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一番大事な人?
一番大事な人?⑨
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__ボーン……ボーン……
柱時計が夜の十時を知らせる。
それと共にシトリーの姿は忽然と消え、同時に光の窓も無くなってしまった。
後に残されたのは、通気口だけがポッカリ開いた、ただの壁。
ほんの僅かの出来事は、実際に起こったのだろうか?
泡沫の夢かもしれないと、辺りを見回すステラは、床に置かれた小箱の存在に目を留め、ギクリとした。
シトリーはやはり、アレを残していったのだ。
ヨロリと近寄る。
箱は白地に繊細な銀の細工が施されて、説明された様な禍々しい性能を持つとは信じがたい程に優美だ。
これを対象者に向かって開いてみたとしても、不信感を持たれる事なく、その命を奪ってしまえるだろう。
お手軽さを分かってしまったからこそ、恐ろしい。
「どうしよう……」
そもそも、シトリーの言う“一番大事な人”とは誰を想定していたのか。
シスターアグネス、マーガレット、アジ・ダハーカ、ウィロー。
親しく付き合う者達を順番に思い出すものの、一番なのかどうか考えた事もないのだ。
シトリーは欲しいのだろうか? その中の誰かの魂を。
ステラにとって間違いなく大事な彼等と、自分を捨てた顔も知らぬ親。
どちらを優先するかなんて、迷う余地すらないはずなのだ。
しかもミクトラン帝国にいるらしい産みの親は、高位の悪魔を使って他国の貴族を何人も殺す程罪深い人間。
呆れてしまう。
(そんな人の血を引いているなんて、知らなきゃ良かったよ。でも、放置したら知らない場所で死んじゃうのか……。で、二度と会えなくなる)
考えても答えが出ないばかりか、憂鬱な気分に拍車がかかり、ステラは箱の側で三角座りする。
気分の悪さを感じて、ボンヤリしていると、ジョシュアの部屋に面する方向からガタリと音がした。
こんな時間にメイドが来たのだろうか。
ちゃんと立って迎えるべきなのに、胸の中が騒めいて、動く気力が湧いてこない。
そういうしている間に足音が近付いてくる。
「ステラ……?」
ジョシュアの声だ。
入って来た人物が予想と異なるのに驚き、顔を上げる。
「具合が悪いの? レイフから手を擦り剥いた事は聞いたけど……」
テーブルの上に茶器を置いてから、彼はステラの側に跪いた。
数日会わない間に、彼のイメージを極悪な物に置き換えていたのだが、実物はびっくりする程優しげに見える。
「別に……どこも悪くなんかありません」
シトリーの来訪を伝えた方がいいだろうかと考えたが、どういうわけか後ろめたさを感じ、言葉が出てこなかった。
「そっか、良かったよ。たった数日会わなかっただけなのに、どうしても顔を見たくなったんだ。少し話そう!」
「……」
「あれ? この箱は……?」
「それは駄目です!!」
彼の手が小箱に伸ばされるので、ステラはゾッとして、ジョシュアに体当たりした……。が、力が足りず、ただ単に抱きつく体制になっただけだった。
「ごめん。ステラの大切な物なんだね」
「大切なんかじゃないです! ただ、ジョシュアは触っちゃ駄目なんです!」
「もしかして、この部屋に閉じ込めていたから怒ってる?」
「……そうですよ」
「安心して。もう少しで出してあげれるから。そうしたら二人でのんびりしよう。領地は荒野が多いけど、風景が良い場所もたくさんあるんだ。一緒に出かけよう」
耳に届く声も頭を撫でる手の平も、とても優しい。
生まれて初めてステラを好きだと言ってくれた人は、たぶん自分にとって勿体ないくらいなんだろう。
その温かさを思うほどに、小箱の存在を強く意識した。
(だめだ……、考えたら失っちゃうのかも)
ヌクヌクから抜け出すのは、少々心を強く持たねばならなかったが、ステラは意を決し目の前にある肩にガブリと齧り付いた。
「いったー!! 何するのさ!?」
「うぅぅ……。隠居するにはまだ早いんです! 私にはまだ、やる事があるんですよ!」
彼が怯んでいるうちに、バッと身体を離して小箱を拾う。
自分なりの全速力で向かうのは、開けっぱなしになっている可動式の壁だ。
そこを通り抜け、本棚を力一杯に押す。
「ステラ! オレを閉じ込める気!?」
「朝になったら、誰かが発見してくれますよ! グッバイなのです!」
整然と並ぶ多数の本に必死で目を走らせると、一箇所不自然に空いている所があった。
覗き込むと、予想どおりの鍵。それを回し、隠し部屋を封じてしまう。
本棚の向こう側から壁を叩く音と、声が聞こえてくるが、もう無視するしかない。
ステラは鍵をカウチの上に投げ、ジョシュアの部屋を出た。
時刻はもう消灯時間をすぎている。暗い廊下を出来る限り足音を立てない様に走り、向かう先は自分の部屋。
(ジョシュア、ごめん……ごめん……。ちゃんと確かめなきゃ……。私の親が何をしているのか……。死んで当然の人かもしれないけど、いっぱい文句言わなきゃ気が済まないよ)
私室に飛び込み、デスクの中からフレグランスの売上金を取り出す。
それをバッグの中に放り込み、地味な修道服に着替える。
必要な物は道中で買えばいいだろう。とにかく直ぐにこの屋敷を抜け出さなければならない。
柱時計が夜の十時を知らせる。
それと共にシトリーの姿は忽然と消え、同時に光の窓も無くなってしまった。
後に残されたのは、通気口だけがポッカリ開いた、ただの壁。
ほんの僅かの出来事は、実際に起こったのだろうか?
