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第三十五話 天の羽衣

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ソレは仙桃と共に生まれた
もう一つの"四"
四龍と相対するとても不憫な四凶の話。

ーーーーー

地と海と空を創り、
そこに住う生き物や人間を創り、
天帝は流れいく日々を愛おしく見ておられた。

穏やかで豊かな彼の地を良しとした。
時に激しく打ち付ける波や雨も良しとした。
地と海と空と共に生き
共に在る全ての者たちの暮らしを良しとした。

しかし、
暫くして良くないものが現れ始めた。
それは、
暗く恐ろしい
寒々しい気配を持つもの。


始まりはある小さな神々だった。
ひとつが地上での命を全うし、死者と生者を別つ黄泉の国へと旅立った。

それから毎日夫は泣き通した。

もう一度
たった一目で良いから妻に会いたがった。
妻も一目で良いから夫に会いたかった。

天帝はそれを見ておられた。

小さき神々は天帝の思うより大変に良く
地上を豊かにし
時には人や他の神々を良く諫めていた。

天帝は二人の逢瀬をお許しになった。

「会い、タカッタ」

妻の魂は穢れに満ちていた。

健やかで穏やかであった妻の心に黒々しい物を棲まわせてしまった。

それはまるで炎のように、開け放たれた黄泉の扉を抜け伴侶の身を焼こうと襲い掛かる。

転び躓き喘ぎなぎら逃げる伴侶、その後ろを追う黒い炎。
それが通った所は黒煙を上げ花も草も生き物も食い、焼いてしまった。

愛おしい世界が、黒にまみれて行く。

天帝は先を走る小さき神の更に先にある桃の木に特別な力をお与えになった。
桃は黒い炎を寄せ付けず、あっと言う間に鎮火した。
追われていた小さき神は心底胸を撫で下ろした。

それから幾日が経ち天帝の愛しき世界は
また穏やかに回り始めた。
美しい地と海と空で生きる我が子たちは
とても命の煌めきに満ちていた。

穏やかで豊かな彼の地を良しとした。
時に激しく打ち付ける波や雨を良しとした。
地と海と空と共に生き
共に在る全ての者たちの暮らしも良しとした。

そこに
"人柱"と呼ばれるものが現れるまでは。

小さき神々は胸を撫で下ろし、また同じ日々を過ごしたが。
人は忘れて無かった。
あの黒々しい炎が燃やした草や兎や、あの重い空気を。

小さき神の妻が穢れに蝕まれ味わった、
憎悪や悲しみや欲望を
神々より更に小さき人は、思ったのだ。

地と海と空が我らを襲うのは
何かが嘆き悲しみ、我らを疎んでいるからだと。

そして人は取り入ろうとした。
地と海と空、そして母なる天帝に。

ー災いからお救いください
ーあれが憎いのです神様
ーまだ黄泉の国へは行きたくありません

父の為、母の為、人の為に。
根を辿れば純粋無垢な願いであった。

人は住処を囲う様に四方へ人柱を置いた。
自ずから志願した者ばかりであった。

初めは母の為、父の為、人の為に志願した筈だったが。
次第に自分が疎まれていたのでは無いかと胸を悩ませ始めた。
そんな筈は無いのだが
それを語って聞かせてくれる家族にはもう会えない。
四人はそれぞれが住処の四方に座り、場に閉じ籠り
その命が尽きるまで留まっていなくてはいけない。

