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  * * *


『円環大陸共通暦八〇六年二月四日、アイシャ
 先月、一際大きな魔物の侵攻を防いだとき、私は国から多額の報奨金が与えられることになった。
 クーツ王太子殿下はいつものように横取りするつもりだったと思う……
 だから私はそれを見越して、報奨金は自分の故郷の村や国内の救貧院に均等に配分して欲しいと国王陛下に願いました。陛下は王の名と責任において請け負ったと確約してくださいました。
 ああ、良かった。これでようやく気になっていた故郷や貧しい人々に手を回してもらえる。
 このようにすれば、報奨金は王太子殿下の手には入らない。下手に手を付ければとがめられるのは殿下だ。
 ……これが、殿下が己の行いを改めるきっかけになればと私は思っていました。少なくとも、今回は報奨金を強奪するという罪だけは犯させずに済んだ。
 けれど、私がその後、理不尽な言いがかりで婚約破棄され追放されたきっかけは、この出来事の逆恨みなのだと思う。
 せっかく大金が手に入る機会をふいにした私を、殿下は許せなかったのだろう』

 新たに投稿された聖女投稿の記事を元に、教会は元王太子クーツと取り巻きたちを横領の罪で告発した。
 その頃には既にクーツ王子はアルター国王から、私財を使っての聖女への賠償を命じられている。
 取り巻きたちも同様の賠償命令を受けている。それぞれが高位貴族の子息たちだったが、長男であれば跡継ぎの座を外され、次男以降の者は親戚の下位貴族の家に養子に出された。
 元王太子クーツの取り巻きたちは誰ひとり残らなかったという。

「あの平民にこの私が賠償金を支払えだと!? 父上は何を馬鹿なことをおっしゃるのか!」
「で、殿下! そもそも金額が莫大過ぎて、殿下の資産では足りませぬ。毎年の王子への予算を足しても焼石に水にしか……」
「無視しろ。あの偽物に払う金などない!」

 そんな王太子と補佐官のやり取りを、当然ながら王城内で周囲は見ている。
 そして当たり前のように国王と王妃に報告が上がった。

「あやつはもはやこれまでか。王妃よ、覚悟しておく必要がありそうだぞ」
「陛下。ですが下の王子はまだ幼く、とても王太子の任が務まるとは……」

 既に元王太子クーツは両親にも見限られていた。


 それまで、新聞記事『聖女投稿』の内容により新聞を読んだ貴族・平民問わず、国民の批判はすべて王太子中心に向けられていた。
 だが、新たな聖女投稿にはそれまで特に言及されていなかった聖女アイシャの周辺についてが語られていく。
 まずは教会関係者だった。

『円環大陸共通暦八〇六年二月七日、アイシャ
 クーツ王太子殿下との婚約が決まってから、私には教会から聖騎士様が護衛として付けられることになりました。名前は呼ばれたくないと言われたので、私は聖騎士様とお呼びしていました。
 聖騎士様は五男とはいえ伯爵家の出身で貴族。
 口に出すことはしなかったけど、平民出身の聖女の私を見下していたのは間違いない……』

 聖女はその特性として、人の心を察することに長けている。
 言葉や態度に出されなくとも、相手の思惑を察することは得意なのだ。

さげすむ相手の側に護衛として居続けるのは辛いことだろうなと私も思ったのだけど。教会から優秀な人物だからと推薦された手前、私からは断れなかった。
 彼には気の毒なことをしてしまったのかもしれない』
『聖騎士様は、王太子殿下たちが私にひどい仕打ちをしていたことにちゃんと気づいていたみたい。
 でも彼は我関せずを貫いていた。
 あるとき、私は王太子殿下や公爵令嬢のドロテア様から罵倒され、手を上げられたことがあったの。
 そのとき私は咄嗟に、背後にいた聖騎士を見た。確かに聖騎士様とは目が合った。
 でも彼はすぐに視線を逸らし、何事もなかったかのように沈黙を保っていた……
 教会から私を守るために派遣された人だと思ってました。聖騎士とは聖女の自分を守護し、身の危険から守ってくれる者なのだとばかり思ってました。
 だけど聖騎士様は何もしなかった。
 聖騎士様がクーツ王太子殿下たちから、自分たちと一緒に私をしいたげる側になれと誘われているところを何度か見たことがあります。さすがに聖騎士様はそんなそそのかしには乗らなかったようです。
 でも……では彼はいったい何のために聖騎士として私の側に居続けたのだろう?
 ただ毎日毎日、ずっと同じ部屋にいて立っていただけ。王太子殿下たちが私の私物を持ち出すところだって見ていたのに、何も言わないのだもの。
 私には聖騎士様が何を考えていたのか、それがいまだにわからない』

