【1章完結済】【R18】池に落ちたら、大統領補佐官に就任しました。

mimimi456/都古

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第二章:大統領補佐官

獅子とカラス 5

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僕としては、ヴィンスが手に入ればそれだけで満足だが。
ラン家はそうはいかないだろう。

兄からすれば、僕は築こうとしている友好にヒビを入れようとしている。

どう打開するか策は幾つか有る。

僕はヴィンスが欲しい。
向こうもヴィンスが欲しい。
ラン家はあの補佐官が欲しい。
ルノクは魔石を直接確保する道が欲しい。

「ふっ。」

初めはあんな孤島の二国、誰が欲しがるのかと思っていた。

せいぜいがルノクの隣。
噂に聞く【精霊の庭】にこそ興味はあれど、ルノクの様な技術力だけの国に我がラン家が必要とするものは無い。

あまり知恵や腕を持たせ、付け上がらせると困る。

何度か二国を遮る森へ人を遣った事がある。
あそこにら精霊の住む国が有り、それらが作る妙薬の中には命を永らえる物があると噂だけは聞く。
結局は失敗し、むざむざ手ぶらで戻って来た者ばかりだったが。

ああ…いや、片腕くらいは無くしていたか。

時期玉座への手土産にしようと企んだが。
初めから存在するのかさえ分からない代物だ。
無駄な投資をしたな、と手を振って忘れようとした。

いっそ何処か適当な領地でも治めようかと思っていた。
玉座を狙うより余程余生を有意義に過ごせそうだった。
何処か楽な土地が良い、願わくばヴィンスが育ったあの別荘のある領地を。

今の内に願い出てみようか。
"早い者勝ち"の家訓の通りなら、間違いなく手に入る筈だ。

そう思案していた所に、異界から渡って来た者がいると言う噂が届いた。
あのルノクだった。
エルムディン大統領直々に噴水から黒髪の人間を抱き上げたと。

まだ子供のようだと噂されていたが。
新聞で見るより肝の据わった顔をしている。

「聞いてはいたが、それにしても随分と若い補佐官殿だね。兄が羨んでいた。」

「トキアキ・K・エリタです。」

「歳の離れた妻は可愛いでしょうね。僕ですら、歳を取っても彼を愛しているのだから。」

百戦錬磨の兄がどれだけ誘っても靡かず、それどころか唯一持ち帰った異界の情報が"上手い飯だった"というのには腹を抱えて笑った。

「ところで、夫婦で国を牛耳るというのは、最早君主制国家の様な響きを持っている。君は国取りが好きなのかな異界のひと。」

「いいえまさか。大統領は国民により選ばれた存在ですよ。私はその一端に仕えさせていただいているだけです。」

あの兄が不安になる程、魅力が通じない青年。
おまけに口が硬く話が上手い。真面目過ぎる嫌いが有るね。

「そう。それは失礼な事を言ったかな。君は随分と国に懐いているのだな。民の鑑だ。」

そうであったとしても、僕自身は君達にまるで興味が無い。
本当に異界から来たとして、その知識が如何に貴重か知らない訳ではない。

それでも。
"僕"に必要な物は只一つ。

「そちらの望みは僕の婚約者かな。」

「渡していただけますか。」

「断るよ補佐官殿。僕達にそんな義理は無いだろ?」

「そうですか。」

エルムディンとは何度か顔を合わせた事が有る。
相変わらず表情が読めない男だ。
それに、あの尻尾。

ヴィンスも何時か獣化出来るのだろうか。
本人は出来損ないだと吐き捨ててそれっきり。

僕も若かった。
ルノクの真価はその国の獣人達に有る。
彼らは貴重だ。
目や耳鼻だけでなく、翼を持つ者も居る。
その使い用は実に様々有るが、彼らはなかなか国を出たがらない。

それも、存在するのかも分からない神話の為に。

「そうなると此方としても、折角の友好関係を築こうと言う先日の使節団とのお話も再度検討させていただく事になります。付きましては第二王子にもご理解いただける様お声掛けさせていただきますが宜しいでしょうか。」

