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呪い
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ひとには原罪があるのだという。それはどんなひとも生まれながらにして持っている罪で、人間の生というのはその償いのためにあるのだと、私を引き取った牧師は教えてくれた。
最初はなんのことか理解しがたかった。私にはすでに少年院で過ごした期間があり、それは私が起こした事件への償いをする期間なのだとじゅうぶんに認識していて、そう思ってからは謙虚に生きてきたつもりだし、深く反省をして更生しようと努めた。唯一の血縁だった父とも縁を切り、見も知らぬ土地で名前も変えてこわごわと新しい一歩を踏み出そうというときだったから、余計に、このひとは私を憎んでいるのだろうかという思いすらよぎった。
「私はきみを愛する。きみの罪も含めて、きみを愛する」
牧師は私にそう言った。そのとき、私は心臓がはっとするような、恐怖、あるいは絶望を感じたのかもしれない。牧師は私を救おうとしてその言葉を伝えたのだろうが、それは私にとって呪いとなって、いまも私を苦しめる。
自分に原罪のあることを知っているひとは、一生償うことのできないその罪によって苦しむことだろう。苦しみこそが贖罪であり、一生のそれを成し遂げれば天の国へ導かれる、その迷信に縋りついて苦しみを受け入れ、耐えながら生きる。また、自分に原罪のあることを知らないひとは、謙虚を忘れて愚かな行いを繰り返し、罪に罪を重ねて天から遠いところへと自ら向かう。人間は、神のゆるしがなければまともに生きてはいけないようになっている。イエス・キリストは死んだ。怯えながら。もしあのとき、彼が十字架に打ち付けられていなければ、逃げただろうか。逃げたと私は思う。彼は死ぬ直前まで人間だった。人間は死を恐れ、痛みから逃れようとする。生きようとする。助かろうとする。
牧師は、私をまるで息子のように扱った。少々過保護なほどでもあったかもしれない。料理をしていて指を切ればすっとんできて手当てをしたし、風邪をひいたとなればスポーツドリンクやアイス枕をかいがいしく用意した。私はずいぶん真面目になって、仕事にも出たし教会も手伝っていたから、あまり叱られることはなかったが、毎晩祈りを口に出して言うのは監視された。最初の頃は少しばかりの反抗心はあった。しかし、それが次第にほぐれてきて、牧師を信頼しそうになったとき、私は初めて、牧師の私に向けられた慈愛を認識し、それが偽りない真実の愛情だということを悟って、震えた。怖かった。私は自ら罪を犯すような愚かな人間であり、ひとに言われないと反省もできなかった馬鹿で、世間ではいまだに恨まれ、ひとを悲しませ、怒らせている。そんな私を、そのこともひっくるめて認めてくれる、牧師、そのひとの愛というものが恐ろしかった。
愛されないほうがましだ。現に、少年院では優しさとは名ばかりの腫物扱いだったし、院生はなにかにおいの違いを感じたのか代わる代わる私をいじめていた。私は最初こそ反発したものの、やがて自分の罪を認識すると、それもしかたのないことだと納得するようになった。だから、いま牧師が私を本当に大切なものとして扱っていることが、とにかく怖かった。私は、どうしたらいいのか考えた。
結論は、死ぬことだった。
私は思ったことをありのままに遺族に伝えて、これから自分がすることをわかってもらおうと思い、紙を広げてペンを持った。しかしなにも書けなかった。もしかしたら、遺族はつらいことを一瞬ずつ忘れて生き延びているのかもしれない。私が手紙を書くことで、遺族は再びあの日、あの夏の日に放り出され、涙が止まらず、怒りが収まらず、そのとき私はきっともういないから、どこへその怒りをぶつければいいのか? 私は生きていなければならない。遺族に恨まれるために。弁解の手紙を書くことも許されぬまま、ひとりこの感情に悶えながら、生きていなければならない。
