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妖精の森編
事実は小説よりも奇なり
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――正直、誰かに頼られる事は、そんなに悪い気分じゃない。特に、損得勘定や上手く利用する為のご機嫌取りで言ったのではなく、パニティーのように、真っ直ぐ信頼してくれたら素直に嬉しい。今まで生きてきた中で、ゲームをクリアーしたこと以外、やり遂げた事なんて何一つない。初めてかもしれないな、そんな俺が、誰かの為に自分から何とかしてやりたいと思ったのは……。
大三郎は今までの自分を思い出していた。
――俺の居た場所は俺じゃなくても良かった。会社を辞めても、俺の代わりは居るし入って来る。そんなのは常識レベルで当り前の事だし、別に、その事で悲観的になった事も無い。寧ろ、その事で悲観的になれる奴は「どれだけ自分に自信があるんだ?」と、失笑していたくらいだ。それに、仕事や私生活で問題が起きた時、何だかんだ言っても何とかなるものだし、何とかならないものは何をしようとどうしようもない。だから、どうしようもない事より、何とかなるものを何とかした方が良いと割り切ってきた。
この時、自分が元居た世界と、自分が今居るこの世界。曖昧だった境界線がゆっくりと、だが確実に一つになっていく。
――でも、ここはどうだ? 俺が居なきゃ、アルマゲドンやら終末をお知らせする恐怖の大魔王以上の絶対的存在によって、滅亡が決定されている世界だ。割り切れるとか、そんなレベルの話じゃない。はっきり言えば、”俺じゃなくても良かった世界”の方が、何百何千倍も気が楽だ。嫌な事も面倒臭い事もてんこ盛りだけど、この世界と比べれば、雲泥の差があるほど気楽だよ。地球だっていつかは消滅するだろうし、その時は、人類だって滅亡するんだろうけど何時かは分からない。だけどここは、その何時かが”決定”されている。
大三郎がそう思った時、曖昧だった境界線を確かなものにする、何かが自分の中に入ってきた。と、同時に頭の中の霧が一瞬にして晴れていく。それは、何かを閃いた時や謎解きの答えをハッと気づいた時に近いものだった。
――もし、俺がパニティー達の立場だったら?
何も考えず、言われるがまま、扉をくぐった時に失ってしまったものが、立場を置き換えてみた途端、何の前触れも無く唐突に大三郎の中に戻って来た。
それは”理解する”というものに必要不可欠な感覚、『現実感』だった。
――ほ、本当に、預けるしかないんだ。
今まで自分の事だけを考えていた。それは間違ってはいない。
誰だってまず自分の事を考える。その後で、自分が何が出来るか、誰かの為に何が出来るかを考える。そして、答えを出す。やるかやらないか。
大三郎には”答えを出す”その権限が無かったのだ。この世界は神々から滅亡と言う結果を出され、それに対して拒否権が無いのと同じように。
――俺と同じ? いや、俺がこの世界と同じにされたんだ……。
ほんの少しの、ちょっとした変化だったのかもしれない。だが、その変化が蟻の巣穴からダムが決壊するが如く、大三郎に現実感を叩きつけて来る。
――エスカが何度となく、「この世界を救ってくれますか?」と言う問いかけをしてきたのは、俺に決定権があるからじゃなかったんだ。……エスカは知っていたんだ。俺の意志とは関係なく、この世界に来た時点で、俺はこの世界と同じになったって事を。だから、自分の意志で救世主になったと思わせようとしてくれてたんだ。
扉をくぐり、救世主になった時点で、拒否権など用意されていない事に気づく。
それに加え、ここで起きている事は、何度も現実で起きている事だと信じようとしたが、どことなく非現実的に受け止めていた自分がいた。それは、精神的な自己防衛本能だったのだろう。
普通に考えれば当然の事である。突然、世界の滅亡だの救世主だのと言われ、目の前で電波系の人しか見る事が出来なかった妖精が飛んでいる。
最初はVRみたいだと、VRゲームなんだと頭の片隅で必死に思い込もうとした。でなければ、人に話したら精神科に連れて行かれるだろうし、専門医に今の状況をどんなに分かりやすく説明したとしても、「世界の滅亡? 妖精が飛んでる? そうですか。今から入院できますか?」と、真顔で言われてもおかしくない、全てが非現実的な事なのだから。