「ああ、構わないよ。」

僕は少し呆気に取られていた。
自分の若い頃は、こんな物言いが出来ただろうか。

「ふふっ、それにしても君は存外、強い言葉を使うね。驚いたよ。こういう事には慣れているのか?」

「いいえっ。流石に王子様を相手にするのは初めてです。」

「そう。その割にはよく出来ている。教えが良いのかな。」

「前・補佐官をご存知ですか。」

「勿論だよ。彼は元気かな。」

あの年寄りは僕でも怖い。
前・大統領の時から補佐官をしている化け物だ。
それに比べれば、ライオンの威を借りた只の青年の方がマシだ。

「さっきの件だが…困るのは僕じゃない。勿論、兄達でも我がラン家でも無い。この程度を"交渉材料"として持ち出してきた君だ。」

話し方や振る舞いは幾ら真似出来たところで、知恵は技はそう簡単には回らない。
これで補佐官というのなら、兄達が付け入る隙は幾らでも有りそうなものだが。

さては、兄と補佐官では歳が離れ過ぎたのかな。
それが靡かない原因だろうかっ、だとしたら面白い。

「それとも、何か他の交渉手段を持っているのかな補佐官。」

「では此方は如何ですかラジクマルクス王子。」

「これは?」

「王子が我が国へ不法入国した過去3年分の記録です。入ってから出るまでの全てを細かく記録してあります。何処に行って何を食べ、誰と話して、貴方が偽名を使い何と呼ばせていたのか。出国した後の足取りもここに。」

「ほぉ。これが証拠と言える根拠は何処に有る?無いのかな。僕は君の先生程優秀な教育係にはなれそうにないが、この手の書類では普通捏造を疑う。」

「そうですね。ところで王子、ひとつお尋ねしても宜しいですか。」

「なにかな補佐官。」

「王子は我が国の言語に精通していらっしゃると聞き及んでいます。」

「そうだ。何処か聞き苦しい所でも有るかな。」

「いいえ。完璧に聞こえます。なので失礼ですが王子、ここを読んでみていただけませんか。試しに。」

長い用紙の中程、端にある文字に指を置いて言う。
こんな無礼は初めてだな。

「僕を愚弄するのか。」

「ははっ、いいえ王子。私はこの国の文字を覚えるのに、随分苦心しました。未だに辞書を引いたりもしますっ。それと王子を比べる事なんか出来ませんよ。明らかに私よりも我が国の文字に精通していらっしゃる。」

「だろうね。」

「だからこそ、読んでみていただけませんか。私にはこの一文が一般的な文言であるか判別のしようが有りませんでした。」

「何処を読めば良いのかな。」

「ここです。」

確かに僕は目の前の青年より幼い時からヴィンスの国の言葉を覚え話してきた。
異界から来たと言う彼よりもはるかにずっと長く。

古めかし言い回しも書類独特の語彙も、難なく読める。
そんな僕に一体何を読ませようと言うのか。
つくづく変な子供だ。

「ーー…っ、」

僕は、その一文を読もうとした。
読めない訳ではない、こんな文章誰だって読める。
だが読む訳にもいかないと直感した。

「読めませんか王子。では、貴方はどうですかヴィンセント・クロウ。此処を」

「駄目だ」

「ですが、王子が読めないのなら彼の方が」

「良い。止めてくれないか補佐官。僕にもこれくらい読める。」

今、僕達は彼が持ってきた僕の出入国の書類を見ている。
彼はこれが偽造で無い、と僕に証明しなくてはいけない。
だがまさか、その証明を僕自身にさせるとは思っても見なかった。

僕は、彼が指差した一文を読んだ。

「"僕の雛鳥"」

隣に座るヴィンスの息を呑む気配がした。

「偽造かどうかはさておき、こちらも宜しければご覧下さい。"貴方の雛鳥"についてです。彼の父だった前大統領が出した養子縁組の書類と、彼を預かっていた孤児院が出した届けです。」

