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新たな暮らしと、皇太子の帰還
新たな暮らしと、皇太子の帰還③
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(やってしまった……)
ジルは足元に転がるハイネを茫然と見つめ、震える。
「ごめんなさい! 勝手に手と足が動いてしまいましたの!」
衛兵達に捕まるかもしれないと思ったが、何故か彼等は動かず、気まずそうに明後日の方向を向いたりしている。
ジルは腰を下ろし、ハイネの肩に触れる。
「大丈夫ですか?」
払いのけられる事を覚悟した手は、上から重ねられ、握られた。
ムクりと身を起こしたハイネはジト目でジルを睨む。
「行くぞ」
「どこに?」
「宮殿!」
大通りへと引きづられる様にして歩かされ、ジルは抵抗する。
宮殿に行くとしても、ハイネが歩くわけがないし、馬は一頭。公衆の面前で抱えられる様に運ばれるのだろうと思い至ったのだ。
「私……、急に用事を思い出しました!」
「はぁ!?」
手を振りほどき、走る。人の壁を掻き分け、全力でハイネから離れる。
細い小道まで来てから、大通りの方を向くと、もう民衆達の姿は見えなくなっていて、ジルは漸く深呼吸出来た。それと同時に激しい自己嫌悪に襲われる。
逃げる直前に見えたハイネの途方に暮れた様な表情を思い出し、ジワリと視界が滲む。
ハイネは自分の中で特別な存在なのは間違いない。だけど、あそこでキスされるのは厳しかった。
「え~と、ジル様?」
少し経った後、背後から声がかけられて驚き、振り返る。
立っていたのはハイネの侍従の一人、バシリーだった。嫌そうな表情をしている。
「ハンカチ使います?」
彼はめんどくさそうに白いハンカチを差し出してくれたが、ジルは首を振り、自分の物を目元に当てる。
「私を捕まえて、牢に連れて行くんですか?」
「違いますよ。ただの痴話げんかを大ごとにするわけないでしょう? ハイネ様に貴女を家まで送る様に命じられたんです。勘違いした民衆に危害を加えられないかと心配してましたよ」
あれ程酷い事をしたのに、まだ気遣ってくれるハイネの優しさに、再び涙が出た。
そして、戦地から戻って来たばかりのバシリーにも申し訳なく感じられる。
「お疲れなのに、申し訳ありません……」
「謝る対象はハイネ様だと思いますけどねぇ。送るんで、付いて来てください」
彼の後ろを大人しくついて行くと、近くに馬を停めてあり、乗る様に言われる。
「バシリーさんは乗らなくていいんですの?」
「貴女と二人乗りしたらハイネ様に八つ裂きにされちゃいますからね」
バシリーはため息を吐いて、馬の手綱を引き、歩き出す。このまま家まで送ってくれるつもりなのだろう。
「重ね重ねすいません」
「……悪いと思っているなら、ハイネ様を拒絶した理由を教えてもらえます? 凱旋パレードで、自国の皇太子にあんな風に特別扱いされて嫌がる女性はそんなに居ないと思うので、ちょっと興味があります」
「えっと……。ハイネ様が何故あんな行動をとったのか、まずそこが良く分からなくて、混乱してますわ」
「貴女を奪い返す為に、危険を顧みずに敵対国に乗り込んだあの方の気持ちが、伝わってないって事です? やばいですよそれ……」
アホの子を見る様なバシリーの視線が痛い。ジルは「うぅ……」と呻いた。
ハイネの気持ちを察する時は何度かあった。でも、ジルは十八年間の人生の中で、異性にストレートな形で好意を向けてもらった事がないため、勘違いかもしれないとも思っていた。
出会ったばかりの時に、彼に公国の象徴だと言われた事も何となく思い出していたかもしれない。
凱旋パレードのあの時、ハイネに掴まれた自分がトロフィーとか、戦利品みたいだと思ったら、拒絶反応が出ていた。
そうであっても、晴れの舞台で恥をかかせてしまうなんて最低だと、ジルは後悔で一杯になる。
沈黙を続けるジルを乗せ、バシリーは黙々と歩く。呆れ果てているだろうに、咎める様な事は言わないでいてくれる。その赤毛の頭を見ながら、ジルは考えがまとまらないままに、そっと言葉を吐き出してみた。
「自分に自信が持てないのかもしれません……。コンプレクスを感じながら生きてきたので。だからハイネ様を受け入れられなくて……」
「自信を持つことも今後の貴女の課題なのかもしれませんねー。そんなんじゃ将来やっていけないと思いますよ。でもまぁ、一回ハイネ様に口付けしてもらったらいいんじゃないですかね。抵抗無くなると思うんで」
「はぃ!?」
「僕は赤ん坊から年配のご婦人まで、誰とでも抵抗無く出来ますねぇ!」
「ハイネ様とキ、キスしたからですの?」
「何でそうなるんですか! 違いますよ! 男は無理なんで! あれ? でも待てよ……ハイネ様となら……いけそうな……」
危ない境地に至りそうなバシリーと会話しながら、ジルは家まで帰り着いた。
◇◇◇
ハイネは私室の扉を乱暴に開け、着ていたコートを床に投げ捨てた。
シャツを脱ごうとボタンを外すと、腹の赤みが目に入る。先程ジルに蹴り上げられた場所だ。
鈍い痛みがあの時の事を思い出させ、唇を噛む。
(あれじゃあただの変態だ!)
