78 / 101
調査
調査⑤
しおりを挟む
調査の交替は一週間ごとのサイクルに決まり、調査地にはまず研究者であるアヒレスが残る。ジルやマルゴット、ゲントナーは一度帝都に引き上げて、また一週間後にアヒレスと交替する事になった。
帝都に戻って来たジルは、六日間会っていないイグナーツと、彼に任せてしまっている『山羊の角物産』の事が気になり、家に荷物を置いてからマルゴットと共に会社へと足を運ぶ事にした。
エントランスに入ると、受付の女性が慌てた様子でジルに駆け寄って来た。ブルネットの髪を綺麗に巻き、ピンク色のドレスを着た彼女の姿は、大抵の男性が守りたくなるんだろうなと思ってしまう程可愛らしい。
「ジル様! お久しぶりです!」
「ご機嫌良う。イグナーツは役員室に居るのかしら?」
「イグナーツ様は、今来客の対応中で、応接室にいらっしゃいます。……それで、あの……」
受付の女性の顔が青ざめている。イグナーツに何かあったのだろうか?
話を聞きながら、来客中なら出直そうかと考えたジルだったが、彼女のただならぬ様子が気にかかるため、そのまま立ち去りづらい。
「イグナーツのお客様はどなたなのかしら? 厄介な相手?」
「マリク伯爵様でございます」
意外な人物の名前が挙がり、ジルは少しばかり驚く。
爵位を持つ者がこの会社に一体何の用があるのだと思ったが、直ぐにピンときた。
先日イグナーツにまとめてもらった資料に載っていた莫大な金額の債権が頭に浮かんでいる。
伯爵はこの債権の件か、うちの会社との取引の件について話し合う為に訪れているのだろう。そして受付嬢のこの動揺ぶりから察するに、マリク伯爵はあまり態度が宜しくないのかもしれない。
「イグナーツだけで対応しきれないなら私も――」
ジルの言葉が終わらないうちに、通路の奥の方から乱暴にドアを開く様な音が聞こえた。
「だから支払えないと言っているだろう! しつこいな!」
「一回目の手形の不渡りから六ヶ月経過してませんよね? 二回目も支払ってもらえない場合、銀行の信用を大きく損ねるかと思われますが」
カツカツと革靴が床を打ち鳴らす音と、男性達が言い争う様な事が聞こえ、ジルとマルゴットは顔を見合わせた。声の主のうち一つはイグナーツなので、もう一方はマリク伯爵だと思われる。
「伯爵のやっている事は、貴方様の会社を潰す事に繋が――お嬢様……?」
エントランスに現れたイグナーツの険しい表情が、ふにゃっと崩れる。
「イグナーツ、会社と家の管理を有難う。助かったわ」
ジルが声をかけると、イグナーツは感極まった様に駆け寄って来た。その勢いたるや、先程馬車の中から目にした猪の様だ。
「ヒッ……!?」
「お嬢様! お会い出来なかったこの六日間、胸が締め付けられる快感で私はっ……」
――ゴスッ!!
「ぐぇ!?」
「見苦しい……」
飛び掛かられそうな所だったが、マルゴットがフリル付きの黒い傘でイグナーツをぶん殴ってくれたので、事なきを得た。しかし、殴られても、なおイグナーツはジルに手を伸ばしてくる。おぞましさを感じ、ジルは彼からササッと離れた。
「急に豹変して、何なんだこの男は……。馬鹿なのか? まともな会社だと思っていたが、常務取締役がこれでは先が見えてるな」
イグナーツと共にエントランスに現れた男性は、肩にかかる灰色の髪を後ろに払い、神経質そうな顔を思いっきり歪めている。年齢はイグナーツより少し上程度で若いが、尊大な態度なので、とても関わり辛そうだ。
「うちのイグナーツが失礼な態度をした様で申し訳ありません。彼に代わり、お詫び申し上げますわ」
彼の言葉を無視するのも悪いかと考え、男性に近付いて行く。その男性はジルに興味を抱いた様で、ジロジロと上から下まで見てくる。
「君は……? その見た目と立ち居振る舞いからすると、庶民ではなさそうだが」
先程の痴態等無かったかの様な爽やかさで、イグナーツはジルと伯爵の間に割り込む。
「ジル様、こちらの紳士はマリク伯爵です。マリク伯爵、この方はうちの会社の代表取締役兼会長のジル・クライネルト様です」
イグナーツの変わり身の早さに唖然としたジルだったが、この男の細かい所を気にしたらキリが無いだろうとスルーする事にした。
「初めまして、マリク伯爵。いつも我が社をご贔屓にしていただき、感謝致しますわ」
ジルが片足を後ろに引き、綺麗に挨拶すると、マリク伯爵は偉そうに鼻を鳴らした。
「こんな見た目が良いだけの小娘が社長だと? 真面目に話す気が失せるね!」
「うちの代表にケチを付けないでいただきたいですね」
イグナーツの手元がギラリと光る。おまけにジルの背後から絶対零度の冷気まで感じ、マルゴットの殺意を察する。
(この人達、マリク伯爵を亡き者にしようとしてるんじゃ……? 何とか友好的な雰囲気にしないと!)