「これがなんだと言うんだ。」

「もしこの不法な出入国の書類が偽造ではなく本物で、貴方が我が国で取った行動を見るからに。私ならこの書類の中身を知りたいかな、と思いまして。」

ヴィンスの目が僕を見ている。
それでも今この場で発言する権利を与える事は出来ない。
もう少し黙っていてくれないか。

「説明を聞こうか。」

「彼は間違い無く我が国の産まれであり、クロウの血の者でした。そして彼の獣化はカラスです。もしやご存知でしたか」


カラス。
そう。やはり君は翼を持っているのかヴィンス。
この数ヶ月間、僕はヴィンスの発情期を待っていた。
出来損ないだ、と言うヴィンスの言葉の意味も知らずに。

「トキ。」

「ん、なに?」

「ラジクマルクス王子、ひとつ私から尋ねたい事がある。」

「どうしたのかな大統領殿。」

「何故、ヴィンセント・クロウの口を封じている。」

「え、なにそれ」


はぁ。全く無粋だね。
何でもかんでも詳らかにしないと気が済まないのか、ルノクは。

「彼にこの場での発言権は無いからだよ、大統領。」

「彼は私の国の民だ。」

「僕の婚約者だ。」

「婚約者の口を封じるのがこの国での番の在り方なのか。解かせて貰う。」

ーーーーー


パリンッーー

俺には、突然ヴィンセント・クロウの喉の辺りから薄くて眩しいガラスが砕け散ったみたいに見えた。

やったのはグゥルだ。

「なにこれ。」

「声を潰してる。パーティーの時は思考を潰してた。」

「なにそれ。」

「半分程脳を眠らせるとそうなる。よくやったグルーエント。」

「どうも。」


あの変わり様は毒気を抜かれたというより、実際に頭を弄られてたって事か。それでボーッとしてたのか。やっぱ怖いな、魔法。

というか気付いてたんなら俺にも教えてくれっ、!


「話せますか、ヴィンセント・クロウ。」

「…あ、ぁ。話せる」

「失礼。また少し脱線しますが、アレは貴方の意思ですか。それとも指示された。」

「…お前には、関係ない」

「そうですか。では、話を戻します。」


目を逸らす辺り解除された事は満更でも無いのか。
素直に感謝してくれて良いものを。

「ヴィンセント・クロウ。貴方獣化出来ますか。」

「わ、たしは…」

「無理だ。彼は獣化出来ない。」

「そうですか。稀に、環境の変化により獣化出来ない者が居ます。貴方もそのひとりですね。」

「義父は、立派なカラスだった。」

「貴方もカラスですよ。それに義理ではなく実の親子ですヴィンセント・クロウ。」


こんな話をするのは、かつてヴィンセント・クロウが育った孤児院をこのラジクマルクス王子が素性を偽って何度も通っていたからだった。

此処だけじゃ無い。

「貴方達二人が接触した記録も、人を遣ってやり取りした記録も有りませんでしたので、ヴィンセント・クロウ貴方も見た方が良い。知らなかったでしょ。」

態々海を隔てた他国へ忍び込んだ理由と、その行き先を。
彼が過ごしていた孤児院、学舎、学院、それから。


「私が今住んでいるのは、嘗て貴方が暮らしていた大統領官邸です。そこにも王子は入り込んでいましたよね。」

「決め付けるのは止めてくれないか。証拠の無い話だよ補佐官。」

「失礼。では、此方が調べた事実をお話しします。」


彼は、間違いなく前大統領の子供だった。
それも人間との間に作った子供。
だがそれは、クロウの派閥に反した行為だった。

今も一定数居る。
獣人こそが唯一の血脈だと考える者達。

愛を唱える国で、なんて固執した思想なんだと俺は思った。
そんな奴居るのか。
ルノクは何処を見たって番とそれを知らせに来る鳥を愛してる、そう見えていたけど。

残念ながら、その思想は随分身近な所に影響していた。

マルロイ長官、そしてユディール君もその思想を少なからず受けるか認識していた。
つまり貴族だ。
ケプロン家はまだ商家からのし上がったばかりの隣国では有ったが
同じ島を分つ国同士だ。

