異世界で探がす愛の定義と幸せカテゴリー

彦野 うとむ

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妖精の森編

最凶の鉾VS最強の盾⑩

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 「良いか大三郎。男ってのはな、普段は周りが見えないほど趣味に没頭している馬鹿者でも、女の尻だけを追いかけてる助平でも良い。男はいざとなった時に役に立ちゃあ良い。だがな、その逆は駄目だぞ。普段は役に立つのに、いざとなった時に何の役にも立たない奴は何も守れやしない。信じてくれた人でさえ、犠牲にしてしまう救いようのない愚か者だ。大三郎、お前はそうはなるな。普段は馬鹿で良い。いざとなった時、馬鹿だ阿保だと言われても、守りたい人の為に胸張って意地張って役に立て。そんで最後に、気にするなと言ってやれ」

 頭をぐしゃぐしゃと撫でる大きくごつい手。見上げると逆光で顔が見えない。でも、微笑んでいるのは分かる。

 ――じいちゃん。

 人は夢を見ている時、それが夢だとは思わない。
 ただ、夢を見ている時は、夢を見ている者にとって現実。

 ――眩しい。……あれ? ……今、誰の事を思い出していた?

 夢の中で夢を見ているように、現実感が無い現実の中、光以外は底なしの闇。
 ここはどこだ? とは思わない。あれは何だ? と思うだけ。
 自分が何処で何をしているかよりも、眩しい光の中だけに意識がいく。
 目を凝らし、光の中を見る。
 
 ――誰だ? この女性はなんで俺を見ている? なんでそんな顔している? そんな顔は似合わない。似合わない……? 誰に? ……知ってる。この女性に、そんな顔は似合わないと……俺は、知っている。でも、誰だ? 誰……。

 思考が停止しかける。ふと、数枚の写真が舞い降りるように、その女性が怒っていたり、呆れていたり、泣いていたり、時には笑っていたりする顔が見える。
 そして、記憶の断片に居る女性が、こちらを見て名を呼ぼうとしている。
 何時ものように。
 停止しかけていた思考が、少しだけ揺り起こされる感覚になった。

 ――……そうだ、俺、なんか頑張らないと。頑張らないと、泣くんだ。約束したから。訳の分からない、何かをこなす為に、頑張らないと……。あいつが、泣くんだ。……あいつ……? 誰? ……分からない。

 混濁する意識、分かっているのに分からない矛盾した思考。ただ一つ、心の記憶が呟く。

 ――でも、似合わないんだ。そんな顔。似合わない。お前には似合わない。頑張って。こなして来るから。待ってろ。だから、泣くな

 「……。……え、……すか」

 暖かい光の中、その中に居る女性に名を告げる。
 はっきりと思い出している訳ではない。
 心の記憶。混濁する意識の中で、その記憶の断片が呟いたに過ぎなかった。
 だが、それだけで十分だった。

 混濁する意識の中に散らばる記憶の破片が、一つ一つ繋がり、光の中のエスカと重なる。
 光の中のエスカが、大三郎に手を伸ばそうとしている。

 ――手を握ってやらなきゃ、一人で背負い込むんだろうなぁ。ったく、しゃーねーなぁ。

 誰に言っている訳でもなく、無意識にそう思った。ただ、そう思った。 
 

 その時、光を引き裂く叫び声が聞こえた。
 怒りを駆り立てる叫び声。
 それと共に、幾つもの人影が足元からよじ登るように纏わりつく。
 また、聞こえ始める、大勢の悲鳴、嘆き、恨み、咽び泣く声、すすり泣く声。
 意識がまた遠のく。
 記憶の断片をかき消すように、業火の中、殺戮の中、大災害の中、大勢の逃げまどう姿が、死が、大三郎の頭の中を埋め尽くす。
 理不尽に起こる全ての悲劇に憤り、理不尽に奪われて行く命に嘆き、そして、理不尽に理の生贄にされる人々の絶望が、救われなかった者達の怒りの断末魔となって大三郎を飲み込んでいく。
 
 
                 ◇


 ”御形おかたのせり出るなずなと共に、鈴城の仏の座にて紗名すずなを呼び、日出る霊神の七つの願いを運べらせ”

 「神言しんごん、四季一節・寿命花草じゅめいかそう

 パハミエスが詠唱を終え魔名を唱えると、結界の中にそりの鈴を片手に持ち、着物を着たおかっぱ頭の何とも華やかで可愛らしい女の子が、何処からともなく現れた。
 女の子がそりの鈴を高らかに掲げると、優しい鈴の音が七度聞こえ、結界の中の地面一帯に草花が生い茂る。

