上 下
5 / 89
フラーゼ家のタウンハウス

フラーゼ家のタウンハウス③

しおりを挟む
 朝食後、ステラは邸宅内にあるポピーの部屋に連れて来られた。
 豪華な内装の中に溶け込む婦人は、高く編み上げられたプラチナブロンドの髪に花や小さな人形等を盛り付けており、かなり独創的だ。ステラの三倍程もあるふくよかな肉体は、レースまみれのドレスを身に纏っている。

 ステラが名を名乗ると、彼女は鷹揚に頷き、聖ヴェロニカ修道院のロゴが入った瓶を手に取った。

「お前がこのN105 041525の『聖ヴェロニカの涙』を作った修道女と聞いたが、間違いないか?」

「はい。この者がそちらの『聖ヴェロニカの涙』を製作した__」

「黙りな! お前に問うているのではないわ!」

 ニコニコと説明し始めたジョシュアに、ポピーは目にも止まらぬ程の速さで扇子を投げつけた。ジョシュアはそれを顔面で受け止め、パタリと倒れてしまう。
 彼女の意に沿わない言動をとったら、自分も扇子の餌食にされるかもしれないので、ステラはブルブル震えながら必死に頷く。

「リ……リボンの端に『St』の文字が書かれているのでしたら、私が作ったもので間違いないです……」

「ふん。ちゃんと書かれておるわ」

 リボンをヒラリと弄んだ彼女は何を思ったのか、瓶を封じているコルクを抜き取り、ハンカチの上に中身の液体を垂らした。
 たちまち爽やかで、甘酸っぱくもある香りが部屋中に広がる。

「この香りを初めて嗅いだ時、幼き日の思い出が蘇った。家での窮屈な日々を厭い、脱走したのだ。その時に出会った遊牧民の雄がこの様な香りを漂わせていた」

「恋をしたんですか?」

 ステラは言った直後に、地雷を踏んだと気が付き、顔を青くする。しかし……。

「ち……違うぞ!! 私は……私は……ああ!!」

 ポピーは両手で顔を覆ってしまった。
 顔面を真っ白に塗りたくっているので、顔色は良く分からないが、もしかして恥ずかしいのだろうか?
 彼女は苦しげにゼイゼイ言い始める。
 さすがに心配になり、ステラは彼女の背中をさすってあげた。

「ぐ……ぐふ……。恋などではない。断じてな! だが……、あんな風に自由になりたいと思った。せめて心だけでも……」

 なんて事だろう。ポピーの気持ちが痛い程分かる。
 修道院で廊下の掃除をするだけの日々を送っていたステラは、心の奥底で自由を求めていた。
 湧き上がる親近感。気がつけばポピーの身体をガシッと抱き締めていた。
 側に控えている女性達が騒めく。

「ぐっほ!? な……何をする!?」

「ポピー様の気持ち、分かります! 庭に吹き抜ける風になれたら、空を飛び回る鳥になれたら、どんなにいいかと思うんですよね!?」

「おお、そうだとも!! これ程話が合う女とは始めて会った!! 俄然お前に頼み事をしたくなったわ」

「オリジナルのフレグランスの調香ですか?」

「ああ。お前が作った『聖ヴェロニカの涙』も悪くないが。もう少し野生的なニュアンスが欲しい」

「野生的……」

「嗅ぐだけで、腹の奥底からエネルギーが湧く様な香りだ。細かい注文はつけない。お前の感性で調香してみろ」

 ポピーと話しているだけで、何故だかヤル気が出てきた。
 一領地を治める領主の奥方をやっているだけあり、人を動かす才があるようだ。

(力強く香るフレグランス……、私も嗅いでみたいな……)

 ステラはポピーから腕を離し、その右手を両手で包んだ。

「私に任せて下さい!! きっと素敵なフレグランスを作ってみせます!」

「頼んだぞ」

 もしかすると、この仕事はステラが生きてきた中で一番やり甲斐があるものになるかもしれない。
 ポピーとの出会いは、そんな予感を強く感じさせてくれた。



「ビックリしちゃったよ。オレが気絶している間に、君ってばあの気難しいポピー様と打ち解けてしまってるんだもん」

 ポピーの部屋を辞した後、ステラはジョシュアに連れられ、フレグランスの材料や着替えの服を買いに、繁華街へとやって来た。
 まずその人の多さに驚く。そして見た目の多様さにも。
 今まで地方都市の修道院で引き篭もっていたステラは、一緒に暮らす修道女達や、時折訪れる業者の男達としか会わない。それゆえに、通りに溢れる人々の姿にカルチャーショックを受けている。

 ステラは思わず立ち竦んでしまったので、ジョシュアが一人で喋りながら離れて行く。

「オレの話聞いてる? ってあれ!? ど、どこに!?」

 彼は返事が無い事に慌てたのか、若干コミカルな動きで辺りを見回し、ステラを目に留めた。
 そして直ぐに来た道を戻って来る。

「ビックリさせないでよ。ちゃんと付いて来てくれる?」

「世の中にこれだけ人が多いだなんて知りませんでした。神様はこんなにたくさんの人々の祈りをちゃんと聞き届けてくださっているんですね」

「大半の祈りはスルーされちゃってると思うけどね。取り敢えず足を動かす! いいな?」

「分かりました」

(あ、今の隙に逃げられたのか……。でも、もうポピー様の願いを叶える事にしちゃったしな)

 自分の要領の悪さに呆れてしまうが、生まれもったものなので仕方がない。

 ジョシュアはステラの逃亡を恐れたのか、並んで歩く事にしたようだ。
 二人連れ立って最初に行ったのは、ドライハーブを取り扱う店。店内に入ると様々なハーブが混ざり合ったいい香りが漂っていて、気持ちが安らぐ。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

愛を知らない「頭巾被り」の令嬢は最強の騎士、「氷の辺境伯」に溺愛される

守次 奏
恋愛
「わたしは、このお方に出会えて、初めてこの世に産まれることができた」  貴族の間では忌み子の象徴である赤銅色の髪を持って生まれてきた少女、リリアーヌは常に家族から、妹であるマリアンヌからすらも蔑まれ、その髪を隠すように頭巾を被って生きてきた。  そんなリリアーヌは十五歳を迎えた折に、辺境領を収める「氷の辺境伯」「血まみれ辺境伯」の二つ名で呼ばれる、スターク・フォン・ピースレイヤーの元に嫁がされてしまう。  厄介払いのような結婚だったが、それは幸せという言葉を知らない、「頭巾被り」のリリアーヌの運命を変える、そして世界の運命をも揺るがしていく出会いの始まりに過ぎなかった。  これは、一人の少女が生まれた意味を探すために駆け抜けた日々の記録であり、とある幸せな夫婦の物語である。 ※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」様にも短編という形で掲載しています。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

処理中です...