ジルは平和な話題を考えてみたが、マリク伯爵や、その領地についての最近の話題は口にすると険悪になる様なものしか思いつかなかったので、しょうがなくビジネスの話をする事にした。
「商品を買った代金を数か月間払っていただけないと聞いております。大変ですのね」
「この会社の商品は劣悪品ばかりなのだから、払う責任などないと思うね」
(流石にこれは無しよね…)
ジルは会社の代表に担ぎ上げられてから、あまり時間が経っていないのだが、貶されると腹が立つくらいには愛着を持ち始めていたらしい。父の会社から仕入れた物はキチンと検品してから、帝国内に売っているのに、劣悪品のみという事はないはずなのだ。それに支払いをしてもらわなければ、うちの会社の資金がまずい事になる。
ジルは、伯爵への腹立ちから一計を仕掛けてみる事にした。
「劣悪品等ではありませんわ。検品のチェック資料もありますのよ? うちの会社のも、仕入れ先の会社のも」
「そんな物が……」
「調べればすぐに品質については判明しましてよ。代金をお支払出来ないというなら、こういうのはどうでしょうか? うちの商品の購入代金の未払い分を、借金扱いに――つまりうちの会社が貴方の会社にお金を貸しているという状態にするという事ですわ」
「ほぅ……」
マリク伯爵の眼差しが打算的な光を宿す。
「そうしたら、マリク伯爵の会社が一時的に倒産の危機から脱しますし、うちの会社は貴方の会社から代金の回収を安定して続けられますでしょう?」
「悪くない話だ」
話に食いつきそうな伯爵の様子に、ニヤケそうになり、ジルは扇を広げて口元を隠した。
代金回収期限を短期間に二度守らない事で、銀行との取引が出来なくなるという帝国の法律では、マリク伯爵の会社は早々に倒産の危機を迎えるだろう。支払期限を延ばす事が出来る借金に変えるというのは魅力的に思ってもらえるのはジルの想定内だったりする。
「ただし、マリク伯爵、貴方の暮らす屋敷と土地を担保としていただきたいのですわ」
「なんだと……?」
ジルはマリク伯爵の底冷えする様な茶色の目を真っ直ぐ見据え、ニッコリと微笑んだ。
「勿論、領地を担保……という事でもよろしいですのよ?」
帝都に戻って来たジルは、六日間会っていないイグナーツと、彼に任せてしまっている『山羊の角物産』の事が気になり、家に荷物を置いてからマルゴットと共に会社へと足を運ぶ事にした。
エントランスに入ると、受付の女性が慌てた様子でジルに駆け寄って来た。ブルネットの髪を綺麗に巻き、ピンク色のドレスを着た彼女の姿は、大抵の男性が守りたくなるんだろうなと思ってしまう程可愛らしい。
「ジル様! お久しぶりです!」
「ご機嫌良う。イグナーツは役員室に居るのかしら?」
「イグナーツ様は、今来客の対応中で、応接室にいらっしゃいます。……それで、あの……」
受付の女性の顔が青ざめている。イグナーツに何かあったのだろうか?
話を聞きながら、来客中なら出直そうかと考えたジルだったが、彼女のただならぬ様子が気にかかるため、そのまま立ち去りづらい。
「イグナーツのお客様はどなたなのかしら? 厄介な相手?」
「マリク伯爵様でございます」
意外な人物の名前が挙がり、ジルは少しばかり驚く。
爵位を持つ者がこの会社に一体何の用があるのだと思ったが、直ぐにピンときた。
先日イグナーツにまとめてもらった資料に載っていた莫大な金額の債権が頭に浮かんでいる。
伯爵はこの債権の件か、うちの会社との取引の件について話し合う為に訪れているのだろう。そして受付嬢のこの動揺ぶりから察するに、マリク伯爵はあまり態度が宜しくないのかもしれない。
「イグナーツだけで対応しきれないなら私も――」
ジルの言葉が終わらないうちに、通路の奥の方から乱暴にドアを開く様な音が聞こえた。
「だから支払えないと言っているだろう! しつこいな!」
「一回目の手形の不渡りから六ヶ月経過してませんよね? 二回目も支払ってもらえない場合、銀行の信用を大きく損ねるかと思われますが」
カツカツと革靴が床を打ち鳴らす音と、男性達が言い争う様な事が聞こえ、ジルとマルゴットは顔を見合わせた。声の主のうち一つはイグナーツなので、もう一方はマリク伯爵だと思われる。
「伯爵のやっている事は、貴方様の会社を潰す事に繋が――お嬢様……?」
エントランスに現れたイグナーツの険しい表情が、ふにゃっと崩れる。
「イグナーツ、会社と家の管理を有難う。助かったわ」
ジルが声をかけると、イグナーツは感極まった様に駆け寄って来た。その勢いたるや、先程馬車の中から目にした猪の様だ。
「ヒッ……!?」
「お嬢様! お会い出来なかったこの六日間、胸が締め付けられる快感で私はっ……」
――ゴスッ!!