そう決めたのは誰だったか。
村長か、村人か、父か、母か、恋人か、伴侶か。

ひとりは茂る山の中で
ひとりは照りつける陽の中で
ひとりは凍った湖の側で
ひとりは荒れる海の側で

コトン、と尽きた命を
天帝はそっと両手でお掬いになる。
小さき神を助けたあの桃をひとつ捥いで、魂に混ぜた。

きらきらと真珠の様にきれいになった魂を
パカリ、とまるで卵を割るようにふたつにした。


柔く優しい和魂にぎみたま
激しく厳しい荒魂あらみたまに。

そして、存在をお与えになった。
和魂には、守護。
荒魂には、脅威。

それぞれは四龍、四凶と呼ばれる事となった。


ーーーーー

「じゃあ、今...鈴と常秋さんが捕まってるのは、元は義栄だったって事?」

呆然とした体で桃李は馬に揺られていた。

「大昔の話だけど、そうなるね。」

前に乗る友康の腹に回している手が一瞬離れる。
パシッ、と手首を掴まれ
しっかりするんだと小声で諭された。

「それより桃李、ちゃんと覚えてる?お前だけが頼りなんだからな。」

「あぁ、ばっちりだぜ。あの狸じじいマジで用意が良い。」

口の端がピクリと笑うのは、
茶を啜る祖父が脳裏でほっほと笑ったからだ。


「もうすぐ着くよ。義栄さんたちは洞窟へ行ってダルムと常秋、鈴の救出をする。」

「その間に、俺とお前で窮奇を捕まえる。」

「正解」

前方を走る義栄の軍が右側へ逸れていく。
その先頭に彼は居てこの作戦を相当に渋っていたが
お前の役割を果たして来い、と背中を叩いてくれた。

それから、たっぷりと口付けもして
じんわりと"気"を注ぎ合った。

「よし、行け友康!」

「はぁ、声だけは一人前だよ桃李。」

掛け声と共に二人の乗った馬が左へ駆ける。
目指すは窮奇の祭壇。


ーーーーー

「嗚呼...来おったか無能な蛇め。」

ぴちゃん、と暗い洞窟に冷ややかな水音が響く。

「窮奇様、窮奇様。あなたの贄が来ましたぞ。」

何処でもなく囁きかけると、ふと眼前の空気が歪む。
目を凝らそうと瞬きをした瞬間に、あの御方は現れた。

古くは四龍と共に創られた神のおひとり。
真っ黒な身体と大きな黒翼を生やし虎の姿を持つもの。

その名を窮奇きゅうきと言う。

黒翼の虎はニタァと大きな口を開け、私を鼓舞する。

「さぁ、存分に恨みをはらせ我が愛しい子よ。」

「このダルム・イシュタット必ず、窮奇様の御期待に応えて見せますぞ。」

深く頭を下げてダルムは忠誠を表すと、また空気が歪み窮奇の気配が去る。

「恐ろしい虎め。そんなに男の姫が欲しいのか。獣のの考える事は分からんな。」

ククク、と溢れる声が隠せない程に、実に愉快だ。
愉快で堪らない。良い気分だ。
四龍がひとりと仙桃妃、それに麒麟の片割れ。
どれを殺してもダルムの名に偉大な功績を残すだろう。

「そしてわたしが王になるのだ。」

権力、その最たる王座。

「玉座。」

あぁ、なんと甘美な響きなのか。

「お前はわたしのオンナにしてやっても良いぞ?見目だけは確かに麗しいからなぁ...殺すには少し惜しいか。」

バチーーッ

雷が弾ける様な音がした。
あぁ、全く。
水の流れる洞窟で雷を落とすなんて。
溜息をつく。

目線の先には金色の瞳を光らせた麒麟の片割れがこちらを睨んでいた。

「威勢のいいオンナは嫌いじゃ無いが、わたしは大人しいのが好きでしてねぇ、鈴殿。無闇に雷を放つ様な躾のなっていない獣には酷い事をしてしまいそうだ。」

「躾がなっていないのはお互い様ですね。貴方こそ神獣に噛みついた事お忘れ無く。」

「えぇ、勿論。勿論ですとも。このダルム、ここに貴女と奴の子飼を捕らえてからというもの忘れた事などございませんよ。わたしは神の創り賜うた貴女という息吹に、この手を掛けているのです。殺すなど造作も無い程近くに。
そうでしょう、鈴殿。現に貴女はもう限界のようだ。」


遠くの方で、派手な爆発音がする。
それから、喧しい雄叫びも。

彼らが来たのだ。
愚かな蛇の軍が。

「さぁ、新しい伝説を始めましょう。」


ーーーーー


義栄の軍が山を登り、隈無くダルムと二人の捕われた洞窟を探す中、桃李と友康は山をグルリと回り裏の湖へとやって来た。

周りは林で、目の前には大きな湖だけがある。
しかも空気が悪く薄気味悪い霧が立ち込めている。
息をする度に胸焼けを起こしたような感じがする。

「友康。祭壇って何処だよ。」

「この湖の何処かだよ。下がって。」

「あぁ。」

友康は馬から降りると湖の周りを歩き出した。
桃李は不安なまま馬の手綱を握る事しか出来ない。
それから懐の小さな瓶を撫でる。

本当にこんな所に祭壇があるのか。

「有ったよ。」

「うわぁっ、!?」

「何?文句を言うなら帰っても良いんだけど?」

はぁ、と友康が溜息を吐く。

「分かるよ。怖いんだろ桃李。」

「怖くないっ。」

「お前が怖気付いても、義栄さんは怒らないよ。」

「あぁ。」

そうだな。
多分そうだろうな、と思う。
この作戦で一番大事なのは、あくまで捕われている鈴と常秋の奪還だ。
今から桃李がやろうとしている事は。
別に今やらなくても良い。

何ならこのまま放置しても良い筈だ。
そうすれば何れ天帝が何とかするかもしれないし、その前に義栄が何とかするかもしれない。
もしどうにも出来なくても、次の仙桃妃がやれば良い。

それは結局俺だとしても。
今の俺じゃ無い。

「でも、俺の仕事なんだろコレ。」

「そうだね。お前は仙桃妃だから。」

「じいちゃんが"アレ"を仕込んでたって事は、俺が何れこうなる事を見越してたって事だろ。」

「あの狸っぷりだからね。」

小刻みに指先が震えるのは気のせいなんかじゃない。
握る手綱が悲しいかな、揺れてる。
これは馬のせいじゃ無い。
この子はさっきから大人しく立ってくれている。


「だったら、此処でやらなきゃじーちゃんにバカにされる。」

あの祖父の事だ。
こんなヘタレた所を見られたら、またニタニタして揶揄われるに違いない。ほっほ、と笑って桃李があげた薄桃色の湯飲みで茶を啜るのだろう。

それは、悔しい
本当に、悔しいっ、!

