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第22話 なるんじゃなかった……冒険者なんかに……

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 富山県東部迷宮の第5層。
 一人の冒険者が恐る恐るという足取りで、探索を行っていた。

 彼の名は渡辺わたなべ 浩二こうじ
 27歳。男性。独身。冒険者歴は2年半。

 3年前に国内で開始された公認冒険者制度。
 スター冒険者と名高い神崎直人ら一期生に続く、二期生と呼ばれる集団に属する。


 当時はなり手の少ない冒険者。
 特に地方においてはこの世代は貴重で、県内では古参のような立ち位置で顔が利いている。

 だが、本人の自己評価はそれに反し低い、というか冒険者でいることに既に嫌気がさしていた。


(やっぱり第5層はこええなぁ……。でも、どっかで冒険しないとなぁ。このままじゃ浮かび上がれねえよ)


 冒険者を始める前の彼は、高卒のフリーターだった。
 将来を悲観しては鬱屈とした感情を貯め、ストロングゼロを呷りながら己の心の闇を払い、アルバイトの単純作業に救いを求める日々。

 真剣に交際していたつもりの彼女にはあっさりと捨てられ、半ば自暴自棄で応募した冒険者制度だったが、これが意外に彼には合っていた。


 安全マージンを確保しながら、少しずつ、少しずつレベルアップと装備向上、経験蓄積に励み、今では主に第3-4層を戦場に活躍している。
 そんな彼の年収は約1,600万円。これは装備品や回復薬等の費用を除いた後の数字である。
 十分な高収入。まして冒険者の所得は他の事業者と比較して大幅に税制優遇を受けているため、可処分所得は数字以上のものがある。


 最初に態度が変わったのは家族だった。
 苦虫を噛みつぶしたような表情でしか接してこなかった両親や妹。それが今では気味が悪いほどに優しく、日々暖かな一家団欒を演じている。
 稼ぎ頭の自分が帰るまではみな夕飯に手を付けないという徹底ぶりだ。
 心配をかけたお返しの親孝行と、親父の車を新調し、家のリフォーム費用を出したのがそれに拍車をかけた感はある。


 そして、友人たちが積極的に飲みや遊びに誘ってくるようになった。
 でもまあ、こいつらはいい。むしろ今まで誘いにくかったのを、安心して誘えるようになったといってくれるのも嬉しかった。
 口では冗談めかしてタカるようなことは言ってくるが、飲み会の会計の時は普通に割り勘で済ましているし、ちょっとネタになる奴が出てきたというくらいの扱いだろう。
 こいつらと呑んでる時だけが心を開いていられる時間だ。


 そして、別れたはずの彼女。
 これが、まあ、戻ってきた。あっさりと。

 こんなにわかりやすい話もあるものかと驚いた。
 元々、こっちが一方的にほれ込んだ、ちょいとムリめなお高い女。
 堂々たる態度で復縁を申し込まれた際には、何か一言言ってやるべきだったのかもしれないが、所詮は惚れた方の負け。
 ズルズルと、なし崩しに同棲にまでなだれ込んで、何度か彼女の両親と食事までしてしまった。


 しかし、もう辞めたい。この仕事。
 自分が冒険者以外でこんな収入を得られないことはわかっている。
 でも命を懸けて魔物モンスターと戦う日々に限界を感じている。いつ死んでもおかしくない。

 単純に、きつい。肉体的にも精神的にも。
 それ以上に、自分が今後も冒険者として稼ぎ続けることを当然のことと期待している。

 妹など、仕事を辞めて語学留学を志望しているが、その資金の出所について相談をしようとさえしない。
 するまでもなく、自分が出して当然と思っているのだろう。
 地方短大卒の事務員が英語を覚えて一体何になるというのか、その金を稼ぐために俺がどんな危険を犯すことになるのか。
 そんな話し合いをする場さえない。


 彼女にしたって、今更自分が別の仕事に就くことなど全く望んでいないだろう。
 どころか、なにやらプロデューサーというかマネージャー気取りというか。
 自分の冒険者活動の方針についてまで口を出してくるようになった。

