102 / 129
現実まであと一段階
姉はさらに暗躍するらしい
しおりを挟む
特にマーゴットやリースト伯爵家の兄弟、グレイシア王女を説得する必要もなかった。
「新人の調理師さんが料理の練習をしてるんだって。お昼代わりに試食してもらえたら嬉しいそうだよ」
そうして調理師用の白衣に三角巾、マスクで顔を隠した神人ジューアが持ってきたのは、小麦粉の皮で包まれたサーモンパイだった。
ただし、大地震の前にリースト伯爵家で食べたようなバター入りのパイ生地ではなく、塩と水で練った小麦粉を伸ばして鮭を包んだだけのもの。
その鮭も特に味付けなどはされておらず、身だけがそのまま分厚く、どん、と詰まっている。
(これがあの美味しいサーモンパイのオリジンなんだよね……今の時代の子たちの口には合わないだろうな……)
とカーナが心配していると。
「んー……おいしくない! でもなつかしい気がする」
ルシウス少年は素直だった。
「不味いというより、味がないね。ほらルシウス、マヨネーズと塩を足したら美味しく食べられるよ?」
「兄さんとおなじ食べかた、僕もするー!」
「ははは、食堂の新入りのおばちゃんの故郷の料理らしいよ。美味しくないけど全部食べてあげて。ははは……」
カーナの後ろでぽそっとジューアが呟いている。
「懐かしいわけないわ。あの子が封印されたのはまだ乳飲み子の頃だったもの。まだ母様のお乳しか飲んでなくて離乳食だって食べてなかったのに」
おいしくないと言いながらも、あれこれ調味料で味変しながら一同が試食ランチを楽しんでいるのを横目に、カーナはジューアにコーヒーを入れさせて一息ついてる振りで厨房のカウンターで雑談していた。
「ジューア、あのサーモンパイにどんな祝福を?」
「私の魔力を込めたから、魔力の質と量が向上するわ。あとは出世運の祝福。あの子たち、大物になるわよ~」
「……最初に君がかけた呪いはどうなる?」
「祝福で上書きしたから多少マシになるでしょ」
ジューアは自信たっぷりだったが、何にせよ不安しかない。
「マーゴットから夢見を解いて現実に戻ると8年後になると聞いたんだけど。君は他に知ってることは?」
「そりゃあるわよ。お前はよくわからないけど子供になってる。ああいう現象は私も初めて見るからよくわからない」
通常のハイヒューマンなら傷ついて弱っても、回復すると筋肉の超回復のようにより強くなる。
だが神人に進化した存在の場合、肉体に派手な損傷や消耗を経験することは滅多にないし、その前に世界に飽きて自ら消滅するか別の世界へ移動するかなので事例はなかった。
「子供になったお前を強引に永遠の国に連れ帰ろうとして、私はカレイド王国に出禁になってしまったわ。正直、私はカレイド王国へもあのマーゴット女王へも印象が悪くなった」
「君はカレイド王国の魔に対して何か助けてはやらなかったのか?」
「やるわけないわよ、頼まれてないもの」
「これだよ……」
もっとも、頼んだからといって動くとも限らないのが神人ジューアだ。相当に捻くれた性格をしている。
そもそも人嫌いのハイヒューマンだし、カーナがなかなか帰ってこないのを連れ戻しに来ただけの女である。
「せめて、現実に戻ったらマーゴットたちに魔封じの魔導具を作ってやってくれないか。必要な素材や費用は、カレイド王国守護者の俺が支払う」
「あら。カレイド王家には建国祝いのとき下賜したわよ。メビウスの輪を模した魔法樹脂の腕輪よ。特に但し書きは付けなかったから、宝飾品として宝物庫に埋もれてるんじゃないかしら?」
まさかの灯台下暗し。
「ならマーゴットにダイアン国王に手紙を書かせて、メイ王妃に魔封じを装着させて……ダメか、今でさえ王妃を放置してる男だ、魔封じを廃棄や破壊しかねない」
「面倒くさいわね。邪が世界の癌なら、魔は世界の腐敗源。早いとこ処置しないと手遅れになるわよ」
ジューアは湖面の水色と呼ばれる、ほんのり緑がかった薄い水色の瞳で、胡散臭げにカーナを見た。
「お前、夢の中だとその辺の能無しの人間どもみたいね。永遠の国でハイヒューマンの長老として悠々と微笑んでる姿しか知らない連中が見たら、驚くんじゃないの?」
「そんなに違う?」
「後ろから蹴り飛ばしたくなるぐらいには、トロいわよ」
ジューアの場合は本当に蹴り飛ばしかねない。しかも魔法剣士でもあるから、魔法剣まで飛んでくる可能性もある。
あれこれ話していたら、テーブルのほうではサーモンパイを食べ終えて、マーゴットとグレイシア王女は王宮に戻ると言い出している。
午後は確か、この国の先王との謁見が控えているのだった。
「君はもう現実に戻るのかい?」
「その前にあの子たちの家に潜入してくるわ。知ってた? リースト伯爵家って使用人たちまで自分の一族で固めてるのよ。私ひとりが混ざっても違和感ないと思わない?」