「ぐぇ!?」
「見苦しい……」
飛び掛かられそうな所だったが、マルゴットがフリル付きの黒い傘でイグナーツをぶん殴ってくれたので、事なきを得た。しかし、殴られても、なおイグナーツはジルに手を伸ばしてくる。おぞましさを感じ、ジルは彼からササッと離れた。
「急に豹変して、何なんだこの男は……。馬鹿なのか? まともな会社だと思っていたが、常務取締役がこれでは先が見えてるな」
イグナーツと共にエントランスに現れた男性は、肩にかかる灰色の髪を後ろに払い、神経質そうな顔を思いっきり歪めている。年齢はイグナーツより少し上程度で若いが、尊大な態度なので、とても関わり辛そうだ。
「うちのイグナーツが失礼な態度をした様で申し訳ありません。彼に代わり、お詫び申し上げますわ」
彼の言葉を無視するのも悪いかと考え、男性に近付いて行く。その男性はジルに興味を抱いた様で、ジロジロと上から下まで見てくる。
「君は……? その見た目と立ち居振る舞いからすると、庶民ではなさそうだが」
先程の痴態等無かったかの様な爽やかさで、イグナーツはジルと伯爵の間に割り込む。
「ジル様、こちらの紳士はマリク伯爵です。マリク伯爵、この方はうちの会社の代表取締役兼会長のジル・クライネルト様です」
イグナーツの変わり身の早さに唖然としたジルだったが、この男の細かい所を気にしたらキリが無いだろうとスルーする事にした。
「初めまして、マリク伯爵。いつも我が社をご贔屓にしていただき、感謝致しますわ」
ジルが片足を後ろに引き、綺麗に挨拶すると、マリク伯爵は偉そうに鼻を鳴らした。
「こんな見た目が良いだけの小娘が社長だと? 真面目に話す気が失せるね!」
「うちの代表にケチを付けないでいただきたいですね」
イグナーツの手元がギラリと光る。おまけにジルの背後から絶対零度の冷気まで感じ、マルゴットの殺意を察する。
(この人達、マリク伯爵を亡き者にしようとしてるんじゃ……? 何とか友好的な雰囲気にしないと!)
ジルは平和な話題を考えてみたが、マリク伯爵や、その領地についての最近の話題は口にすると険悪になる様なものしか思いつかなかったので、しょうがなくビジネスの話をする事にした。
「商品を買った代金を数か月間払っていただけないと聞いております。大変ですのね」
「この会社の商品は劣悪品ばかりなのだから、払う責任などないと思うね」
(流石にこれは無しよね…)
ジルは会社の代表に担ぎ上げられてから、あまり時間が経っていないのだが、貶されると腹が立つくらいには愛着を持ち始めていたらしい。父の会社から仕入れた物はキチンと検品してから、帝国内に売っているのに、劣悪品のみという事はないはずなのだ。それに支払いをしてもらわなければ、うちの会社の資金がまずい事になる。
ジルは、伯爵への腹立ちから一計を仕掛けてみる事にした。
「劣悪品等ではありませんわ。検品のチェック資料もありますのよ? うちの会社のも、仕入れ先の会社のも」
「そんな物が……」
「調べればすぐに品質については判明しましてよ。代金をお支払出来ないというなら、こういうのはどうでしょうか? うちの商品の購入代金の未払い分を、借金扱いに――つまりうちの会社が貴方の会社にお金を貸しているという状態にするという事ですわ」
「ほぅ……」
マリク伯爵の眼差しが打算的な光を宿す。
「そうしたら、マリク伯爵の会社が一時的に倒産の危機から脱しますし、うちの会社は貴方の会社から代金の回収を安定して続けられますでしょう?」
「悪くない話だ」
話に食いつきそうな伯爵の様子に、ニヤケそうになり、ジルは扇を広げて口元を隠した。
代金回収期限を短期間に二度守らない事で、銀行との取引が出来なくなるという帝国の法律では、マリク伯爵の会社は早々に倒産の危機を迎えるだろう。支払期限を延ばす事が出来る借金に変えるというのは魅力的に思ってもらえるのはジルの想定内だったりする。
「ただし、マリク伯爵、貴方の暮らす屋敷と土地を担保としていただきたいのですわ」
「なんだと……?」
ジルはマリク伯爵の底冷えする様な茶色の目を真っ直ぐ見据え、ニッコリと微笑んだ。
「勿論、領地を担保……という事でもよろしいですのよ?」
0
お気に入りに追加
1,034
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。
梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。
ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。
え?イザックの婚約者って私でした。よね…?
二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。
ええ、バッキバキに。
もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
あなたなんて大嫌い
みおな
恋愛
私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。
そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。
そうですか。
私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。
私はあなたのお財布ではありません。
あなたなんて大嫌い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる