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第三章 カーナ王国の混迷
聖者ルシウスの致命的うっかり
しおりを挟む聖者ビクトリノから師匠の手紙を受け取っていたルシウスは、それから渋々、空き時間には王都地下の古代生物の化石の調査を行っていた。
「おのれ、フリーダヤ。この規模の調査を私ひとりにさせるなど、人使いが荒すぎる! しかも無銭無給の完全なる持ち出しとは……割に合わぬと言いたいところだが」
聖剣の聖者であるルシウスに、環使いの師匠、魔術師フリーダヤが依頼したものだった。
フリーダヤは円環大陸の中央にある神秘の〝永遠の国〟所属の魔術師だ。その依頼ともなれば、人類の上位種ハイヒューマンからの命令といっても差し支えない。
ルシウスとて今では円環大陸に数少ないハイヒューマンなのだが、育ったのは人間社会なので永遠の国との縁は薄いし興味もあまりない。
ただ、ルシウスに〝無欠〟なる称号を与えたのは永遠の国だし、他のハイヒューマンたちも気まぐれに会いに来ることから無視もできなかった。
「しかも私の姉様まで来るとは。逆らえぬ……世の弟は姉には逆らえぬものだ……この歳で尻などぶっ叩かれたら堪らん……」
ぶつぶつと呟きながらも旧王城内の回廊を歩いていた。
王都地下には、聖女アイシャが浄化したとはいえ、まだ邪悪な古代生物の化石が埋まったままだった。
ルシウスは師匠の魔術師フリーダヤから、これの詳細な調査と処理を命じられていた。
化石は浄化されたが、上にある王都の人々が出す都市の穢れが化石の辺りで溜まりやすい。
この手の穢れは人の住む場所ならどこにでも発生する類のものだ。
通常は土地に染み込んでいけば時間経過とともに浄化されるものなのだが、何にせよ化石が蓋になって自然分解を阻害している。
古代生物への入り口は、旧王城内の庭園にある。
以前は初代聖女エイリーが自分のテリトリーにして、工房の小屋ごと維持していた場所だ。現在はアイシャが管理し、結界を張って他者の出入りができないようにされている。
今回ルシウスは、事前にアイシャと宰相から許可を得た上でやってきていた。
「ふむ……」
ざっと地下の古代生物に意識を向けた。
浄化されているのは間違いない。嫌な感じは何もしない。
「しかし、ここまで巨大な対象をアイシャたちだけで浄化したのか……。まあ揃っていたメンバーが良かったと聞いているしな」
聖女のアイシャを中心に、トオン、カズン、聖者ビクトリノ、そして聖女エイリー。
聖なる魔力持ちが三人。
更に、トオンは聖女エイリーの実の息子で、カズンの出身であるアケロニア王国の王族は先祖に勇者がいることで知られていた。
「本人たちは運が良かったなどと言っていたが。運だけでその面子が揃ったのだから大したものだ。……誰の運かはともかく」
環使いになるとステータスは変動することが多い。
タイミングも良かったのだろうと思う。全員が結果的に環使いになったと聞いているので。
ルシウスはおもむろに、腰回りに環を発動させて、同時に魔力で手の中に魔法樹脂の透明な剣を作った。
次の瞬間には、金剛石ダイヤモンドの聖剣へと変化する。両刃の剣だ。
それはすぐさま、ルシウスの腰の周囲の環に反応してダイヤモンドの上位鉱物アダマンタイトへと変化した。
この世界ではアダマンタイトは究極の浄化作用を持つ鉱物だ。そこに聖者のルシウスの魔力を流せば、どんな魔導具よりも強力な出力で浄化が行なえる。
環に覚醒して良かったことといえば、やはりこの聖剣のアダマンタイト化だろう。
ルシウスの出身、魔法の大家リースト家の数千年来、正確にはハイヒューマンだった祖先から一万年来の悲願を達成した。
あの姉の神人ジューアですら持っていない。
ルシウスのネオンブルーの魔力に聖剣が輝く。そこに究極の浄化光である白光が重なっている。
庭園の中いっぱいに、ルシウスの聖者の芳香が充満する。松の樹木の、ウッディーで重厚な香りだ。
「荒療治だが仕方がない。まあ、別に都市が壊れるまでにはならぬだろう。多分な」
聖剣を庭園の中心部、初代国王と初代聖女の像の根元、台座部分に突き刺す。
ルシウスの聖剣から溢れ出す聖なる魔力が輝きを増す。
「!?」
直後、大地が大きく揺れた。
地震はすぐに収まったが、直後、庭園にはひとりの黒髪の青年の死体が現れる。
「この顔立ちは。……カーナ様と瓜二つ。ならこれが息子殿か」
