26 / 89
甘い香りを求めて
甘い香りを求めて④(※ジョシュア視点)
しおりを挟む
裏庭のレンガ小道を、少女がピンクブロンドの髪を揺らして駆けて行く。
美しく咲き誇るチェリープラムの木の影へと消えたその姿を、ジョシュアは執務室の窓から眺め、唇をへの字に曲げる。
彼女が視界から消えたのを残念に思う気持ちは、どこからくるのか。
修道院から攫ってきた少女を、はじめは利用しつくすつもりでいた。
父から引き継いだこのフラーゼ家は、『死の商人』として国内外から知られている。
最先端の研究所で日夜研究開発が進められているのは新種の科学兵器だ。生物に有害な毒物や爆薬等を研究し、国や裏組織へ販売する事を生業とする。
そうして得られた巨万の富は、納税や賄賂、寄付等の形で各組織へと投げられ、政財界での強い発言力を下支えしている。
化学兵器開発の先人として、他者へ後塵を拝させるためには、人材調達が不可欠。技術力が及ばぬところは、特殊スキル保持者の力で乗り越えなけばならないため、人材を発掘するのは、重要な業務の一環なのだ。
そういう事情もあり、ステラを攫った当初は、母親の依頼が完了した後、彼女をフラーゼ家の研究所で働かせようと考えていた。
聖ヴェロニカ修道院において、特殊な扱いを受けていた彼女は、ジョシュアが期待していた通りに非常に珍しいスキルを二つも保有していた。『物質運動スキル』と『複製スキル』。そのどちらも科学研究には有用と言わざるを得ず、修道院から無理矢理連れて来た自分の判断が間違いではなかったと確信が持てた。
彼女を研究に関わらせたら、フラーゼ家には更なる利益が転がり込む。
打算まみれの思考で接し、丸め込もうと思っていたのに、何故だかその矛先がグニャリと曲がった
ステラを人殺しの研究に巻き込みたくないと、考えるようになってしまったのだ。
彼女は世界を、そして人を知らな過ぎる。良く言えば純粋、悪く言えば子供。
裏切り続けたくないと思えるのは、ジョシュアがまだまだ青二才だからなのだろうか。
騙すのが簡単に思えるからこそ、本気を出せず、どこかに逃げ場を残してしまう。彼女が自分の言葉をうまく躱すのがなんとなく嬉しいという歪み。
こういう対象は、他の人に任せるのが正しい。
それなのに、関わり続けたかった。
たぶんこの感情はおかしい。昨日婚約者だった女に離縁の言葉を口にして、ハッキリと自覚した。
ジョシュアの中の何かが狂い始めている。
数少ない同年代の令嬢でありながら、一応スキルを保持していた婚約者と縁を切って、自分は今後誰を望むのだろう。
窓際に立ったまま呆けていると、従者がこちらに近付いて来た。
「ジョシュア様、四月度の販売報告書がまとまりました。……何をご覧になっているのですか?」
「あぁ、桃色の花が咲いているから、気になって」
「おや? 裏には白と黄の花しか咲いていないと思っておりましたが、桃色もあったとは。見落としてしまっていましたね」
「心が綺麗な人にしか見えないからね。報告書を貰おうか」
「あ、どうぞ!」
無味乾燥な数字の羅列に視線を落とすと、レイフがつまらない事を話しだした。
「クラリッサ嬢が、昨日の婚約破棄について抗議文を送ってきましたが、どうなさいます?」
「君が謝罪文を書けばいいじゃない」
「字でバレそうな気がしますが……」
「かもね」
「シスターステラをクラリッサ様の代わりになさるのですか?」
「……」
代筆を頼んだ事の意趣返しのつもりなのか、随分踏み込んだ質問をするものだ。
苛立ちのまま何か言おうと思ったが、不用意な発言が使用人の噂話のネタとして広がるのも良くないので無視する。
(それにしても、ステラが元婚約者殿の代わり……か)
ステラは今のところ、ジョシュアを人攫いの信用できない人間だとしか認識していない。そんな相手が自分と結婚したがってると知ったら、逃げ出したくなるに決まっている。
(今からステラに好かれるのは、さすがに不可能なのかな)
彼女をこんなに可愛く思うようになると分かっていたら、ちゃんと手順を追って修道院から連れ出していただろう。後悔の念から頭痛が酷いが、彼女が修道院に帰るまで、そう時間が残されているわけでもない。
何とか彼女を王都に残す為の案を考え出さなければならない。
美しく咲き誇るチェリープラムの木の影へと消えたその姿を、ジョシュアは執務室の窓から眺め、唇をへの字に曲げる。
彼女が視界から消えたのを残念に思う気持ちは、どこからくるのか。
修道院から攫ってきた少女を、はじめは利用しつくすつもりでいた。
父から引き継いだこのフラーゼ家は、『死の商人』として国内外から知られている。
最先端の研究所で日夜研究開発が進められているのは新種の科学兵器だ。生物に有害な毒物や爆薬等を研究し、国や裏組織へ販売する事を生業とする。
そうして得られた巨万の富は、納税や賄賂、寄付等の形で各組織へと投げられ、政財界での強い発言力を下支えしている。
化学兵器開発の先人として、他者へ後塵を拝させるためには、人材調達が不可欠。技術力が及ばぬところは、特殊スキル保持者の力で乗り越えなけばならないため、人材を発掘するのは、重要な業務の一環なのだ。
そういう事情もあり、ステラを攫った当初は、母親の依頼が完了した後、彼女をフラーゼ家の研究所で働かせようと考えていた。
聖ヴェロニカ修道院において、特殊な扱いを受けていた彼女は、ジョシュアが期待していた通りに非常に珍しいスキルを二つも保有していた。『物質運動スキル』と『複製スキル』。そのどちらも科学研究には有用と言わざるを得ず、修道院から無理矢理連れて来た自分の判断が間違いではなかったと確信が持てた。
彼女を研究に関わらせたら、フラーゼ家には更なる利益が転がり込む。
打算まみれの思考で接し、丸め込もうと思っていたのに、何故だかその矛先がグニャリと曲がった
ステラを人殺しの研究に巻き込みたくないと、考えるようになってしまったのだ。
彼女は世界を、そして人を知らな過ぎる。良く言えば純粋、悪く言えば子供。
