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第3章 3
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この里の盆祭りでは「ナニャトヤラ」という踊りが踊られる。
奇抜な名前と謡だが、別にこの里特有の踊りではなく、東北地方の一部でごく一般的に踊られるものらしいが、この里の踊りで特徴的なのは、謡と太鼓の他に篠笛が用いられることだ。太鼓と篠笛に合わせ歌い踊る様子は盛岡藩で踊られる「さんさ踊り」に近い。
数日前から村人たちが集会所の前に櫓を拵え、柱に綱を渡して提灯を吊るし、里の青年たちを中心に準備にいそしんでいた。
私も準備に志願し、昼食になると村の女性たちが麦の握り飯を差し入れてくれ、その中に佐保子の姿も見えた。
しかし佐保子は私と目が合うとツンとそっぽを向き、代わりに村の娘たち何人かに取り囲まれ都会の話をせがまれたりと大分閉口した。それを見ていた他の青年たちから露骨に面白くなさそうな顔をされたが、二十歳も半ばを過ぎた自分が十も年下の少女たちからちやほやされてもトホホ感の方が強い。それを言ったら佐保子も彼女たちとそう歳は変わらないが。
蓮華の言う通り、たしかに祭りを前にして、村の若い者たちは浮足立っていた。いつしか自分もその浮かれた空気に飲まれていたのかもしれない。
祭りの夜、父から借りた上等の絣の浴衣と帯を締め家を出ると、丁度破れ寺から出てきた蓮華と行き会った。
今宵の蓮華は、濃紺に薄桃色の桔梗柄を菫の帯で粋に締めた浴衣姿で、普段姉さん被りの野良着か男坊主の袈裟姿を見慣れている目にはひどく艶めかしい。そういえば以前なぜ尼僧の装束を付けないのか問うたことがあるが、「うちの寺にそんなもンなかったからだよ」と一笑に付された。
「この浴衣かい?」
くるりと回って見せる。
「これはアタシが寺を継ぐ前に可愛がってくれた檀家の奥様が寄進してくれたものさ。とうに御隠れになったが、年に一度袖を通してやるのも供養さね」
二人並んで村道を歩く。祭囃子の太鼓と笛の音が、すぐ傍まで聞こえてくる。
祭りの宴は、普段の陰気な里の様子からは想像もできぬほど賑やかだった。
この夜ばかりは、先住の者も落人の者も見境はない。皆が陽気に酒に酔い櫓を囲んで歌い踊っている。
ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ 嫁も姑も 皆出て踊れヨ
わざわざこの祭りのために綿菓子やお面やらの露店も数軒並んでいた。子供らが二銭銅貨を握りしめて群がっている。
「さて、ではアタシも踊りの輪に加わってみるかね」
出店で買った狐のお面を被り、蓮華が踊りの輪へと歩み出る。
「寺の住職がそんなに浮かれて良いんですか?」
私が揶揄うと、蓮華は面をクイッと上げて不敵に微笑んだ。
「なぜ祭りの夜に必ずお面を鬻ぐ者がいるか知っているかい?」
「?」
「面は、いうなれば自分に自分でない何者かを降ろすための道具さ。盆の踊りというのはね、あの世から帰ったまろうどを迎え、面を被り現世の形をとった祖先たちとともにこの世の幸いを祝い願い踊る儀式、いわばこれも仏弟子の大事な御勤めさね。では、いざ!」
そう言って輪の中に飛び入る。
それは輪の前後で踊るものが思わず動作を止めるほど、周りで見ているものが息を呑み身を乗り出すほど見事な踊りだった。余程舞踊に心得があると見えるが、この里に来る前は何をしていたのだろう。
一人取り残された私は佐保子の姿を探してみるが、それらしい姿は見当たらない。
苦笑する。自分は一体何を期待しているのだろう。
ナニャトヤラ ナニャトナサレテ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ ともに白髪の 生えるまでヨ
ふと、謡の女性の脇で篠笛を吹いている男性に目を止める。
(父さん……?)