マルロイ長官はこの事をよく知っていた。

自分の様な者は困った存在、なのだそうだ。
出来損ないと罵られる事も有る。
完璧に変化出来ない中途半端な獣人は、彼らの思想に反する。

その為に獣人同士で結婚するのだ。

思想に血筋に反した者は、当然の様に居ないものとして扱う家もある。そしてマルロイ長官と同じく、ヴィンセント・クロウもそうなった。

彼は初め濃い紫の羽を持つカラスの姿で産まれた。
人との間に産まれた子は、人か獣人か産まれて来るまで分からない。
前大統領は、そこだけは唯一賭けに勝った。

だがある時を境に雛は人の姿のまま変化せず片翼すら見せなくなった時ーー


「義父はわたしを捨てた、」

黙って聞いていたヴィンセント・クロウが絞り出す様な声で言う。
そう、俺もそう思う。思った。
でも、矛盾がひとつ有る。

「貴方は"預けられた"のかも知れません。」

「そんな筈無いっ、拾ったのは"大統領"に必要だったからだっ、」

そうだよな。
俺もそう思ってた。綺麗事言うなって思うよな。


幸い俺の周りには最強の生き字引が居る。

「デルモント・クイレが言っていました。まるで自分の複製でも育てているかの様だったと。」

でも、それでも妙なんだ。

前大統領は、仲間内には嫌われていたが、国民には圧倒的な支持を集めていた。
反りが合わない、と止めていく人間が多い中デルモントさんですら納得出来る部分も有ったと溢していた。

「聞いた事有りませんか。賢いが一人では生きられず群れの中で紛れて過ごす生き物の事を。」

ーーーーー

「お前は、何を言っている…、」

「心当たりが有りそうで安心しました。私はこれをデルモントから聞きましたが、貴方は誰から聞きましたかヴィンセント・クロウ。」

わたしは、ラジィを見た。
同じ事をわたしに話して聞かせたのはこいつだ。
では、こいつは誰から聞いたーー

「僕は...君の父から。」

「知っていたのかッ、!?」

「知る訳が無い、第一証拠も無いっ、だが。だけど…ヴィンス」

「何を隠している」

思わず掴み掛かっても、こいつは俺から目を逸らすばかりだ。

「話せ、ラジィっ、!」

「言えば、君は救われるのか。」

「そんな事、聞く前から分かるかっ、!」

ギリギリと力の限り襟を掴み締め上げる。
わたしだけが、わたしを知らないっ、一体何の為に俺は生きてきたんだっ、

「言え、ラジィ、でなければこのまま死んでやる」

髪に刺さった飾りを一本引き抜いた。
そのまま腹に向かって振り下ろした手は、途中で凍り付いた。

「そういうの止めてもらって良いですか…後処理が面倒です。すみません補佐官殿。つい、手が出てしまいました。」

「良いよ。その為に来て貰ったんだ。ユディール君にお礼言わなきゃな。」

「是非、お願いします。」

「程々にね。」

ーーーーー

一気に部屋の温度が下がった事で、ラジクマルクス王子がお茶を運ばせた。
氷が溶け、入れ直したお茶で一息吐いたあと王子がぽつり、と隠していた事を話し始めた。

「別荘には、お墓が二つ有る。ひとつは君の父だけど。そのずっと前にもうひとつ立っている。何故知ってるかは聞かないでくれると助かる、」

「何故だ」

「随分、鈍感な婚約者をお持ちですね王子」

つい、フォローしたくなる程には俺もこの人に同情する。
黙ってストーカーする方も悪いと思うし、実際にやってる事は犯罪なんだけどな。

「案外話が分かるようだ、補佐官殿。」

おっと。
今日初めて俺に敬称を付けたなこのひと。
あからさまなんだよな。

「真っ白なお墓だよヴィンス。よく手入れされていた。君が2回目の選挙に落ちるまでは。」

落ちた後、ヴィンセント・クロウは養子を撤回された。
政府敷地外に住んでいた二人の足取りはそこで別れる。
前大統領はこの北の地の別荘へ。

そして半年前、彼を警備していた護衛により前大統領の亡骸が発見された。

寝室には1枚の写真立てが有った。
その下には家紋の入った封蝋、中には1枚の便箋が入っていた。
宛名もなく只一言。


墓は、メレラの隣が良い。

メレラ。
その名前を俺は、孤児院の書類で見た。

メレラ・クロウ。
彼女がヴィンセントの母親だ。
だが、書類の筆跡はかつて残されていた前大統領のものだった。

つまり、ヴィンセントを預けたのは彼女じゃない。
彼女は来られなかった。

何が起きたかは想像するしか無い。
同時を知る人はおらず、有ったのは書類一枚と紫の羽根をした赤子だけ。

「なにを話してい、るー」

「貴方の話ですヴィンセント・クロウ。」

「い…一体、何がどうなっている、!?お前は、何故わたしに直接その話をしなかった、!!?」

今度はラジクマルクス王子の肩を握り、揺さぶり始めた。
それはもう凄まじい憤りだろう。
せめてどこかで、何かの歯車が、ネジの一本でさえ緩んでいたら何かが変わっていたのかも知れない。

