19 / 27
前夜 3
しおりを挟む
三、
同日 夜半、伽羅之御所。
仄明るい灯の下、三人の兄弟たちと幾人かの腹心らが議論を続けている。この日の評議が夕刻に終わり、参集した者達が粗方散った後で、家臣の一人長崎太夫之介が「先の忠衡様の戦について、少々お耳に入れたきことがござる。心許なき推測にて、只今の議事の中では控えておりましたが」
それならば場所を変えて、と夕餉を兼ねて泰衡の居所で話を聞くこととした。
長崎の話を聞いているうちに、一同の眉間が疑問と困惑に深い皴を作る。
「……成程。長崎の言う通り、確かにこれは不自然じゃ。言われてみれば、確かに真っ当な戦の勝負であれば、まず真っ先に敵将の陣を襲う筈。合戦とは、要は互いの首の取り合い。本陣の護りの薄いところを先ず攻めるのが定石じゃ。それを忠衡は、馬を走らせればすぐ目前のこの御所に何故か目もくれず関所や柵など、謂わば外への護りの要、最も甲羅の堅いところから攻めておる。こちらの護りを分散させる意図も見えなかった」
泰衡が腕を組みながら唸る。
「その上本陣の護りも手薄。これでは勝てぬ」
国衡も不可解そうに首を捻る。
「まるで、檻を破り外に出ようとしていたように思えませぬか?」
長崎が誰に問いかけるでもなく口にする。
「或いは外から何かを招き入れようとしていたか」
それに答えるでもなく高衡が呟く。
「そういえば、投降した兵に話を聞くと、忠衡様は「柵からの伝令はまだか」と頻りに気にしていた様子であったとか」
八郎が思い出したように言った。
「本来在るべき兵や布陣がすっぱり半分消えておる。だから忠衡方の出方が半端な様子に見えたのじゃ。では、その残り半分はどこへ行った?」
まるで目に見えぬ不気味なものを想像するかのような国衡の口調だった。
「否、何処からか加わるつもりだったのかも知れませぬぞ。館の守りが手薄なのも、我らをそこに引き付けて背後から奇襲をかけるつもりだったのやも」
「つまり、柵の外からか?」
一同、薄ら寒い思いで黙り込む。
「……あの合戦、何か裏があったように思う。あの時、もう一人の誰ともつかぬものが忠衡や通衡の傍らでほくそ笑んでいたように思えてならぬ」
主君の言葉に皆が言い知れぬ恐怖を覚え始めた時、
「――夜分遅くに失礼いたします」
不意に間口から聞こえる声に一斉に振り返る。
見おぼえのある男が低座し控えていた。
「……おお。どうしたのじゃ、こんな夜更けに?」
国衡に声を掛けられ顔を上げた異様に表情の乏しい男は、先程義経主従の会合に姿を見せた男だった。
「申し上げたきことがございまして、参上いたしました」
「そうかそうか、ご苦労じゃった。ささ、こちらへ参られるがよい」
男の席を空けようと皆が腰を上げる。
「待てっ!」
泰衡が鋭い声で一喝した。
「誰じゃ? 皆は知古のようだが、俺は其許のことなど知らぬぞ!」
その言葉に、全員が転寝から覚めたようにハッとする。
一同の注目に、男は黙って顔に手を掛け、それを剥ぎ取った。
どよめきが起こる。
顔から剥がされたまっさらな紙切れがひらひらとその手を離れる。そこに現れたのは思いもよらぬ人物。
「皆鶴殿か!」
国衡が声を上げた。
真っ赤に泣き腫らした瞳に今も涙を溜めながら、皆鶴は再び皆の前で顔を伏せた。
「今のは鞍馬の術か?」
泰衡が静かに尋ねる。
「式神の呪法にございます。本来ならば衆目の前で用いることは禁じられている邪法。……泰衡様。今宵、見極めがつきました故、お伝えに参りました。」
「……そうか。遂に見えたか」
泰衡が頷く。
「それで、そなたはどう見極めた?」
「はい」
すん、と鼻を鳴らしながら皆鶴が顔を上げ、告げた。
「――私は、九郎様を斬らねばなりませぬ」
同日 夜半、伽羅之御所。
仄明るい灯の下、三人の兄弟たちと幾人かの腹心らが議論を続けている。この日の評議が夕刻に終わり、参集した者達が粗方散った後で、家臣の一人長崎太夫之介が「先の忠衡様の戦について、少々お耳に入れたきことがござる。心許なき推測にて、只今の議事の中では控えておりましたが」
それならば場所を変えて、と夕餉を兼ねて泰衡の居所で話を聞くこととした。
長崎の話を聞いているうちに、一同の眉間が疑問と困惑に深い皴を作る。
「……成程。長崎の言う通り、確かにこれは不自然じゃ。言われてみれば、確かに真っ当な戦の勝負であれば、まず真っ先に敵将の陣を襲う筈。合戦とは、要は互いの首の取り合い。本陣の護りの薄いところを先ず攻めるのが定石じゃ。それを忠衡は、馬を走らせればすぐ目前のこの御所に何故か目もくれず関所や柵など、謂わば外への護りの要、最も甲羅の堅いところから攻めておる。こちらの護りを分散させる意図も見えなかった」
泰衡が腕を組みながら唸る。
「その上本陣の護りも手薄。これでは勝てぬ」