 やれ、いつまで第3層にとどまっているのだだの、装備に投資して深層を目指すべきだの。
 と思ったら、回復薬の使用を控えて収益性の向上を図るべきだの。奇抜な恰好をしてマスコミへの露出を狙うべきだの。
 現場を知りもしない人間に安全圏から好き放題言われることは、コウジの精神を不快に震わせる。


 所詮、いつまで続けられるかわからない商売だ。
 "魔素"でのレベルアップがあるとはいえ、肉体は老いる。
 それに今の収入は、冒険者業界自体のスタートアップということで国から補助金が出ていてこその金額だ。

 業界が安定するにつれて補助金は減るだろうし、逆にライバルは増え続ける。
 現に優秀な新人たちがどんどん入ってきている。
 コンドウオサムとかいう若造は、デビュー1か月かそこいらで、第3層ボスのワイトキングを打倒したそうだ。


「冗談じゃねぇよ、まったく……」


 神崎直人じゃあるまいし。どうなってるんだ今のガキは。
 コウジはワイトキングを単独で倒すことはできない。

 第3層ボスと戦うときは、同等のキャリアの冒険者と6名ほどのパーティを組んで、入念な準備をして臨む。
 第4層ボスは正直、自分では戦力になれない。
 上位の冒険者たちのパーティが倒してくれるのを待って、その隙をついて次のゲートに進むのが関の山だ。
(だから、他のパーティによるボス攻略やリポップのタイミングは極めて貴重な情報だ。なお帰り道のゲートにはボスは出現しない。)


 いずれ大企業が参画して、高度に組織化された冒険者集団などが繰り出して来たら、自分などとても対抗できないだろう。
 そうなれば、今のようには稼げなくなる。そうなると、周りは何というだろうか。
 ……今の二倍働いて稼ぎを維持しろ、と言うのだろうなとコウジは思う。一切の躊躇なく。


「ブモォォォっ!」


 唐突な嬌声にコウジは我に返る。
 第5層の徘徊魔物モンスター、ミノタウロスだ。

 動揺することなく、銀製の槍を掲げる。
 魔物モンスターはやや大振りのモーションで、コウジに向かい斧を振るう。


 コウジは静かな動作で、余裕をもって回避する。
 彼の売りは"眼"の良さだ。
 長年に渡りレベルアップを重ねたその眼は、敵の筋肉の動作をつぶさに観察し、近接戦の読み合いに大きく寄与してくれる。

 その道の超一流にもなると、ごく稀に魔物モンスターの体表を走る"魔素"の流れを感じることさえあるという。
 どころか、通路の曲がり角の奥まで視界が伸びる者さえいるなどという噂まである。
 彼は流石にそれはオカルトの域だろうと推察していた。


 戦闘は数分に渡っただろうか。その間コウジは一度も攻撃を放っていない。
 彼は間合いを取りつつ敵の攻撃を観察し、ミノタウロスの弱点を入念に探した。
 そして敵の攻撃リズムを感じ取り、数か所の急所にあたりを付けると、最適な間合いから散発的に攻撃を開始する。

 有利な距離からの攻撃並びに急所へのピンポイント攻撃。
 それを可能とする槍という武器は、彼にとって最適な相棒と言えた。

 さらに数分の攻防を経て。


「オーケー。この階層でもなんとかやれそうだな」


 止めの攻撃を放ち、魔物モンスターが拾得物ドロップアイテムに変化するのを見届ける。
 所要時間は10分強。こちらの損傷は皆無。

 一対一ならばなんとかやれる。
 だが、複数相手に戦うのは不可能だろう。
 また上位種のヘルトーラスとの戦闘も、この分では不可能。
 ましてボスモンスターのトーラスキングへの挑戦など夢のまた夢。