蟻の巣穴と言う小さな変化が、精神の自己防衛本能だったダムを決壊する切っ掛けになるのには、十分だったのかもしれない。目から脳へ鮮明に映し出される、目の前にある”現実”と、それに対する”現実感”が洪水のように大三郎を襲う。
理解し難い事を理解した大三郎は発狂しそうになり、心の中で(うそぉぉおおぉん!!)と絶叫する。
アニメや小説だと、主人公が自分の立場を理解し受け止めた時、気合いを入れたり覚悟を決めたりするが、実際は全く違うのだと大三郎が体現する。
人間と言うのは何かを理解した瞬間に、それが理解の範疇を超えると本能で察した時、他人からは理解できない行動をとるもの。
激しく混乱した思考の中、大三郎は目の前でホバリングをしているパニティーのおっぱいを突いた。それはもう無心で突いた。
胸を突かれたパニティーは、突然の事に驚いた表情だったが、大三郎はスキルを発動していない為、昇天する事はなく、突かれるたびピクンピクンと小さな体を反応させるだけだったが、そのうち頬を赤くし、恥じらうように上目づかいで大三郎の名を呼ぶ。
「ス、ん。スギタァ。ん……や、やん。スギ、ん。ス、ひゃん」
目の前で、可愛い妖精がホバリングしながら胸を突かれ、恥じらいながら感じている。そして、突いている自分の指に、人肌の温かさと柔らいかい感触がある。普段の大三郎なら、べギラゴンになっている自分の息子に「こいつ、動くぞ」などと『第一話 マイサン、大地に勃つ』的な訳の分からない事を言うのだが、今の大三郎はハニワのような素っ頓狂な顔で、無心にパニティーの胸を突きまくっていた。
「杉田様。いい加減にしてください」
凍てつく波動のように言い放つエスカの声に、ハニワ顔で振り向き、操り人形のようにふわふわなのかカクカクなのか分からない動きで近づいて行く。
「エスカ」
「はい」
一応、名を呼ばれたので返事をするが、不気味な大三郎にエスカは身構える。
「握手してください」
「は?」
また、変な事をしてくると思ったのだが、予想外な事を言われ、身構えたままキョトンとする。
「握手」
「はぁ?」
エスカは、不思議そうな顔と訝し気な顔が入り混じった複雑そうな表情で、警戒しながらも握手をする。
ハニワ顔の大三郎は、握手をしているエスカの手の感触を確かめるように、軽く何度か握り返した。
「……気が済みましたか? そろそろ放してください」
「モうしワケ・アリまセん」
大三郎はsiriのような発音で握手している手を離す。
エスカと握手を交わした後、メルロとソフィーアの方を見ると、二人を凝視しながらふらふらと近づく。
「ど、どうした? 救世主様?」
メルロもソフィーアも、大三郎の様子が変な事に気付いていたが、その”変化”には気づいてはいなかった。
「メルロ?」
「何だ救世主様? 何か様子が変だが大丈夫か?」
大三郎は、メルロの問いかけに何も答えず、メルロを確かめるように全身を見る。
自分のあちこちを見る目が、卑猥な嫌らしい目ではないので、恥ずかしさや嫌悪感よりも大三郎が心配になった。
「ど、どうした救世主様? 私になにか――」
メルロが心配になってもう一度声を掛けるが、その言葉の途中で、大三郎のハニワ顔がソフィーアに向く。
大三郎の感覚で言えば、ソフィーアはハリウッドばりの特殊メイクでもしているような感覚だったのだが、改めて見ると、首から上は特殊メイクでも何でもなく、質感のあるリザードマンの顔だった。
大三郎はハニワ顔で暫くソフィーアを見つめた後、徐にリザードマンの顔になったソフィーアの頬を両手で包むように触れる。
ソフィーアの頬の感触とは別に、ピリピリなのかザワザワなのか説明し難い不思議な感触が手に伝わる。その不思議な感触に大三郎は本能か直感かはたまた思わずだったのか小声でスキルを発動させた。
「……スキル発動。ゴットフィンガー」
そう言いながら指先で頬を摩るとリザードマンの顔にヒビが入り薄いガラスが割れるような音と同時に砕け散り消えた。
エスカやパニティー、それだけではなく、ひな壇の周りを警備していた妖精達や野次馬的に物陰などに隠れて様子を見ていた他の妖精達も、その出来事に何が起きたのか分からず目を丸くして言葉を失う。
一番驚いているのはメルロである。予想もしていなかった出来事にわなわなと震えながら覚束ない足取りでソフィーアに近づく。
「ソフィー? ……ソフィー。ソフィー!!」