 新たな聖女投稿が発表されるなり、カーナ王国の教会は即座に動いた。
 教会は実態調査の上で、聖女投稿の内容が事実だと確認し、該当の人物から聖騎士の称号を剥奪、教会から追放とした。また、元聖騎士の実家の伯爵家には批判が殺到し困難な立場に陥ることになる。元聖騎士は実家からも除籍の上、追放された。


「どうしてこんなことに……」

 王都や地方の視察に向かう聖女の護衛役だった元聖騎士は、顔が国民に広く知られていた。彼が聖騎士の称号を剥奪され、教会からも実家の伯爵家からも追放されたことは、即座に知れ渡った。
 情けで、それまでの給金だけは取り上げられることもなく持ち出せたが、それだけだ。
 男が築き上げてきた地位も名誉も、将来約束されていたはずの教会での役職の可能性もすべて失ってしまった。
 その上、国民に周知されている顔だ。どこに行っても侮蔑されることは間違いない。
 王都を出るため外壁の門への道を歩く元聖騎士に、石が投げられる。

「聖女様をおとしめた悪魔め! 何が聖騎士だ、貴様にそんな資格は元からなかったんだ!」
「やめろ……やめてくれ……!」

 次々投げつけられる石が、急に止まった。

「あなたたち、おやめなさいよ」
「お前は……」

 買い物帰りとおぼしき、身体つきのがっしりした老婆が食料品の入ったバスケットをげて、男を見つめていた。
 王城でたまに見かけていた下女だ。よく聖女アイシャと世間話をしていたのを男は知っていた。

「何だというのだ。私に恩を売ろうとでもいうのか?」
「いいえ、そんなことはしやしません。……あなたたちも、石はもう投げちゃいけません。聖女様が知ったら悲しまれますからね」

 老婆は石を幾つも抱えていた民たちに向けて、声を張り上げた。
 するとバツが悪そうにひとり、またひとりと石を捨てて去っていった。

「お辛いですか、聖騎士様」
「私はもう聖騎士ではない……」

 その称号は剥奪されてしまった。

「ええ、でも聖騎士様とお呼びさせていただきます。聖女様がそう呼ばれていたので」

 下女マルタは彼の名前を知らない。
 彼自身が平民の聖女アイシャに名を呼ばれることを嫌がって〝聖騎士様〟と呼ばせていたからだ。

「……今は落ちぶれた、ただの平民男だ。いくらでも笑えばいい」
「笑いやしません。あたしはお城の趣味の悪い方々と違って、人を馬鹿にして笑うなんていけませんって、子供の頃から教会で教えられてましたからね」
「………………」

 男は黙って下女の言葉を聞いていた。
 投げられた石の当たったこめかみが痛い。指先で触ると傷ができたようで、滑る血が付いてきた。
 下女がハンカチをスカートの上のエプロンのポケットから取り出した。そっと男のその傷に当て、男の手を取って押さえさせた。
 庶民の使う柄物生地のハンカチからはハーブの良い香りがした。

「聖騎士様ならあたしなんかより、もっと良いことを沢山学んで来られたでしょうに。間違った行いをなさいましたね」

 それだけ言って、下女はきびすを返して王城への道へ去っていった。

「間違った、行い……」

 男の脳裏に、聖女アイシャと出会ってから直近、最後に会ったときまでの己の言動が通り過ぎていく。
 自分の彼女への行いは、教会の教え、いいや人の在り方としてどうだったろうか。

「だって……彼女は平民ではないか。それも貧しい村娘だ。せめて下級貴族の娘であったなら、私だって……」

 その男の呟きを、先ほど石を投げつけていた少年の一人が、去らずに建物の影に隠れて聞いていた。
 少年は家に帰って、家族に元聖騎士の呟きを憤懣ふんまんやるかたないといったように語ってみせた。
 少年の父親は翌日、職場の同僚たちに聞いた話を教えた。
 人の口伝えに広がった話は、当日中には新聞社まで届き、翌朝の朝刊の『聖女投稿』補足として掲載された。
 もはや、この国に元聖騎士の男の居場所はどこにもなくなってしまうのだった。
 まさに自業自得としか言いようがない。


