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前夜 2
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二、
数日後の夜、衣川高館(義経居所)
この夜、義経主従のみで盟友忠衡を悼む四十九日供養の集いが催されていた。
杯を交わし終えて少し後、やや遅れて最後の一人が参上した。
「おお、待ちかねていたぞ。ええと……」
「……まあ、誰でも良いわ。悪いが既に献杯は済ませてしまったぞ。おや膳が足りぬな?」
「すぐに用意いたしまする。ささ、腰を下ろされよ」
弔席には義経以下十余名が顔を並べていた。上座の義経は随分塞ぎ込んだ様子で、傍らに控え酌を務める弁慶も何時になくむっつりと押し黙っていた。
「御所の様子は如何でござるか?」
一人が問いかける。
「相も変わらず貝の如くじゃ。泰衡殿、既に御動揺の景色なく、最後通牒とやらの凄みも何処吹く風といったご様子よ。もう少しいきり立つかと思ったが」
もう一人が苛立ちを滲ませながら答えた。
「流石は慎重居士の面目躍如といったところですな。御兄弟二人も失って、皆の前で顔色一つ変えぬとは」
「止めよ、十郎」
義経が皆の雑談を遮る。
「三郎を、あのように追い詰めるつもりはなかった。この平泉で幼少の頃より共に育ち、今でも真に竹馬の友と呼べるのは三郎を置いて他にはおらなかった。だからこそ、僕が自ら出向きこの企てに誘ったのじゃ。三郎の自刃、この義経一生の不覚。いずれ冥府で詫びねばならぬ。泰衡を侮っておった」
「しかし、観自在王院に火を放ったのは、一体何者だったのでしょうか? 誓って言いますが、我らは尼殿を手に掛けるような真似は致しておりませぬ」
従者の一人が、誰にともなく尋ねる。
「どうせ鎌倉の差し金に決まって居りましょう。だが、いくら頼朝様でもそこまで因業な真似をするとは思えぬ。あの卑劣な景時あたりならやりかねぬが。しかし、いずれ御所を誑かすには良い口実となり申した」
「兄者が、我らの知らぬところで間者を動かしておったのだ。曰く、我らは鎌倉の目であり、耳であり、口である。しかし所詮は大倉御所の駒として敢えて泳がせてやっていることを忘れるな、ということか」
自嘲するように義経は杯を呷る。
「御館様。拙僧は未だに納得できかねます。いくらこの企てが成就した暁には我らに対する院宣が解かれるとはいえ、大恩ある秀衡公の子息らを陥れるような企てに我が御君が手を染められるとは」
やるせない面持ちで弁慶が言う。
「仕方なきことじゃ。弁慶よ。再び自由を手にするため心を鬼にせよ。僕も我が友三郎を失った今、泰衡らを相手に最早躊躇う理由はなくなった。」
己に言い聞かせるように義経は笑ってみせる。
「兎も角、今後障りとなるのは国衡、高衡の二人のみ。高衡は取り敢えず捨て置いてよい。腕は立つがまだ若輩、問題は国衡じゃ。まずはこれを除かねばならぬ」
「では、討ち取るのですか?」
「いや、これも謀を以て泰衡と仲違いさせる。出来れば忠衡と同様に我らの軍門に加える方針で進めたい」
「ですが国衡は泰衡の側近中の側近、そう簡単に我らに靡くかどうか」
疑問を口にする侍従に義経は答える。
「ところがの、今でこそ固い結束で結ばれておるが、あの二人には相当深い確執があったらしいのじゃ。僕も詳しくは知らぬが、秀衡公が御健在の頃、公は泰衡の母、つまり自分の妻であり国衡の義理の母にあたる女子を国衡に嫁がせたのじゃ。そうすれば泰衡にとって国衡は義理の父、表立った狼藉には及べぬという配慮だろう。そこまで手を回さねばならぬほどの因縁があるのなら、そこに付け込まぬ手はあるまい」
「成程。そして国衡という最後の幹皮を剥がされれば如何に不動の泰衡といえども自ずと啄木鳥の嘴前に這い出てくるという寸法か」
合点がいったとばかりに一同が頷いた。
「後は兄者に任せておけばよい。これで我らは放免。万が一の場合は潜伏している鎌倉兵が我らに加勢する手筈とのことじゃ。いくら僕とて奥州と鎌倉の全面戦争を望んでおるわけではない。この平泉は僕の故郷も同然。戦火に巻き込みたくはない。泰衡には丸裸になって兄者の前に屈してもらう」
「……しかし御館様。拙僧はもう一つ解せぬことがござる。何ゆえ鎌倉殿はここまで奥州に拘るのか、それが知りとうござる」
難しい顔で腕を組みながら弁慶が尋ねる。