メルロはソフィーアの前に居た大三郎を突き飛ばし、久しぶりに見るソフィーアの美しい顔を両手で包みながら、今まで共に過ごした辛く苦渋に満ちた日々を吹き飛ばすように号泣し抱きしめた。
「す、杉田様。い、一体何をしたのですか?」
突き飛ばされた大三郎にエスカは驚いた表情のまま尋ねる。
「え? ……いや、ただゴッド・フィンガーを使えるか、試してみた、だけ」
メルロは号泣しながら抱きしめていたソフィーアから離れ、喜びの余り腰が抜けたのか這いずりながら大三郎の足に縋り付き、つま先に額をこすりつけ声にならない声で感謝をする。
「ぎゅ、ぎゅうぜいじゅざまぁぁ! あり、ありがどう! ありがどうございまず! ありがどうございまず! ゾビィーを……ゾビィーを、うわぁああ!」
大三郎は上半身を起こし、自分の足にしがみ付いて号泣しながら感謝を述べるメルロを落ち着かせようとした。
「う、うん。上手くいって良かったよ。ほ、ほら、ソフィーも心配そうに……ソフィー? どうした?」
ソフィーアは大三郎の方へ口をパクパクさせながら何かを言おうとしている。
「ソフィー?」
大三郎は四つん這いでソフィーアの下まで行き顔を覗き込むように口元を見る。
「もしかして……声が出ない、のか?」
ソフィーアは小さく頷く。
「声は戻っていないみたいですね。見た目だけの魔法は解除されましたがクエストをクリアーしないと完全に戻すことが出来ない、そう言う事なのでしょう。それにしても、神の技で魔法を無効化するなんて事をよく気づきましたね?」
「いやぁ。何て言うか、ゲームでもヒントを聞かなきゃ分からない事が偶然に一発で解けちゃった時みたいな感じ……に近いかな?」
「ゲーム? そうなんですか?」
「うん、まぁゲームやらないなら分からないよね。はは」
ゲームとかそんな事よりも、大三郎は今ここに居る全員にどんなに噛み砕いた説明をしても理解してもらえない感覚に陥っていた。
自分の手を見ながらソフィーアの頬に触れた時に感じた、あの説明し難い不思議な感触を思い出す。
今までもゴッド・フィンガーを使っていたがその時とは違う感触。
――あれは……。
「ぎゅう、ぎゅうぜいじゅざま! ゾビィーは、ゾビィーはだいじょうびゅなのか? ゾビィーは……」
四つん這いになっている大三郎の後ろでメルロは四つん這いになりながら大三郎の尻の部分のマントを引っ張る。
「ちょ、ちょちょ、ひ、引っ張らないで! 見えちゃう見えちゃう。俺のウズラの卵とかウィンナーとか菊の門とか見えちゃうから! あ、でも、見られたい俺も居ヴッ!」
「見たくありませんから」
エスカは大三郎の頭を地面に押し潰すように踏みつけた。
それを見ていたソフィーアは驚いた表情をしていたが、口元に手を当て肩を揺らしながら笑った。そして、地面に押し付けられた大三郎の顔を両手で掬うように持ち上げると地面に文字を書き始めそれを見せる。
”声は出せませんが顔が戻った事が分かります。救世主様、本当に心から感謝いたします”
書いた文字を見せると姿勢を正し、神に祈りを捧げるように頭を垂れる。
大三郎はモートスの魔法が半分だけ解けたソフィーアを改めて見る。
メルロの濃い目の金髪ではなく、透き通るような美しいゴールドヘアーに想像していた以上の美女だった事に大三郎は目を奪われ「俺はその姿に聖女を見た」と錯覚してしまうほどだった。
「どこぞの鬼とは違う、違うでござる!」
「鬼ですか? そうですか。私の事なのでしょうね。杉田ゴザル様?」
背後から鬼を超えた死神の死の宣告。あ、これ、逃げられないやつだ。と悟った大三郎は意を決してその場で叫ぶ。
「思わず言ってしまったでござる! 惚けたいがもう遅いでござる! パニティー! たすゲッ――」
エスカは容赦なく後頭部へケンカキックをした後、前のめりに倒れた大三郎に渾身のステップ・オーバー・トゥ・ホールド・フェイスロックを掛ける。
「じぬ、じぬ! じんじゃう……」
それを見たパニティーは慌てて大三郎の下へ飛んで行く。
「エスカ! もうやめろ! スギタが死んじゃう!」
「はい。一度、死んだ方が良いと思います」
殺気のこもった真顔で機械的に言うエスカにパニティーは(エスカに手加減を説く事は大三郎に真面に成れと言うくらい無理なんだ)と悟り、後でちんちんを治してあげようと思うのであった。
ただ、ちんちんを治したら元気になると、ある意味で正解なのだが大体は違う事に気づくのは今の時点で無いに等しいだろう。