「言える筈が無い。」

言える筈も会える筈もない。
ヴィンセント・クロウの周りには常に取り巻きが居た。
常に、彼の父の目が有った。

「手紙を書いたのはっ、わたしだけかっ、!」

「書いたよヴィンス、君がくれた手紙も取ってある」

「返事をくれなかっただろ…っ、」

泣き喚くような声で彼が言う。
俺にはどうしようもない話だが、俺が調べて知ってる事がひとつ有る。

「大統領邸に、その頃を知る者が居ます。」

ヴィンセントが受け取る筈だった手紙は、当時の使用人が処分するよう命じられていた。

ここでもまた歯車は綺麗に噛んで回る。

「デルモントが言っていました。まるで自分の複製でも育てているかの様だったと。」

俺は子育てをした事が無い。
だから、された事をするしか育て方を知らない。

或いは、それでは可哀想だからと試行錯誤するかも知れない。
もし可哀想、が通じる世界ならの話だけど。

例えば、よく有る話。
特定の習慣により育った子は、その習慣を何ら特別とは捉えない。
毎朝昼夜の決まった時間に、頭を床に付け立ち上がってはまた頭を床に付け神へ祈る。

それはその子にとっては当たり前の習慣だ。

それを知らない子から見れば、とても特異な子に見える。
目に見えもしない、居るかもわからない神の為に1日3回も時間を気にしてそんなキツイ祈りを捧げるなんてどうかしてる。

俺達から見れば、ヴィンセントもその父も"どうかしてる"。
本人からすればそれが"当たり前"
他の選択肢を知らない、想像も付かない、或いは想像する余地すら無い。

だからと言って、殺し屋を唆し大統領邸の前まで捨てさせ、脅迫文を付け、盗聴した事は罪だ。

罰は受けて貰う。

「これは、本当の話なのか」

ヴィンセント・クロウが言う。

「さあ。それは王子がお認めになればそうなります。」


王子がもし、人目を忍んでヴィンセント・クロウに会いに来ていたとしたら。ひと目会えなくてもその軌跡を辿ろうと調べ回っていた事を認めるなら、それは彼にとっては唯一と言って良い嬉しい話かも知れない。

認めたその瞬間、ラジクマルクス第三王子はルノクへ不法入国し、それらを事細かに示したこの書類達は全てが本物で有るという確固たる証拠となる。

さぁどうする。
ラジクマルクス王子。


ーーーーー



怒っているのか泣くのを我慢しているのか分からないような瞳で睨んで来るヴィンスに、僕が勝てる筈が無い。

何より、これは取引材料としてあまりに貰い過ぎだ。


「僕の雛鳥。」

簪が外れても綺麗に腰まで伸びた髪を、一房撫でる。
何時迄もあの夏を引き摺る僕の、たった一言が決め手になるなんて。

「参ったな。」

これを否定すれば、ヴィンスの過去が否定される。
少なくとも僕が調べた限りの事と、知っている事は符合している。


「降参するよ補佐官殿。君は優秀だ。」

「恐れ入ります。」

「それで、僕は婚約者と同じ房に入れて貰えるのだろうか。」

「自主なさるのですか?」

「まぁそうだね。この顔を見たら誰だってそうする。」

「…思ったより純粋な方で安心しました。」

「それはすまない。君の非情さの方が際立ってしまったかな?」

「いえ構いません。それが仕事ですので。では、一番穏便な方法で解決しましょうラジクマルクス王子。我が国の大統領もそれを望んでいます。」

こてん、と小首を傾げて心底安心した様に話す彼を僕は認めざるを得ない。

他人をここまで疑い、調べ上げておきながら情に訴え掛けるとは。
一体どういう育ちをすればそうなるんだ。
執念深く、入念で末恐ろしい才能だなルノクの補佐官殿。

「聞くとしようかヴィンス。」

「あぁ。」

ーーーーー

数ヶ月後
僕のルノク国への移住は、北国ラン家との友好関係の証として周知された。

更に、海を渡りルノクの土を踏んだその時。
僕の肩に一羽のカラスが止まった。
濃い紫色を帯びている様にも、青色の様にも見えた。
隣に立っていたヴィンセントの髪を、ガシガシと嘴で突っついて行ったがその姿さえ写真に撮られ新聞に載り、海を越え北の地にまで知らされると、それはとても微笑ましい夢のような話になった。