裏切り続けたくないと思えるのは、ジョシュアがまだまだ青二才だからなのだろうか。
騙すのが簡単に思えるからこそ、本気を出せず、どこかに逃げ場を残してしまう。彼女が自分の言葉をうまく躱すのがなんとなく嬉しいという歪み。
こういう対象は、他の人に任せるのが正しい。
それなのに、関わり続けたかった。
たぶんこの感情はおかしい。昨日婚約者だった女に離縁の言葉を口にして、ハッキリと自覚した。
ジョシュアの中の何かが狂い始めている。
数少ない同年代の令嬢でありながら、一応スキルを保持していた婚約者と縁を切って、自分は今後誰を望むのだろう。
窓際に立ったまま呆けていると、従者がこちらに近付いて来た。
「ジョシュア様、四月度の販売報告書がまとまりました。……何をご覧になっているのですか?」
「あぁ、桃色の花が咲いているから、気になって」
「おや? 裏には白と黄の花しか咲いていないと思っておりましたが、桃色もあったとは。見落としてしまっていましたね」
「心が綺麗な人にしか見えないからね。報告書を貰おうか」
「あ、どうぞ!」
無味乾燥な数字の羅列に視線を落とすと、レイフがつまらない事を話しだした。
「クラリッサ嬢が、昨日の婚約破棄について抗議文を送ってきましたが、どうなさいます?」
「君が謝罪文を書けばいいじゃない」
「字でバレそうな気がしますが……」
「かもね」
「シスターステラをクラリッサ様の代わりになさるのですか?」
「……」
代筆を頼んだ事の意趣返しのつもりなのか、随分踏み込んだ質問をするものだ。
苛立ちのまま何か言おうと思ったが、不用意な発言が使用人の噂話のネタとして広がるのも良くないので無視する。
(それにしても、ステラが元婚約者殿の代わり……か)
ステラは今のところ、ジョシュアを人攫いの信用できない人間だとしか認識していない。そんな相手が自分と結婚したがってると知ったら、逃げ出したくなるに決まっている。
(今からステラに好かれるのは、さすがに不可能なのかな)
彼女をこんなに可愛く思うようになると分かっていたら、ちゃんと手順を追って修道院から連れ出していただろう。後悔の念から頭痛が酷いが、彼女が修道院に帰るまで、そう時間が残されているわけでもない。
何とか彼女を王都に残す為の案を考え出さなければならない。
0
お気に入りに追加
720
あなたにおすすめの小説
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!
一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?
たまご
ファンタジー
アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。
最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。
だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。
女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。
猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!!
「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜
桐生桜月姫
恋愛
シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。
だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎
本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎
〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜
夕方6時に毎日予約更新です。
1話あたり超短いです。
毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。
猫を拾ったら聖獣で犬を拾ったら神獣で最強すぎて困る
マーラッシュ
ファンタジー
旧題:狙って勇者パーティーを追放されて猫を拾ったら聖獣で犬を拾ったら神獣だった。そして人間を拾ったら・・・
何かを拾う度にトラブルに巻き込まれるけど、結果成り上がってしまう。
異世界転生者のユートは、バルトフェル帝国の山奥に一人で住んでいた。
ある日、盗賊に襲われている公爵令嬢を助けたことによって、勇者パーティーに推薦されることになる。
断ると角が立つと思い仕方なしに引き受けるが、このパーティーが最悪だった。
勇者ギアベルは皇帝の息子でやりたい放題。活躍すれば咎められ、上手く行かなければユートのせいにされ、パーティーに入った初日から後悔するのだった。そして他の仲間達は全て女性で、ギアベルに絶対服従していたため、味方は誰もいない。
ユートはすぐにでもパーティーを抜けるため、情報屋に金を払い噂を流すことにした。
勇者パーティーはユートがいなければ何も出来ない集団だという内容でだ。
プライドが高いギアベルは、噂を聞いてすぐに「貴様のような役立たずは勇者パーティーには必要ない!」と公衆の面前で追放してくれた。
しかし晴れて自由の身になったが、一つだけ誤算があった。
それはギアベルの怒りを買いすぎたせいで、帝国を追放されてしまったのだ。
そしてユートは荷物を取りに行くため自宅に戻ると、そこには腹をすかした猫が、道端には怪我をした犬が、さらに船の中には女の子が倒れていたが、それぞれの正体はとんでもないものであった。
これは自重できない異世界転生者が色々なものを拾った結果、トラブルに巻き込まれ解決していき成り上がり、幸せな異世界ライフを満喫する物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる