上 下
43 / 87

通夜

しおりを挟む
岳人を斎場に運ぶためのやけに立派な車がお迎えにきた。その前に誰もいないのを見計らってあたしは携帯電話のカメラで弟の写真を数枚撮った。これがあたし達の生まれ育った我が家で撮る最後の写真だ。ふたり一緒に写る写真も撮ったのよ。

 カメラの中の岳人が死んでいるとは思えない。遊び疲れて寝ているいつもの弟となにも変わらない。だけど、カメラを通さずに見る顔はやはりあたしの知っている寝顔とは違っている。顔が白すぎる。ちょっとだけ開いた口がやけに間抜けに見える。

 目と鼻に詰め込まれた白い綿が弟を不細工に見せる。これは一体なんの為に詰め込まれているのだろう。魂が抜け出てしまわないように、悪霊が入り込んでしまわないようにとどこかで聞いたことがある。だけど、あたしはそうじゃないと思っていた。これは、生きているものと死者を区別する為の目印なのではないだろうか。

 すなわち、岳人はもう生きものではないと認められてしまったのだ。

 斎場に着いてからの大人達はとても忙しそう。あと一時間程でお通夜が始まる。立派な袈裟を着たお坊さんがやってきてなにやら両親と打ち合わせをしていた。
 
 その頃からあたしはもう斎場の受付で待機していた。あたしが想像していたよりずっと多くの弔問客がきてくれた。とても小さな可愛らしいお客さんが多い。おそらく学校のお友達なのだろう。

 小さなお客さんは随分身体の大きな大人の後についてやってきた。岳人が、僕のクラスの先生はとっても怖いんだよおと言っていたが、とてもそんな風には見えない。黒い肌に髭をたくわえたその先生は、泣いている子供を抱きかかえたり手を繋いだり、心配りの出来る優しい人だった。

 あたしは受付のテーブルの横に立って彼らを迎える。受付はお父さんのお兄さんが担当してくれている。あたしの役割は受付ではない。すべての弔問客が必ず通るこの場所でお客様をお迎えしたかっただけ。誰よりも先にお客様に挨拶するのがあたしの仕事だ。ひとりひとりに頭を下げて、ありがとうございますとお礼をした。
 
 一体どこから泣いてきたのだろう。大きな先生に手を握られた子は泣きじゃくって、暴れてあたしの前から動けない。

「岳人君に逢いたいよお。だって今度の日曜日に一緒に公園でサッカーしようって約束したんだもん。」

 大きな先生は困り果てている。なんとかなだめようとするけどその声は子供には届かない。あたしは先生にお願いをする。

「こんなに岳人と仲良くしてくれたお友達なのですから、姉のあたしにもお話させて下さい。」

 大きな先生から見たら泣いている子もあたしも同じ幼い子供に見えることだろう。だけど、あたしには弔問客に心を落ち着かせてから家に上がって貰いたいという責任感を感じていた。このまま涙を流すお友達を放ってはおけない。

 それは決して、泣いている子供が式の邪魔をするかもしれないと疑うわけではなく、涙を流す程岳人と仲良くしてくれたお友達にしっかりお礼をして、あの子みたいに優しい言葉をかけてあげたいと望んでいたのだ。なにより、この場に足を運んでくれたことに感謝をしなければならない。泣きじゃくっていた男の子もあたしが抱き締めると少しだけ落ち着いてくれた。あたしから岳人と似た匂いを感じてくれたのではないだろうか。
 
 果歩ちゃんと美羽ちゃんも来てくれた。果歩ちゃんは岳人のことを良く知っている。小さな頃からたくさん遊んでくれた。まるで自分の弟を亡くしてしまったかのように泣きじゃくる。誕生日やクリスマスにはプレゼントまで用意してくれたのだ。

 もちろん岳人も果歩ちゃんのことが大好きで。彼女が我が家に遊びに来ると必ずあたし達の輪に入ってたくさん笑うのだ。夕方になって彼女が帰らなくてはいけない時間になると泣いて引き留めた。彼女は優しいので、岳人を抱きかかえて、またすぐに遊びに来るからねと約束のキスをしてくれるのだった。岳人は、僕が大人になったら果歩ちゃんと結婚すると言っていた。あたしが嫉妬するくらいふたりは仲が良かった。