 「救世主よ。お主に、あっちこっちとちょこまか動かれては厄介なのでな」

 大三郎は生い茂る草花の中で急激に動きが鈍くなった。

 「あれは、東方神言。……そうか。念疫にしてみれば杉田君は生命の源。暗闇に輝く光。負の存在はその光に縋り纏わりついている」
 「どう言う事だ? 御仁よ」
 「分かりやすく言えば、周りを照らしたんだ」
 「照らす?」
 「そう。昼間に月や星が見えないように、辺り一帯を生命の光で照らし、杉田君に集中している負の力を分散させた。これで、念疫が強制的に超人的な動きをさせていたのが出来なくなる。その上、あの神言は自然治癒能力を極限まで高めてくれる。今まで人を超えた動きをして、負担がかかっていた杉田君の体も回復させれる」
 「そ、そうなのか?」
 「ああ。本当に流石だよ、パハミエス。……だけど」
 「だ、だけどなんだ? 御仁よ。何か良からぬ事があるのか? そうなのか? 御仁よ?」

 メルロは、もうこれ以上は勘弁してくれと言わんばかりの隠し切れない不安な顔をしてダルトを見上げる。

 「パハミエスの魔力は桁外れだと言っても、無尽蔵じゃない。この絶対防壁の結界も、あの浄化の門も、東方神言も、高位の魔術師が数人掛かりで、どれか一つをやっと召喚できる程の代物なんだ。その上、供物として大量の魔力を吸われ続けている。短期決戦とは言え、あとどれくらいの魔力が残っているか……」
 「だ、大丈夫なのか? あ、あの老人は、救世主様を救ってくれるのか?」
 「僕はパハミエスを信じる。君達は、君達の所へ杉田君が帰って来ると信じるんだ」
  
 ダルトはメルロに力強い目で言うと、再びパハミエス達を見る。
 不安な顔をし大三郎を見るメルロの手に、ソフィーアがそっと手を添える。

 「ソフィー……」

 ソフィーアは地面に文字を書き、それを見せた。
 
 ”大丈夫。帰って来る。救世主様は必ず、エスカさんの下へ帰って来る”
 
 そして、足を引きずりながらエスカの下まで行くと、力無く結界に手を添えたままへたり込んでいるエスカの手を取り、地面に書いた文字の所まで引っ張り連れて来ると文字を見せた。
 ソフィーアはそのまま、結界の前まで行くと両膝をつき、祈りを捧げるように両手を組み大三郎を見つめた。

 ダルトはソフィーアを見て少しホッとする。
 念疫と対峙する時に最も厄介な障害とも言えるのが人の感情。人に感情がある限り、負の感情を消す事はできない。
 念疫は対象者だけではなく、周りに居る者の負の感情さえも取り込み、己の力としてしまう。その事を知らない者に伝えると、逆効果になってしまう事が多く、無理に恐れや不安を抑えてしまうと、抑えきれなくなった時の反動が大きく、更に危険が増す。 
 それに、安心させようと質問に嘘を混ぜて答えてしまうと、それさえも念疫は敏感に反応してしまう。
 
 「あとどのくらいの魔力が残っているのか分からないけど、パハミエス、魔力が尽きる前に――」

 ダルトが言葉に魔力を込め話しかけると、パハミエスは言葉を遮るように返答する。

 「我を侮るな。浄化の門や神言は流石に短いながらも詠唱が必要だが、他の高位魔法や結界など、無詠唱でいくらでも出せる」
 
 ダルトは、パハミエスが虚勢や見栄を張るような人物ではない事を知っているが故、その言葉を聞いて、少し驚いた顔をしたあと、「流石だよ」という風に笑みを零す。そんなダルトにパハミエスは言葉を足す。

 「とは言っても、高位とて無詠唱の魔法攻撃など焼け石に水だろうがな」
 「だろうね。僕も見ていたけど、エスカさんの『聖なる雷槌ラト・ラテス』ですら耐えてしまうくらいだし。どうする? パハミエス」
 「殺す気でやるしかあるまい。話は終わりだ」

 パハミエスはそう言い、会話の魔力を遮断した。

 「殺す気って……。死なないでくれよ、杉田君」


 大三郎を注視しながらダルトとの短い会話を終え、軽く思考を巡らせる。

 ――念疫を浄化するだけなら簡単だが、問題はあやつの精神だな。無理矢理に引き剥がす事は可能だが、それをしてしまえば精神に傷がつき精神の欠落が起きて、あやつがあやつのままで居る保証は無くなる可能性が高い。が、それは最終手段として。それを防ぐためにも、あやつ自ら念疫の負を引き剥がさせなければならんのだが。下手な高位魔法では効果はなし。手をこまねいている暇もなし。……うむ。致し方あるまい。