何時からおかしくなったのかと、思い返す。
たぶん二週間程前、公国北部最大の都市を占拠する時までは、感情は凪いでいて、時々送られて来る手紙を読んで何となく満足していた。
だが、オイゲンからジルの周辺に若い男がうろついていて、妙に親しい様だと報告を受けてから、イラつきやすくなっていた。別にジルの周りを終始見張らせていたわけではないが、手紙の受け渡しの仲介をしているうちに、気が付いたらしい。
それまで、ジルは自分と同じ想いでいてくれていると思っていたのだが、急に分からなくなった。
距離的に離れ、会えない時間が増えるうちに、ジルがどんな風に自分と接していたのか良く思い出せなくなっていたのだ。そして彼女に否定的な事ばかり言っていた事を後悔する日々……。
ブラウベルクの国民としての彼女を嫁にする事はまだ公言してないため、彼女は他の男とどんな関係にでもなれる。戦争を終え、戻った後にジルの傍にお相手が居たとしても、ハイネには文句を言う資格がないのだ。
今日彼女が広場に現れなかった事で、さらに不安が膨らんだし、パレードの途中で漸く見つけたジルは下を向き、ハイネに全く興味が無さそうだった。だからあの何千人もの観衆の前で、自分の女であるように示したくなってしまった。そうしたら、この国では誰も彼女に手を出せなくなるからだ。
でもキスする前にジルにボコボコにされ、安心していた。謎のスッキリ感もある。
口付けした後に拒絶されたら、きっと立ち直れなかっただろう。
ジルは足元に転がるハイネを茫然と見つめ、震える。
「ごめんなさい! 勝手に手と足が動いてしまいましたの!」
衛兵達に捕まるかもしれないと思ったが、何故か彼等は動かず、気まずそうに明後日の方向を向いたりしている。
ジルは腰を下ろし、ハイネの肩に触れる。
「大丈夫ですか?」
払いのけられる事を覚悟した手は、上から重ねられ、握られた。
ムクりと身を起こしたハイネはジト目でジルを睨む。
「行くぞ」
「どこに?」
「宮殿!」
大通りへと引きづられる様にして歩かされ、ジルは抵抗する。
宮殿に行くとしても、ハイネが歩くわけがないし、馬は一頭。公衆の面前で抱えられる様に運ばれるのだろうと思い至ったのだ。
「私……、急に用事を思い出しました!」
「はぁ!?」
手を振りほどき、走る。人の壁を掻き分け、全力でハイネから離れる。
細い小道まで来てから、大通りの方を向くと、もう民衆達の姿は見えなくなっていて、ジルは漸く深呼吸出来た。それと同時に激しい自己嫌悪に襲われる。
逃げる直前に見えたハイネの途方に暮れた様な表情を思い出し、ジワリと視界が滲む。
ハイネは自分の中で特別な存在なのは間違いない。だけど、あそこでキスされるのは厳しかった。
「え~と、ジル様?」
少し経った後、背後から声がかけられて驚き、振り返る。
立っていたのはハイネの侍従の一人、バシリーだった。嫌そうな表情をしている。
「ハンカチ使います?」
彼はめんどくさそうに白いハンカチを差し出してくれたが、ジルは首を振り、自分の物を目元に当てる。
「私を捕まえて、牢に連れて行くんですか?」
「違いますよ。ただの痴話げんかを大ごとにするわけないでしょう? ハイネ様に貴女を家まで送る様に命じられたんです。勘違いした民衆に危害を加えられないかと心配してましたよ」
あれ程酷い事をしたのに、まだ気遣ってくれるハイネの優しさに、再び涙が出た。
そして、戦地から戻って来たばかりのバシリーにも申し訳なく感じられる。
「お疲れなのに、申し訳ありません……」
「謝る対象はハイネ様だと思いますけどねぇ。送るんで、付いて来てください」
彼の後ろを大人しくついて行くと、近くに馬を停めてあり、乗る様に言われる。
「バシリーさんは乗らなくていいんですの?」
「貴女と二人乗りしたらハイネ様に八つ裂きにされちゃいますからね」
バシリーはため息を吐いて、馬の手綱を引き、歩き出す。このまま家まで送ってくれるつもりなのだろう。
「重ね重ねすいません」