 美羽ちゃんは岳人のことなんて知らないはずなのに、涙を流してくれる。見かけや言動から冷めた性格だと思われがちだが、実は情に脆いのだ。あたしは胸が熱くなったけど、不思議とふたりにつられて目頭を熱くなりはしなかった。
 
 ふたりはきっとあたしを心配してやって来たのだろう。でも大丈夫。あの子の姉としての務めを果たしているよ。だから、あたしのことは放っておいてあの子の冥福を祈ってあげて。あたしの大好きな友達が来てくれたのだからきっと喜ぶはずだから。

「ふたりとも泣かないで。きっとあの子も悲しい顔をしてしまうから。あの子は人の笑顔を見るのが大好きなんだ。」

 友達だからといって甘えられない。他の弔問客にするのと同じように深々と頭を下げた。

 
 予定通り十八時にお通夜が始まった。お坊さんに御経を読んでもらって、出席者が順番にご焼香をするだけの簡単な段取りだったが、式はそう厳かなには進まない。

 あたし達家族が最前列に並び、その後ろに親族が続く。さらにその後ろの岳人の友達の席からは御経を始まったときから鳴き声や岳人の名前を叫ぶ声が絶えない。

 天使はこんなにも多くの人に愛されていたのだ。天使はこの家の中では甘えん坊の幼子であったけど、外に出れば社会の中で立派に自分の立場や存在感を保っていたんだね。

 偉かったね。あなたがしっかりした子で優しくて愛されていたから、こんなにたくさんのお友達がお別れに来てくれたんだよ。有難いね。岳人は喜んでいるかな。それともお別れが寂しくて泣いているかな。大丈夫。みんなにはねえたんがしっかりお礼をしておくから。ゆっくりしていなさい。

 あたしはご焼香を済ませた後、祭壇の脇に立ってご焼香をしてくれる人に頭を下げた。そんな段取りは予定していなかった。お父さんもお母さんもそんなことはしない。だが、あたしを咎める者もいない。涙を流してくれる人、悲痛な顔をしてくれる人様々だった。もちろん、お友達はまだ大声を出して泣いている。

 その中に異形の姿を見つけた。大葉先生はご焼香をする前にあたしの前で一礼をした。なんでこの人がここにいるのだろう。先生の随分とゆっくり丁寧にご焼香した。遺影をじっと見つめて静かに手を合わせた。抹香を摘まんで額によせて香炉に落として、再び遺影に向かって手を合わせた。誰よりも凛としていて大人びた姿勢だった。最後にあたしと両親に再び頭を下げてその場を立ち去った。

 あの人の顔を見るといつも不安に襲われるのに優しささえ感じた。いつもあたしに近付くときの横柄な態度など微塵もない。あたしは素直に感謝をして、他の参列者にするのとなんら変わりなく、有難うございますと心の中で呟いた。だけど、他の人にするより長い時間頭を下げたかもしれない。

 お通夜が終わる両親とあたしはその斎場に泊まることになっていた。大きな鏡のある部屋で着替える。喪服を着て鏡に映った自分は今朝自分の部屋の小さな化粧用の鏡で見た猿とはまったく違う生き物。型こそ古臭いけど、お母さんに借りた喪服も一緒に借りた鼈甲の簪も綺麗だった。馬子にも衣装というけれど本当にそうなのだなって。

 喪服も簪もとても綺麗だったけど、弟のお通夜をなんとか姉としての立場で終えることが出来た自分の顔が少しだけまともに見えた。猿をも綺麗に見せてくれる衣装を脱いであたしは食事もとらず眠りについた。だって、起きているのが怖いのだもの。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天ヶ崎高校二年男子バレーボール部員本田稔、幼馴染に告白する。

山法師
青春
 四月も半ばの日の放課後のこと。  高校二年になったばかりの本田稔(ほんだみのる)は、幼馴染である中野晶(なかのあきら)を、空き教室に呼び出した。

三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!

佐々木雄太
青春
四月—— 新たに高校生になった有村敦也。 二つ隣町の高校に通う事になったのだが、 そこでは、予想外の出来事が起こった。 本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。 長女・唯【ゆい】 次女・里菜【りな】 三女・咲弥【さや】 この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、 高校デビューするはずだった、初日。 敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。 カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!

