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彼女の兄は根っからの犯罪者

彼女の兄は根っからの犯罪者①

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「消えてしまった……」

 ハイネは目の前で起こった現象が信じられず、ジルを抱えた時のままの姿勢で虚空を見つめる。

 膝の上に居た彼女は本人だったのかと考える。幻覚であってほしい。
 だけど、指に感じていた触り心地の良いプラチナブロンドの髪、間近で見たきめ細かな肌、ほんの少しの間だけ見せてくれた甘える様な表情は、ジルのものだとしか思えない。
 それに、幻覚にしては彼女が放った言葉がリアルだった。

『言葉が欲しいのですわ』

 咎めるにしては甘すぎる声色が、胸を締め付けた。

 皇子として、幼少の頃からほしい物は何でも与えられて育てられた。望む前に、準備されていた。
 だからなのか、彼女と距離を縮める方法が分からず、苦労の連続だった。それでも、自分から積極的にアプローチしなければ、彼女との関係はすぐに終わる。確信があったから、いつでも焦っていた。

 だが都合の悪い事に、自分には女を口説いた経験どころか、まともな交流さえしてこなかった
から、ジルを前にしても何一つ気の利いた台詞が出て来なかった。
 口の代わりに身体をはって、交流を試みていたのだが、ジルの心を傷つけていたらしい。
 考えてみれば、当たり前の事だった。

(ジル……何を言いかけてたんだ……)

 ハイネを完全に拒絶する言葉だったのかもしれず、先を聞きたくないと思った。だけど、この両腕から彼女が消えて、漸く、非難されて直ぐに言うべきだった言葉がズラズラと思い浮かんだ。

(何で肝心な時に、何も言えなくなるんだよ!)

「ハイネ様……?」

 若い女が自分を呼ぶのを聞き、ハッと顔を上げる。
 入口に立つのは、ジルの侍女だ。確かマルゴットという名の異能者。
 不審そうな表情を隠さない彼女を、ヒタリと見つめる。

「おい、お前に依頼がある」

「む……」

 女は反抗的な目つきだ。ジルは彼女を護衛として雇っているのだろうが、以前そのヤバすぎる力を目にし、なるべく刺激しない様にしていた。だけど、今は頼るしかない。

「ジルが消えた。探すのを手伝え」

 ハイネの言葉を聞き、女の目に危険な光が宿った。



「ハイネ様、支流を調査していた者達の報告によると、そちらにはジル様の姿は無かったと……」

 馬に乗り、ライハナの城壁の外を見て回っていたハイネは、向かい側から走り寄って来たオイゲンに報告を受ける。

「支流を捜索している連中を二手に分け、一方を帝都まで、もう一方をフリュセンまで、川沿いの捜査をさせろ」

「了解いたしました!」

「森はどうなってる?」

「三十分ほど前に知らされた時には、古城までのルート約八割の安全性が確保出来ている状況でした」

「じゃあ、俺もそちらに行こう」

「川の連中に連絡が終わりましたら、ハイネ様を追いかけます」

 ライハナの城壁内に向かい、走り去るオイゲンの姿を見送り、ハイネは森の入り口へと馬を走らせる。

 遠くの山から顔を出した朝陽の光が目に染みる。
 昨日、会議で決めた予定を全て繰り上げ、深夜から周辺を一斉捜査していた。

 農産物をも探索させているが、ジルの事しか頭に無くなっている。

 マルゴットに聞いた話によれば、ジルは一昨日ライハナで遭遇した不審な男から手首に呪いをかけられ、昨日何らかの条件が成立したため、術が発動し、連れ去られた可能性が高いらしい。

 さらに、マリク伯爵は、異能者を雇い入れているかもしれず、もしかするとその人物の犯行ではないかとの事だった。
 だから、奴の行きそうな所をくまなく探している。

 バシリーは帝都のタウンハウスへ、オイゲンと近衛の半分はライハナ都市内、マルゴットと残りの近衛はカントリーハウス。兵士達は森や古城だ。
 遭遇する確率が高い、向こう側の魔術師への対策として、バシリーには念のため野ばらの会へ、助力を求める様伝えている。

 腐葉土が踏み固められた道は、森の奥へと続く。ハイネはそこかしこで土を掘り返す兵士達の姿に眉を顰めながら、一路、古城へと馬を走らせる。
 ニ十分程で、今にも崩れ落ちそうな石造りの城が見えてくる。歪んだ入口から姿を現したのは、ランタンを手にした兵士だ。ハイネは馬を降り、父ほどの年齢の男に駆け寄る。

「状況はどうだ?」

「殿下。護衛をお連れ下さい。危険すぎます」

「そんな事はどうでもいい。中はどうなってる?」

「ジル様の読みの通り、大量の小麦とジャガイモが保管されておりました。まぁ、ジャガイモは芽が出るか、腐っておりましたが……」

「そうか……。ジルは居なかったんだな?」

「ええ……残念ながら。マリク伯爵の姿も見えませんでした」

 ジルが連れ去られた場所として最も可能性が高いと考えていた古城に、彼女は居なかった。
 ギリ……と奥歯を噛みしめ、一度古城へと入ろうとしたハイネの耳に、兵士達の声が届く。

「死体だ!」

「服装的に……男だな」

 心臓が冷える。

 ジルでは無かった事に安堵する。

(早く見つけ出さないと……、どうにかなりそうだ)



 不規則に揺れる不快感に、ジルはそっと目を開く。
 辺りは暗く、胸や腹が温かみのある堅い何かに当たっている。視線を向けてみると、すぐ下に子供の顔がある。おんぶされ、移動している様だが、随分頼りなく感じられる。
 それは一度大きく揺れ、ジルの身体は宙に投げ出された。

『ひゃう!』

 視界が反転し、地面に強かに身体を打ち付ける。激しく転がり、痛い『様な』気がした。

 ザリ……と音がして、顔を上げると、子供がジルの顔を覗き込んでいた。泥だらけのその顔は、とても見覚えがあった。

(マルゴット……を少し幼くした感じね)

 その、マルゴットもどきは、ジルを立たせ、エプロンドレスに付いた土を払ってくれる。見下ろしてみた自分の身体はストンとしていて、目線的に、妙に地面との距離が近い。

(身長が、縮んだ様な……)

 目の前に立つ可愛らしい顔立ちの子供は、ジルより頭一つ分身長が高く、よく見てみると、お下げが無い。その顔がユックリと近づき、ジルの頬に口付けした。
 ジルの身体は自分の意志とは無関係に動き、キスされた部分を手をゴシゴシと擦った。

『ヨナス! やめてちょうだい! 私は好きな人としかキスしたくないの!』

『じゃあ、俺を好きになってよ。ずっとそう頼んでるのに!』

(ヨナスって、どこかで聞いた様な……)

 勝手に動く自らの口に、動揺しながらも、冷静に目の前の子供を観察する。月光に照らされる髪の一部は白いメッシュが入っている様で、随分変わっている。その髪色を、ジルはごく最近見た気がする。

『頼まれても無理! 恋は自然と落ちるものなんだって、ママが言ってたのよ! っていうか、お家に帰りたい! ここ、どこ~!?』

 頬に温かな液体の感覚。ジルは泣いている。目の前の、マルゴットに似た存在が怖くてしょうがないと心が訴える。

『貴女は家に帰さない! もう三つ歳をとったら、俺を愛せる様になるから!』

『嘘! 嫌い嫌い嫌い!!』

 小さなジルの手は、握り拳を作り、泣き出しそうな顔の子供を必死に叩く。

『俺は、貴女が必要なのに……』

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