 「救世主よ。そのままお主の手でこの世界を滅亡へ導くか。ここで我に殺やれ、滅亡の切っ掛けになってしまうか。それとも、全ての生命を新世界へ導く真の救世主と成るか。お主次第だ。行くぞ」

 パハミエスは杖を掲げ、詠唱を始める。

 ”失われし古都に座する北神の歌姫セレネスよ。日の友、月の友、星の友、ワキュリア、ブリュルド、ル・デステスを想いて謡う29の詩の調べを謡い給う”

 パハミエスの足元から幾本もの光の筋が渦が巻き、掲げている杖に向かって立ち上る。そして、頭上に光が集まると神々しい姿の歌姫が現れた。
 
 ”メイデン・フォレ・ヴィファティ”「太陽の剣に舞う乙女」

 詠唱し、すぐさま魔名を唱えると、歌姫は空に向かい両手を広げ謡いだした。すると、大三郎の頭上一面に光輝く剣が現れ、雨の如く降り注ぐ。

 「ガッ! ガガッ! ガッ! ガガッ!」

 降り注ぐ剣が突き刺さるたび、大三郎は強風に揺らめく旗のように体を揺らす。
 パハミエスは間髪入れず、次の詠唱と魔名を唱える。

 ”イセリミ・フォスツス・フェンガリュオン”「月の光槍こうそうを水面に映す淑女」 

 降り注いでいた光の剣が地面に吸収され、大三郎を中心に大きな輝く水たまりが出来ると、水面から大三郎を突き上げるように光槍が現れた。

 「ガァ!!」

 大三郎が光槍に突き上げられた瞬間、パハミエスは休む暇を与えず、次の詠唱と魔名を唱える。

 ”エセス・ポス・ラムピス・アステリア”「星の輝きを導き放つ貴女」

 空に向かい両手を広げ謡っていた歌姫は、大三郎に向かい両手を広げると、夜空に輝く星のように光の粒が幾つも現れ大三郎を囲む。
 星のように輝く光の粒達は、その輝きを急速に強めていき、大三郎めがけ幾本もの光線を発射する。それはまるで、体中に針を山のように刺された呪物のように大三郎を貫いた。

 「グガァアアアア!!」

 大三郎は幾本もの光線に貫かれ叫び声を上げる。
 パハミエスは掲げていた杖の先端を地面に突き刺す勢いでドンと下すと、歌姫は霧のように姿を消した。それと同時に、光槍に突き上げられ、光線に貫かれていた大三郎も、壊れた人形のように地面へグシャっと落下する。
 
 「グ……グガ、ガ……」

 尚も起き上がろうとする大三郎を見て、流石のダルトも「あ、あれだけの神聖魔法を受けて、まだ動けるのか?」と、驚愕の表情を浮かべた。
 しかし、攻撃した当のパハミエス本人は驚いた様子も無く、更に次の詠唱を始める。

 ”九つの九字、九つの九印、九つの導きにて呪詛を打ち払う”

 詠唱を唱えながら、魔方陣の形に素早く指を九回鳴らす。
 大三郎は指を鳴らす音にビクン、ビクンと体を動かし反応する。
 
 ”天の武にて魔を討ち。不浄たる腐心を滅し。十の勝利で負を祓い、四の功德を得て、三毒十悪を調伏す”

 パハミエスの前に、『聖印』の文字が浮かぶバスケットボール程の大きさがある七色に輝く文珠が出現し、その文珠に手を添える。
 
 「神光しんこう九厳大聖印くげんだいせいいん

 魔名を唱えると頭上に九つの曼荼羅模様の魔方陣が現れ、手を添えている文珠に「ふん!」と気合を入れると、曼荼羅模様の魔方陣がカッと光り、大三郎は目で追えない程の速さで吹き飛ばされた。そしてそのままの勢いで結界に衝突し、ズルリと地面に倒れ込む。
 
 遠くの方でヘンキロとエブルットが轟音を立てて戦っているが、エスカ達は静寂に包まれていた。ダルトでさえ、殺してしまったのではないかと思うほどの出来事を目の当たりにしたエスカ達は、他の音が耳に入ってはこなかった。
 
 パハミエスはチラリと門を見て、「これで目覚めなければ、残る手段は一つしかないな」と呟く。
 魔力に余力があるにせよ、今の攻撃が大三郎を大三郎のまま取り戻せる最後の攻撃なのだろう。