国衡も不可解そうに首を捻る。
「まるで、檻を破り外に出ようとしていたように思えませぬか?」
長崎が誰に問いかけるでもなく口にする。
「或いは外から何かを招き入れようとしていたか」
それに答えるでもなく高衡が呟く。
「そういえば、投降した兵に話を聞くと、忠衡様は「柵からの伝令はまだか」と頻りに気にしていた様子であったとか」
八郎が思い出したように言った。
「本来在るべき兵や布陣がすっぱり半分消えておる。だから忠衡方の出方が半端な様子に見えたのじゃ。では、その残り半分はどこへ行った?」
まるで目に見えぬ不気味なものを想像するかのような国衡の口調だった。
「否、何処からか加わるつもりだったのかも知れませぬぞ。館の守りが手薄なのも、我らをそこに引き付けて背後から奇襲をかけるつもりだったのやも」
「つまり、柵の外からか?」
一同、薄ら寒い思いで黙り込む。
「……あの合戦、何か裏があったように思う。あの時、もう一人の誰ともつかぬものが忠衡や通衡の傍らでほくそ笑んでいたように思えてならぬ」
主君の言葉に皆が言い知れぬ恐怖を覚え始めた時、
「――夜分遅くに失礼いたします」
不意に間口から聞こえる声に一斉に振り返る。
見おぼえのある男が低座し控えていた。
「……おお。どうしたのじゃ、こんな夜更けに?」
国衡に声を掛けられ顔を上げた異様に表情の乏しい男は、先程義経主従の会合に姿を見せた男だった。
「申し上げたきことがございまして、参上いたしました」
「そうかそうか、ご苦労じゃった。ささ、こちらへ参られるがよい」
男の席を空けようと皆が腰を上げる。
「待てっ!」
泰衡が鋭い声で一喝した。
「誰じゃ? 皆は知古のようだが、俺は其許のことなど知らぬぞ!」
その言葉に、全員が転寝から覚めたようにハッとする。
一同の注目に、男は黙って顔に手を掛け、それを剥ぎ取った。
どよめきが起こる。
顔から剥がされたまっさらな紙切れがひらひらとその手を離れる。そこに現れたのは思いもよらぬ人物。
「皆鶴殿か!」
国衡が声を上げた。
真っ赤に泣き腫らした瞳に今も涙を溜めながら、皆鶴は再び皆の前で顔を伏せた。
「今のは鞍馬の術か?」
泰衡が静かに尋ねる。
「式神の呪法にございます。本来ならば衆目の前で用いることは禁じられている邪法。……泰衡様。今宵、見極めがつきました故、お伝えに参りました。」
「……そうか。遂に見えたか」
泰衡が頷く。
「それで、そなたはどう見極めた?」
「はい」
すん、と鼻を鳴らしながら皆鶴が顔を上げ、告げた。
「――私は、九郎様を斬らねばなりませぬ」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
蒼旗翻天 -彼方へ 高衡後記-
香竹薬孝
歴史・時代
文治五年(一一八九)九月、源頼朝率いる鎌倉軍の侵略により、奥州藤原氏は滅亡。
その十余年後、生き残った者達は、再び新たな戦乱に身を投じようとしていた――
(※前作「彼方へ -皆鶴姫伝説異聞-」から10年後の物語を描いています)
華闘記 ー かとうき ー
早川隆
歴史・時代
小牧・長久手の戦いのさなか、最前線の犬山城で、のちの天下人羽柴秀吉は二人の織田家旧臣と再会し、昔語りを行う。秀吉も知らぬ、かつての巨大な主家のまとう綺羅びやかな光と、あまりにも深い闇。近習・馬廻・母衣衆など、旧主・織田信長の側近たちが辿った過酷な、しかし極彩色の彩りを帯びた華やかなる戦いと征旅、そして破滅の物語。
ー 織田家を語る際に必ず参照される「信長公記」の記述をふたたび見直し、織田軍事政権の真実に新たな光を当てる野心的な挑戦作です。ゴリゴリ絢爛戦国ビューティバトル、全四部構成の予定。まだ第一部が終わりかけている段階ですが、2021年は本作に全力投入します! (早川隆)
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
かくされた姫
葉月葵
歴史・時代
慶長二十年、大坂夏の陣により豊臣家は滅亡。秀頼と正室である千姫の間に子はなく、側室との間に成した息子は殺され娘は秀頼の正室・千姫の嘆願によって仏門に入ることを条件に助命された――それが、現代にまで伝わる通説である。
しかし。大坂夏の陣の折。大坂城から脱出した千姫は、秀頼の子を宿していた――これは、歴史上にその血筋を隠された姫君の物語である。
母の城 ~若き日の信長とその母・土田御前をめぐる物語
くまいくまきち
歴史・時代
愛知県名古屋市千種区にある末森城跡。戦国末期、この地に築かれた城には信長の母・土田御前が弟・勘十郎とともに住まいしていた。信長にとってこの末森城は「母の城」であった。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる