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第二章 お師匠様がやってきた

出し惜しみで幸運を逃した男

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 それからご近所さんの女性たちが、ことあるごとにアイシャに様々なアドバイスをしたり、必要な小物などをくれたりするようになった。
 そうされるうちに、アイシャは自分の無月経が大変な問題であることの自覚がようやく出始める。

(そうだわ。私、このままだとトオンと結婚できても、赤ちゃんを産めないんだ)

 正直、結婚も出産もあまり自分に関係のあることのように思えないアイシャだったが、トオンとは今後も一緒にいたいと思っている。
 苦痛しかなかった王城暮らし時代と違って、クーツ元王太子とほとんど同じ顔なのに、トオンと暮らす今は穏やかで安らぐ、とても素敵な時間を過ごしている。
 まさか自分が、男の人といて安心できる日が来るとは思っていなかった。

 クーツ元王太子に、元護衛の聖騎士は特に酷かった。あれは男の中でも最悪の例外だろう。

 魔物や魔獣退治でともに戦った騎士や兵士たちは戦友だ。
 さすがに王城でのような嫌がらせをしてくる者はいなかったが、常に緊張の必要なギリギリの戦場で、戦いの要であるアイシャとロマンスを育もうとする者はいなかった。

 王城にいた頃、王太子の婚約者のアイシャに診察を担当してくれていた医師はいたのだが、変に身体を触ってくる厭な男だったため頼りたくなかった。
 思い出すと、ざわりと胸の辺りが不快感に覆われる。

(辛いこと、苛立つこと、怒りを覚えることは山ほどあった。……また以前みたいに書いておこうかな)

 メモにしたいからと、トオンに廃棄する前のチラシなどの裏紙を貰ってくることにして、書いておくことにした。


『円環大陸共通暦◯◯◯◯年9月◯日』


 さすがにもう、トオンが清書して新聞社に投稿することはないだろうが、久し振りに日付を書いて、何だかとても懐かしくなった。
 あの頃、自分の中にあるものを紙に書くといいとアドバイスをくれたのはカズンだった。
 そしてアイシャは夢中で書き続けていた。

 自分がクーツ元王太子に偽聖女の冤罪で婚約破棄を突きつけられ、王城を追放されてからまだ半年とちょっと。
 たった半年なのに、アイシャの環境はあっという間に変わっていったものだ。



 王太子の婚約者だった頃、アイシャが定期的な診断を受けていた医師は、王都の医師たちの元締めだった。
 他の医師のところへ行くと、あの頃アイシャに嫌がらせのような悪戯をしてきた医師に連絡がいく可能性がある。
 それは嫌だなと思ったので、アイシャは試しに、庶民がよく使う薬師の店を訪ねてみることにした。
 いまアイシャたちが住む南地区にも、いくつかある。
 どこも赤レンガの建物から少し遠かったが、いつも行く孤児院からの帰り道にある店に行ってみることにした。

 これが当たりの薬師で、店は小さいが的確な診断と処方を得られた。
 小太りの老年の薬師で、如何にも自分のポーションにこだわってますという雰囲気。
 処方された専用ポーションを飲むとすぐ調子が良くなった。
 ここでアイシャは初めて、自分の無月経が体調に悪影響を及ぼしていたことを自覚する。

(私、我慢する癖が付いちゃってたみたい)

 だがまたすぐに不調になって、効き目が薄れる。
 無月経の要因が複数あるせいだろうとの薬師の見立てだった。
 行くたびに基本のポーションに加えて、いろいろなアンプルやハーブを処方される。
 調子は良くなったり、悪くなったりの一長一短だった。



 アイシャなりに薬師のもとに通うことには手応えを感じていた。
 ところがこの男の薬師、最初はアイシャの質問に丁寧に答えてくれていたのが、次第に質問を鬱陶しがるような素振りを見せるようになった。
 また、「本当は秘伝のポーションがあるのだが」とチラチラと、もっと良いものがあることを匂わせ始めるようになる。
 アイシャも何となく、もっとこちらに代金を支払わせようという相手の意図がわかったので、下手な言質を取らせぬよう言動には気をつけていた。
 結局、そのようなことが続いたので、その薬師の店の利用は、処方されていたポーションがなくなった時点でやめることにしたアイシャだ。