「……悪いと思っているなら、ハイネ様を拒絶した理由を教えてもらえます? 凱旋パレードで、自国の皇太子にあんな風に特別扱いされて嫌がる女性はそんなに居ないと思うので、ちょっと興味があります」
「えっと……。ハイネ様が何故あんな行動をとったのか、まずそこが良く分からなくて、混乱してますわ」
「貴女を奪い返す為に、危険を顧みずに敵対国に乗り込んだあの方の気持ちが、伝わってないって事です? やばいですよそれ……」
アホの子を見る様なバシリーの視線が痛い。ジルは「うぅ……」と呻いた。
ハイネの気持ちを察する時は何度かあった。でも、ジルは十八年間の人生の中で、異性にストレートな形で好意を向けてもらった事がないため、勘違いかもしれないとも思っていた。
出会ったばかりの時に、彼に公国の象徴だと言われた事も何となく思い出していたかもしれない。
凱旋パレードのあの時、ハイネに掴まれた自分がトロフィーとか、戦利品みたいだと思ったら、拒絶反応が出ていた。
そうであっても、晴れの舞台で恥をかかせてしまうなんて最低だと、ジルは後悔で一杯になる。
沈黙を続けるジルを乗せ、バシリーは黙々と歩く。呆れ果てているだろうに、咎める様な事は言わないでいてくれる。その赤毛の頭を見ながら、ジルは考えがまとまらないままに、そっと言葉を吐き出してみた。
「自分に自信が持てないのかもしれません……。コンプレクスを感じながら生きてきたので。だからハイネ様を受け入れられなくて……」
「自信を持つことも今後の貴女の課題なのかもしれませんねー。そんなんじゃ将来やっていけないと思いますよ。でもまぁ、一回ハイネ様に口付けしてもらったらいいんじゃないですかね。抵抗無くなると思うんで」
「はぃ!?」
「僕は赤ん坊から年配のご婦人まで、誰とでも抵抗無く出来ますねぇ!」
「ハイネ様とキ、キスしたからですの?」
「何でそうなるんですか! 違いますよ! 男は無理なんで! あれ? でも待てよ……ハイネ様となら……いけそうな……」
危ない境地に至りそうなバシリーと会話しながら、ジルは家まで帰り着いた。
◇◇◇
ハイネは私室の扉を乱暴に開け、着ていたコートを床に投げ捨てた。
シャツを脱ごうとボタンを外すと、腹の赤みが目に入る。先程ジルに蹴り上げられた場所だ。
鈍い痛みがあの時の事を思い出させ、唇を噛む。
(あれじゃあただの変態だ!)
何時からおかしくなったのかと、思い返す。
たぶん二週間程前、公国北部最大の都市を占拠する時までは、感情は凪いでいて、時々送られて来る手紙を読んで何となく満足していた。
だが、オイゲンからジルの周辺に若い男がうろついていて、妙に親しい様だと報告を受けてから、イラつきやすくなっていた。別にジルの周りを終始見張らせていたわけではないが、手紙の受け渡しの仲介をしているうちに、気が付いたらしい。
それまで、ジルは自分と同じ想いでいてくれていると思っていたのだが、急に分からなくなった。
距離的に離れ、会えない時間が増えるうちに、ジルがどんな風に自分と接していたのか良く思い出せなくなっていたのだ。そして彼女に否定的な事ばかり言っていた事を後悔する日々……。
ブラウベルクの国民としての彼女を嫁にする事はまだ公言してないため、彼女は他の男とどんな関係にでもなれる。戦争を終え、戻った後にジルの傍にお相手が居たとしても、ハイネには文句を言う資格がないのだ。
今日彼女が広場に現れなかった事で、さらに不安が膨らんだし、パレードの途中で漸く見つけたジルは下を向き、ハイネに全く興味が無さそうだった。だからあの何千人もの観衆の前で、自分の女であるように示したくなってしまった。そうしたら、この国では誰も彼女に手を出せなくなるからだ。
でもキスする前にジルにボコボコにされ、安心していた。謎のスッキリ感もある。
口付けした後に拒絶されたら、きっと立ち直れなかっただろう。
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