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ダンジョンマスター 聖龍
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我は地下ダンジョンダルゴニアのダンジョンマスターの聖龍である。名前はまだない。
聖龍族は、神と同等の扱いをされるため、人間と対等に話したり、何かを人間と取り組むことは基本的にない。
一族の掟でも、自ら人間と関わることは禁止されてきた。
しかし、例外があった。
一つが、ギルド長・国王・教皇など人間界での首脳陣との対話。
そして、一つが、管理するダンジョンの異世界の門が存在する部屋へたどり着いた者たちとの会話とその者たちへの協力。
この二つのみが、我ら
聖龍に許された人間との接点である。
聖龍族というのは、個体は分かれているものの、思考は共有している。考え方はそれぞれの個体に帰依するものの、それぞれの個体が見たもの、体感したもの、思考したことは、全てリアルタイムで全ての個体に共有されるのだ。異世界「日本」でいう「クラウド」に近い構造体である。
性別も特にないのだが、我的に雌であることがしっくりくる。故に、ヒトの姿になる時は女の子になる。
とはいえ、我がダルゴニアに住み着いて、つい先日まで一度もヒトの姿となる機会がなかった。そもそも、ヒトと会ったことすらなかった。
我ら聖龍族がダンジョンで守護するは、異世界へと繋がる扉。我ら聖龍の元へ辿り着き、異世界の門を開く者が現れるその日まで、聖龍はダンジョンの奥で待ち続けるのだ。
地下ダンジョンダルゴニアを守護して三千年、ついにその時が来た。
我の前に現れたのは、美しきエルフの女性冒険者だった。
長寿かつ単独行動を嫌うエルフ族は、人間との接触がなるべく無いように、人里離れた森で暮らしていることが多いと聞いていた。だからこそ、エルフの冒険者というのはそれだけで珍しいのだ。
その女性エルフはニャティリといった。ずっと第7階層の最奥が気になっていたようで、単独での第7階層踏破に挑戦した。一人の方が、いざとなったら転移魔術で脱出しやすいだろうと考えていたそうだが、それにしても進んだら最後生きて帰れないと言われていた第7階層をよく一人で進んだものだ。実際、パーティで進むと我を持ってしてでも倒せないだろうモンスターが大量に、そして止めどなく出現するように設定しておるわけで、単独踏破が正解である。
ニャティリが我の目の前に現れた時は、歓喜にうち震えて大興奮だったわけだが、必死に冷静を装ってダンジョンマスターの威厳を保ったのを覚えておる。なにせ、ダルゴニアの異世界の門が三千年の時を経て初めて開かれるのだ。興奮せずにはおられまいて。
我自体は、異世界には行かれない。ただし、ニャティリと念話したり、意識共有でニャティリの見た景色を我も見ることができるのだ。しかしながら、ニャティリの見ている光景を思考共有している全聖龍が見られる訳ではないのだ。思考共有はあくまで思考のみであり、映像は伴わないのである。故に、ダンジョンマスターたちは、自身が守護する異世界の門が開かれ、冒険者たちの目を通じて異世界を体感することを心待ちにしながら、ダンジョンマスターとして異世界の門を守り続けるのである。我も例に違わずその一人なのだ。
聖龍自身が異世界の門を開けば良いではないかと言う者もいるが、それができない理由がある。ダンジョンは聖龍の魔力によって維持されている。ダンジョンの制御室の役割を果たす核(コア)と呼ばれるところに聖龍がパスを通し、魔力を送ったり、ダンジョンの環境制御を行っているのだ。そのため、聖龍がダンジョンから少しでも離れると、ダンジョンへの魔力供給がストップし、最終的にはダンジョンが崩壊する大惨事となってしまうのだ。だからこそ我も、三千年もの間、冒険者をひたすらに待ち続けた。そしてついにその時が来たのだ。
聖龍族は、神と同等の扱いをされるため、人間と対等に話したり、何かを人間と取り組むことは基本的にない。
一族の掟でも、自ら人間と関わることは禁止されてきた。
しかし、例外があった。
一つが、ギルド長・国王・教皇など人間界での首脳陣との対話。
そして、一つが、管理するダンジョンの異世界の門が存在する部屋へたどり着いた者たちとの会話とその者たちへの協力。
この二つのみが、我ら
聖龍に許された人間との接点である。
聖龍族というのは、個体は分かれているものの、思考は共有している。考え方はそれぞれの個体に帰依するものの、それぞれの個体が見たもの、体感したもの、思考したことは、全てリアルタイムで全ての個体に共有されるのだ。異世界「日本」でいう「クラウド」に近い構造体である。
性別も特にないのだが、我的に雌であることがしっくりくる。故に、ヒトの姿になる時は女の子になる。
とはいえ、我がダルゴニアに住み着いて、つい先日まで一度もヒトの姿となる機会がなかった。そもそも、ヒトと会ったことすらなかった。
我ら聖龍族がダンジョンで守護するは、異世界へと繋がる扉。我ら聖龍の元へ辿り着き、異世界の門を開く者が現れるその日まで、聖龍はダンジョンの奥で待ち続けるのだ。
地下ダンジョンダルゴニアを守護して三千年、ついにその時が来た。
我の前に現れたのは、美しきエルフの女性冒険者だった。
長寿かつ単独行動を嫌うエルフ族は、人間との接触がなるべく無いように、人里離れた森で暮らしていることが多いと聞いていた。だからこそ、エルフの冒険者というのはそれだけで珍しいのだ。
その女性エルフはニャティリといった。ずっと第7階層の最奥が気になっていたようで、単独での第7階層踏破に挑戦した。一人の方が、いざとなったら転移魔術で脱出しやすいだろうと考えていたそうだが、それにしても進んだら最後生きて帰れないと言われていた第7階層をよく一人で進んだものだ。実際、パーティで進むと我を持ってしてでも倒せないだろうモンスターが大量に、そして止めどなく出現するように設定しておるわけで、単独踏破が正解である。
ニャティリが我の目の前に現れた時は、歓喜にうち震えて大興奮だったわけだが、必死に冷静を装ってダンジョンマスターの威厳を保ったのを覚えておる。なにせ、ダルゴニアの異世界の門が三千年の時を経て初めて開かれるのだ。興奮せずにはおられまいて。
我自体は、異世界には行かれない。ただし、ニャティリと念話したり、意識共有でニャティリの見た景色を我も見ることができるのだ。しかしながら、ニャティリの見ている光景を思考共有している全聖龍が見られる訳ではないのだ。思考共有はあくまで思考のみであり、映像は伴わないのである。故に、ダンジョンマスターたちは、自身が守護する異世界の門が開かれ、冒険者たちの目を通じて異世界を体感することを心待ちにしながら、ダンジョンマスターとして異世界の門を守り続けるのである。我も例に違わずその一人なのだ。
聖龍自身が異世界の門を開けば良いではないかと言う者もいるが、それができない理由がある。ダンジョンは聖龍の魔力によって維持されている。ダンジョンの制御室の役割を果たす核(コア)と呼ばれるところに聖龍がパスを通し、魔力を送ったり、ダンジョンの環境制御を行っているのだ。そのため、聖龍がダンジョンから少しでも離れると、ダンジョンへの魔力供給がストップし、最終的にはダンジョンが崩壊する大惨事となってしまうのだ。だからこそ我も、三千年もの間、冒険者をひたすらに待ち続けた。そしてついにその時が来たのだ。
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