夏休み、隣の席の可愛いオバケと恋をしました。

みっちゃん
青春
『俺の隣の席はいつも空いている。』 俺、九重大地の左隣の席は本格的に夏休みが始まる今日この日まで埋まることは無かった。 しかしある日、授業中に居眠りして目を覚ますと隣の席に女の子が座っていた。 「私、、オバケだもん!」 出会って直ぐにそんなことを言っている彼女の勢いに乗せられて友達となってしまった俺の夏休みは色濃いものとなっていく。 信じること、友達の大切さ、昔の事で出来なかったことが彼女の影響で出来るようになるのか。 ちょっぴり早い夏の思い出を一緒に作っていく。

Cutie Skip ★

月琴そう🌱*
青春
少年期の友情が破綻してしまった小学生も最後の年。瑞月と恵風はそれぞれに原因を察しながら、自分たちの元を離れた結日を呼び戻すことをしなかった。それまでの男、男、女の三人から男女一対一となり、思春期の繊細な障害を乗り越えて、ふたりは腹心の友という間柄になる。それは一方的に離れて行った結日を、再び振り向かせるほどだった。 自分が置き去りにした後悔を掘り起こし、結日は瑞月とよりを戻そうと企むが、想いが強いあまりそれは少し怪しげな方向へ。 高校生になり、瑞月は恵風に友情とは別の想いを打ち明けるが、それに対して慎重な恵風。学校生活での様々な出会いや出来事が、煮え切らない恵風の気付きとなり瑞月の想いが実る。 学校では瑞月と恵風の微笑ましい関係に嫉妬を膨らます、瑞月のクラスメイトの虹生と旺汰。虹生と旺汰は結日の想いを知り、”自分たちのやり方”で協力を図る。 どんな荒波が自分にぶち当たろうとも、瑞月はへこたれやしない。恵風のそばを離れない。離れてはいけないのだ。なぜなら恵風は人間以外をも恋に落とす強力なフェロモンの持ち主であると、自身が身を持って気付いてしまったからである。恵風の幸せ、そして自分のためにもその引力には誰も巻き込んではいけない。 一方、恵風の片割れである結日にも、得体の知れないものが備わっているようだ。瑞月との友情を二度と手放そうとしないその執念は、周りが翻弄するほどだ。一度は手放したがそれは幼い頃から育てもの。自分たちの友情を将来の義兄弟関係と位置付け遠慮を知らない。 こどもの頃の風景を練り込んだ、幼なじみの男女、同性の友情と恋愛の風景。 表紙:むにさん

イラスト部(仮)の雨宮さんはペンが持てない!~スキンシップ多めの美少女幽霊と部活を立ち上げる話~

川上とむ
青春
内川護は高校の空き教室で、元気な幽霊の少女と出会う。 その幽霊少女は雨宮と名乗り、自分の代わりにイラスト部を復活させてほしいと頼み込んでくる。 彼女の押しに負けた護は部員の勧誘をはじめるが、入部してくるのは霊感持ちのクラス委員長や、ゆるふわな先輩といった一風変わった女生徒たち。 その一方で、雨宮はことあるごとに護と行動をともにするようになり、二人の距離は自然と近づいていく。 ――スキンシップ過多の幽霊さんとスクールライフ、ここに開幕!

乙男女じぇねれーしょん

ムラハチ
青春
 見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。 小説家になろうは現在休止中。

【完結】ぽっちゃり好きの望まない青春

mazecco
青春
◆◆◆第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作◆◆◆ 人ってさ、テンプレから外れた人を仕分けるのが好きだよね。 イケメンとか、金持ちとか、デブとか、なんとかかんとか。 そんなものに俺はもう振り回されたくないから、友だちなんかいらないって思ってる。 俺じゃなくて俺の顔と財布ばっかり見て喋るヤツらと話してると虚しくなってくるんだもん。 誰もほんとの俺のことなんか見てないんだから。 どうせみんな、俺がぽっちゃり好きの陰キャだって知ったら離れていくに決まってる。 そう思ってたのに…… どうしてみんな俺を放っておいてくれないんだよ! ※ラブコメ風ですがこの小説は友情物語です※

窓を開くと

とさか
青春
17才の車椅子少女ー 『生と死の狭間で、彼女は何を思うのか。』 人間1度は訪れる道。 海辺の家から、 今の想いを手紙に書きます。 ※小説家になろう、カクヨムと同時投稿しています。 ☆イラスト(大空めとろ様) ○ブログ→ https://ozorametoronoblog.com/ ○YouTube→ https://www.youtube.com/channel/UC6-9Cjmsy3wv04Iha0VkSWg

処理中です...