リヴァイアサンで待っている

安芸

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八月二日 自己紹介します

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 朝一番に南がしたことはスマートフォンのアドレスを確認したことだった。
 急いで指を滑らせる。無事に、目当ての名前を見つけることができた。

「あった……!」

 夢じゃない。夢じゃなかったんだ!

 ――中務宮由良なかつかさのみやゆら

 スマートフォンを宝物のように抱きしめる。パジャマのままもう一度ベッドにダイブして、転げまわってニヤニヤした。いまこの瞬間を家族の誰かに見られたら、たぶん病院行きだ。
 由良とは今日も講習が終わったら<Leviathanリヴァイアサン>で会う約束をした。
 南は鼻歌を歌いながらシャワーを浴び、制服に着替えて、教材とノートを揃えた。

「よーし、やるぞー」

 気分はバラ色でものすごく浮かれていた。
 だが、講習を真面目に受けなければ由良に合わせる顔がないような気がして、勉強にも気合を入れて臨むことにする。
 なんといっても由良はあの名門中の名門、英聖館に通っているのだ。勉強態度が不真面目だったら嫌がられるかもしれない。南の成績は中の上程度で、どの科目も好きでも得意でもない。いままではそれなりに頑張っていただけだった。

 だが今朝の南は一味違った。自然とやる気が湧いてきた。動機はかなり不純でも、勉強への熱意は本物だ。高校受験のときですらこれほど真剣になれなかったのに、恋って不思議だ。
 南は自分でも驚くくらい集中して講義を受け、終了後は誰よりも早く教室を出て一目散に待ち合わせ場所へ向かった。



Leviathanリヴァイアサン>では、由良が出迎えてくれた。
 白のTシャツに七分袖の黒のサマージャケットを重ねて、ベージュのパンツを合わせ、ブラウンの靴を履いている。さりげない着こなしがものすごく様になっていてかっこいい。

「いらっしゃい、南さん」

 向けられた柔らかい笑顔に南は胸がドキドキした。自然と顔が熱を帯びていく。

「こ、こんにちは! ゆ、ゆ、由良さんっ」
「そんなに緊張しないで。さ、入って」

 南が頭を下げて由良の前を通り過ぎようとしたところ、由良が唇を耳元に近づけてきた。

「君に名前を呼ばれるのは、悪くないね。気に入ったよ」

 由良の囁きは破壊力がありすぎて、南はあやうくその場にへたり込むところだった。
 そんな醜態を演じずに済んだのは、二番目に出迎えてくれた有馬が爽やかに挨拶をしてくれたからだ。

「こんにちは、南さん。外は暑かったでしょう? アイスミントティーはいかがですか。さっぱりしますよ」
「はい! いただきます」

 ありがたく好意を頂戴することにして、ソファに落ちつく。なんとなく、昨日と同じ場所を選んで座った。すると由良も示し合せたように南の隣に寛ぐ。少し動けば肩がぶつかりそうな距離感に緊張しつつ、由良の近くにいられることは単純に嬉しくて自然と顔がほころんでしまう。

「今日はここの仲間を紹介しようと思って」

 由良の言葉に弾かれたようにわっと人が集まる。俄かに騒々しくなった。
 一人目は、ひょろっと背の高い、少し垂れ眼で、軟派な感じの男の人。

「どーも、こんちは! テルでーす。さすらいの絵描きやってます! ってゆーとなんだかちっとばかし胡散臭い野郎だから、改めて。関東芸術蒼場大学の三年、よろしく」

 二人目は、原宿辺りでたむろしてそうな、化粧も服装も奇抜な同い年くらいの女の子。

「初めましてだよっ。永く美しいって書いて、エイミちゃんだよーん。かわいい女の子が来てくれて嬉しいなー。エイミとお友達になってね!」

 三人目は、眼鏡をかけた、やや白髪混じりの、スーツ姿の初老の男性。

「こらこら、お二人共、お嬢さんがびっくりされていますよ。ようこそ、<Leviathanリヴァイアサン>へ。新しいお仲間は大歓迎です。私はここでは教授と呼ばれております。どうぞお見知りおきを」

 四人目は、ランニングシャツにダークブロンズのカーペンターパンツを穿いた、眼力の強い男性。

「……ふーん。ここ来るにしては、ずいぶんまともそう。あんた、どうやって由良さんと知り合ったの? おっかけ……じゃねぇよなあ。ナンパ?」

 南は首を振って答えた。

「由良さんに傘をお借りしたんです」
「傘? へー、由良さんらしいや。察するに、あんたは傘を返却するため由良さんを探したってところか」
「はい」
「ベタだな」
「はい?」