ルノクの神話は本物だった。


「先生ーっ!その時の事覚えてますかっ!」

僕は今、外国語教師として国に雇われている。

「勿論覚えてる。本当に鳥が来るんだ、と驚いたよ。それに感動した。」

世間では番を追いかけて国を超えた王子様の話が流行しているらしい。
僕をモデルに今度、語学学習用の子供向け絵本を作らないかという話まで回ってきた。

「では、余談はここまでにして。僕は学院の校舎に行かないと。君達も遅れないように。」

「はぁーいっ!」

初等部から高等部、その先の学院まで全部を一区画に収めてしまうこの国は、やたらと開けている。

故郷とは違い緑に溢れた敷地内の道を、毎日へとへとになって歩く。この歳でこんなに歩かされる日が来るうとは思いもしなかった。

「あ…っ」

折角選んでもらったカフスが、袖から外れ更に靴の先に当たり遠くへ蹴飛ばしてしまった。

門の外まで飛んで行くのが見えた。

ああ、また歩かなければ。

億劫だと思っていたら誰かが拾ってくれた。
礼を言おうと顔を上げた先で、僕は望んだ物を見た。

「カフス、落ちたぞ。」

「嗚呼。迎えに来てくれたのかヴィンス。」

「丁度終わったから。」

あれから僕の雛鳥は、少し自由そうにしている。
僕の方もラン家からはこれと言った罰を受けなかった。
要求はこれからだろうが。

あの補佐官殿は、ラン家にどの様な情報をくれるだろうね。

そんな事より、ヴィンスだ。
彼は毎朝監視付きで家を出て、着替え、刑務作業をこなす。
帰りも着替えて作業棟を出ると時間が合えば、監視付きでこうして僕を迎えに来てくれる。

あまりに穏便過ぎる処置だった。
友好の証として一般人が暮らすには少し良い家を借りている。

国に雇われていると住める区画が有るらしく、そこは護衛が着いても不審がられない。

実際は護衛では無くヴィンスの監視なのだが。その事を知るのは極一部の人間に限られている。
刑務作業も、彼は一人でこなしているそうだ。
誰との接触も許されていない。

「晩御飯は何にしようか。」

使用人も食事係も居ない。
ヴィンスは家と作業棟以外の敷地へ侵入する事を禁じられている。
一歩でも足を踏み入れた瞬間、足首の装置が門の結界を認識し電撃が走るらしい。