 コウジは冷静に戦況を分析する。
 不利な相手に出会った時のため、"煙玉"という高価な魔導具まで仕入れている。
 これがあれば、安全に戦闘領域から退避できる。

 今日のところは、とにかく安全重視で戦闘の手ごたえを確認する。
 煙玉や回復薬との採算のバランスを計算するのはそのデータを持ち帰った地上でだ。

 コウジのこの慎重な態度が今日まで彼を生き延びさせてきたといっていい。


 淡々と拾得物ドロップアイテムを回収していると、また先ほどの考え事が頭をもたげる。


 自分はいつまでこの仕事を続けるのだろうか。
 今更別の仕事に就けるのだろうか。収入も人間関係もかなぐり捨てて。

 中学時代の同級生たちが恨めしい。安定した仕事で、暖かい家庭を築いている奴らも多い。
 どこで間違えた。受験勉強、就職活動。人生の節目で困難から逃げ続けた自分が悪いのはわかっている。

 しかしそれでも、この境遇はあんまりじゃないだろうか。
 金などさして欲しくもない。だが、もし辞めるといったら、彼女は去っていくだろう。
 自分はそれを---いや、貯金だ。とにかく貯金を作るのだ。貯金さえあれば、きっと何とかなる。
 今はとにかく、3,000万、いや5,000万貯めてみよう。それだけあれば、彼女だってきっと---


「---っ!アアアアアっ!!」


 不毛な思考に意識を奪われた、ということはない。
 彼ほどのキャリアの持ち主ならば、どんな時も一定の意識を周囲の警戒に割いている。


 迫りくる危機を迂闊に見逃すことはあり得ない。
 だが、気付いた上で対応できない殺意に襲われた場合は話が別だ。


 前触れなく表れた漆黒の殺意。
 視認不可能な速度で襲来したそれは、コウジの左腕をあっさりと抉り取っていた。


(---こいつは!)


 突然の事態にも、彼は精神を暴走を制御することに成功した。
 鍛え抜かれた眼力をもって、敵の姿を観察し、そこで再度驚愕に見舞われることとなる。

 体長2.5メートルほどの漆黒の獣。闇より深い瞳で彼を見つめるその魔物モンスターは。


(黒狼---だと!?第7層に出現する、上位種・・・!下位種のヘルハウンドでさえ荷が重いってのに!)


 ありえない事態だった。
 魔物モンスターが階層を跨いで出現することなど、過去、世界中で一度も生じていない事象のはずだ。


 異常事態の中、コウジの判断は素早かった。
 即座に懐に忍ばせた煙玉を地面に投げつける。


 ポン!
 存外に軽い破裂音とともに、大量の煙が急速に立ち込める。
 この煙は、単純な目くらましではない。

 魔物モンスターは"魔素"を通じて周囲を近くする能力があるが、この煙には"魔素"感知に対する強力なジャミング効果がある。
 人間以上に魔物モンスターにとって非常に不快で危険な妨害となる、高級品だ。


(とにかく第4層に退避だ!……クソ!迷宮ダンジョン産の高性能義手を探さねぇと……)


 全力疾走でゲートに向かうコウジ。
 当然、ルートは暗記済みだ。道中で魔物モンスターと遭遇するなら、迷わず残りの煙玉を使用する覚悟は決まっている。
 大赤字だが、命は金に換えられない。


 だが。


「ぐあああぁっ!?」


 背中から強烈な衝撃を受け、思わずコウジは激しく転倒した。
 それでも慌てることなく、敵がいると思しき場所に、反射的に槍での反撃を放つ。


 しかし。超高速で機動するそれは、コウジの攻撃など軽々と回避する。
 壁を、天井を蹴ってコウジの懐まで飛び込んでくる。


(まさか、嗅覚!こいつには煙玉が通用しない---!?)


 眼の前に開かれた大きな顎あぎと。
 逃げ出そうとするコウジだが、体が動かない。
 先の一撃で脊柱を損傷し、肉体に麻痺が生じている。
 助かる術は---ない。


(なるんじゃなかった……冒険者なんかに……)


 本来ならば前途あったはずの若者。
 断末魔が迷宮ダンジョンに響き渡った。
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