「エズガどの! やめでいだだぎだい。ぎゅうぜいじゅざまにじなれではゾビィーのごえが」
号泣した所為でメルロの顔はとんでもない事になっていた。特に鼻水が……。
その顔を見て大三郎を締め上げていた力が緩んだ。ソフィーアも心配そうに見ている事に気付き技を解く。
「次は折ります。分かりましたか? と、その前にメルロさん?」
「なんだエズガどの?」
凄い事になっている顔で見てくるメルロにポケットティッシュを差し出す。
「ごれば?」
「綺麗な顔が台無しですよ」
その言葉にハッとしティッシュを受け取ると鼻をかんだりし身だしなみを整える。
その頃大三郎はうつ伏せになりながらある事に思考を巡らせていた。
”信じられないがここは現実なんだ”と理解した戸惑い。地球で何度も現実逃避で逃げ込んだファンタジー世界に来た事より”帰れない”と言う恐怖感。
だが一方で、何度も行ってみたいと願いに近い思いを寄せていたファンタジー世界に本当に来たこと、アニメや小説の主人公のような体験をしたいと思ってたことが現実に起きていること。そう思うと顔がニヤけるし誰かに自慢したくなるほどの喜びも感じている。
どれがメインの感情なのか分からないほど、全てを理解した大三郎は混乱していた。
何かが起きて自分が死んだとかそう言った”確かなもの”が無い大三郎にとって当り前の混乱なのだし、何よりも、自分がこの世界と同じく拒否権が無いと言う認めたくない真実に気づいてしまった。
ただ、一つだけ何の疑いも迷いも無く心の底から受け止めれたものがあった。
「俺、本当に……救世主なんだ……」
そう思った途端、ズシリと言うよりズンと言う表現に近い衝撃が全身を走る。それが”命を預けられ頼られた者の責任の重さ”だと改めて大三郎は痛感した。
大三郎はむくりと立ち上がりエスカに振り向く。
「今さらですが」
「何でしょう?」
「僕って救世主なんですね」
「今更ですね。ま、杉田様にはそれ以外の価値はありませんから」
大三郎はもう聞き慣れた何時ものエスカの言葉をBGMに空を見上げ、もう一つ気づき理解した事にふと笑みをこぼす。
「あぁ、そうか」
「何です?」
「俺さ、人生で一度も女性に対して辛辣な事を言ったり、冗談でも叩いたりした事なんて無かったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。その俺がさ、この世界に来て、何故エスカにだけ酷い事を言ったりやったりするのか……、今やっと分かったよ」
「何故ですか?」
「それはね、見た目以外、貴様に取柄が無いからじゃぁあボケェええー! スキル発動! ゴッド・フィンぎゃぁぁあああああ!」
エスカは自分に襲い掛かろうとして手を伸ばす大三郎の指をあり得ない方向へ力の限り曲げた。
大三郎は今までの自分を思い出していた。
――俺の居た場所は俺じゃなくても良かった。会社を辞めても、俺の代わりは居るし入って来る。そんなのは常識レベルで当り前の事だし、別に、その事で悲観的になった事も無い。寧ろ、その事で悲観的になれる奴は「どれだけ自分に自信があるんだ?」と、失笑していたくらいだ。それに、仕事や私生活で問題が起きた時、何だかんだ言っても何とかなるものだし、何とかならないものは何をしようとどうしようもない。だから、どうしようもない事より、何とかなるものを何とかした方が良いと割り切ってきた。
この時、自分が元居た世界と、自分が今居るこの世界。曖昧だった境界線がゆっくりと、だが確実に一つになっていく。
――でも、ここはどうだ? 俺が居なきゃ、アルマゲドンやら終末をお知らせする恐怖の大魔王以上の絶対的存在によって、滅亡が決定されている世界だ。割り切れるとか、そんなレベルの話じゃない。はっきり言えば、”俺じゃなくても良かった世界”の方が、何百何千倍も気が楽だ。嫌な事も面倒臭い事もてんこ盛りだけど、この世界と比べれば、雲泥の差があるほど気楽だよ。地球だっていつかは消滅するだろうし、その時は、人類だって滅亡するんだろうけど何時かは分からない。だけどここは、その何時かが”決定”されている。
大三郎がそう思った時、曖昧だった境界線を確かなものにする、何かが自分の中に入ってきた。と、同時に頭の中の霧が一瞬にして晴れていく。それは、何かを閃いた時や謎解きの答えをハッと気づいた時に近いものだった。
――もし、俺がパニティー達の立場だったら?