それに、生活は僕一人の給料で賄わなくてはいけない。

「パスタ。」

「僕はお米が食べたい。」

「焦がさないならそれでも良い。」

面白い事に、僕は目玉焼きすら作れない。
ヴィンスだって卵を上手く割れない。
用意周到な補佐官は手初めに、監視兼使用人を配置できますよと提案した。

僕は断った。

本屋に行って、市場に行った先で目玉焼きの作り方まで聞いてきた。

誰かとこんなに近くで話したのは、初めてだった。
それに、油を引いて割り入れた卵に水を足すとあんなにパチパチ飛び跳ねるなんて聞いてなかった。

「ヴィンス。」

「なんだ。」

「愛している、僕の雛鳥。」

ーーーーー

只、部屋で帰りを待つのは苦痛だった。
俺が割った俺の花瓶だと言われた物を見続け、ラジィに抱かれるまで毎日頭の中で何かがゾロリと蠢いていた。

優越感は消え、劣等感が頭の中を食い荒らし、風穴を開けていく。
見据えるべき未来に、為し得なかった現実が襲い掛かり、見捨てられた挙句、男に抱かれ生き延びている。

こんな筈では無かった。
何故こんな事になった。

出られない部屋の中で、延々と考え続け声が枯れるまで抱かれる。
毎日、毎日、毎日それを繰り返し。

ふと、思い出した。

ーーとても臆病で寂しがり屋で、だが義理堅い生き物が何か分かるかいヴィンス?賢いのに、寂しがりのせいで一人では生きられず群れの中で過ごす事を選ぶ。

ーーその内、道理を気にして群れの中で望まれるように生きていく。それがどんな生き物か君に分かるかなヴィンス


跡目争いに出遅れた第三王子の戯言だと思っていた。

だが、あれは俺の事だったのか
若しくは義父の事だったのか
だとしても俺は義父がくれた綺麗な服も靴も、握りが金の杖も嬉しかった。

卑しい家の子ではなくなり、金持ちの子になった。
望まれるように生きるそれの何がいけなかったのか。

「わたしに他の選択肢は無かったが、」

望まれるように生きるのは楽しかった。
安心した。
一人では無いと思わせた。
必要とされている実感が嬉しかった。
夢もあった。
わたしを大統領にさせるという義父の夢が。

それを叶えるのがわたしの生きている意味だった。

もし、寂しさなど覚える隙もないほど愛されていたなら。
もし、捨てられる恐怖を知らずに育ったなら。

果たしてわたしは、大統領を目指しただろうか。
父と母に恵まれていたら。

「くだらない…っ、‼︎」

わたしはもう子供では無い。
それどころか官職に就いた。
良い環境で学んだからこそ得た物だ。

「そうか。」

わたしはここで間違ったのか。
義父に褒めてもらう為に大統領になりたかった。

初めから自分の為にと目指していれば、もっと簡単に諦められたかも知れない。
努力が足りなかった、と奮い立つ事が出来たかも知れない。
少しはマシな生き方が、演説が出来たかも知れない。
だが、わたしにその勇気は無かった。
義父の為に生きる事がわたしの精一杯で唯一の支えだった。

「愚かしいな、わたしは。」

初めから欠けていたのか。
何処かで何かを落としたのか。
欠けていた事に今更気付いた所で、何をしたら良いのか。

正解が分からない。

誰に聞けば良いのか。
どう聞けば良いのか。

「わたしは何が欠けている…ヴィンセント・クロウ。」

問い掛ける相手すら自分以外に居ない。
わたしには持っている物の方が少ない。
この身体と、明らかな罪と、今発覚した自己嫌悪と。
ずっと持っていた絶望。

「わたしは、」

ずっと、捨てられるのが怖かったのか。
こんな歳になってまで。

愛を語る国でわたしは愛に飢えていたのか。
だが、それを満たしてくれる“番”は現れなかった。

「ラジィ、」

アイツは何故まだわたしを抱く。
わたしを“僕の雛鳥”と呼ぶ。
そんな恥ずかしい呼び方は、浮かれた学院時代にも見なかった。

自分を嘲るように目に力が入る。
本気でわたしを愛しているのか、ラジクマルクス・ラン。


「ヴィンス。」

「なんだ。」

今は毎日、決まった道を通り決まった作業をする。
見飽きる程見た顔を毎日見る。

「愛している、僕の雛鳥。」

焦げた目玉焼きを突きながら、毎日同じ事を言う。

「わたしの"右腕"と言ってくれないのかな。」

「…言う資格が無い、」

「じゃあヴィンス。」

お互い歳を取った。
今更素直になって得られるものが有るとは思えない。

「君の右腕を落とせば呼んでくれるか。」

「落としたら刑罰を続けられない。」

「そう。では、終わったら落とすとしようか。」

「好きにすれば良い。」

コイツに抱かれるのも、腕を落とされるのも。
今のわたしにとってはそれこそが、求められていると思える。
構わない。

わたしは只、この罪を償い過去を咀嚼するだけだ。
その隣におかしな番が居て、わたしの腕を落としたいと言うならくれてやっても良い。

「それくらいしかやれるものが無い、」

「そう。じゃあ楽しみにしておこう。」

「ラジィー…」

「何かなヴィンス。」


喉が渇く。
水はいま飲んだばかりだ。

「ありがとう。その、わ、たしと...居て、くれて、」

嬉しいとも、助かるとも言えない。
感謝してる、と言うにはあまりに分が悪く。
生まれて初めてそんな言葉を口にした。


ーーーーー

次回、グゥルと初めての政府敷地外デート。
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「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

僕だけの番

五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。 その中の獣人族にだけ存在する番。 でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。 僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。 それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。 出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。 そのうえ、彼には恋人もいて……。 後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
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 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

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