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4、今日は何の日? 海へ行こう!

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 ある日突然、紅緒が言った。

「海に行きたいな」

 すぐさまリゼは応じる。

「いいよ。連れて行ってあげる。いつがいい? いまでもいいけど」
「本当? じゃあ次に来たときにお願いします。私、水着とか浮輪とかビニールボールとか持ってくるから、リゼは日除け用にパラソルとか用意してくれるかな」
「パラソルね。わかった」

 でも『水着とか浮輪とかビニールボール』ってなんだろう? 
 とはリゼは訊かなかった。野暮な気がして。だいたい海になにしに行くのだろう? 
 だがそんな疑問は些細なことだ。肝心なのは。

「楽しみだね」
 
 紅緒が嬉しそうに、にこっと笑う。ただそれだけでリゼの気持ちはほっこり丸くなる。

「はいっ」

 早速パラソルの調達をしなければならない。
 
 でれっと鼻の下を伸ばして返事をしながら、リゼは手元の魔法研究書をぱたんと閉じた。





「わあ、見えてきた! すごい。なんてきれいなエメラルドグリーンの海なの!」
「っと、それ以上身を乗り出しちゃ危ないってば。落っこちるよ」
 
 双頭の竜テスとサジェに乗り、一番近くの海まで短い遊覧飛行だ。
 紅緒のはしゃいだ姿がとてもかわいい。
 リゼは海を見つめて眼を輝かせる紅緒に見とれながら、目指す浜辺の上空に着くと竜をゆるく旋回させた。辺りに人の気配がないことを確認し、着地する。

「ありがとう、テス、サジェ。お疲れさま」
 
 紅緒が二頭にキスすると満更でもないようで、竜達は「フシューッ」と鼻息を吐き長い尾をひと振りした。

「じゃあ私着替えてくるから、リゼは先にパラソルを用意してもらえるかな」
「うん、わかった。あ、着替えるってどこで? 遠くに行っちゃだめだよ」
「行きません。テスとサジェの陰に隠してもらうから平気」
「にー」
「おまえは行くな」

 すかさず紅緒のあとに続こうとした契約の猫の首をむずと掴む。
 まったく油断も隙もない。
 この見た目無害の小さな黒猫は、ちょっと眼を離すとすぐに紅緒にまとわりつく性質の悪い奴だ。

 海は遠浅、浜辺はやわらかい白砂で、周囲に人家はまばらにしかない。
 リゼはてきぱきとパラソルを設置した。パラソルの下には、寝椅子を二脚と小卓を並べる。
 すぐ隣に天幕も張り、食材や調理器具、煉瓦で囲った簡易かまどはこちらに準備した。
 紅緒曰く、今日は『バーベキュー』なるものをやるらしい。

「お待たせ」
「あれ、早かったね。ねぇベニオ、この鉄網はどう使う――」
 
 リゼは振り返って紅緒を一目見るなり「ぶーっ」と鼻血を噴いてひっくり返った。

「きゃあっ。リゼ、どうしたの、大丈夫?」

 ぼたぼたと血を垂らす鼻を押さえてリゼは浜辺で悶絶した。
 紅緒がびっくりした様子で駆け寄ってくるが、リゼは必死に「待った」をかけた。

「ぎゃーっ。寄らないで触らないで近づかないでー」
 
 我ながら情けない悲鳴を上げる。
 だがこちとら理性がぷつっと切れる寸前だ。

「なんて恰好してるの、ベニオっ」
「え? 普通のビキニにパーカーを羽織ってるだけだけど……変? 似合わないかな」
 
 リゼは砂浜に四つん這いになりほとんど絶叫して言った。もう涙目である。

「似合うとか似合わないとか以前の問題だろう! なんっなの、その過激な恰好は! 脚もお腹も胸も腕も全部丸見えじゃないかっ。僕に食べられたいのっ? あああ、もう! 眼が潰れる! 堪えられない! もうだめだ! なんっておいしそうなんだ。涎が……っ。はっ。いかんいかん、いかんだろう、いかんだろうっ。うっ。鼻血が……って、はっ! おいこら、そこのクソバカチビ猫、おまえは見るなっ。テス・サジェも眼ぇ瞑っとけ! ベニオのこんな破廉恥な姿を誰にも見せてたまるか――いますぐ眼を閉じない奴ァ、俺がぶっ殺す!」

 リゼは散々喚き立て、すっくと立つと身につけていたマントで紅緒をぐるぐる巻きにした。
 紅緒が不満そうに文句を言う。

「暑いです」
「いいから。僕の正気を保つためにも、それ絶対に外さないで」
「せっかくリゼの分の水着も用意してきたのに」

 リゼはぎょっとして飛び退いた。

「えええっ。僕にも裸になれっての?」
「裸じゃないでしょ! 水着! 水の中に入るためのものだからこれでいいんです」
「……は? 水の中に入る? まさか海に? なんで?」
「泳ぐために決まってます」
「泳ぐ?」
 
 意味がわからない。
 訝しむリゼを紅緒は置き去りにした。
 鮮やかにマントを脱ぎ払い、太陽の光に白い裸身をさらして海へ駆けていく。波打ち際でちょっと足踏みし、水を掌に掬い空中に散らしながら、波間にその身を躍らせる。
 リゼは息を呑んで見とれた。
 浮き沈みを繰り返し、楽しげにくるくるまわったり、遊泳したりする紅緒はとてもきれいだ。