ぞっとするほど美しい、白い肌の青年だった。
ミスラル銀の輝く鎧を身につけた腹部に大穴が空き、まだ生々しい鮮やかな血を流している。
これが、カーナ王国の王都の地下に何万年、下手すると何十万年単位で埋まり続けた邪悪な古代生物の本体だ。
かつて、竜人族の姫カーナと、魚人族の王子トオンとの間に創られた、父と同じ名を持つ魚人。
伝承にある通り、人の形で生まれたが変態すると山より大きくなったという。
邪悪な性質で、実の母に懸想し、その母を手に入れるため父殺しの罪を犯したはいいものの、カーナ姫の兄に倒されこの地に埋まることとなった。
この辺りの事情は近親間のタブーのある人間界ではあまり知られていない。
カーナ姫は今も永遠の国にいて、亡き夫とこの実の子の冥福を祈っていると言われている。
実際は永遠の国の長老なので、あちこち出歩いて姿を見せているのだが。特に各国の首脳は数年に一度のサミットで必ず会う。
北部の大国カレイド王国では建国を助けて守護者になっているほどで、今の女王とも仲が良いそうだ。
ルシウスは幼い頃に何回か神人カーナに会って遊んでもらった記憶があった。
優美な顔の黒髪と琥珀の瞳の青年、あるいは少女が神人カーナだ。
黄金の蛇体の龍になると人の形に戻ったとき青年に、雌の仔馬サイズの一角獣になるとその後は少女になる。
神人カーナの時代はまだハイヒューマンたちの性別が曖昧で、彼のように男にも女にもなれたり、あるいは両性具有、中性、無性など様々な肉体を持った存在がいたと聞いている。
この亡骸は、青年のほうの神人カーナにそっくりだ。
カーナ姫の息子の亡骸は魔法樹脂に封入してひとまずその辺に置いておいた。
帰りに回収して、神殿で供養してもらおう。
それから地盤沈下しないよう、古代生物があった範囲に空いた地下空間は、即座に魔法樹脂で代替させて埋めていた。
更に補強しておこうと、大量の魔法樹脂を形成するための必要魔力を、環を通じて世界の外の〝虚空〟から調達したのだが。
「あ」
うっかり、虚空への穴を開ける場所を、深く掘りすぎてしまった。
「………………しくじった」
そこからが大変だった。
王城の下、どこまでも深く巨大な穴が広がっていく。
その都度慌てて、地盤沈下しないよう、地盤が緩まないよう、次々と魔法樹脂で補強していくことになる。
そのたびに魔力がどんどん必要になって、更に次元の亀裂の虚空から大量の魔力が溢れ出す。
「ぬおおおおおおお!」
結果、王城の真下にダンジョンが発生してしまった。
それだけではない。
天空から一筋の流れ星のように禍々しい赤い光が、この穴へ真っ直ぐ落ちてきた。
それは一番奥まで落ちるとそこで落ち着いて、一瞬だけルシウスの湖面の水色の瞳と目が合った。気がした。
「……見なかったことにしよう」
入口さえ塞いでおけば、誰にも見つからず、よって危険もない。はずだ。多分。多分!
念入りに魔法樹脂で塞いで、何事もなかったかのようにルシウスは庭園を後にするのだった。
「……む?」
何かを忘れている気がする。
気になって一度庭園に戻った。敷地内をざっと見回してみて、先ほどまであったはずのカーナ姫の息子の亡骸を封入した魔法樹脂の塊が消えていることに気づく。
慌てて探索スキルを発動する。
誰かに王城外に持ち出された様子はない。反応は地下にある。地下だと!?
「ま、まさか……さっきの地下空洞の中に取り込まれてしまった……のか?」
どうやらそのようだ。
「のおお……!」
聖剣の聖者ルシウスの人生に、痛恨のミスが積み上がった瞬間だった。
「あっ、ルシウスさんどこ行ってたの!」
「見つけましたよルシウスさん! さっき地震があって、皆で心配してたんですからね!」
肩を落としながら王城を出ると、正門の脇に留まった馬車からトオンとアイシャが降りて駆け寄ってきた。
「あ、ああ。お前たちは無事だったか?」
「ええ。ルシウスさんのおうちも皆、無事です。馬車で王都を駆けてきたけど、どの地区も棚から物が落ちたぐらいで大きな被害や怪我人はないみたい」
「そ、そうか。なら良かった」
(良くないか。……ううむ、この手の報告は誰にすれば良いのだ?)
ひとまず、オーナーになっているレストラン・サルモーネの様子も気になる。
ついでにアイシャたちと店で夕飯を食べがてら、師匠の魔術師フリーダヤへの報告書内容を考えることにした。
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