それは普段ののっそりとした姿からは想像もつかない凛とした居住いの父の姿だった。
確かに篠笛を工作する上では、良い音の判別がつかなければ仕事にならない。しかし笛の奏者だったとは知らなかった。
足を悪くしているから、滅多に家の外には出ないはずだが。
ナニャトヤラ ナニャトナサレテ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ 二度と若さは 来るじゃない
……唐突に、脳裏に蘇った。
それは私の幼少の頃。私が六つかそのくらいの、ある冬の夜の光景。
大きな音を立てて、家の戸と共に父が倒れ込んできた。
後からどやどやと村人たちが雪崩れ込んでくる。
母は怯えたように私たちを抱きしめて震えていた。
「……子は渡さねェ」
父は顔を血に染めて村人たちを睨みつけた。
「穀を食い潰すように子供らを殺めて、それで一体何が救われる?」
「村の掟だ」
誰かが言い放った。
「そうしなければ、わしら皆が飢え死んじまうんだ」
「我が子を殺してでも生きたいか!」
父が怒鳴った。
「俺ラの倅も、山サ送った」
「俺ラの童もだ。……様さお願エした。お前ェの舎弟コと同じ年だ。平気でいられるわけがねぇ!」
「皆が掟に従って子を差し出した。深芦の、お前ェだけ逃れるわけにはいかねえぞ!」
皆が口々に怒鳴り返した。
「……良いだろう」
父が刀を抜き放つ。初めて見る、父の鬼のような形相。
「俺もお前だずも、故郷を、仕える君主を、松平の殿様を見捨ててこの里さ落ちてきた者だが、俺が今誠に仕える主は女房と子供だずだ。お前だず全員、我が主のために斬り捨てる。母成峠で散々に長州兵を懲らしめたこの刀、もう一度血に染めてくれる!」
刀を片手に立ち上がろうとする父の左足を村人の一人が鍬で突き刺した。「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて父が俯せに倒れ伏した。皆が一斉に父に斬りかかる。
「やめてぇっ!」
突如、母が悲鳴を上げた。
「もうやめて、やめてください」
「キヨ、駄目だっ!」
母は慟哭しながら、私たちをぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね……」
……
ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ 夜明け鴉の 渡るまでヨ
奇抜な名前と謡だが、別にこの里特有の踊りではなく、東北地方の一部でごく一般的に踊られるものらしいが、この里の踊りで特徴的なのは、謡と太鼓の他に篠笛が用いられることだ。太鼓と篠笛に合わせ歌い踊る様子は盛岡藩で踊られる「さんさ踊り」に近い。
数日前から村人たちが集会所の前に櫓を拵え、柱に綱を渡して提灯を吊るし、里の青年たちを中心に準備にいそしんでいた。
私も準備に志願し、昼食になると村の女性たちが麦の握り飯を差し入れてくれ、その中に佐保子の姿も見えた。
しかし佐保子は私と目が合うとツンとそっぽを向き、代わりに村の娘たち何人かに取り囲まれ都会の話をせがまれたりと大分閉口した。それを見ていた他の青年たちから露骨に面白くなさそうな顔をされたが、二十歳も半ばを過ぎた自分が十も年下の少女たちからちやほやされてもトホホ感の方が強い。それを言ったら佐保子も彼女たちとそう歳は変わらないが。
蓮華の言う通り、たしかに祭りを前にして、村の若い者たちは浮足立っていた。いつしか自分もその浮かれた空気に飲まれていたのかもしれない。
祭りの夜、父から借りた上等の絣の浴衣と帯を締め家を出ると、丁度破れ寺から出てきた蓮華と行き会った。
今宵の蓮華は、濃紺に薄桃色の桔梗柄を菫の帯で粋に締めた浴衣姿で、普段姉さん被りの野良着か男坊主の袈裟姿を見慣れている目にはひどく艶めかしい。そういえば以前なぜ尼僧の装束を付けないのか問うたことがあるが、「うちの寺にそんなもンなかったからだよ」と一笑に付された。
「この浴衣かい?」
くるりと回って見せる。
「これはアタシが寺を継ぐ前に可愛がってくれた檀家の奥様が寄進してくれたものさ。とうに御隠れになったが、年に一度袖を通してやるのも供養さね」
二人並んで村道を歩く。祭囃子の太鼓と笛の音が、すぐ傍まで聞こえてくる。