 男性がポケットから小さなメモ帳とボールペンを取り出し、なにか書き込む。
 由良が教えてくれる。

「彼の夢は小説家なんだ。ネタを拾っては時々こうして自分の世界に入ってしまうけど、あまり気にしないで」
「はあ……?」

 南は、いまの話のどこがベタでネタなのか、疑問に思う。
 そこへ有馬がカフェラテを運んできて、南の前のローテーブルに置いた。

「よろしければケーキなどもご用意しましたが、いかがですか」
「嬉しい、いただきます。甘いもの大好きです」

 南がそう答えると、有馬は生ケーキ、果物のタルト、ビスコッティなどを載せたプレートを運んできてくれた。取り皿とフォークを並べながら言う。

「お好きなだけお召し上がりください」

 カフェラテはおいしかった。
 テルとエイミとの他愛のないおしゃべりで緊張も解ける。
 教授はいつのまにかピアノを弾いていて、小説家希望の男性は会話には加わらず、つまらなそうに話に耳を傾けては時折メモ帳になにか記入していた。
 由良はただ、面白そうに南を眺めていた。
 小一時間も経って、姿を消していた有馬が現れ、皆を散会させる。

「そろそろ南さんを由良様にお返しください。お二人の時間がなくなってしまいます」

 するとエイミが額をコツンとぶって、小さく舌を出して笑う。

「ごめんごめん、そうだったあ。リコちゃんは由良君のお客様だったっけ」

 テルと小説家希望の男性は、それぞれ自分の分のグラスと皿を持って立ち上がる。

「それじゃああとは、若い人たちだけでどうぞ! お邪魔様っ」

 まるでお見合いの席を外すような言い回しに、南は内心、ドキドキした。
 由良と二人だけになると、微妙な沈黙が落ちた。

 な、なにを話せばいいんだろ。

 昨日の夜からずっと、今日のこの時間をシミュレーションしていたのに、いざとなるとなにも思い浮かばない。
 そこで由良が言った。

「こういうときは、なにを話せばいいのかな」

 南はドキッとして由良を見た。どうやら同じことを考えていたみたいだ。

「僕は恋をするのも初めてで、誰とも付き合ったことがないから、わからないんだ。南さんは、わかる?」
「わ、私も、初めてなので、よくわかりません」
「そうか、二人共わからないんじゃ困ったな。どうしようか」

 南は勇気を出して提案してみた。

「さ、最初は、自己紹介しませんか」

 由良が眼をパチパチさせる。

「自己紹介?」
「はい。こ、これから一ヶ月近くお付き合いする相手のことを、な、なにも知らないというのは、寂しいです。だから、その、由良さんが嫌でなければ……」

 要は、個人情報が欲しい、と言っている。
 嫌がられたらそれまでだが、迷惑じゃない範囲で、南は由良のことが知りたいと思っていた。
 由良の反応に戦々恐々としていた南の前で、由良はあっさりと頷いた。

「なるほど。じゃあ僕から自己紹介しようか。中務宮由良、年は十九。小さい頃に病気をしてね、一年、小学校への入学が遅れたんだ。両親、祖父母ともに健在。年の離れた兄が一人いる。英聖館の三年で、美術部に所属していたけど夏休み前に引退した。はい、次、南さん」

 二歳年上なんだ、とボーっと考えていた南はハッとして背筋を伸ばした。

「南理子です。十七で、海琳かいりん高校の二年です。文系で、選択は音楽。一年のときは水泳部に所属していましたけど、ちょっと色々あって辞めました。いまは帰宅部です。父がサラリーマンで、母はパートで働いています。兄妹はいません」

 由良が気を惹かれたようにやや小首を傾げる。

「なぜ水泳部を辞めたの?」

 率直な追及に一瞬怯んだ南だが、気を持ち直して答える。

「一緒に入部した友達と先輩が揉めて。私も部に居づらくなったんです。泳ぐことは好きだけど、別に記録にこだわっているわけではないので、部じゃなくてもいいかなって。それで辞めました」
「そう、残念。君が泳ぐところ見てみたかったな」

 由良の意外な言葉に、南は便乗して言った。

「じゃ、じゃあ、今度プールに一緒に行きませんか?」

 すると由良は少し驚いたように眼を瞠った。

「僕は泳げないよ。それでもいいの?」
「構いません。プールサイドでゴロゴロするだけでもいいですし、なんだったら泳ぎ教えます!」
「いや、それはさすがにちょっと格好悪いから」

 由良が苦笑いし、南は泳げない由良の手を引いてプールを歩く自分の姿を想像してみた。
 確かに、格好悪い。
 南が、だめかあ、と残念がる一方で由良が口を開く。

「でも、君の泳ぐ姿を見るのは楽しそうだ。一緒に行こうか?」
「はい!」

 即答し、思わずガッツポーズをした南を見て、由良がクスクス笑う。

「いつ都合がいい?」
「いつでも大丈夫です!」

 では明日、ということになった。
 南の講習が終わったあと、<Leviathanリヴァイアサン>で待ち合わせをすることにした。

「楽しみにしているよ」

 と言った由良と元気に頷いた南の背後では、有馬とマスターがやや不安な顔で二人を眺めていた。

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