 残る手段。
 精神を無理やり引き剥がし、念疫だけを浄化の門に送る。ただし、エスカ達が知っている大三郎のままで居る保証はない。それは、『神々が認めた男ではなくなるかもしれない』と言う危険を含んでいる。故に、パハミエスが大三郎の精神を念疫からすぐに引き剥がす事はしなかった。

 神々が大三郎のどこを認めたのか誰にも分からない。 
 神々は何故、世界を救える男と思ったのか誰にも分からない。
 だた、その『誰にも分からない』というものが、この世界の唯一の希望。
 万が一、その希望の部分を失ってしまったら、神々ですら、この世界がどうなってしまうのか予想もつかない。

 人が行える三大退魔法の一つ『神光・九厳大聖印』でも目覚めさせる事が出来なかったら、もう誰も、大三郎を大三郎のまま取り戻す事は出来ない。
 
 皆が見守る中、地面に倒れていた大三郎がピクリと体を動かす。
 大三郎の一部と化している念疫の黒鋼の皮膚は健在だったが、意識を取り戻してさえいれば大三郎の体から念疫を取り除く事は容易い。無詠唱魔法で事足りる。
 
 浄化の門があと少しで開ききる。
 
 パハミエスは大三郎が言葉を発した瞬間に、無詠唱魔法を撃てるよう杖を向け身構えた。
 そして、起き上がった大三郎は空を見上げ言葉を発した。

 「ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!」

 精神は、目覚めなかった。
 パハミエスは無表情ながらも奥歯からギリッと音を立て、エスカは呆然と立ち尽くし、ダルトは眉間にしわを寄せ目を伏せた。
 メルロは皆を見て、失敗した事を悟り言葉を失い、ソフィーアは祈りの手を解き、腕を投げ出しへたり込んだ。

 空を見上げていた大三郎は、フラフラっとよろめき地面に倒れ込んだ。そして、体をガクつかせながら再び起き上がり、また倒れ、結界に体を預けながらまた立ち上がろうとする。
  
 もう、間に合わない。

 目を伏せていたダルトは、ゆっくりとパハミエスを見ると、言葉に魔力を込め話しかける。

 「パハミエス」
 「……何だ?」
 「もう、時間が無い」
 
 パハミエスはチラリと門を見る。

 「そうだな」
 「完全に闇落ちしていないだけ神々の加護があった、そう思った方が良いのかもしれない」
 
 パハミエスはその言葉に返事を返さない。
 ただ、黙ったまま杖を掲げ、退魔戦で唱える最後の魔法、最終手段である念疫から精神を強制的に引き剥がす為の詠唱を始めようとしたその時、パニティーの叫び声が聞こえた。
 
 「スギタ―!!」
 
 パニティーは大三郎を呼びながら結界まで飛んで行くと、その顔を見て驚き空中で立ち止まる。
 そして、結界に手をつき立ち上がろうとする大三郎の前までゆっくり飛んで行く。
 
 「どうしたんだよ? そんな顔して。泣いてるのか怒ってるのか分かんないじゃん……」

 大三郎の顔に触れるよう、そっと結界に両手を添え、パニティーはぽろぽろと涙を流していた。
 
 「スギタにそんな顔は似合わないよ」
 「ア"……ア"ア"……ア"……」

 大三郎は苦しそうに、パニティーに向かい何かを呟くように呻き声を上げる。 

 「待ってろ。すぐそっちに行くからな」
 
 パニティーは両腕でグシグシと涙を拭い、結界に体当たりをし始めた。
 しかし、鋼鉄の壁に小鳥が体当たりしているようなもの。打ち破る事など天と地がひっくり返ってもあり得ない。それでも、パニティーは止めなかった。
 何度も何度も結界に体当たりをする。
 
 「スギタ一人で戦わせない。私もスギタと一緒に戦う」

 体当たりしている肩が擦り剥け、額から血を流しても、パニティーは止めなかった。
 無情にも浄化の門は開いていく。
 浄化の門の影響か、結界の中は大気が揺れ始め、風を起こし、草花を舞い上がらせる。
 
 「ア……アア……」

 結界に手をつき立ち上がろうとしていた大三郎は、目の前で結界に体当たりをして血を流しているパニティーを見ていた。
 
 「待ってろ、スギタ。待ってろ」

 尚も結界に体当たりをするパニティー。
 コツン、コツンと結界に体当たりする小さな音。
 大三郎は立ち上がるのを止め、結界に手をついたまま両膝を着き、結界に額をつけた。

 「アア……ア……」

 泣いている様に呻く大三郎の声を聞いたパニティーは、結界に手をついている大三郎の手に自分の手を添える。

 「苦しいんだな。一人で戦ってくれてたんだもんな。皆に誤解されても、皆のために怒ってくれたんだもんな。痛いの我慢して。苦しいの我慢して……。待ってろ。今、ちんちん治して楽にしてやるからな」

