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泉之館の乱 3
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これより数刻後。
夕刻、既に足の速い冬の夕日は金鶏山に沈んで久しく、巷は夜闇に近い。
あの日、泰衡に連れられ金色の阿弥陀堂を拝して以来、暇を見ては最初院に通いつめるのが日課となっていた皆鶴は、衣川の関所も閉まり人気も侘しくなりかけた奥大道を御所に戻る帰路、向こうからがやがやと騒がしい馬の一団に足を止め、次の一瞬、凍り付いた。
(九郎殿――!)
忘れもしない。忘れるものか。この十余年、一日たりとも忘れたことなど。
腰に携えた太刀に手を掛け、駆け寄ろうとし、ふと思い留まった。
……あまりに無防備すぎる。
すでに幾度となく追討の院宣を受け、追手が五十余もこの地に潜伏していることなど先刻承知のはず。
しかし今目の前を馬に乗り通り過ぎるこの青年は酔い心地に侍従たちと何やら冗談を交わしへらへらと笑っている。今なら苦も無くこの侍従諸共討ち取ることができるだろう。
だからこそ、皆鶴はこの一団を見送った。見極めるには余りに尚早。
ぎり、と奥歯を噛み締める。
ちら、と僧形の大男がこちらに目を遣ったが、気のせいと思ったかすぐに主人の後に続き去った。
「……皆鶴様にございまするか?」
振り返ると、いつの間に近づいたか背後に美しい娘が菅笠越しにこちらを伺っていた。
「泉館侍従、小雪と申します」
ぺこりと会釈し、書状を差し出す。
「これを伽羅之御所雑仕頭、沙羅様にお渡しくださいまし」
「これは……?」
「どうか中身は改めてくださいますな。……いえ、あなたは既に藤原一門の御家人。改めていただいても結構。ですが他言無用にございます」
そう告げて娘は去った。
同日夜、伽羅之御所。
皆鶴が雑仕部の舎を訪ねると、丁度沙羅は心細い灯を頼りに書見をしているところだった。足元に幾人か雑魚寝の雑仕女が寝息を立てている。
「おや、皆鶴殿。珍しいね」
ぱたんと書物を閉じ破顔する。皆鶴は書状を差し出した。無論まだ改めてはいない。
「これを小雪という娘さんから預かりました」
「ああ、小雪は藤原家付きの白拍子だ。いやなに、上方の公家達と違って春を鬻ぐような真似はさせないよ。そんなこと、ここのお堅い棟梁様が許すはずもない」
沙羅は元々京の名家の出自であったが、家が没落し白拍子に身を落としていたところを、とある貴族が哀れに思い、泰衡に身柄を預けたものである。やがて泰衡との間に万寿という子を設け、本来ならば側室待遇とされるべきであるが、本人は室の堅苦しさを嫌い、御所の雑用人である雑仕女を取り仕切る役割を担い、自由気ままな生活を楽しんでいる人であった。
「ちなみに小雪は御館様自慢の忍だよ。君、背後に立たれて気づかなかったろう?」
「はい、驚きました」
「君の反応、素直で好きだよ」
くっく、と笑う沙羅だったが、書状を読み進めるうちに顔色が変わった。
「……君、この書状の内容を改めたり、誰かに見せたりしてないね?」
「ええ、沙羅さんに渡すまで開封しておりません」
「……そうか」
ふう、と息を吐きながら、真剣な面持ちで皆鶴を見やる。
「皆鶴殿。君は先日我が藤原一門に加わったが、覚悟の程は確かかい?」
「はい。私の使命を果たした後は、この平泉の土となる所存にございます」
「そうか。では心するといい」
真直ぐに皆鶴を見つめたまま、沙羅は告げた。
「――間もなく平泉は戦場になる」
夕刻、既に足の速い冬の夕日は金鶏山に沈んで久しく、巷は夜闇に近い。
あの日、泰衡に連れられ金色の阿弥陀堂を拝して以来、暇を見ては最初院に通いつめるのが日課となっていた皆鶴は、衣川の関所も閉まり人気も侘しくなりかけた奥大道を御所に戻る帰路、向こうからがやがやと騒がしい馬の一団に足を止め、次の一瞬、凍り付いた。
(九郎殿――!)
忘れもしない。忘れるものか。この十余年、一日たりとも忘れたことなど。
腰に携えた太刀に手を掛け、駆け寄ろうとし、ふと思い留まった。
……あまりに無防備すぎる。
すでに幾度となく追討の院宣を受け、追手が五十余もこの地に潜伏していることなど先刻承知のはず。
しかし今目の前を馬に乗り通り過ぎるこの青年は酔い心地に侍従たちと何やら冗談を交わしへらへらと笑っている。今なら苦も無くこの侍従諸共討ち取ることができるだろう。
だからこそ、皆鶴はこの一団を見送った。見極めるには余りに尚早。
ぎり、と奥歯を噛み締める。
ちら、と僧形の大男がこちらに目を遣ったが、気のせいと思ったかすぐに主人の後に続き去った。
「……皆鶴様にございまするか?」
振り返ると、いつの間に近づいたか背後に美しい娘が菅笠越しにこちらを伺っていた。
「泉館侍従、小雪と申します」
ぺこりと会釈し、書状を差し出す。
「これを伽羅之御所雑仕頭、沙羅様にお渡しくださいまし」
「これは……?」
「どうか中身は改めてくださいますな。……いえ、あなたは既に藤原一門の御家人。改めていただいても結構。ですが他言無用にございます」
そう告げて娘は去った。
同日夜、伽羅之御所。
皆鶴が雑仕部の舎を訪ねると、丁度沙羅は心細い灯を頼りに書見をしているところだった。足元に幾人か雑魚寝の雑仕女が寝息を立てている。
「おや、皆鶴殿。珍しいね」
ぱたんと書物を閉じ破顔する。皆鶴は書状を差し出した。無論まだ改めてはいない。
「これを小雪という娘さんから預かりました」
「ああ、小雪は藤原家付きの白拍子だ。いやなに、上方の公家達と違って春を鬻ぐような真似はさせないよ。そんなこと、ここのお堅い棟梁様が許すはずもない」
沙羅は元々京の名家の出自であったが、家が没落し白拍子に身を落としていたところを、とある貴族が哀れに思い、泰衡に身柄を預けたものである。やがて泰衡との間に万寿という子を設け、本来ならば側室待遇とされるべきであるが、本人は室の堅苦しさを嫌い、御所の雑用人である雑仕女を取り仕切る役割を担い、自由気ままな生活を楽しんでいる人であった。
「ちなみに小雪は御館様自慢の忍だよ。君、背後に立たれて気づかなかったろう?」
「はい、驚きました」
「君の反応、素直で好きだよ」
くっく、と笑う沙羅だったが、書状を読み進めるうちに顔色が変わった。
「……君、この書状の内容を改めたり、誰かに見せたりしてないね?」
「ええ、沙羅さんに渡すまで開封しておりません」
「……そうか」
ふう、と息を吐きながら、真剣な面持ちで皆鶴を見やる。
「皆鶴殿。君は先日我が藤原一門に加わったが、覚悟の程は確かかい?」
「はい。私の使命を果たした後は、この平泉の土となる所存にございます」
「そうか。では心するといい」
真直ぐに皆鶴を見つめたまま、沙羅は告げた。
「――間もなく平泉は戦場になる」
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