絶望した。どうして死刑にならなかったのか、せめて無期懲役になっていれば。私を法律的に縛り、社会的に罰し続けていてくれれば、こんなに思い詰めることはなかっただろう。違う。そもそも自分がひとさえ殺さなければ、誰をも傷つけることはなかった。ひとに愛されることを苦痛に感じることもなかった。白紙に皺がよるほど涙をこぼし、鼻水を垂らして嗚咽することもなかった。どうして、どうして。どうして。
牧師が後ろから私の肩に手をまわして抱きしめた。ぶつぶつと主に祈りながら、しっかりと力を込めて私の体を抱きしめていた。
平穏の日々を生きていても、私は暗黒にいるみたいだ。平穏であるからこそ、苦しみを感じる。まっとうに、ひとらしく生きることが贖罪だと思い込んでいたあの頃に比べれば、私は表情を失い、覇気も溌剌としたものも失くし、死者のように生きている自覚がある。いつでも自分の罪のことを考え、悔やみながら生きている。十字架は重く、イエスの足をふらつかせる。鞭うたれて、なおイエスはゴルゴダの丘をのぼる。
私の堕落はすでに始まっていて、牧師がどれだけ祈ろうとも、私を救うものはなにもなく、たとえいま目の前に神がいて手を差し伸べていても、それは私にとって耐えがたい苦痛でしかなく、どれだけ罪を自覚し、それを償う気持ちで一秒一秒を生きていたとしても、私は決して解放されることはない。生き続けることも、死を迎えることにも、私は後悔するだろう。生まれなければよかった。日に何度もそのことを考える。生まれた、それこそが私の罪なのである。
ひとは罪を犯さずにはいられない。小さな罪、大きな罪、なにかしらを誰もが抱えている。いかに償い、命を生き抜いて神の国へ近づくか、つまりゆるされるか。自覚があれば、苦しむ。自覚がなければ、神の国から遠ざかる。
私は私の命では償いきれない罪を犯した。あの子の苦しみも、遺族の悲しみも、すべて私によるところである。そう思うことすら傲慢だろうか。それでも私は、悪魔だ。どれだけ償っても、神の国に入ることは許されない。許されなくていい。私は地を這い、絶え間なく流れる私の涙を舐め、生きるのである。
最初はなんのことか理解しがたかった。私にはすでに少年院で過ごした期間があり、それは私が起こした事件への償いをする期間なのだとじゅうぶんに認識していて、そう思ってからは謙虚に生きてきたつもりだし、深く反省をして更生しようと努めた。唯一の血縁だった父とも縁を切り、見も知らぬ土地で名前も変えてこわごわと新しい一歩を踏み出そうというときだったから、余計に、このひとは私を憎んでいるのだろうかという思いすらよぎった。
「私はきみを愛する。きみの罪も含めて、きみを愛する」
牧師は私にそう言った。そのとき、私は心臓がはっとするような、恐怖、あるいは絶望を感じたのかもしれない。牧師は私を救おうとしてその言葉を伝えたのだろうが、それは私にとって呪いとなって、いまも私を苦しめる。
自分に原罪のあることを知っているひとは、一生償うことのできないその罪によって苦しむことだろう。苦しみこそが贖罪であり、一生のそれを成し遂げれば天の国へ導かれる、その迷信に縋りついて苦しみを受け入れ、耐えながら生きる。また、自分に原罪のあることを知らないひとは、謙虚を忘れて愚かな行いを繰り返し、罪に罪を重ねて天から遠いところへと自ら向かう。人間は、神のゆるしがなければまともに生きてはいけないようになっている。イエス・キリストは死んだ。怯えながら。もしあのとき、彼が十字架に打ち付けられていなければ、逃げただろうか。逃げたと私は思う。彼は死ぬ直前まで人間だった。人間は死を恐れ、痛みから逃れようとする。生きようとする。助かろうとする。