兄弟のリースト伯爵家の一族は、青銀の髪と薄い水色の瞳を持った、とても麗しい容貌の持ち主として知られている。
血筋の中に同じ容貌になる因子を代々受け継いでいて、個体ごとの体型や性別は違っても基本の顔立ちや髪色、目の色はほぼ同じだった。
確かにその中になら、祖先のジューアが混ざっても誰も一族であることを疑わないだろう。
それで現実に戻った後でも、すんなり8年後のルシウス少年や兄のカイルたちの家に馴染めるよう工作するのだそうだ。
「ジューア……潜入などと言ってないで、正体を明かして堂々と当主に挨拶してくればいいじゃないか」
「嫌よ。いくら子孫たちとはいえ、私が神人だと知ってお前みたいに利用でもされたらどうしてくれるの? 私はお前みたいに甘くも優柔不断でもないのよ」
気に食わないことをされたら、例え己の子孫でも簡単に命を奪うだろう。この神人ジューアはそういう性格をしている。
「素直にルシウス君の側にいたいだけって言えばいいのに」
「うるさい」
これがカーナが夢の中でジューアに会った最後の出来事だった。
「新人の調理師さんが料理の練習をしてるんだって。お昼代わりに試食してもらえたら嬉しいそうだよ」
そうして調理師用の白衣に三角巾、マスクで顔を隠した神人ジューアが持ってきたのは、小麦粉の皮で包まれたサーモンパイだった。
ただし、大地震の前にリースト伯爵家で食べたようなバター入りのパイ生地ではなく、塩と水で練った小麦粉を伸ばして鮭を包んだだけのもの。
その鮭も特に味付けなどはされておらず、身だけがそのまま分厚く、どん、と詰まっている。
(これがあの美味しいサーモンパイのオリジンなんだよね……今の時代の子たちの口には合わないだろうな……)
とカーナが心配していると。
「んー……おいしくない! でもなつかしい気がする」
ルシウス少年は素直だった。
「不味いというより、味がないね。ほらルシウス、マヨネーズと塩を足したら美味しく食べられるよ?」
「兄さんとおなじ食べかた、僕もするー!」
「ははは、食堂の新入りのおばちゃんの故郷の料理らしいよ。美味しくないけど全部食べてあげて。ははは……」
カーナの後ろでぽそっとジューアが呟いている。
「懐かしいわけないわ。あの子が封印されたのはまだ乳飲み子の頃だったもの。まだ母様のお乳しか飲んでなくて離乳食だって食べてなかったのに」
おいしくないと言いながらも、あれこれ調味料で味変しながら一同が試食ランチを楽しんでいるのを横目に、カーナはジューアにコーヒーを入れさせて一息ついてる振りで厨房のカウンターで雑談していた。
「ジューア、あのサーモンパイにどんな祝福を?」
「私の魔力を込めたから、魔力の質と量が向上するわ。あとは出世運の祝福。あの子たち、大物になるわよ~」
「……最初に君がかけた呪いはどうなる?」
「祝福で上書きしたから多少マシになるでしょ」
ジューアは自信たっぷりだったが、何にせよ不安しかない。
「マーゴットから夢見を解いて現実に戻ると8年後になると聞いたんだけど。君は他に知ってることは?」
「そりゃあるわよ。お前はよくわからないけど子供になってる。ああいう現象は私も初めて見るからよくわからない」
通常のハイヒューマンなら傷ついて弱っても、回復すると筋肉の超回復のようにより強くなる。
だが神人に進化した存在の場合、肉体に派手な損傷や消耗を経験することは滅多にないし、その前に世界に飽きて自ら消滅するか別の世界へ移動するかなので事例はなかった。
「子供になったお前を強引に永遠の国に連れ帰ろうとして、私はカレイド王国に出禁になってしまったわ。正直、私はカレイド王国へもあのマーゴット女王へも印象が悪くなった」
「君はカレイド王国の魔に対して何か助けてはやらなかったのか?」
「やるわけないわよ、頼まれてないもの」
「これだよ……」
もっとも、頼んだからといって動くとも限らないのが神人ジューアだ。相当に捻くれた性格をしている。
そもそも人嫌いのハイヒューマンだし、カーナがなかなか帰ってこないのを連れ戻しに来ただけの女である。
「せめて、現実に戻ったらマーゴットたちに魔封じの魔導具を作ってやってくれないか。必要な素材や費用は、カレイド王国守護者の俺が支払う」
「あら。カレイド王家には建国祝いのとき下賜したわよ。メビウスの輪を模した魔法樹脂の腕輪よ。特に但し書きは付けなかったから、宝飾品として宝物庫に埋もれてるんじゃないかしら?」
まさかの灯台下暗し。
「ならマーゴットにダイアン国王に手紙を書かせて、メイ王妃に魔封じを装着させて……ダメか、今でさえ王妃を放置してる男だ、魔封じを廃棄や破壊しかねない」
「面倒くさいわね。邪が世界の癌なら、魔は世界の腐敗源。早いとこ処置しないと手遅れになるわよ」
ジューアは湖面の水色と呼ばれる、ほんのり緑がかった薄い水色の瞳で、胡散臭げにカーナを見た。
