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泉之館の乱 4

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 三、

 同年 如月、伽羅之御所。

 その日は朝から雪が降っていた。
 中庭で元気よく雪合戦に興じる十寿と万寿を見ながら、皆鶴は康高に手習いを教えていた。
(そういえば、去年は今頃の時刻になれば高衡様が木刀片手に駆け込んで来たっけ)
 ――皆鶴殿、お相手願う!
 おそらく柳之御所の詮議もそこそこに急いで狩衣に着替え飛び出してきたのだろう。一度など烏帽子を被り忘れてきたこともあった。それを指摘すると「失礼仕った。暫し待たれよ!」と大慌てで回れ右していったっけ。見物に来ていた忠衡殿がそれを見て「なんじゃ、兄上から借りれば済む話だろうに」と呆れたように呟いていた。
 思い出し、ふ、と笑みが零れる。
「せんせえ?」
 康高が首を傾げ皆鶴を見つめる。ごめんね、と詫びながら手習いの続きをする。
「じゃん! どう、皆鶴?」
 北の方が数珠のようなものを携え部屋に入ってきた。入ったと同時に火鉢に直行する。
「ああ、寒い寒い。火鉢が有難いわあ」
「北の方様。それは?」
「去年の蓮の実を紙縒りで繋いで首飾りにしてみたの。ねえ、着けてみて?」
 言われた通りに着けてみる。表で遊んでいた二人の子供も何事かと興味に目を輝かせて入ってくる。
「やっぱり、おまえは蓮が似合うわね」
「……そうでしょうか?」
 団栗の数珠繋ぎのような首飾りを首に掛け、何とも言えない顔で皆鶴が答える。
「そういえば、皆鶴は我が家の家人になったと聞いたけど、本当かえ?」
「はい。いつまでもこの地に留まりたいと存じます」
「そう」
 ほう、と北の方が微笑む。
「蓮は美しい花を水面に浮かべるけれど、その根は水底の土の中、太くてしっかりとした根を張らせているの。おまえも、いずれ生まれるおまえの子供たちも、この地にしっかりと根を下ろし、美しい花を咲かせてほしいわ」
「勿体なきお言葉にございます」
 深々と頭を下げる。
「そうなると、生まれてくる子も高衡様そっくりの腕白者かしら。きっと手を焼いてよ?」
「……御戯れを」
 皆鶴は薄く笑った。
「それとこれとは話が違いまする」
「あら、どうして。お似合いだと思うのだけれど?」
「私は衣冠なき陰陽師の娘。高衡様は鎮守府将軍の御子息であり本吉郡の領主。とても身分が違います」
「なにそんなこと。身分に拘るなんてつまらなくてよ」
 困ったような顔をする皆鶴を可笑しそうに笑う。
「そもそもこの奥州は蝦夷の地。我ら藤原一族やそれ以前にこの地を治めていた安倍一族は、この地の民達と共存を図るため、進んで蝦夷の血を一族に取り入れていたのよ? 貴賤氏素性などに拘るのは料簡狭き京のやんごとなき公家の御方々が帝に取り入るための手管に過ぎぬこと。四海の民が皆同じ人であることに変わりはないでしょう? 現に国衡様や高衡殿の御母上であるアサメ様も出自は夷狄島本別アイヌの酋長の御息女。それに」
 傍らで無垢な瞳を北の方に向ける万寿を抱き寄せ愛おしそうに頭を撫でる。
「この子の生みの母の沙羅の出自はおまえも知っているでしょう? あの娘も妾の大切な妹分。……そして、おまえも」
「北の方様……」
 皆鶴を抱き寄せながら、北の方は静かに言う。
「いつまでも平泉にいておくれ。妾の可愛い妹よ」

 
 ばたばたと騒がしい足音が近づく。
 その物音に鎧甲冑の音が混じる。……忘れがたい、合戦の物音。
 皆鶴が顔を上げると同時に、高衡が飛び込んできた。
「皆鶴殿、一大事じゃ!」
 息せき切って駆け込んだ鎧姿の高衡が驚いた様子の北の方に気づくと、「推参仕った」と頭を下げた。
 その後ろから同じく戦装束の泰衡が現れる。その顔面は蒼白だった。
「あなた……御館様、これは何事です!」
 詰め寄る北の方に、ちらりと皆鶴の方に目を向けた後に泰衡は告げた。
「……忠衡と通衡が、兵を起こした。郎党を集め、泉之館に立て籠っておる」
「――――!」
 声にならない悲鳴を上げ、北の方はへたり込んだ。血の気の消えた口元を覆い、肩を震わせる。
「忠衡勢はおそらく三百騎。只今衣川関所に殺到した敵勢を兄上が撃退したとの知らせがあった。柵の要所でも小競り合いが起きておる。この御所に敵が押し寄せるも時間の問題じゃ」
「どうして、そんな……」
 戦慄く北の方から膝立に控える皆鶴に目を向け、泰衡は毅然と告げた。
「皆鶴よ。そなたは既に我が家臣。そなたに兵を預け、この御所の護りを託す。子供たちや北の方を頼む」
「はっ!」
 傍らの太刀を取り、皆鶴は答えた。
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