泡沫の夢かもしれないと、辺りを見回すステラは、床に置かれた小箱の存在に目を留め、ギクリとした。
シトリーはやはり、アレを残していったのだ。
ヨロリと近寄る。
箱は白地に繊細な銀の細工が施されて、説明された様な禍々しい性能を持つとは信じがたい程に優美だ。
これを対象者に向かって開いてみたとしても、不信感を持たれる事なく、その命を奪ってしまえるだろう。
お手軽さを分かってしまったからこそ、恐ろしい。
「どうしよう……」
そもそも、シトリーの言う“一番大事な人”とは誰を想定していたのか。
シスターアグネス、マーガレット、アジ・ダハーカ、ウィロー。
親しく付き合う者達を順番に思い出すものの、一番なのかどうか考えた事もないのだ。
シトリーは欲しいのだろうか? その中の誰かの魂を。
ステラにとって間違いなく大事な彼等と、自分を捨てた顔も知らぬ親。
どちらを優先するかなんて、迷う余地すらないはずなのだ。
しかもミクトラン帝国にいるらしい産みの親は、高位の悪魔を使って他国の貴族を何人も殺す程罪深い人間。
呆れてしまう。
(そんな人の血を引いているなんて、知らなきゃ良かったよ。でも、放置したら知らない場所で死んじゃうのか……。で、二度と会えなくなる)
考えても答えが出ないばかりか、憂鬱な気分に拍車がかかり、ステラは箱の側で三角座りする。
気分の悪さを感じて、ボンヤリしていると、ジョシュアの部屋に面する方向からガタリと音がした。
こんな時間にメイドが来たのだろうか。
ちゃんと立って迎えるべきなのに、胸の中が騒めいて、動く気力が湧いてこない。
そういうしている間に足音が近付いてくる。
「ステラ……?」
ジョシュアの声だ。
入って来た人物が予想と異なるのに驚き、顔を上げる。
「具合が悪いの? レイフから手を擦り剥いた事は聞いたけど……」
テーブルの上に茶器を置いてから、彼はステラの側に跪いた。
数日会わない間に、彼のイメージを極悪な物に置き換えていたのだが、実物はびっくりする程優しげに見える。
「別に……どこも悪くなんかありません」
シトリーの来訪を伝えた方がいいだろうかと考えたが、どういうわけか後ろめたさを感じ、言葉が出てこなかった。
「そっか、良かったよ。たった数日会わなかっただけなのに、どうしても顔を見たくなったんだ。少し話そう!」
「……」
「あれ? この箱は……?」
「それは駄目です!!」
彼の手が小箱に伸ばされるので、ステラはゾッとして、ジョシュアに体当たりした……。が、力が足りず、ただ単に抱きつく体制になっただけだった。
「ごめん。ステラの大切な物なんだね」
「大切なんかじゃないです! ただ、ジョシュアは触っちゃ駄目なんです!」
「もしかして、この部屋に閉じ込めていたから怒ってる?」
「……そうですよ」
「安心して。もう少しで出してあげれるから。そうしたら二人でのんびりしよう。領地は荒野が多いけど、風景が良い場所もたくさんあるんだ。一緒に出かけよう」
耳に届く声も頭を撫でる手の平も、とても優しい。
生まれて初めてステラを好きだと言ってくれた人は、たぶん自分にとって勿体ないくらいなんだろう。
その温かさを思うほどに、小箱の存在を強く意識した。
(だめだ……、考えたら失っちゃうのかも)
ヌクヌクから抜け出すのは、少々心を強く持たねばならなかったが、ステラは意を決し目の前にある肩にガブリと齧り付いた。
「いったー!! 何するのさ!?」
「うぅぅ……。隠居するにはまだ早いんです! 私にはまだ、やる事があるんですよ!」
彼が怯んでいるうちに、バッと身体を離して小箱を拾う。
自分なりの全速力で向かうのは、開けっぱなしになっている可動式の壁だ。
そこを通り抜け、本棚を力一杯に押す。
「ステラ! オレを閉じ込める気!?」
「朝になったら、誰かが発見してくれますよ! グッバイなのです!」
整然と並ぶ多数の本に必死で目を走らせると、一箇所不自然に空いている所があった。
覗き込むと、予想どおりの鍵。それを回し、隠し部屋を封じてしまう。
本棚の向こう側から壁を叩く音と、声が聞こえてくるが、もう無視するしかない。
ステラは鍵をカウチの上に投げ、ジョシュアの部屋を出た。
時刻はもう消灯時間をすぎている。暗い廊下を出来る限り足音を立てない様に走り、向かう先は自分の部屋。
(ジョシュア、ごめん……ごめん……。ちゃんと確かめなきゃ……。私の親が何をしているのか……。死んで当然の人かもしれないけど、いっぱい文句言わなきゃ気が済まないよ)
私室に飛び込み、デスクの中からフレグランスの売上金を取り出す。
それをバッグの中に放り込み、地味な修道服に着替える。
必要な物は道中で買えばいいだろう。とにかく直ぐにこの屋敷を抜け出さなければならない。
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