「なに簡単なこと。兄者は奥州を攻めたい。どうしても攻めたい。それだけじゃ。奥州を攻める、ただそれだけが我が源氏の父祖より代々願い続けた悲願なのじゃ」
侍従たちが杯の手を止め上座に目を向ける。
「かつて軍神坂上田村麻呂が蝦夷の首領悪路王討伐にあたり、朝廷より征夷大将軍に任官されて以来、この称号は坂東を統べる武士頭にとって羨望の的であった。兄者もまた、いずれ平家を討ち取り、その手柄としてこの称号を賜れるものと期待し、熱望しておったのだ。それを、白河の関の向こうから睨み据える秀衡公に怯え鎌倉から身動きできぬうちに突如横合いから木曽義仲に奪われてしまった。僕が義仲を討った後も、それがもう兄者には悔しくて悔しくてならなかった。しかし、平家が滅んだ後、最早戦で功を上げようにも戦はどこにも残っておらぬ。そうなれば、残る標的は頭上で百歳の泰平を謳っていた奥州のみ。図らずもその地は古の軍神がまさに「征夷」を為した蝦夷の地。如何なる理由をこじつけようとも攻めずにはおかれぬわけよ」
義経は続ける。
「加えて、この奥六郡をはじめ奥州の地は我が源氏にとって因縁の土地でもある。前九年の合戦では陸奥の覇権を巡り、源氏、安倍、清原と熾烈な争いが繰り広げられた。我が父祖八幡太郎義家が陸奥守として着任した後も、後三年の合戦を指揮し沼之柵・金沢柵の激戦を戦い、これに勝利したが、朝廷からは源氏の私戦と見なされ国司を解任された。後に残った泰衡の高祖父清原清衡のみが戦の見返りを独り占めすることとなった。その後、清衡は藤原を名乗り、藤原当主が基衡に移り行く間にも、陸奥守の地位を我らに返還せよと幾度朝廷に求めたか知れないが、強大な勢力となった藤原一門と我ら源氏との争いを恐れてか、或いは陸奥の黄金に目を眩まされたか、我らの言い分、決して受け入れてはもらえなんだ。奥州は、我らにとって念願の地」
「……つまりはそなたら源氏の見栄の為ということか」
末席の者が呟いた。
「そんなものの為に奥州の民の安寧を奪うおつもりか?」
「……。 誰じゃ?」
皆が声の方を振り向くと、そこは最後に席に加わった男が座していた場所。今は誰の姿も見当たらず、只空座の前に箸一つ付けぬままの膳が置かれているばかり。
一同、首を傾げた。
数日後の夜、衣川高館(義経居所)
この夜、義経主従のみで盟友忠衡を悼む四十九日供養の集いが催されていた。
杯を交わし終えて少し後、やや遅れて最後の一人が参上した。
「おお、待ちかねていたぞ。ええと……」
「……まあ、誰でも良いわ。悪いが既に献杯は済ませてしまったぞ。おや膳が足りぬな?」
「すぐに用意いたしまする。ささ、腰を下ろされよ」
弔席には義経以下十余名が顔を並べていた。上座の義経は随分塞ぎ込んだ様子で、傍らに控え酌を務める弁慶も何時になくむっつりと押し黙っていた。
「御所の様子は如何でござるか?」
一人が問いかける。
「相も変わらず貝の如くじゃ。泰衡殿、既に御動揺の景色なく、最後通牒とやらの凄みも何処吹く風といったご様子よ。もう少しいきり立つかと思ったが」
もう一人が苛立ちを滲ませながら答えた。
「流石は慎重居士の面目躍如といったところですな。御兄弟二人も失って、皆の前で顔色一つ変えぬとは」
「止めよ、十郎」
義経が皆の雑談を遮る。
「三郎を、あのように追い詰めるつもりはなかった。この平泉で幼少の頃より共に育ち、今でも真に竹馬の友と呼べるのは三郎を置いて他にはおらなかった。だからこそ、僕が自ら出向きこの企てに誘ったのじゃ。三郎の自刃、この義経一生の不覚。いずれ冥府で詫びねばならぬ。泰衡を侮っておった」
「しかし、観自在王院に火を放ったのは、一体何者だったのでしょうか? 誓って言いますが、我らは尼殿を手に掛けるような真似は致しておりませぬ」
従者の一人が、誰にともなく尋ねる。
「どうせ鎌倉の差し金に決まって居りましょう。だが、いくら頼朝様でもそこまで因業な真似をするとは思えぬ。あの卑劣な景時あたりならやりかねぬが。しかし、いずれ御所を誑かすには良い口実となり申した」
「兄者が、我らの知らぬところで間者を動かしておったのだ。曰く、我らは鎌倉の目であり、耳であり、口である。しかし所詮は大倉御所の駒として敢えて泳がせてやっていることを忘れるな、ということか」
自嘲するように義経は杯を呷る。
