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エピローグ

エピローグ~数千年の厄災も一瞬で

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 神人ジューアが軽く手を振ると、魔法樹脂の透明な塊は瞬時に溶けて、虹の輝きを帯びた夜空色の魔力に還元されて術者のジューアに戻った。

 魔法樹脂の中に片膝をついた姿勢で封入されていたカーナは、虹色を帯びた真珠色の魔力を纏って、軽く黒髪の頭を振って立ち上がった。
 女性形の少女の姿のまま、手の中に今にも崩れそうな小さな素焼きの黒い壺を持っている。

「カーナ……」
「大丈夫。アドローンの聖女の魔はある程度宥めた。母子のうち、産まれることのなかった胎児も辛うじて浄化できたよ」

 カーナの優美な琥珀の瞳が壺を見ると、中から小さな真円の光が浮き出てきた。
 これが胎児の魂だろう。真円ということは纏う魔力に歪みがない証拠だ。

「産み直してやるのが一番良いのだが、生憎この身にはもう子宮がなくてね。どこか別の誰かを母として新しい人生を始めておくれ」

 胎児の魂がカーナの手から放たれ、神殿の建物を擦り抜けて飛び立っていく。

 向かう方向は西。
 この胎児の魂が数年後、西の小国カーナ王国で聖なる魔力持ちの女児として生まれ、後の大聖女となる。



「守護者カーナ。私は魔を受け入れる覚悟を決めました。今後はその鎮魂に人生を捧げる覚悟です」

 マーゴットが、カーナが抱えていた小さな素焼きの黒い壺、かつての聖女母子の遺骨を受け取ろうとしたとき。

 燃える炎の赤毛とエメラルドの瞳の魔女、メルセデスがマーゴットを突き飛ばした。そして壺を奪った。
 慌てて傍らのシルヴィスが傾ぐマーゴットの身体を支える。

「メルセデス様!? 何をなさるのですか!」

 突然の出来事に、マーゴットたち人間どころか、カーナも神人ジューアも驚いている。
 ジューアが取り返そうと手に魔力を集めたが、カーナが腕を伸ばして制した。

「魔女メルセデス……いや、女勇者メルセデス。どういうつもりだ?」
「どうもこうもありません。あたしだって元とはいえ王妃、カレイド王族なんです。マーゴット女王が夢を見てる間、あたしも夢見を試して魔を解決できないか探ってたんですよ」

 メルセデスは力のある魔力使いとして時を壊し、およそ500年前から生きている人物だ。
 そして夢見の術でマーゴット女王に協力しつつも、自分でも自分が当時、カレイド王国に来襲した魚人の魔物を討伐して若き国王に見染められ再婚した頃に戻った。

「酷い話です。当時の臣下たちが秘密裏に会議してましてね。勇者に覚醒してもあたしは平民の子持ちの寡婦。国王との間に子供ができたらもう用済みだろうって」
「……それで?」
「当時も厄災の魔の封印が解けかけてたんです。あたしは魚人の魔物も倒した。カレイド国王との間に息子も作った。これ以上は用無しのあたしを容器にして、魔を再封印しようってね」

 これには誰もが息を呑んだ。

「でも夫は、……国王は反対してくれたんです。けど臣下たちの勢いに勝てなくて一計を案じたのね。あたしを逃すために不貞を演出して、あたしを怒らせた」

 夢見の中で、かつての夫の国王から真実を聞かされたメルセデスは打ちひしがれたが、逆に決意が固まった。

「浮気者のクソ野郎だと思ってたけど、あたしに惚れ込んでくれてたのは本気だったみたいです。浮気相手とその後再婚して王子や王女たちを産ませてましたけど。思慮深き国王なのかクソ野郎なのかハッキリしてよねって感じ」

 メルセデスは素焼きの壺の蓋を開けた。中から黒いコールタールのような粘った魔力が溢れてくる。

「カーナ様が宥めてこれか……きついですね……」

 壺は中身が溢れた段階で黒い砂となって、中身の遺骨や遺灰ごとさらさらと床に落ちていく。

 魔女メルセデスは自分の腰回りに光り輝く光の円環、リンクを出して両手で思いっきり光の帯を握りしめた。
 リンクが一際強く光り輝いた瞬間に、宙に漂っていた魔の粘つく黒い魔力を胸元に集めて、更に心臓部に集約させた。

「嘘だろ……こんなもん、俺に処理させるんですか!?」

 長い棒を構えて、聖者ビクトリノが日に焼けた精悍な顔に冷や汗を流している。

「ビクトリノ、おやり!」
「あいよ姐さん。短い間ですがお世話になりました!」

 魔女メルセデスの掛け声とともに、破邪スキル持ちの聖者ビクトリノがネオングリーンの魔力を全身に漲らせた。
 地下室いっぱいに、深い森の中にいるような、森林浴さながらの芳香が溢れる。かつてルシウス少年が放ったのと同じ聖者の芳香だ。

 そして長い棒の先で彼女の心臓を突いた。
 さほど強い力ではなかった。トン、と軽い音が立っただけだったが、それでもメルセデスは床に倒れ込んだ。

 その身体の端から宙に溶けるように少しずつ少しずつ消えていく。
 マーゴットたちは聖者に打たれて倒れたメルセデスに駆け寄った。

「う、嘘……嘘だって言ってください、何でこんなことを……!」
「泣くのは後にして。包丁を貸してくれる?」
「は、はい!」

 学生時代、アケロニア王国の留学中に作った皮革のナイフ入れを、マーゴットはドレスの上から肩に掛けて提げ持参していた。
 慌てるあまり震える指先で蓋を開けて、中から女勇者伝来の聖なる魚切り包丁を取り出して、本来の持ち主である彼女の手に握らせた。

「責任というなら、勇者でカレイドの王妃だったあたしが取りますよ。……はは、500年ずっと生きて魔力を貯めてきたのはこのときのためだったのかも」

 やがて、メルセデスの身体はすべて消え、後には腰回りに輝いていたはずのリンクと彼女が身に付けていた衣服や装飾品、そして魚切り包丁が床に残った。

「り、リンクが」

 一同の見ている目の前で、本体の無くなった光の円環、リンクが魚切り包丁に吸い込まれていく。

「メルセデス……なんてことだ」

 師匠の魔術師フリーダヤが呆然としている。
 彼はマーゴットたちに夢見の術を使った協力を拒んで以降カレイド王国に姿を見せていなかったが、今回だけはと弟子のメルセデスに懇願されて一緒に神殿で待機していたのだ。

 普段は薄緑の髪と瞳を持ち飄々とした彼にも、さすがに予想外の出来事だったらしい。

「ははは……今後何十年もかけて女王が行うはずだった鎮魂を、一瞬で解決していっちゃったね」

 だが気を取り直すと、残った遺品をまとめ、魚切り包丁をマーゴットに返してこう言った。

「マーゴット女王。我が一番弟子の魂の入った聖剣だ。大事にしてほしい」

 それだけ言って、遺品を抱えて気落ちして帰っていった。

 後にこの女勇者メルセデスの聖剣、魚切り包丁が新たな勇者の手に渡るのは20年以上先のことになる。



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