何も考えず、言われるがまま、扉をくぐった時に失ってしまったものが、立場を置き換えてみた途端、何の前触れも無く唐突に大三郎の中に戻って来た。
それは”理解する”というものに必要不可欠な感覚、『現実感』だった。
――ほ、本当に、預けるしかないんだ。
今まで自分の事だけを考えていた。それは間違ってはいない。
誰だってまず自分の事を考える。その後で、自分が何が出来るか、誰かの為に何が出来るかを考える。そして、答えを出す。やるかやらないか。
大三郎には”答えを出す”その権限が無かったのだ。この世界は神々から滅亡と言う結果を出され、それに対して拒否権が無いのと同じように。
――俺と同じ? いや、俺がこの世界と同じにされたんだ……。
ほんの少しの、ちょっとした変化だったのかもしれない。だが、その変化が蟻の巣穴からダムが決壊するが如く、大三郎に現実感を叩きつけて来る。
――エスカが何度となく、「この世界を救ってくれますか?」と言う問いかけをしてきたのは、俺に決定権があるからじゃなかったんだ。……エスカは知っていたんだ。俺の意志とは関係なく、この世界に来た時点で、俺はこの世界と同じになったって事を。だから、自分の意志で救世主になったと思わせようとしてくれてたんだ。
扉をくぐり、救世主になった時点で、拒否権など用意されていない事に気づく。
それに加え、ここで起きている事は、何度も現実で起きている事だと信じようとしたが、どことなく非現実的に受け止めていた自分がいた。それは、精神的な自己防衛本能だったのだろう。
普通に考えれば当然の事である。突然、世界の滅亡だの救世主だのと言われ、目の前で電波系の人しか見る事が出来なかった妖精が飛んでいる。
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人間と言うのは何かを理解した瞬間に、それが理解の範疇を超えると本能で察した時、他人からは理解できない行動をとるもの。
激しく混乱した思考の中、大三郎は目の前でホバリングをしているパニティーのおっぱいを突いた。それはもう無心で突いた。
胸を突かれたパニティーは、突然の事に驚いた表情だったが、大三郎はスキルを発動していない為、昇天する事はなく、突かれるたびピクンピクンと小さな体を反応させるだけだったが、そのうち頬を赤くし、恥じらうように上目づかいで大三郎の名を呼ぶ。
「ス、ん。スギタァ。ん……や、やん。スギ、ん。ス、ひゃん」
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「はい」
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「は?」
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「握手」
「はぁ?」
エスカは、不思議そうな顔と訝し気な顔が入り混じった複雑そうな表情で、警戒しながらも握手をする。
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「ソフィー? ……ソフィー。ソフィー!!」
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突き飛ばされた大三郎にエスカは驚いた表情のまま尋ねる。
「え? ……いや、ただゴッド・フィンガーを使えるか、試してみた、だけ」
メルロは号泣しながら抱きしめていたソフィーアから離れ、喜びの余り腰が抜けたのか這いずりながら大三郎の足に縋り付き、つま先に額をこすりつけ声にならない声で感謝をする。
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「う、うん。上手くいって良かったよ。ほ、ほら、ソフィーも心配そうに……ソフィー? どうした?」
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「ソフィー?」
大三郎は四つん這いでソフィーアの下まで行き顔を覗き込むように口元を見る。
「もしかして……声が出ない、のか?」
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「声は戻っていないみたいですね。見た目だけの魔法は解除されましたがクエストをクリアーしないと完全に戻すことが出来ない、そう言う事なのでしょう。それにしても、神の技で魔法を無効化するなんて事をよく気づきましたね?」
「いやぁ。何て言うか、ゲームでもヒントを聞かなきゃ分からない事が偶然に一発で解けちゃった時みたいな感じ……に近いかな?」