「御館様。拙僧は未だに納得できかねます。いくらこの企てが成就した暁には我らに対する院宣が解かれるとはいえ、大恩ある秀衡公の子息らを陥れるような企てに我が御君が手を染められるとは」
やるせない面持ちで弁慶が言う。
「仕方なきことじゃ。弁慶よ。再び自由を手にするため心を鬼にせよ。僕も我が友三郎を失った今、泰衡らを相手に最早躊躇う理由はなくなった。」
己に言い聞かせるように義経は笑ってみせる。
「兎も角、今後障りとなるのは国衡、高衡の二人のみ。高衡は取り敢えず捨て置いてよい。腕は立つがまだ若輩、問題は国衡じゃ。まずはこれを除かねばならぬ」
「では、討ち取るのですか?」
「いや、これも謀を以て泰衡と仲違いさせる。出来れば忠衡と同様に我らの軍門に加える方針で進めたい」
「ですが国衡は泰衡の側近中の側近、そう簡単に我らに靡くかどうか」
疑問を口にする侍従に義経は答える。
「ところがの、今でこそ固い結束で結ばれておるが、あの二人には相当深い確執があったらしいのじゃ。僕も詳しくは知らぬが、秀衡公が御健在の頃、公は泰衡の母、つまり自分の妻であり国衡の義理の母にあたる女子を国衡に嫁がせたのじゃ。そうすれば泰衡にとって国衡は義理の父、表立った狼藉には及べぬという配慮だろう。そこまで手を回さねばならぬほどの因縁があるのなら、そこに付け込まぬ手はあるまい」
「成程。そして国衡という最後の幹皮を剥がされれば如何に不動の泰衡といえども自ずと啄木鳥の嘴前に這い出てくるという寸法か」
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「後は兄者に任せておけばよい。これで我らは放免。万が一の場合は潜伏している鎌倉兵が我らに加勢する手筈とのことじゃ。いくら僕とて奥州と鎌倉の全面戦争を望んでおるわけではない。この平泉は僕の故郷も同然。戦火に巻き込みたくはない。泰衡には丸裸になって兄者の前に屈してもらう」
「……しかし御館様。拙僧はもう一つ解せぬことがござる。何ゆえ鎌倉殿はここまで奥州に拘るのか、それが知りとうござる」
難しい顔で腕を組みながら弁慶が尋ねる。
「なに簡単なこと。兄者は奥州を攻めたい。どうしても攻めたい。それだけじゃ。奥州を攻める、ただそれだけが我が源氏の父祖より代々願い続けた悲願なのじゃ」
侍従たちが杯の手を止め上座に目を向ける。
「かつて軍神坂上田村麻呂が蝦夷の首領悪路王討伐にあたり、朝廷より征夷大将軍に任官されて以来、この称号は坂東を統べる武士頭にとって羨望の的であった。兄者もまた、いずれ平家を討ち取り、その手柄としてこの称号を賜れるものと期待し、熱望しておったのだ。それを、白河の関の向こうから睨み据える秀衡公に怯え鎌倉から身動きできぬうちに突如横合いから木曽義仲に奪われてしまった。僕が義仲を討った後も、それがもう兄者には悔しくて悔しくてならなかった。しかし、平家が滅んだ後、最早戦で功を上げようにも戦はどこにも残っておらぬ。そうなれば、残る標的は頭上で百歳の泰平を謳っていた奥州のみ。図らずもその地は古の軍神がまさに「征夷」を為した蝦夷の地。如何なる理由をこじつけようとも攻めずにはおかれぬわけよ」
義経は続ける。
「加えて、この奥六郡をはじめ奥州の地は我が源氏にとって因縁の土地でもある。前九年の合戦では陸奥の覇権を巡り、源氏、安倍、清原と熾烈な争いが繰り広げられた。我が父祖八幡太郎義家が陸奥守として着任した後も、後三年の合戦を指揮し沼之柵・金沢柵の激戦を戦い、これに勝利したが、朝廷からは源氏の私戦と見なされ国司を解任された。後に残った泰衡の高祖父清原清衡のみが戦の見返りを独り占めすることとなった。その後、清衡は藤原を名乗り、藤原当主が基衡に移り行く間にも、陸奥守の地位を我らに返還せよと幾度朝廷に求めたか知れないが、強大な勢力となった藤原一門と我ら源氏との争いを恐れてか、或いは陸奥の黄金に目を眩まされたか、我らの言い分、決して受け入れてはもらえなんだ。奥州は、我らにとって念願の地」
「……つまりはそなたら源氏の見栄の為ということか」
末席の者が呟いた。
「そんなものの為に奥州の民の安寧を奪うおつもりか?」
「……。 誰じゃ?」
皆が声の方を振り向くと、そこは最後に席に加わった男が座していた場所。今は誰の姿も見当たらず、只空座の前に箸一つ付けぬままの膳が置かれているばかり。
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