「それでね、あまり効能を説明してくれないポーションを飲ませようとしてくるようになって。わからないものを飲むのはできませんってハッキリ言ったんだけど、不機嫌になっちゃって」

 夕方、薬師の店からの帰りに、アイシャはミーシャおばさんの実家のパン屋で料理を習っているルシウスを迎えに行った。
 残念ながら少しの差で、ルシウスは赤レンガの建物に戻ってしまったとのこと。すれ違いだったようだ。
 ちょうど、夕方に焼けるパンが粗方売れた後の時間帯で、客も少なく立ち話をする時間があった。
 アイシャはこれまでの経緯をミーシャおばさんに話しておくことにした。

「あそこの薬師のオヤジ、腕はいいけどやり方が良くないよね。だから店が小さいままなんだよ」

 自分は腕が良いし知識もある、優れたポーションを作れると思っていて確かにその通りなのだが、良いものだからと出し惜しみしているうちに客のほうが嫌気が差して次第に来店しなくなっていく。
 客だけでなく、弟子志望の若手にも同じことをするから、弟子も居着かないし育たない。

 ミーシャおばさんはそのことを知っていたが、既にアイシャが店に通った後だったので、余計な口を挟まないようにしていたとのこと。
 接客に難ありでも腕は確かな薬師だったからと、申し訳なさそうに言われた。

「そう。残念ね」
「本当に残念だよ。アイシャちゃんみたいな若い子にもそんな態度なら、あの店ももう長くないね」

 その後も薬師の店は続いていたが、客足はどんどん細くなって、そのうちポーションの素材を入手するのも困るようになったようだ。
 それでも営業は続けているようだが、そのうちアイシャもミーシャおばさんも、存在を忘れてしまった。



「聖女ロータスの弟子に、薬師リコという男がいる。連絡を取ってみるから、しばらく待っていてほしい」

 赤レンガの建物に帰って夕食後、ミントのハーブティーを飲みながら、アイシャはルシウスに薬師との出来事を報告した。
 すると、リンク使いのフリーダヤとロータスのファミリーにも薬師がいることを教えられる。

「ううん。それはいざというとき、お願いするわ。私、これでも聖女だし。リンクも使えるようになったから、まずは自分でも何とかできないか頑張ってみたいの」
「お前がそう言うなら、その意見を尊重しよう」

 聖女といえば癒しや回復のスペシャリストと思われがちだが、それは治癒士、即ちヒーラーや医師、薬師などの専門分野だ。
 聖女アイシャの能力は、まず浄化。そしてその浄化を前提とした受容。他者や物事のネガティヴを自分に引き寄せ受け入れてから浄化する。
 他は賦活ふかつ活性化。関わる人々を元気づけ活気づける。
 あとは戦闘なのだが、このような調子で、癒しや回復はあまり得意ではない。
 そうはいっても得意でないだけで、魔力量の多い聖女の特性を活かして、それなりなら可能なのだ。そうでなければそもそも、あの過酷な王城でのクーツ元王太子の婚約者などやっていられなかった。

「アイシャ。古書店のほうに治癒術の魔法書があるよ。読んでみる?」
「あんまり難しくないのがいいわ。私でも読めるものあるかしら?」
「子供向けのおまじないの本もあるけど、難しいものでも大丈夫。俺がわかりやすく解説するよ」

 和気藹々とトオンがアイシャを連れて、さっそく古書店フロアへ本を見に行った。
 その後ろ姿をルシウスが微笑んで見守っていたのだが。

(私も一緒に解説を聞きたいが、……野暮だろうな、邪魔はするまい)

 恋人との時間に他の男など鬱陶しい以外の何ものでもない。
 今夜は大人しく、2階の自分の部屋で読書することになりそうだった。




--
それで最初の数ページで寝落ちするお約束が待っている。
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