散華の紅雪

香竹薬孝

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第5章 3

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 麓に辿り着いたときには、小雪ちらつく空模様は吹雪へと様子を変えた。

 生き残ったものがもし居たとすれば、必ずこの山を越えようとするだろう。

 この吹雪の中を、生きて山越えすることができれば、の話だが。

 だが、私は生きて山から帰って来た。

 蓮華も采女取山道を踏破しこの里に辿り着いた。

 焼け出され、蓮華の破れ寺や私の家が炎を上げているのを目の当たりにし、途方に暮れた佐保子は、きっとこの山に無事身を隠したに違いない。

 そう信じて行くしかない。

 殆ど視界の利かない冬の嵐の中を、私は手探りで前に進んだ。

 聴こえるのは、吼え猛るような風の音と、雪を踏みしだく己の足音だけ。

 振り返ると、激しい雪粒の合間に、赤々と燃える里の様子が一望できた。

 村を焼き、家々を襲い、蓮華を嬲り殺しにした者たちも、この様子では自分で点けた業の炎に巻かれ、彼らが焼き殺した者たちと同じ運命を辿ることだろう。

 もし、うまく佐保子と落ち合うことが出来たら、この吹雪を何とかやり過ごした後で、山を下り、街へ行こう。そして、佐保子と二人、一緒に暮らしていこう。

 そんなことをあれこれ夢想しながら、僅かではあるが楽しかった思い出の欠片をとりとめもなく思い浮かべていた。

 そうしていると、数々の忌まわしい出来事も、この吸い込まれそうな吹雪の孤独も、凍てつく寒さも束の間でも忘れられる気がしたのだ。


 ……そういえば、吹雪の夜の山を彷徨うのはこれで二度目、あの時とまるで同じだ。

 あの夜の光景を、もう一度回想してみる。



 ――坊、坊や。誰かいるみたいだね?

 ――こっちに近づいてくるよ。坊やが言ってたお坊様が迎えに来たンじゃないかい?

 ――良かった、助かるンだよ。よく今まで堪えたねえ!


 そういって女の人は近づいてくる人影に向かって手を振り声を掛けた。

 その時、びゅう、と大きな音を立てて風が吹いた。

 女の人がぴたりと手を振るのを止め、そのまま仰向けに倒れた。

 おねえちゃん!

 駆け寄ると、女の人の胸は真っ赤な血に染まり、それはまるで赤い花を抱えているように見えた。

 ――坊や、お逃げ。

 苦しそうに手を伸ばし、女の人の掌が私の頬に触れた。

 ――君は、生きるンだよ。

 涙を流しながら、女の人は白く凍った息も絶え絶えに言った。

 ――お願い。アタシの分まで生きて。早くお逃げ!


 人影が近づいてくる。お坊様ではなかった。とても恐ろしいものが近づいてきた。

 ガシャリと音を立てて鉄砲を構える。人影が近づいてくる。



 ……歩みを止める。

 不意に、すべてが繋がった。

 「……どうして」

 どうして今まで気づかなかったのか。

 あの時ちらりと見たスペンサー銃。

 この村から出たこともない者が、周りには普通の百姓か幕軍の落ち武者ぐらいしかいない里の者が、――なぜ官軍の銃を持っていた?


 私は駆け出した。

 だが、数歩も行かぬうちに、凄まじい激痛に足を取られ、深く降り積もった雪の上へ倒れた。

 気の遠くなるような痛みにのた打ち回る。

 見ると、右足の脹脛に、大きな虎鋏が深々と食い込んでいた。

 山中に仕掛けたという獣用の罠。その辺の猫や兎などがかかったら簡単に足を飛ばすことが出来る。

 激痛に喘ぎながら、悴む手で罠を取り外す。

 途端に、傷口から血が溢れ出た。右脚の筋が完全に断ち切られていた。

 崩れ落ちそうな身体を、悲鳴に似た気合を上げて奮い起こす。

 一歩踏み出すたびに、貧血じみた眩暈を感じながら前へと進んだ。

 多少でも吹雪を凌げるのは、以前彼女と団栗探しに興じた椎の木の生えた小さな雪原の他に、私も佐保子も知らない。

 もう、そう遠くはないはずだ。

 来た路を、振り返る。

 引きずるように続いた自分の足跡。

 それに追いすがるように紅い花が、点々と咲いていた。

 直ぐに朦朧としかけた頭を振って思い直す。

 どう考えても、あれは自分の流した血に決まっている。

 しかし、たしかにそれは紅い花だ。

 雪を食い破り吹雪に咲く、人の業が生んだ禍々しい花だ。


 そのとき、


 闇を破るように、銃声が響き渡った。


 それが合図のように、嘘のように吹雪が止んだ。
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