散華の紅雪

香竹薬孝

文字の大きさ
上 下
3 / 26

第1章 2

しおりを挟む
 時折白霞の切れる時もあったが、目指す集落に辿り着いた頃は恐らく夕暮れ時、しかし茜の空も菫の宵の入りも白い霞の向こうなので、正確な時刻は判らない。

畦道の両脇に段々と並ぶ棚田の所々から野良仕事の村人たちが顔を上げ、胡乱気にこちらを睨みつけてくる。しかし中には作業を止めて近づき「ヨォ」と声を掛けてくる気さくな村人もいた。村道も半ばを過ぎたあたりから野良帰りの村人たちが周囲に集まり始めた。

「あンだ、深芦ケ谷の舎弟っ子だべ? 采女取峠越えてきたのスかや?」

 人の好さそうな年配の村人に呼び止められる。深芦ケ谷は生家の屋号だ。舎弟とは次男坊を差す。

「なンと遠ォくから良く来たごど。 ほれ、平坊。深芦のズンツァマさ知らせでだイ」

 カカと笑う村人が私の背後に声を掛ける。振り向くと、いつの間にか私の背後には村の子供らがぞろぞろと行列を作っていて、そのうちの一人がトタトタと草履を鳴らして駆けていった。

「洋服来たお客さんは珍しいからねえ。たまに来る巡査さんか、兵隊にとられた若いのが盆と正月に帰ってくるくらいしかこの子らは見たことないのさ」

 子供らの頭を撫でながら野良着姿に姉さん被りの女性が笑う。この人だけ、言葉が違う。

「深芦さんならアタシの帰り道の途中だ。丁度御勤めも終わったところだし今から案内してあげようね」

 そう言って周囲に集まっていた幾人かの村人を振り返ると――女性は彼らに向かって両手を合わせて合掌した。村人たちも恭しく合掌する。

「ほンで、まんず」

「よく帰ってきてけだっちゃ。 後で俺ら家サ飲みサござイ」

 笑顔で見送る村人たちに子供たちは窘められたのか流石にもう後からついては来なかった。

「あの山道を越えてきたンだって? 大変だったねえ、いつまでいるつもりなンだい?」

 生家へと向かう道すがら女性はニコニコと話しかけてくる。歳を勘繰るのは不躾かもしれないが、二八は越えていないだろう。言葉だけではない。先ほどの村人たちとは違う不思議な雰囲気があった。

「ああ、アタシは蓮華っていうンだ。この先の破れ寺で住職をしているのさ」

「庵主さんなのですか?」

「尼寺ではないンだけどね。アタシは上総の出身なンだけどさ、いろいろやらかしてここまで流れてきた挙句、先代の住職様に拾っていただいて、何年か前に先代様がご入滅して以来跡目を継いだって次第さね」

 道理で言葉や物腰が他の者とは違うと思った。先ほどの様子や子供らの懐き方からも察するに村人たちからも相当信頼を寄せられているらしい。

「ときに……十何年ぶりに故郷の土を踏む君に拙僧から一つ忠告しようか」

 足を止め、顔を向けると目の前に庵主の双眸が寄せられた。切れ長の双眸、何か得体のしれないものを予感させるようにじっとわたしの両目を覗き込む。


「――いつまで逗留するつもりか知らないが長居はしないほうがいい」


 思わず怯んだ私の顔を見てふっと口元を薄く吊り上げ後ろに顎をしゃくった。

「この里に下りてから心当たりはあるだろう? さっきみたいな気持ちよく声を掛けてくれる連中もいればそうでもない連中もいる……めんどくさい村なンだよ、ここは」

 そう言われてみれば、村に着いて暫く無言で向けられていた視線は決して好意的なものではなかった。村の中心に近づくにつれ、いつしかそういったものは薄らいできたためすっかり忘れてしまっていたが、あれは余所者を警戒するといった生温い風のものではなかったかもしれない。再び歩き出しながら庵主は続けた。

「まあ、いずれ雪が降り始めたら山は越えられなくなる。こンな痩せた山奥で餅も食えずに年を越してもツマンないだろうし、山が紅くなる前に都会に帰った方が利巧さね……と、そろそろ着くよ」

 いつの間にか生家のすぐ傍まで来ていた。十数年振りに訪れた生家は、話し込んでいては素通りしてしまうような、変哲もない佇まいだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

なにひとつ、まちがっていない。

いぬい たすく
恋愛
若くして王となるレジナルドは従妹でもある公爵令嬢エレノーラとの婚約を解消した。 それにかわる恋人との結婚に胸を躍らせる彼には見えなかった。 ――なにもかもを間違えた。 そう後悔する自分の将来の姿が。 Q この世界の、この国の技術レベルってどのくらい?政治体制はどんな感じなの? A 作者もそこまで考えていません。  どうぞ頭のネジを二三本緩めてからお読みください。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて

ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」 お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。 綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。 今はもう、私に微笑みかける事はありません。 貴方の笑顔は別の方のもの。 私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。 私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。 ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか? ―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。 ※ゆるゆる設定です。 ※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」 ※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド

処理中です...