  * * *


『円環大陸共通暦八〇六年二月七日、アイシャ
 聖女として王城に部屋を貰えることになった私には、ひとり侍女が付いた。彼女も子爵家出身の貴族令嬢だった。彼女からは始終、「なぜ自分が平民の世話などしなければならないのか」と文句を言われ続けていた……
 王城にいる人々すべてが、王太子殿下や侍女の彼女みたいな人間でないことは、もちろんわかってる。でも聖女の役目を果たすのに支障を来すような行動を仕掛けられるのだけは、本当に参ってしまった。
 私は何度も、自分に対する彼らの行為を国王陛下と王妃様に訴えて、改善してもらうよう働きかけていた。でも、陛下たちへの謁見申請の手紙をすべて握りつぶしていたのが、この侍女だったのだ。
 彼女も、クーツ王太子殿下が私をしいたげていたことはもちろん知っている。だって殿下は彼女が部屋にいてもかまわず私に罵詈雑言を吐いていたし、時には殴りつけてきたし、持ち物を盗んでいったのだもの。
 そんな感じだったから、侍女も、平民と馬鹿にしていた私ではなく、王太子殿下におもねって、それがますます殿下の愚行を助長させた』

「ま、まだ続くのか、『聖女投稿』は……!」

 朝一で確保した朝刊には、また聖女投稿の記事が掲載されている。
 既に聖女投稿はその反響の凄まじさにこたえる形で、カーナ王国新聞の連載記事となっていた。
 アルター国王は、毎朝恐る恐る誌面に目を通す。自分が出兵している間に王太子だった息子が犯した愚行の後始末に、国王は宰相とともに追われていた。
 聖女アイシャはどうやら元王太子クーツに王城を追放された後、すぐ国外に出ることはせず、まだ国内のどこかに潜伏して聖女投稿の元になる走り書きを作成したらしい。新聞社に代理投稿した人物は、彼女は自分の走り書きが新聞投稿されていることを知らないと伝えている。
 そして、現在まで聖女アイシャの所在も状況も不明なままなのだった。
 そう。聖女投稿はまだ続いている。
 聖女アイシャが書いた日付を見ると、追放された翌日から現在まで不連続に書き続けていることがわかる。
 内容は、彼女自身が受けた仕打ちに対する気持ちの整理をつけるため、という名目だった。


 最新の聖女投稿に書かれていた該当の子爵家出身の侍女もすぐに判明し、王城の侍女を即日、懲戒解雇されることになる。
 実家である子爵家に戻されたが、その日から子爵家の邸宅には昼夜を問わずゴミなど汚物が投げ込まれた。また、商人たちは子爵家に新鮮な食材を配達することを拒否するようになった。

「聖女様にゴミを食わせてたような家の奴らには、何もおろしたくないね!」

 商会や商店は皆そう言って、買い出しに出てきた使用人も子爵家の人間だと判明するとののしって追い返した。
 あまりの現状に、侍女の母親だった子爵夫人は離縁してひとり実家に逃げ帰ったという。
 結果的にそれから数ヶ月という短期間で、子爵家は離散した。


  * * *


「今日もカズンのご飯は美味しいわね!」

 宿屋を兼ねた古書店の食堂で、今日もアイシャは美味しく食事をいただいていた。
 今日の朝食は、チキン入りの野菜スープと、コーン入りのライスボールを平たく丸く握って表面を軽くあぶったものが幾つか。ライスボールはカズンが故郷で好んで食べていた料理ということだ。パンとはまた違った甘みと食感の、優しい味の主食だった。

「お袋が食材、色々送ってくれてるからさ。遠慮なく食べて、アイシャ」
「下女でも王城勤めだと貰い物が沢山あるらしいな。蜂蜜とジャムがあるから、午後はスコーンでも焼こう」
「アイシャの好きなレモンアイシングをかけたやつもいいね」

 ここは建物は古びているが、中は店主のトオンが毎日掃除してメインテナンスもしているから快適だ。
 まだアイシャは外に出る気にはなれなかったから、部屋で紙に自分の気持ちを書き出すのに飽きると、一階の古書店に降りて興味のある古本を眺めたりもする。
 厨房のほうから美味しい匂いが漂ってきたら、ご飯やおやつの時間である。トオンもアイシャも集まって、カズンが作るまかないを堪能する。

「嬉しい……嬉しいわ、ここにいると美味しいものばかりで私、太ってしまいそう!」
「アイシャは太らないとダメだよ」

 王城で悪意ある侍女に食事を台無しにされることが多く、満足な食事も取れなかったアイシャの身体は、鶏ガラのように肉がなかった。
 この宿に泊まって毎日しっかり無理のない範囲で食事を取るようになってからは、血の気のなかった頬にも赤みが差すようになっている。しかし、まだ数日。肉付きが良くなるには、まだまだ時間が必要だろう。