祭りの宴は、普段の陰気な里の様子からは想像もできぬほど賑やかだった。
この夜ばかりは、先住の者も落人の者も見境はない。皆が陽気に酒に酔い櫓を囲んで歌い踊っている。
ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ 嫁も姑も 皆出て踊れヨ
わざわざこの祭りのために綿菓子やお面やらの露店も数軒並んでいた。子供らが二銭銅貨を握りしめて群がっている。
「さて、ではアタシも踊りの輪に加わってみるかね」
出店で買った狐のお面を被り、蓮華が踊りの輪へと歩み出る。
「寺の住職がそんなに浮かれて良いんですか?」
私が揶揄うと、蓮華は面をクイッと上げて不敵に微笑んだ。
「なぜ祭りの夜に必ずお面を鬻ぐ者がいるか知っているかい?」
「?」
「面は、いうなれば自分に自分でない何者かを降ろすための道具さ。盆の踊りというのはね、あの世から帰ったまろうどを迎え、面を被り現世の形をとった祖先たちとともにこの世の幸いを祝い願い踊る儀式、いわばこれも仏弟子の大事な御勤めさね。では、いざ!」
そう言って輪の中に飛び入る。
それは輪の前後で踊るものが思わず動作を止めるほど、周りで見ているものが息を呑み身を乗り出すほど見事な踊りだった。余程舞踊に心得があると見えるが、この里に来る前は何をしていたのだろう。
一人取り残された私は佐保子の姿を探してみるが、それらしい姿は見当たらない。
苦笑する。自分は一体何を期待しているのだろう。
ナニャトヤラ ナニャトナサレテ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ ともに白髪の 生えるまでヨ
ふと、謡の女性の脇で篠笛を吹いている男性に目を止める。
(父さん……?)
それは普段ののっそりとした姿からは想像もつかない凛とした居住いの父の姿だった。
確かに篠笛を工作する上では、良い音の判別がつかなければ仕事にならない。しかし笛の奏者だったとは知らなかった。
足を悪くしているから、滅多に家の外には出ないはずだが。
ナニャトヤラ ナニャトナサレテ ナニャトヤラヨ
ナニャトヤラ 二度と若さは 来るじゃない
……唐突に、脳裏に蘇った。
それは私の幼少の頃。私が六つかそのくらいの、ある冬の夜の光景。
大きな音を立てて、家の戸と共に父が倒れ込んできた。
後からどやどやと村人たちが雪崩れ込んでくる。
母は怯えたように私たちを抱きしめて震えていた。
「……子は渡さねェ」
父は顔を血に染めて村人たちを睨みつけた。
「穀を食い潰すように子供らを殺めて、それで一体何が救われる?」
「村の掟だ」
誰かが言い放った。
「そうしなければ、わしら皆が飢え死んじまうんだ」
「我が子を殺してでも生きたいか!」
父が怒鳴った。
「俺ラの倅も、山サ送った」
「俺ラの童もだ。……様さお願エした。お前ェの舎弟コと同じ年だ。平気でいられるわけがねぇ!」
「皆が掟に従って子を差し出した。深芦の、お前ェだけ逃れるわけにはいかねえぞ!」
皆が口々に怒鳴り返した。
「……良いだろう」
父が刀を抜き放つ。初めて見る、父の鬼のような形相。
「俺もお前だずも、故郷を、仕える君主を、松平の殿様を見捨ててこの里さ落ちてきた者だが、俺が今誠に仕える主は女房と子供だずだ。お前だず全員、我が主のために斬り捨てる。母成峠で散々に長州兵を懲らしめたこの刀、もう一度血に染めてくれる!」
刀を片手に立ち上がろうとする父の左足を村人の一人が鍬で突き刺した。「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて父が俯せに倒れ伏した。皆が一斉に父に斬りかかる。
「やめてぇっ!」
突如、母が悲鳴を上げた。
「もうやめて、やめてください」
「キヨ、駄目だっ!」
母は慟哭しながら、私たちをぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね……」
……
ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラヨ
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