牧師は、私をまるで息子のように扱った。少々過保護なほどでもあったかもしれない。料理をしていて指を切ればすっとんできて手当てをしたし、風邪をひいたとなればスポーツドリンクやアイス枕をかいがいしく用意した。私はずいぶん真面目になって、仕事にも出たし教会も手伝っていたから、あまり叱られることはなかったが、毎晩祈りを口に出して言うのは監視された。最初の頃は少しばかりの反抗心はあった。しかし、それが次第にほぐれてきて、牧師を信頼しそうになったとき、私は初めて、牧師の私に向けられた慈愛を認識し、それが偽りない真実の愛情だということを悟って、震えた。怖かった。私は自ら罪を犯すような愚かな人間であり、ひとに言われないと反省もできなかった馬鹿で、世間ではいまだに恨まれ、ひとを悲しませ、怒らせている。そんな私を、そのこともひっくるめて認めてくれる、牧師、そのひとの愛というものが恐ろしかった。
愛されないほうがましだ。現に、少年院では優しさとは名ばかりの腫物扱いだったし、院生はなにかにおいの違いを感じたのか代わる代わる私をいじめていた。私は最初こそ反発したものの、やがて自分の罪を認識すると、それもしかたのないことだと納得するようになった。だから、いま牧師が私を本当に大切なものとして扱っていることが、とにかく怖かった。私は、どうしたらいいのか考えた。
結論は、死ぬことだった。
私は思ったことをありのままに遺族に伝えて、これから自分がすることをわかってもらおうと思い、紙を広げてペンを持った。しかしなにも書けなかった。もしかしたら、遺族はつらいことを一瞬ずつ忘れて生き延びているのかもしれない。私が手紙を書くことで、遺族は再びあの日、あの夏の日に放り出され、涙が止まらず、怒りが収まらず、そのとき私はきっともういないから、どこへその怒りをぶつければいいのか? 私は生きていなければならない。遺族に恨まれるために。弁解の手紙を書くことも許されぬまま、ひとりこの感情に悶えながら、生きていなければならない。
絶望した。どうして死刑にならなかったのか、せめて無期懲役になっていれば。私を法律的に縛り、社会的に罰し続けていてくれれば、こんなに思い詰めることはなかっただろう。違う。そもそも自分がひとさえ殺さなければ、誰をも傷つけることはなかった。ひとに愛されることを苦痛に感じることもなかった。白紙に皺がよるほど涙をこぼし、鼻水を垂らして嗚咽することもなかった。どうして、どうして。どうして。
牧師が後ろから私の肩に手をまわして抱きしめた。ぶつぶつと主に祈りながら、しっかりと力を込めて私の体を抱きしめていた。
平穏の日々を生きていても、私は暗黒にいるみたいだ。平穏であるからこそ、苦しみを感じる。まっとうに、ひとらしく生きることが贖罪だと思い込んでいたあの頃に比べれば、私は表情を失い、覇気も溌剌としたものも失くし、死者のように生きている自覚がある。いつでも自分の罪のことを考え、悔やみながら生きている。十字架は重く、イエスの足をふらつかせる。鞭うたれて、なおイエスはゴルゴダの丘をのぼる。
私の堕落はすでに始まっていて、牧師がどれだけ祈ろうとも、私を救うものはなにもなく、たとえいま目の前に神がいて手を差し伸べていても、それは私にとって耐えがたい苦痛でしかなく、どれだけ罪を自覚し、それを償う気持ちで一秒一秒を生きていたとしても、私は決して解放されることはない。生き続けることも、死を迎えることにも、私は後悔するだろう。生まれなければよかった。日に何度もそのことを考える。生まれた、それこそが私の罪なのである。
ひとは罪を犯さずにはいられない。小さな罪、大きな罪、なにかしらを誰もが抱えている。いかに償い、命を生き抜いて神の国へ近づくか、つまりゆるされるか。自覚があれば、苦しむ。自覚がなければ、神の国から遠ざかる。
私は私の命では償いきれない罪を犯した。あの子の苦しみも、遺族の悲しみも、すべて私によるところである。そう思うことすら傲慢だろうか。それでも私は、悪魔だ。どれだけ償っても、神の国に入ることは許されない。許されなくていい。私は地を這い、絶え間なく流れる私の涙を舐め、生きるのである。
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