「美味しかったあ。ありがとう、カズン、トオン」
「もういいのかい? まだスープもライスボールもお代わりあるよ?」
「ううん。お腹いっぱい食べてはダメなのよ。たくさん食事があっても、どれだけお腹が減ってても必ず満腹するまで食べてはいけないの。聖女の力がにぶってしまうからね」

 満腹するまで食べてないとはいえ、アイシャの胃の辺りはぽっこりと膨れている。

「……君は追放までされてしまったのに、まだ聖女でいてくれるんだね」
「うん……魔物の大侵攻スタンピードはもう防いだから、次が来る百年後まで平気なの。でもこの世界から魔物や魔獣が消えてなくなるわけじゃないでしょ? まだ王都やこの国に聖女の魔力で結界を張ったままなの」

 この国の聖女の仕事は、第一に魔物と戦い滅すること。
 第二に、特有の聖なる魔力を使って結界術を発動させ、対象を守護すること。カーナ王国の聖女であるアイシャの守護対象は国土そのものだ。そして国の象徴たる国王が座す王都には特に念入りに堅固な結界をいている。

「王太子殿下に偽聖女って言われて断罪されてるし、もう聖女の役目を放棄してもいいかなって思ったんだけど……」

 その結果どうなるかを考えると、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまう。

「結界を解いたからといって、すぐ魔物がやってくるわけじゃないだろう?」

 食後の白湯さゆの入ったカップをカズンが差し出してくる。

「ふつう、どの国も魔物や魔獣の脅威に対しては、騎士団が対処するのが慣例なんだ。それをたった一人の聖女に負担させるなど、正気の沙汰とは思えない」
「この国、騎士団はあるけど聖女様頼りなところあるよね」
「精鋭揃いではあるのよ。この国は建国からずっと魔物の被害と戦ってきた国だから。……でも、私への負担が大きかったことは事実ね」

 食堂に漂う空気が重苦しくなっていく。

「結界を解いたら……王城より先に、城下町の人たちに被害が出るわ。でも、もう私の手元には聖女の魔力を助けてくれるアミュレットもないし、あのまま王城にいても国土全体に広げる結界はそのうち維持できなくなってたと思うの」
「……アイシャ」

 力があるなら、適切に使うべきだ。だが、聖女の力をぎにいだことの結果は、やはり彼女を追放した者たちが負うべきではないだろうか。
 トオンがそう伝えると、アイシャはどこか陰のある笑顔で、ありがとう、と短く言って二階の部屋に戻っていった。

「……何か、俺にできることがあればいいんだけど」
「やってるじゃないか。『聖女投稿』。もう城下はその話題で持ちきりだぞ?」

 何か具体的に、彼女を心から笑顔にできる方法があればいいのにと、トオンは内心溜め息をついていた。


『円環大陸共通暦八〇六年二月八日、アイシャ
 今日、お世話になっている人と話をした。
 まだ聖女でいてくれるんだね、って言ってくれたの。
 私は少し考えちゃった。
 私が聖女なのは変わらない。いつか何かが起こってステータスから称号が消えることがあるかもしれないけれど、それまでは私は聖女のまんまだ。
 それにしても、私を追放した後、王太子殿下は王都や国への結界をどうするつもりだったんだろう?
 お前なんか偽物だと言われて追放された私には、もう結界を張り巡らせる義務も何もないのだと気づいて、ちょっと震えが走った。
 そうか。今すぐ結界を解いても、その責任は私じゃなくて殿下たちが負うことになるんだなと気づいたの。
 復讐。復讐になる。
 ……ああ、いけない。復讐は神がお許しにならない。私は彼らを頑張って許さねばならないのだ。
 でも許すことと、結界を張り続けることは無関係かな?』

 この聖女投稿が掲載された日から、国王も国民たちも言いようのない恐怖を抱えて毎日を過ごすことになる。
 聖女アイシャが国土守護の結界を解けば、魔物や魔獣を防げなくなる。天候が安定しなくなり、作物や酪農などにも影響が出る。
 教会には聖女アイシャの慈悲を乞う民衆が詰め掛けるようになった。

『円環大陸共通暦八〇六年二月八日、アイシャ
 貰った裏紙にあれこれ書いてはきたけど、まだまだ自分の中が整理しきれない。追加でまた紙をたくさん貰ってきた。
 A(仮名。以下同)やB(仮名。以下同)にも色々慰めてもらったけど、やはりとても辛かったんだ、私。
 私が教会から学んだ教えでは、こんなふうに人におとしめられたときは、自分を苦しめた者たちを許さなきゃいけないという。先日聞いた神の声も、恨まず許せと言っていた……
 でもね、わからないの。
 私をこんなにも辛い苦境に追い込んだクーツ王太子殿下たちを、どうやったら恨まずにいられるんだろう。許すって、どうやってやればいいの?』
『わからない……わからない……
 このままだと私、彼らを呪ってしまうと思う。
 AやBと話していても、美味しいものを食べていても、ちょっと油断するとすぐ自分の中から暗く重苦しいものが吹き出してこようとするのがわかる。
 でも、だからこそBは「書き続けたほうがいい」って助言をくれた。
 辛いなら書くだけでいい、見返したり書き直したりなんかしなくていいから、続けたらいいよって。
 まだまだ私の中には感情が荒れ狂い続けている……
 私は聖女なのに。許せないものなんてあってはならないはずなのに。ああ』