「リゼも来ればいいのに。気持ちいいよ!」
 
 その笑顔のなんて眩しさ――。

 リゼは額に手を翳し紅緒の伸びやかな肢体を眼に焼きつけた。身体の芯が疼く。熱が膨らみ、このままでは時間の問題でまずい事態になりそうだ。
 なのにどうしても、眼が離せない。
 リゼは頭に手をやって、毒づいた。

「……まいったな。くそっ、なんであんなに無防備なんだ。少しは警戒心ってものがないのか? 大胆すぎるだろうが! 俺の理性の限界をどこまで試せば気が済むんだか……っ」
「リーゼー!」
 
 青い波間で手を振る紅緒は燦然と美しく、その甘い声は逆らい難く。
 リゼは白旗を掲げた。
 ふらっと一歩を踏み出すと、もう止まらない。ベルトを外す。ラミザイを脱ぎ捨てる。ブーツを放り出す。ざぶざぶと水を漕ぎ分けて紅緒のもとに向かう。
 すると紅緒は悪戯っぽい微笑を浮かべてすいっと逃げる。近づく。逃げられる。

「捕まえられるかな?」

 紅緒が挑戦的に片眼をぱちりと瞑る。
 リゼとしては退くわけにはいかない。

「よーし」
 
 リゼはざぱん、と飛沫を上げて海中に潜った。
 そして千のきらめきが弾ける中、二人の追いかけっこがはじまった。




















おまけ


 リゼは紅緒を見て疑問をぶつけた。

「そういえば、なんで急に海に来たいなんて言い出したの?」
「今日は海の日だからです」
「じゃあ、この溢れんばかりの食材は?」
「皆が来るかなと思って」
「皆?」
 
 煉瓦かまどの上に置いた鉄網の上で、串に挿した肉がジュウジュウと焼ける。辺りには香ばしい匂いが立ち込めて空き腹にはたまらない。
 紅緒がよく炙った串刺し肉を皿にのせ、リゼに差し出す。

「もういいみたい。はい、どうぞ召し上がれ」

 肉汁を砂浜に滴らせ、こんがりと表面が焦げた肉にリゼはかぶりついた。

「いただきますっ。ん! 旨っ」
「にー……」

 猫舌のチビクロは冷めるまでお預けをくらっている。じれったそうにパタパタと尾を振る仕草を横目にリゼは肉の串と野菜の串を交互に頬張った。
 紅緒は水着にパーカーを羽織り、その上からリゼのマントを身体に巻きつけ素足にサンダルをひっかけていた。
 ひと泳ぎしたあと紅緒は手早く昼食の支度に取りかかり、いまは皿に盛った肉やら野菜やらをテスとサジェに届けにいって戻って来た。

「ねぇベニオ、皆って――あ?」
 
 突然、すぐ近くに魔法の気配を感じてリゼは結界を張ろうとしたが思いとどまった。
 馴染みのある気だ。
 次の瞬間、どやどやといつもの面子が魔法転移してきた。ジークウィーンを先頭に、カトレー、アルディ、ジーチェ、ラヴェルが揃い踏みだ。

「ベニオ!」
「こんにちは、ベニオ殿」
「お姉さまあー!」
「差し入れをお持ちしました」
「師よ、お捜しましたよー。いったいどうして気配を断っていたんです?」
 
 悪気なしにとことこと傍へやってきたラヴェルをぎろりと睨んで、リゼは言った。

「……どこぞのバカ弟子が邪魔をして、ベニオと僕の甘いひとときを台無しにするのを防ぐために決まっているだろう」
 
 するとラヴェルは心外だ、とばかりに両手をひろげた。

「あれ? お邪魔でした? 変ですねぇ。ベニオ殿からは『時間の都合がついたらぜひ来てほしい』とご招待にあずかったんですけど。しかし師がどうしても帰れとおっしゃるならば、涙を呑んで引き上げますが?」
 
 帰れと言いたい。言いたいが、しかし。
 紅緒はいつもの面子が揃ってとても嬉しそうだ。
 
 リゼは嘆息して紅緒と二人だけの時間を諦めた。
 紅緒は給仕を務めながら、わきあいあいとしている。

「食事が済んだら皆でスイカ割りしませんか?」
「お姉さま、『スイカ割り』ってなんですの?」
「ええと――」

 こうなったらとことん遊び倒してやる……!
 
 リゼが半ばヤケクソ気味に今日の予定変更を覚悟したときだった。

「わ」

 と紅緒が砂に足を取られて躓いた。
 如才なくすぐ傍にいたジークウィーンが抱き止める。

「大事ないか?」
「ありがとうございます。あ」
「ん?」
 
 紅緒が身体を起こした拍子だった。はらり、とマントがほどけて肌から滑り落ちる。
 次の瞬間、胸の形や腰のくびれも悩ましい水着とかわいい小さなお尻を半分だけ隠す短い丈のパーカー姿の紅緒があらわになった。

「……」
「おや」
「ぶほっ」

 たちまちジークウィーンが石化する。
 カトレーは尻上がりな口笛を吹いた。
 ラヴェルは咄嗟に掌で眼を覆ったが既にばっちり目撃したあとだ。

「見るなあああああっ」
 
 リゼの絶叫が青い空と海と白い浜辺に轟き渡る。
 
 俄かに浜辺は騒々しくなった。






 *新作 本魂ほんたま呼びの古書店主(代理) 連載開始です。

 こちらもお付き合いいただけると嬉しいです。

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