上 下
1 / 89
プロローグ

プロローグ①

しおりを挟む
 どこまでも広がるローズマリーの木々の中で、新米修道女のステラはトゲトゲした葉を摘み取る。
 足元に置いたカゴの中には溢れそうな程に生葉が積められていて、量としては十分。

「そろそろ戻らないと」

 ズッシリと重くなったカゴを持って立ち上がると、ちょうど悪いことに、馬と車輪の音が聞こえてきた。

「わわっ!」

 慌てて身を潜めたのは、ローズマリーの葉を摘んでいたのをバレるわけにいかないから。
 それに、修道院を訪れた客に自分の姿を見られてしまったら、修道院長にガミガミと説教されてしまう。
 四頭建ての馬車が通り過ぎるのを待ってから、ステラは低い木々で出来た迷路を縫うように駆け、真っ白な建物を目指した。

 ここは聖ヴェロニカ修道院。
 歴史上幾度か聖女を輩出してきたこの修道院は、数十年に一度の頻度で能力の高い女児が預けられ、聖女になるための訓練を実施される。

 赤児の時分にこの修道院の入口前に捨てられていたステラも、当初その潜在能力の高さから聖女になるだろうと目されていたらしいのだが、スキルの詳細が判明すると性質上の理由から聖女へのレールは外されてしまった。

 とはいえ、両親の名も分からないので生家に返される事も叶わず、更にスキルの危険性から一般家庭に預ける事も出来なかったようで、修道女になるように育てられた。
 
 自分よりもずっと大人な人達だけに囲まれる修道院暮らしはあまりに退屈だ。

 だけど残念ながら、それを口に出来る立場にはない。
 十五年前に親に捨てられて、尚且つ悪人に目をつけられやすいスキルを有してしまったステラに自由な暮らしを許されるわけがないのだ。
 ただヒッソリと生きて、出来るだけ他人に迷惑をかけずに天寿を全うする。自分に望まれているのはこれくらい。



 修道院に戻ってから、ぼんやり小一時間程箒を動かし続け、うっかり回廊を一周半程はいてしまっていた。

「あれ? いつの間に……」

 回廊清掃はステラに与えられた唯一の仕事なのだが、単調すぎて脳みそが溶けてしまいそうになる。

 小さくため息をついてから、チリトリにゴミを集めて物置き部屋へと向かう。
 廊下を歩いていると、近くの部屋から妙に気になる声が聞こえてきた。

(男性の声?)

 女性ばかりの修道院なので、聞き間違いかもしれない。
 声の主は談話室にいるらしく、近付くにつれてクリアに聞こえるようになる。

「__だから、__なんだ。__」

 談話室のドアに耳をくっつけてみると、声質は女性のものとは全く異なっていた。
 珍しい事に本物の男性が来ている。

 来客に対応しているのは、声から判別するに、修道院長とシスターアグネスの二人。修道院のトップとその補佐が相手をしている。来客の男性はそれなりの社会的地位にあるのだろうか。

「先程から申し上げておりますように、四月十五日に売り出された『聖ヴェロニカの涙』はいつもと同じ面子で作っています」

 修道院長が口にした『四月十五日の聖ヴェロニカの涙』という単語に、ステラはギクリとした。
 『聖ヴェロニカの涙』というのは、この修道院で作られる胃腸薬である。聖女であったヴェロニカが製造法を考え出したとされるそれは、胃腸薬でありながらも、非常に香りが良いため、この国の富裕層に大変人気がある。売り出すとすぐに売り切れてしまうくらいだ。

 そして何を隠そう。四月十五日に売り出された複数の『聖ヴェロニカの涙』の中には、ステラがコッソリ作った物が混ざっている。

 スキルを駆使して作ってみた液体は、従来品よりも強くそして鮮烈に香ったので、使用者に喜ばれると判断し、そのまま商品に紛れ込ませた。
 瓶に巻くリボンに自分の名前にちなんだ『St』を記していて、何か問題が起こった時に名乗り出れるようにしてはいたものの、いざとなると心臓が縮む。どうか自分の作った物ではありませんようにと、ロザリオを握りしめて神に祈る。

「オレの雇い主であるポピー様は、従来品と明らかに異なる品質だと言っているんだよね。この瓶に巻かれているリボンを見てもらってもいいか? 端の所に『St』と記されている。こんなのは他の品には記されていない。修道女の中にSあるいはStから始まる名前の者が居るんじゃない?」

 明朗に響く男性の声が、ステラの希望を打ち砕く。
 客人は自分が作った胃腸薬の件でこの修道院を訪れているのだ。
 スキルを利用してみたくて作っただけなのだが、危ない効果でも生んだのだろうか? 犠牲者が出ているなら、無差別殺人犯になるかもしれない。

 談話室の中は静まり返っている。
 ステラが前読んだ推理小説では、この様な沈黙は、お互いの腹の探り合いで起こるらしい。中の様子を何となく想像出来るだけに恐怖が募る。

 三分程の沈黙の後、修道院長がどもりながら話し出した。

「そ、その文字は流通の過程で書かれたのでしょう」

「ポピー様は毎回この修道院から直接購入しているから、それはないと思うよ」

 この分だと、バレるのは時間の問題だ。もういっそ乗り込んで白状しようかと考え始めた時、シスターアグネスが予想外な事を言い出した。

「それを作ったのは私ですわ! 何か問題があったのでしたら、罰は私に下してくださいませ!」

 血の気が引いた。
 シスターアグネスはステラの悪事に気が付き、庇おうとしている。
 いてもたってもいられなくなり、ステラは談話室の中に駆け込んだ。

「それを作ったのはシスターアグネスではなく、私です! ゆ、許して下さい!」

 そう叫んだステラに、三人の視線が集まる。

 談話室に居た男性は、想像以上に若かった。
 優し気な顔立ちで、まだ少年といっていい年齢だ。
 柔らかそうなベージュ色の髪の毛。垂れ気味の目におさまる紅茶色の瞳。しっかりとした生地のコートとベスト。彼を構成する様々な要素が育ちの良さを裏付けているようだ。
 彼の姿は、ステラが今まで抱いてきた男性のイメージをガラガラと崩した。

(男の人って、頭の毛が無かったり、ヘンテコな髭がモシャモシャ生えているんじゃなかったかな……)

 少年はステラの不躾な視線を自信たっぷりな表情で受け止め、完璧な笑みを浮かべた。

「こんなに可愛いらしい修道女さんが居たんだ。初めまして」

「……はじめまして」

「見たところ十歳位?」

「十五歳です!!」

 嫌味を言われたのかと一瞬思ったが、少年の驚きの表情を見て、そうではなかったのだと知る。
 修道院から一歩も出た事のないステラは、同年代の一般的な少女の姿を知らない。もしかして自分は十五歳の平均よりも幼い容姿なのだろうか。

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜

桐生桜月姫
恋愛
 シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。  だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎  本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎ 〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜 夕方6時に毎日予約更新です。 1話あたり超短いです。 毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

処理中です...