 パニティーはそう言うと結界に額をつける。すると、パニティーの体が輝き始めた。
 その輝きは、優しく、暖かい、美しい白銀の光。

 「む?」
 「光の妖精……」

 その光景を見ていたパハミエスもダルトも驚く。
 
 パニティーの輝きに照らされ、二人が居る場所だけ、結界が二人を会せるようにそっと消えた。
 パニティーは小さな両手で大三郎の鼻先に触れると、パニティーの手が念疫に侵食され始め、黒くなっていく。
 小さな両手が侵食されて行く中、パニティーは大三郎の鼻先におでこをつける。

 「前にさ、救世主が出来ないって言うんなら、私は諦められるって言ったけど、やっぱり、私はスギタを信じちゃう。信じる事を諦められない。だってさ、スギタはさ、世界を救うんだ。誰も出来ない事をやるんだ」

 小さな手から腕へと、額から顔の半分へと侵食され、それでも大三郎を癒そうと、一途な妖精は輝く事を止めない。

 「エスカが連れて来てくれた、私達の救世主」
 「アア……ア……アア……」

 怒りと嘆き悲しむ大三郎の仮面のような顔が涙を流しているように、念疫が小さな小さな破片となって仮面の目から零れ落ちる。
 侵食の所為で輝きを失いつつあるパニティーは、そっと顔を上げ、大三郎を見つめながらにこりと微笑む。

 「どんなに、なっても……、スギタ、はね……、スギタは、私の救世主、だよ」

 そう言うとパニティーは力尽きるように地面へポトリと落ちた。
 大三郎は、力尽き地面に横たわるパニティーを見て、体を振るえさせ大声で泣くように叫ぶ。

 「アア……ア……アア……アアア、ああああああ!!」

 横たわるパニティーに震える両手を伸ばす。
 誰よりも信じてくれた妖精。
 誰よりもこんな自分を自慢してくれた妖精。
 地球に居た頃は体験したくても出来なかった、女性の優しさを与えてくれた妖精。
 そして、自分のために命を投げ出してくれた妖精。
 
 「あああ……ああ……、だ、駄目だ。パニティー……駄目だ。死んじゃ駄目だ……」

 繊細なガラス細工に触れるように、横たわるパニティーを震える両手で掬い上げようとした。
 
 「触るな救世主よ。今のお主が触れれば、この妖精は念疫の負に喰われ尽くされる」
 
 パハミエスが転移魔法で現れ、パニティーを掬い上げようとしている大三郎を杖で制する。

 「だ、だい、じょうぶ、だよ」

 パニティーは大三郎に弱弱しくにこりと微笑む。
 
 「あ……ああ……」
 「案ずるな。意識があるのなら、念疫を取り除くことは容易い」
 
 パハミエスは杖を高々と上げ、地面に振り下ろす。
 
 「トリナル・インフォルデッド!」
 
 その衝撃が波紋のように広がると、パニティーを侵食していた念疫がパリン! と、音を立て砕ける。
 だが、大三郎の体に纏わりついている念疫は消えなかった。

 「む?! 意識が戻ったのに念疫が剥がれんだと?」

 流石のパハミエスもこれは予想外だった。
 意識を取り戻しせさえすれば、精神を傷つける事無く念疫を引き剥がせるはずだった。
 
 「何故、それ程までにこの男に執着するのだ?」

 パハミエスの知識を持ってしても、今の現状を説明できなかった。
 退魔戦は、知識の勝負と言っても過言ではない。
 草花を巻き上げていた風がより強くなった。
 残り時間は、後30秒あるか無いか。
 もう、打つ手はない。
 
 「うぁ、あああああ!!」

 突然、大三郎が叫び出す。
 頭を抱えたまま立ち上がり、よろめきながら歩き出した。

 「ス、スギタ……」

 パニティーは、力無く大三郎へ手を伸ばす。
 頭を抱えよろめきながら歩いていた大三郎が立ち止まり、空に向かって叫ぶように大声を上げた。

 「俺はお前達の救世主じゃない! 俺は、俺はパニティーの救世主だ!! この世界の救世主だ!!」

 その光景を、皆は驚いた表情で見つめる。
 ただ、パニティーだけは「そうだよ」と、笑顔で涙を流していた。

 「スキル発動! ゴッド・フィンガー!!」

 大三郎は右手を高々と上げ、その手で自分の胸を叩いた。
 その瞬間、浄化の門がゴオン! と、地響きを鳴らし開ききる。
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