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「ちょ、ちょちょ、ひ、引っ張らないで! 見えちゃう見えちゃう。俺のウズラの卵とかウィンナーとか菊の門とか見えちゃうから! あ、でも、見られたい俺も居ヴッ!」
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”声は出せませんが顔が戻った事が分かります。救世主様、本当に心から感謝いたします”
書いた文字を見せると姿勢を正し、神に祈りを捧げるように頭を垂れる。
大三郎はモートスの魔法が半分だけ解けたソフィーアを改めて見る。
メルロの濃い目の金髪ではなく、透き通るような美しいゴールドヘアーに想像していた以上の美女だった事に大三郎は目を奪われ「俺はその姿に聖女を見た」と錯覚してしまうほどだった。
「どこぞの鬼とは違う、違うでござる!」
「鬼ですか? そうですか。私の事なのでしょうね。杉田ゴザル様?」
背後から鬼を超えた死神の死の宣告。あ、これ、逃げられないやつだ。と悟った大三郎は意を決してその場で叫ぶ。
「思わず言ってしまったでござる! 惚けたいがもう遅いでござる! パニティー! たすゲッ――」
エスカは容赦なく後頭部へケンカキックをした後、前のめりに倒れた大三郎に渾身のステップ・オーバー・トゥ・ホールド・フェイスロックを掛ける。
「じぬ、じぬ! じんじゃう……」
それを見たパニティーは慌てて大三郎の下へ飛んで行く。
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「はい。一度、死んだ方が良いと思います」
殺気のこもった真顔で機械的に言うエスカにパニティーは(エスカに手加減を説く事は大三郎に真面に成れと言うくらい無理なんだ)と悟り、後でちんちんを治してあげようと思うのであった。
ただ、ちんちんを治したら元気になると、ある意味で正解なのだが大体は違う事に気づくのは今の時点で無いに等しいだろう。
「エズガどの! やめでいだだぎだい。ぎゅうぜいじゅざまにじなれではゾビィーのごえが」
号泣した所為でメルロの顔はとんでもない事になっていた。特に鼻水が……。
その顔を見て大三郎を締め上げていた力が緩んだ。ソフィーアも心配そうに見ている事に気付き技を解く。
「次は折ります。分かりましたか? と、その前にメルロさん?」
「なんだエズガどの?」
凄い事になっている顔で見てくるメルロにポケットティッシュを差し出す。
「ごれば?」
「綺麗な顔が台無しですよ」
その言葉にハッとしティッシュを受け取ると鼻をかんだりし身だしなみを整える。
その頃大三郎はうつ伏せになりながらある事に思考を巡らせていた。
”信じられないがここは現実なんだ”と理解した戸惑い。地球で何度も現実逃避で逃げ込んだファンタジー世界に来た事より”帰れない”と言う恐怖感。
だが一方で、何度も行ってみたいと願いに近い思いを寄せていたファンタジー世界に本当に来たこと、アニメや小説の主人公のような体験をしたいと思ってたことが現実に起きていること。そう思うと顔がニヤけるし誰かに自慢したくなるほどの喜びも感じている。
どれがメインの感情なのか分からないほど、全てを理解した大三郎は混乱していた。
何かが起きて自分が死んだとかそう言った”確かなもの”が無い大三郎にとって当り前の混乱なのだし、何よりも、自分がこの世界と同じく拒否権が無いと言う認めたくない真実に気づいてしまった。
ただ、一つだけ何の疑いも迷いも無く心の底から受け止めれたものがあった。
「俺、本当に……救世主なんだ……」
そう思った途端、ズシリと言うよりズンと言う表現に近い衝撃が全身を走る。それが”命を預けられ頼られた者の責任の重さ”だと改めて大三郎は痛感した。
大三郎はむくりと立ち上がりエスカに振り向く。
「今さらですが」
「何でしょう?」
「僕って救世主なんですね」
「今更ですね。ま、杉田様にはそれ以外の価値はありませんから」
大三郎はもう聞き慣れた何時ものエスカの言葉をBGMに空を見上げ、もう一つ気づき理解した事にふと笑みをこぼす。
「あぁ、そうか」
「何です?」
「俺さ、人生で一度も女性に対して辛辣な事を言ったり、冗談でも叩いたりした事なんて無かったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。その俺がさ、この世界に来て、何故エスカにだけ酷い事を言ったりやったりするのか……、今やっと分かったよ」
「何故ですか?」
「それはね、見た目以外、貴様に取柄が無いからじゃぁあボケェええー! スキル発動! ゴッド・フィンぎゃぁぁあああああ!」
エスカは自分に襲い掛かろうとして手を伸ばす大三郎の指をあり得ない方向へ力の限り曲げた。
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