それだけは絶対に、負けないぞ
あんの狸ジジイ。

「やる気スイッチ有った?」

クソっ、友康まで笑ってやがる。

「俺のスイッチは移動するんだよ。」

「そんなバカな。」

気を取り直して、桃李は振り返る。
そこには林と大きな湖しか無いが、友康はここに祭壇が有ると言った。

「先ずは場を清める。それから祭壇まで走って、後は手筈通りで行こう。やるだろう桃李?」

「おうよ。」

「僕が祝詞を上げる。その後は桃李でないと祭壇には上がれない。」


先ずは、馬に乗せてきた塩を撒く。
地面から湖まで真っ直ぐ。
それから酒を一口ずつ飲んで残りを少し馬にも掛けてやる。

「まさか、こんな事が役に立つとはな。」

「静かに。」


何時だったか、まだ小学生だった筈だ。
友康と二人で神楽の練習をした。
村の祭りで神様に奉納するのだそうだ。
その時の10歳以下の子供たちが集まって、とびきり上手だった二人が祭りの当日、神社の祭壇に上がり神楽を奉納する事が出来た。

それに桃李は毎回出ていた。
毎年、友康と共に"子供神楽"を踊ってきた。
その時神楽を踊った子には、毎回おやつが沢山貰えたし、村の皆が喜んでくれた。

その神楽の意味を10年以上も経って知る羽目になるとは
本当に思っても見なかったな。


「掛けまくも畏き... ...」

友康がその場に膝を着く。
柏手を打ち浅く息を吸い深く吐く時、祝詞を上げ始める。
友康の周りには黄色のふわふわした光の玉が、蛍の様に漂い、辺りに飛び跳ね始めた。

ーーこれは友康の"気"

「諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給へ清め給へ... ...」

そして祝詞が、終わると蛍の様な光たちが弾けて散った。

その瞬間胸を焼く様な空気が澄んだ。
新鮮で清浄な美味しい空気の味がする。

木々と澄んだ水の匂いがする。
霧も晴れた。
凄いな。
これこそが本来この場の有るべき姿なのだ。

現れたのは、神社の様な立派な祭壇だった。
朱塗りの柱と美しい木組みの施されたそこは、丁度塩を撒いた道の正面だった。


「行け桃李、神楽を!」

「分かってる!」

友康が開いてくれた祭壇までの道を桃李は走る。
その度に両手首に嵌めた腕輪がしゃりん、と鈴の音を立てる。

「ヒレは!?」

「有るよ、うるせぇな、!」

ビッ、と首に巻いていた薄い布を剥いで急いで肩に纏う。
それは薄桃色でありながら、時折虹色に輝いて真珠のような美しさを持った布。

天の羽衣と言うらしい。

祭壇の階段を登る手前で一度止まる。
三度柏手を打ち、名を名乗る。

「おれは仙桃妃・天塚桃李。あんたの為に舞うんだ窮奇。しっかり見てろよ。」

階段を昇り祭壇の中央へ。

懐の小瓶を取り出し、小瓶の中身を足元へさらさら落としていく。

自分を囲む様に描いた円からは、ふわりと香木の匂いがする。
それは神気を高めるらしい。
桃李の仙桃妃としてのチカラを増幅させると友康が言っていた。

描いた円の中央へ。

ドクドクと心臓の音が鼓膜にまで届いてくる。

鈴良し。
ヒレ良し。
お香良し。

ーーあとは踊るだけだ。

友康としたリハーサルは完璧だった。
三つ子の魂なんとやら、としきりに思ったものだ。
子供の頃に覚えたものは中々頭から離れない。
ましてや身体で覚えた物なら尚更だな。

楽器も無い、歌も無い。
音が出るのは桃李の腕の細い腕輪に着いた鈴だけ。

まだ指が震えている。

それでも桃李は一歩を踏み出す。

ーーーーー

屍の巣窟だな。
かつてここは豊かな緑と湖のあるだけの澄んだ場所だった筈だが。
今、義栄の眼前に広がっているのは、紫煙を漂わせながら向かってくる骸の山だった。

「怯むな!休むなっ!油断するなよ貴様ら!」

雄々しく叫ぶ自軍はなかなかに逞しい。
洞窟は山の中程に有るが、先ずはこの大量の骸を薙ぎ倒さなければな。

そんな時でも、義栄の頭をチラつくのはあの強がりな妻の事ばかりだ。

今頃は薄桃の衣に虹色の天の羽衣を羽織り、たっぷり交わした口付けで義栄の瞳と同じ白銀の色をして、とても美しかった。

美しい俺の妻。俺の宝。俺の唯一の願いだ。

桃李は弱くない。
絶対的な腕力は無いが頑強で強かだ。
何より仙桃妃なのだ。

何より清らかな妃だ。
それでも、どうかと願ってしまう。

"無茶するなよ姫"

大槍で骸骨の頭を薙ぎ倒し、
肋を突き破りながら義栄は願っていた。
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