愛してると言いなさい・番外編

安芸

文字の大きさ
上 下
6 / 10

6、後日談 思い出の場所・ジーチェ&ダナン

しおりを挟む

 春になったら連れて行こうと決めていた。

 そのために早くから計画を立て、ひそかに準備を進め、休みの申請をし、暖かくなるのをずっと待っていたというのに――。


「仕事?」

 呆気にとられてダナンは訊き返した。
 就寝前のひととき、鏡台の前で髪の手入れをしていた妻ジーチェが漏らした一言に愕然とする。

「しかし、君は明日から十日間の長期休暇の予定を許可されていたんじゃないのか」
「ええ。でもひとり急病で倒れて、もうひとり実家が火事に遭ったという知らせがあって急に一時帰省することになったんです」
「誰か他に都合のつく者がいるだろう」
「皆、忙しいので。私は特に予定もありませんでしたし、人手が足りなくて困っているのを見過ごすわけにも参りません。明日一日だけお休みして、明後日から代わりに出ることにしました。あの……いけませんでした?」

 がっかりした。
 驚かせようと黙っていたことが裏目に出た。

 ダナンが眼に見えて落胆し肩を落としたのを見て、様子が変だと気がついたのだろう。ジーチェが気懸りそうに言う。

「どうかなさいましたの?」
「いや」

 ダナンは唇を一文字に結んで首を横に振る。

 ―ーこんなことなら、はじめからきちんと話しておけばよかった。

 と、後悔しても後の祭りである。
 ジーチェは悪くない。責めるのはお門違いだ。たとえすべての計画が音を立てて崩れようとも、また一からやり直せばいいだけの話だ。

 だが……。

 考えた末、やはりどうしても諦めきれない思いが先に立った。



 翌朝、朝食を済ませるなりダナンはジーチェをデートに誘った。

「あなたもお休みでしたの?」
「君に合わせてね」

 するとジーチェは申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「言ってくださればよかったのに」

 まったくだ。

 とは言わず、ダナンはジーチェのために外出用のマントを取って肩にかけた。

「時間がもったいない。行こう」
「どこへ?」
「いいから私について来なさい」

 ダナンは厩舎に立ち寄って自分の愛馬を引き出した。ジーチェを前に乗せて、魔法研究所へ赴く。
 所長のローザンを掴まえて手短に事情を説明し、理由をデートから視察に変更することで転移魔法陣の使用許可を得た。早速目的の地へ転送してもらう。

 情緒もへったくれもあったものではないが、この際細かいことには眼を瞑ろう。

 転移先は北エバアル魔法研究所施設内。
 はじめ不審そうにうろたえていたジーチェだが、施設の外に出て空気を吸うなり気がついたようだ。

「ここは……! でも、どうして」

 戸惑うジーチェを急かして相乗りし、ダナンはまっすぐに草原へと向かった。
 都市部を離れるにつれ景色はどんどん緑が多くなっていく。
 人家がまばらになり、のどかな田園地帯を越えて――やがて芽吹いたばかりの広大な草原に着いた。

 青い草波が風にそよぐ。
 どこかの牧場の羊やヤギの群れがのんびりと草を食み、牧羊犬はふわふわ舞う蝶にじゃれかかり、頭上では翼を大きく広げた鳶が旋回していた。

「しっかり掴まっていなさい――ヤッ!」

 ダナンは愛馬を疾走させた。風を切り、雲を追いかけるように。
 風景が飛ぶように過ぎていく。
 雄々しい馬蹄音だけが響く中、風の匂い、土の匂い、草の匂いが入り混じって鼻をつく。
 懐かしさで胸がいっぱいになる。

「ジーチェ!」
「はい」
「君とはじめて会ったのは、ここだった」
「はい」
「懐かしいな。ここはなにも変わらない。空と草と風と光と……」

 ダナンは手綱を引いてゆるやかに停止させた。
 馬を下り、ジーチェと手を繋いで草原に寝転ぶ。額に手を翳して太陽の光を遮りながら漂う雲を眺めていると、時間が逆行し、昔に戻ったような錯覚を覚えた。

「ああ……草原の風だ……」

 横を見る。
 驚いたことに、ジーチェと眼が合った。
 そのまましばらく見つめ合う。
 愛する人と共にいられる幸福を心底嬉しく思った。ありていに言って、感動した。
 一生こんなふうに手を繋いでいけたら、どんなに山あり谷ありの人生だろうと二人で努力して、ゆっくり乗り越えていくことができるだろう。
 ダナンはジーチェに微笑みかけた。

「……君が、好きだ。はじめて出会ったときから、ずっと……」

 春の暖かな陽射しに包まれるジーチェは最高に美しい。

「どうしても、君と巡り会えた春の青い草原を訪れたかった。本当はゆっくり時間をかけて来ようと思っていたのだがね……まあ、それは次の機会にしよう」

 時間を見る。そろそろ帰途につかなければ日が暮れてしまう。
 ダナンが起き上がろうとすると、繋いでいた手にギュッと力がこもって引き止められた。

「……どうした?」
「……もう少しだけ」

 不意に、ジーチェが甘えた瞳でダナンを見つめた。ドキッとする。他人行儀に構えたところが微塵も感じられない、無防備なまなざしだ。
 この滅多に見られない表情と寛いだしぐさに、ダナンが魅せられてぼーっとした。
 すると、ジーチェは小さく笑って告げた。

「私もずっとここに戻ってきたかったんです。――あなたと二人で」

 それから秘密を囁くように、そっと一言、付け足す。

「あなたのことが大好きですの。だから……一緒に戻って来られて嬉しいです」





 *新作 本魂ほんたま呼びの古書店主(代理) 連載開始です。

 こちらもお付き合いいただけると嬉しいです。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】人生で一番幸せになる日 ~『災い』だと虐げられた少女は、嫁ぎ先で冷血公爵様から溺愛されて強くなる~

八重
恋愛
【全32話+番外編】 「過去を、後ろを見るのはやめます。今を、そして私を大切に思ってくださっている皆さんのことを思いたい!」  伯爵家の長女シャルロッテ・ヴェーデルは、「生まれると災いをもたらす」と一族で信じられている『金色の目』を持つ少女。生まれたその日から、屋敷には入れてもらえず、父、母、妹にも虐げられて、一人ボロボロの「離れ」で暮らす。  ある日、シャルロッテに『冷血公爵』として知られるエルヴィン・アイヒベルク公爵から、なぜか婚約の申し込みがくる。家族は「災い」であるシャルロッテを追い出すのにちょうどいい口実ができたと、彼女を18歳の誕生日に嫁がせた。  しかし、『冷血公爵』とは裏腹なエルヴィンの優しく愛情深い素顔と婚約の理由を知り、シャルロッテは彼に恩返しするため努力していく。  そして、一族の中で信じられている『金色の目』の話には、実は続きがあって……。  マナーも愛も知らないシャルロッテが「夫のために役に立ちたい!」と努力を重ねて、幸せを掴むお話。 ※引き下げにより、書籍版1、2巻の内容を一部改稿して投稿しております

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

三度目の嘘つき

豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」 「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

処理中です...