 今回の聖女投稿の元原稿となる手紙は掲載されなかった。新聞社にも送付されてこなかったようだ。聖女アイシャの現在につながる人名が記載されているためだろうと思われる。
 それでも新たな聖女投稿に、国民は誰もが涙した。
 これほど侮辱され過酷な目に遭いながらも、聖女アイシャが自分をおとしめた者たちを許そうとしているからだ。
 その行為こそが、彼女が聖女である間違いのない証拠であると、誰もがわかっていた。


 ショッキングな内容の『聖女投稿』が掲載された新聞は、商人たちによって他国にも伝わっている。
 他者への呪詛を放ちたい衝動を必死に抑えている、聖女の胸の内の告白が記載された今回の聖女投稿に、他国の教会関係者たちが疑問を呈した。
 明らかな悪意を持って聖女を苦しめた王太子たちのような者の罪でさえ、ただ『恨まず許せ』としか考えさせない教育は、明らかに歪んでいる。
 過ちを犯さない人間はいない。過ちを犯した者に対する教会としての教えは、実は様々だ。
 一口に教会といっても、広い円環大陸ですべての教義が厳密に統一されているわけではない。文化や国民性の違いといった地域特性は考慮されている。
 けれど基本となる正しい教会の教えでは、このような出来事に対する答えは『過ちを正させた上で反省させ、同じことを繰り返さぬよう導け』だ。
 聖女アイシャが聞く神の声も『恨まず許せ』などと言っているという。
 何かがおかしい。通常、神の声とも呼ばれる天啓はあくまで直観のようなものであって、言葉で何かを伝えることはない。
 聖女アイシャが間違いなく聖なる人、〝聖女〟であることは、彼女の業績が証明している。
 その上でカーナ王国は、聖女の条件証明として三つの条件を挙げている。
 聖女アイシャは当然、すべての条件を満たしている。


 聖女の三つの条件
 一.邪悪な魔物を退しりぞける聖なる魔力を持ち、使えること
 二.人物鑑定で確認できるステータスに、聖女であること、聖なる魔力を持つこと、どのような術が使えるかなど明記されていること
 三.神の声が聞こえること


「この『三.神の声が聞こえること』がおかしいんだ。この国以外の聖者や聖女に、この条件を持っている者はいないからな。そもそも聖なる魔力持ちに条件を付けること自体が、おかしい」

 古書店内の椅子に座りながら、宿泊客である黒髪黒目の青年カズンはそう言った。
 今回、魔術師カズンがカーナ王国へやってきたのは、師匠筋の仲間のひとりが教会関係者で、彼から実態調査を依頼されてのものである。
 店主のトオンは精算所の机に頬杖をつきながら、カズンの話を聞いていた。彼はただの料理好きの格好いいお兄さんではなかったのだ。

「そっか、魔術師だっていうから何しに来たんだと思ってたけど、君の目的はそういうことだったんだね」
「まさか、調査対象の聖女本人が、国の王太子から追放されてくるとは思わなかったけどな」

 追放される前も、本人を見れば相当に王城でしいたげられていたことがわかるありさま。
 まだ十六歳の少女なのに、手足はせ細り胸や尻にも肉が薄い。黒髪も手入れすればつやが出て美しいだろうに、自分で切ったかのような無造作なオカッパヘアーで、毛先も乾燥してパサパサだ。
 トオンの懐には今日、外に買い出しに出たとき商店街の薬屋で見かけた、ハーブ入りの万能油の小瓶が入っている。顔や手足の乾燥用に使うものだが、シャワーを浴びた後の髪に少量伸ばしてから乾かすと良いつやが出る。
 いつ渡そうかな、喜んでくれるかなとトオンは少しドキドキしている。

「俺はこの国しか知らないから……。他の国だと、聖女様はどんな感じなんだい?」
「まず、国家に属している者はほとんどいない。数が少ないのもあるんだが、大半は一ヶ所に留まってその地域を象徴する存在になるか、旅に出ているな」


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