「お前、夢の中だとその辺の能無しの人間どもみたいね。永遠の国でハイヒューマンの長老として悠々と微笑んでる姿しか知らない連中が見たら、驚くんじゃないの?」
「そんなに違う?」
「後ろから蹴り飛ばしたくなるぐらいには、トロいわよ」
ジューアの場合は本当に蹴り飛ばしかねない。しかも魔法剣士でもあるから、魔法剣まで飛んでくる可能性もある。
あれこれ話していたら、テーブルのほうではサーモンパイを食べ終えて、マーゴットとグレイシア王女は王宮に戻ると言い出している。
午後は確か、この国の先王との謁見が控えているのだった。
「君はもう現実に戻るのかい?」
「その前にあの子たちの家に潜入してくるわ。知ってた? リースト伯爵家って使用人たちまで自分の一族で固めてるのよ。私ひとりが混ざっても違和感ないと思わない?」
兄弟のリースト伯爵家の一族は、青銀の髪と薄い水色の瞳を持った、とても麗しい容貌の持ち主として知られている。
血筋の中に同じ容貌になる因子を代々受け継いでいて、個体ごとの体型や性別は違っても基本の顔立ちや髪色、目の色はほぼ同じだった。
確かにその中になら、祖先のジューアが混ざっても誰も一族であることを疑わないだろう。
それで現実に戻った後でも、すんなり8年後のルシウス少年や兄のカイルたちの家に馴染めるよう工作するのだそうだ。
「ジューア……潜入などと言ってないで、正体を明かして堂々と当主に挨拶してくればいいじゃないか」
「嫌よ。いくら子孫たちとはいえ、私が神人だと知ってお前みたいに利用でもされたらどうしてくれるの? 私はお前みたいに甘くも優柔不断でもないのよ」
気に食わないことをされたら、例え己の子孫でも簡単に命を奪うだろう。この神人ジューアはそういう性格をしている。
「素直にルシウス君の側にいたいだけって言えばいいのに」
「うるさい」
これがカーナが夢の中でジューアに会った最後の出来事だった。
13
お気に入りに追加
1,646
あなたにおすすめの小説
【完結】本当の悪役令嬢とは
仲村 嘉高
恋愛
転生者である『ヒロイン』は知らなかった。
甘やかされて育った第二王子は気付かなかった。
『ヒロイン』である男爵令嬢のとりまきで、第二王子の側近でもある騎士団長子息も、魔法師協会会長の孫も、大商会の跡取りも、伯爵令息も
公爵家の本気というものを。
※HOT最高1位!ありがとうございます!
【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない
曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが──
「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」
戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。
そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……?
──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。
★小説家になろうさまでも公開中
【完結】身代わり令嬢の華麗なる復讐
仲村 嘉高
恋愛
「お前を愛する事は無い」
婚約者としての初顔合わせで、フェデリーカ・ティツィアーノは開口一番にそう告げられた。
相手は侯爵家令息であり、フェデリーカは伯爵家令嬢である。
この場で異を唱える事など出来ようか。
無言のフェデリーカを見て了承と受け取ったのか、婚約者のスティーグ・ベッラノーヴァは満足気に笑い、立ち去った。
「一応政略結婚だけど、断れない程じゃないのよね」
フェデリーカが首を傾げ、愚かな婚約者を眺める。
「せっかくなので、慰謝料たんまり貰いましょうか」
とてもとても美しい笑みを浮かべた。
あなたを忘れる魔法があれば
七瀬美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。
ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。
私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――?
これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような??
R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます
婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。
踏み台令嬢はへこたれない
三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる