。会場の裏口から中に入ると沢山の出版社や個人の出店者がいた。もちろん綺咲は毎年来ているため慣れていた。「ましゅまろ先生ですね。本日32番のブースですね」係の人が札を持って来てくれた。綺咲はその札を持つと沢山あるブースの中を通り32番のブースへ向かった。
そこには既に5000冊の漫画本が綺麗に並べられていた。綺咲はブースの中へ入ると札を立てて準備をした。他のブースでもみんなが忙しそうに準備をしていた。綺咲が一番心配しているのは、忘れ物がないかとか売れるだろうかとか、そんなことではない...飛馬が現れ、バレないだろうかという心配だけだった。「そういえば...桜が呼んでくれた助っ人の人って...どこだろう...」綺咲は準備をしつつ周りをキョロキョロしていた。するとゆるふわ系の可愛らしい女の子がこちらへ向かってきた。「あのぉ、綺咲さんですかぁ?」そのゆるふわ女子は綺咲に話しかけた。「あ、え、はい」「桜からぁ頼まれたぁ助っ人ですぅ」何とも言えない話し方をするゆるふわ女子は綺咲が何も言わないままブースの中へ入ってくると漫画本を手に取った。「この本のぉ作者をぉ演じろって言われたんですよねぇ」「...あ!そうです!お願いします!」綺咲は立ち上がるとゆるふわ女子に頭を下げた。「私ぃ、奈々って言いますぅ」奈々も自己紹介を済ませるとそろそろ開場の時間だった。椅子を用意してきて座ると綺咲は説明した。「あ、あの...私はましゅまろという名でこの本を描いていますので...その、ある男性が来た時だけ...奈々さんにましゅまろを演じて欲しいんです」「おっけぇ!桜から大体は聞いてるよぉ」にこにこしながらピースサインを出す奈々に少しだけ安心した綺咲だった。――
そして開場時間になり、夏コミが始まった。ゾロゾロと人が入ってきて色んなブースに人が集まった。もちろん綺咲たちのブースにもたくさん人が来て漫画本を買っていった。「ましゅまろ先生!今年も会えて嬉しいです!」「ありがとうございます、また会えましたね」最初は綺咲が接客をしていた。「ずっと応援してて...でもずっと会えなくて...やっと会えました!」こんな嬉しい言葉をかけてくれる人もいた。綺咲はやっぱり今年も来てよかったと思った。笑顔を振りまくも、やはり飛馬のことが気になっていた。「いつ頃来るんだろう...」その後も綺咲たちのブースにはたくさん人が来て漫画本を買っていってくれた。
少し人が落ち着いてきたかなという頃、綺咲の携帯にメッセージが入った。【ましゅまろ先生、会場に着いたのでもうそろそろ行きますね!】律からだった。「わっ...!そろそろ来るって...奈々さん!」先程まで後ろでのんびりしていた奈々の方を見ると奈々の姿がなかった。「えっ...えっ!?」慌てて周りを見渡すも奈々はいなかった。するとすぐ隣のブースにいた人が「あ、後ろにいた彼女なら電話しながら出ていったよ」と教えてくれた。「え...出ていった...?」ということは帰ってくる。電話を終えたら戻ってくると願っていた。しかし不安になった綺咲は桜に電話をした。《もしもし?》「さ、桜...」《なに?なんかトラブル?》「あ、奈々さんが...いなくなった...」《えっ!?もう...なんで?》桜も慌てた様子になった。「何か...電話がかかってきて出ていったって...」綺咲がそう言うと桜は何かを察したように言った。《...それ、多分戻ってこない》「え...」《あの子、彼氏からの呼び出し電話がよく来るの。根はいい子だから綺咲のことは手伝ってくれると思ってたけど...やっぱダメか...彼氏のことになると周りが見えなくなるんだよね》桜の言葉に綺咲は自分の顔から血の気が引いたのがわかった。「ど、どうしよう...もうすぐ飛馬くんが来るって...メッセージが来たの...」《んー...どうしよう...》桜は少し考えると深呼吸して言葉を放った。《綺咲、よく聞いて。私がましゅまろ先生の漫画のファンになって、その作者が綺咲だって知った時...嫌な気持ちにはならなかった。ガッカリだってしなかった。むしろ同級生だったことに感謝すら覚えた。》「...桜」《だから、飛馬もきっと大丈夫。大丈夫だよ、綺咲》「でも...」《綺咲の好きになった飛馬は綺咲のことを軽蔑するような酷いやつじゃないでしょ?》「うん...」綺咲が頷くと桜は大丈夫だと言って電話を切った。
綺咲はスマホを置くと深呼吸をした。「よし...大丈夫。大丈夫...!」意を決して飛馬が来るのを待った。
――そして、しばらくして...綺咲のいるブースに人が入ってきた。少し下を向いていた綺咲が顔を上げると...そこには...「ごめんねぇ!彼氏が来てって呼び出しがあってぇ、でも綺咲さん困ってると思ってぇ戻ってきたぁ」なんと、奈々が戻ってきた。「あ...えっ!?」「急にいなくなってごめんねぇ?」そう言って頭を下げると奈々は綺咲に代わり本の前に座った。最初は唖然としていた綺咲だったが、もうすぐ飛馬が来ることを思い出すとブースの裏へ隠れた。
綺咲が隠れたと同時に飛馬がブースに入ってきた。「あ、初めまして!律です。」「初めましてぇ!ましゅまろですぅ」大丈夫かなと心配で影から見ている綺咲には2人の声は聞こえない。だが、上手くいってるようには見えた。「俺、初めて漫画のファンになったんです!ありがとうございます!」すると飛馬は奈々の手を握ると固い握手をした。「あれ...なんだろ...この感じ...」それを見ていた綺咲は少しだけ胸がモヤモヤしていたのだった。――
飛馬も帰り、夏コミも無事に終了した。本来、夏コミは2日間に渡って行われるのだが綺咲が漫画を売るのは初日だけなのだ。
夕方になり、片付けの準備をしていると遅れた桜が走ってきた。「ごめんね!!綺咲!大丈夫だった!?」「あ、桜だぁ」「お疲れ様、桜」桜は綺咲と一緒に後片付けを手伝っている奈々を見て驚いていた。「あれ...奈々いたの?」「そうなの!あの後、戻ってきてくれて...」「だってぇ、桜の友達の綺咲さんがぁ困ってるって言うしぃ」奈々は少しだけ照れつつ話をした。「よかったぁ!綺咲、よかったね!」「え、あ、うん」綺咲は少しぎこちない返事をした。なぜなら、あの時...飛馬が奈々の手を握ったのが頭から離れないからだ。もちろんましゅまろ先生だと思っているから握手をしたのだと分かっている...しかし綺咲の心は変な気持ちになっていたのだった。
夏コミが終わると、いよいよ夏休みも終盤だ。今年の夏休みは綺咲にとって色んな出来事があった。二学期はどんな波乱が待っているのだろうか...。
そして綺咲たちのクラスには一つだけ、一学期から空いている席がある。そこは留年生の席らしいのだが...いったいどんな人なんだろうか?
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